堂の森古墳 | 城館のフィールドワーク

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全国にゴマンとあるという城館を、徒然なるままに紹介する探訪記。ときどき浮気して古墳も紹介。居住地の福島県が中心です。

次に訪ねたのは、同じく浪江町の堂の森古墳。墳丘長51.1メートルの前方後円墳である。確かな築造時期はわからないが、後円部に対して前方部が小さめであることから、前期もしくは中期と考えられる。

 

古墳の標柱が建てられているところから、少し離れた場所にある簡易な石橋。この橋が、古墳入口の目印である。

 

石橋を渡って、丘陵を登り切ったところに、堂の森古墳がある。写真だとわかり難いかもしれないが、左手前が前方部で、右奥が後円部。

 

前方部から後円部を見たところ。

 

墳丘の周囲には、周溝のくぼみが確認できる。特に後円部では、そのくぼみ方が顕著である。写真右手の斜面が後円部の墳丘。

 

後円部を東から見たところ。手前のくぼみは周溝。

 

後円部の一部が崩落している。地滑りによるものだろうか。

 

請戸港から、堂の森古墳の築かれた丘陵を見たところ。堂の森古墳があるのは、左手の神社社殿と中ほどの白い建物の間あたりの丘陵上だと思う。木々が無ければ、請戸港付近からも墳丘が視認できただろう。この丘陵上には、堂の森古墳のほかにも狐塚古墳や安養院古墳群などがあって、古墳が集中する。

 

古墳の集中する請戸川下流域が、古墳時代の中心的な地域であったことは間違いない。その立地から、海運との関係があることも容易に想定できる。先に見た権現堂城に象徴されるように、中世になっても標葉氏がこの地を本拠としており、請戸川の下流域が、通時的に地域拠点となるような場所であったことがわかる。