はじめにお断りをしておきます。

これから書くのは、もしかしたら、自分の日記にのみ書いておくことなのかもしれません。

イラッとする方、眉をひそめる方、いろいろといらっしゃるのではないかとも思います。



でも、髙橋大輔という、私にとって、そして彼と彼のスケートを愛するたくさんのファンの方にとって何物にも代えられない唯一の、不世出のスケーターの一面を知っていただけたら…と思います。

そして、こういうファンもいたんだと、苦笑いしてください。



フィギュアスケートのファンである父を持つ私にとって、

物心ついたときから、テレビでフィギュアの演技を見ることは日常でした。

でも、今のようにあちこちのローカル大会に遠征することはなく、

全日本、NHK杯、ワールド…そういう大会にポツポツと遠征をするのがせいぜいでした。

私が「髙橋大輔」の名前を初めて聞いたのがいつか、それは思い出せません。

本田武史という素晴らしい才能の後を継ぐのはだれだろう…。

そういう話の中で出てきたような気はしますが。



でも、彼の滑りを初めて見た日のことはよく覚えています。

2000年.名古屋市。レインボーアイスアリーナ。

21世紀になって初めての全日本ジュニア。

うわさの髙橋大輔の滑りが見られる…と、うきうきしながら出かけ、

そこで衝撃的な滑りをみました。


「なに、これ…。」

それが大ちゃんの演技を見たときに出た言葉。

彼にとって、ベストだったわけではない。

前年に乗った表彰台も逃してしまった演技。

でも、私にとって見たことのない何かがそこにありました。

今考えればそれは、彼がカーブを描くときのエッジ使いだとか、

歌子先生が言われていた、「身体から音楽が聞こえる」という滑りだったんでしょう。

でも、そのときの私にとっては、「なに、これ…。」としか思えませんでした。

自分が見たことがないスケーターがそこにいる。

何かわからないけれど、このスケーターをまた見たい。

もっと見たい。

突き上げてくるような気持に捕らわれて…。

まさかそれから14年間、彼の演技を応援し続け、追い続けるとは思わない…。

そのときが、私がスケーター髙橋大輔に捕らわれた瞬間でした。


「こんにちは。」

「ありがとうございます。」

「次もがんばります。」

確か、これが最初に聞いた大ちゃんの言葉。

まだ中学生だった彼は、こちらの話を聞くときは真剣な目を向けながらも、

自分の言葉は、はにかみながらのか弱ささえ感じるもので、

あのリンクでの力強さのあるエッジワークとは別人のようでした。


それから14年間。

何百回も、多分何千回も、叫んできた、「大ちゃん、ガンバッ!!」の言葉。

それができた、そして、ファンの声援に応えようと、いつも魂を燃やす演技を見せる彼のたくさんのシーンを見ることができた。

私はとても幸せなファンだと思います。

「長い、すごい長い。」

「古い。すっごく古い。」

…天然に、時々失礼モードとなる大ちゃんからの、年季の入ったファンである私への

ありがたい、プレゼントの言葉です(;^ω^A

そう言われた時は、かつての…とはいえ、レディに向かって…とも思ったのですが、

今、つくづく幸せだと。

きっと、たくさんの応援を感じてくれたんだと、勝手に思っておきます。

2012年。真駒内。

あの道化師。

表彰式後のフォトセッションが終わると、なぜか真直ぐにこちらに向かってくる姿。

「すみませんでした。」

投げられたのはその言葉。

「最高の道化師だったよ。」の返事に笑顔を見せ、彼のための花束を受け取り、

手を差し伸べる。笑顔で握手をしながら小さく頷いた彼の目には、

髙橋大輔の滑りをしたんだというプライドが見えたように感じました。



長くなります。続きます。