阿武隈川の「隈」は「川の湾曲したところ」を言い、かつてこの川が身をくねらせた銀蛇のような姿で流れていたことを伝えている。流域に三日月湖の跡が点在するのは、そのなごりだ。

 

さて「阿武」の方だが、実は「アブ」という発音は間違いなのだ。

 

『新古今和歌集』に「阿武隈川」を詠じた歌が三首収められている。新古今の撰者の一人藤原家隆(鎌倉時代前期の公卿)の歌に、

「君が代に阿武隈川の埋もれ木を氷の下に春を待ちけり」とある。

 

「埋もれ木」「氷の下」は、家隆自身とその境遇をあらわす。

 

「春」は後鳥羽院の君恩を言う。

 

歌の意は、

「わが君の栄える御代に逢うことができて、阿武隈川の埋もれ木のような私も、氷の下であたたかい春のおとずれを待っております」。

 

この歌の「君が代に阿武(アフ)」と「阿武(アフ)隈川」は、「アフ」が掛詞で、文芸としての見せ所となっている。

 

旧仮名遣いの「アフ」は、「オー」と発音することになっている。

「逢坂(アフさか)」を「オーさか」と発音し、「扇(アフぎ)」を「オーぎ」と発音するのと同じである。

 

したがって、「君が代に阿武(オー)」「阿武(オー)隈川」と発音する。

 

これを「君が代に阿武(アブ)」「阿武(アブ)隈川」と発音しても、掛詞が成立せず、意が通じない。阿武隈川は「オークマ川」と発音しなければ、古典文学が成り立たない。古典にまで影響するとなれば、大問題である。

 

大相撲の阿武松部屋も、「アブノ松」ではなく「オーノ松」と発音する。この名跡は横綱阿武松緑之助に由来する。黒船来航の2年前に没した力士だ。

 

黒船と言えば、ペリーが持参した国書を和訳した安積艮斎が思い浮かぶ。

艮斎は故郷の阿武隈川を「逢隈川」と表記している。「阿武」でなく「逢(アフ)」を使用したことから、艮斎も「オークマ川」と発音していたことがわかる。

 

宮城県亘理郡に「(おー)(くま)」の地名があり、阿武隈川に「逢隈橋」が数ヶ所架かっているのも、阿武隈川を「オークマ川」と発音したなごりである。

 

「阿武」という漢字につられて、「アブクマ川」と発音するようになってしまったのは、それほど昔のことではない。

 

泉下の藤原家隆卿も、「アブクマでは掛詞にならぬ」とお嘆きのことであろう。