コロナ禍が収まりつつあるのか、次なる波が来るのか、なんとも予測がつきがたい。

 

ただ、酒席は少しずつ増えてきたようだ。

私は昨夜、郡山文化協会の理事会に出席し、懇親会にも参加した。

 

実に久しぶりに、手締めの場面に出くわした。

一発締めであった。これは言葉がよろしくない。

一丁締めと言うべきだ。

 

コロナ退散を願いつつ、わが安積地方に伝わる手締めを紹介しよう。

 

周知の通り、手締めは三本締めが基本で、「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャンシャン」を3回行う。

一本締めはこれを1回行う。

一丁締めは拍手1回である。

 

安積締め(郡山締め)は、古老の昔語りを聞く中で知った。

シャンシャンシャン、おっシャシャンシャン、シャンシャンシャシャンの、おっシャシャンシャン」という13拍の締めである。

 

「おっ」「の」は1拍の休符である。

 

私は、手締めを頼まれると安積締めで締める。

 

手を()つときに「シャン」と発声しないのは、普通の締めと同様である。

しかし知らない人が多いので、「シャン」を言わなければまとまらない。

 

これから普及してゆけば、「シャン」は要らなくなるかもしれぬ。

 

日本人の拍手の歴史は古い。

通称「魏志倭人伝」、正しくは『三国志』「魏書」三十「烏丸(うがん)鮮卑東夷伝」の倭人の条に、拍手が記されている。

「敬礼すべき高位の人に出会うと、ただ手を拍って、中国の跪拝(きはい)に代える」とある。

「跪拝」は、皇帝や神仏をひざまずいて拝むことで、最高に丁寧な作法である。

 

つまり邪馬台国の時代には拍手が最敬礼だった。

当時の中国人は、この日本の礼を珍しく感じて、倭人の条に記したことだろう。
 

拍手の礼は今も神社参拝の作法に継承されている。

2拝2拍手1拝である。

 

出雲大社と宇佐八幡は4拍手、伊勢神宮の重要な祭儀においては8拍手で拝礼する。

 

ヒミコの時代の作法が神事に残ったのは、日本人が祭祀を忠実に行ってきた証である。

 

「ヒミコ」の称については、日本人が「ヒメノミコト」(姫命)と言ったのが、中国人が聞き取るときにやや変化したのであろう。

「卑」は蔑字なので、「卑弥呼」ではなく「ヒミコ」と書くことにしている。

 

倭人の条には、「日本人は根っからの酒飲みである」とも書いてある。

日本人の酒好きはヒミコの頃から変わらない。

 

手締めも古代の礼の末と思えば、安積締めも大事にしたい。