難病中の父親の具合が急に悪くなったと、

2週間前に 母から連絡があった。








「このまま逝くかもしらんわ〜」というので、

仕事もキャンセルして

子供らの学校も休ませて、、と考えたけど、

病院から

「いつでも連絡とれるようにしてください」とは言われたけど

「危篤」ではないらしい。







人に相談して、

珍しく兄にも相談して、

今は 自分の生活を変わりなく優先させることにした。







今、父は 帰宅はできないけれども

意識は戻り 喋りも相変わらずで

転院先が決まった とのこと。








落語の「死神」で、

頭側に死神が居たら そのときがやってくる。

足元だと まだしばらくは生きる。

という設定があるけど、

今まさに

死神が、

足元から「いつ頭側に周ろうか」タイミングを見計らっているのだろう。









これにも きっと、何か意味があって、

でも その意味なんてものは

父親本人はもちろん、

周りの人達にとって、

それぞれが それぞれの生きる中で 

それぞれの感じ方で捉えるしかないんやけど。








「この 奇跡みたいに与えられた残りの時間で、

わたしは一体 何を知るのだろう

何を得るのだろう

今より 何が変化した状態で、

父を見送ることができるのだろう」




父親が少し落ち着いた1週間前から、

ときどき、そんなことを考えていた。









。。。。。。。。。








わたしには 少し前から、

「こんな人が自分の父親だったら、

わたしの人生 ほんまに違ったやろな」と、

一般論で他人を羨ましがるような感覚とは全然違う、

もっと深いところでリアルに憧れてしまう、

そんな眼差しを向けている人がいます。









(たぶん ご本人は、

わたしが名前出してブログで書いたところで

何っの支障も無いような器の人やけど、

わたしの照れもあるし

一応 隠した雰囲気で書きます。)









その方が、

昨日 

「実は大病を抱えて治療しながら何年も生きている」という話を

わたしも含め その場に居る人たちに

世間話のひとつとして話されていました。










それを聞いたとき、

わたしは ほんま素直にシンプルに

「嫌や。絶対に長生きして欲しい。」と

強く思ったのでした。









そして、その後、

たまたま わたしの子供と その方の3人だけで話せる時間があって、

「身体、大事にして下さいね。無理しないで下さいね」と、

最初は まー 普通に声をかけさせていただいたんやけど。









あのときの わたし、

何やったんやろか。

っていうくらい、ほんま勝手に言葉が出て来て








わたしが"優しい父親""優しいおじいちゃん"に縁がなかったことを、

決して可哀想なことではなく、

ただただ わたしの事実 として お話をし、


「わたし、(その方)に癒されてるんです。

短い時間やけど同じ部屋に居るだけでめちゃくちゃ安心するんです。

父親と同じ世代の人で、そんな人にやっと出会えたんです。

長生きしてもらわな、わたし困るんです。

だから ほんまに無理しないでください」








と、ほんっま気づいたら そんなことを口にしていました。








立場とか 色々考えたら

そんなこと めちゃくちゃ厚かましいし 何なら失礼になるかもしれんのに

何故か 言えてしまった。










「すみません、何か。

勝手に 癒されたりして、、、」と謝ると、

「いやいや、どうぞどうぞ。

 僕 悪い父親では ないと思うんで」

て笑ってくれて、


もー ほんまに 

嬉しいというか何というか、、、

言葉にできない安心感が

ほんまに魂があるならば 魂にまで染み渡った。











その日のお別れをした後、


またや、、、。





また、

今までと全然 違う景色が広がっているのを感じた。











今も、

その人の顔を思い出すだけで

じわじわ 優しい気持ちになります。

でもこれって、

依存とか執着とは、全然違う気がします。

だからこそ

こんなに幸せなのかもしれないです。









事実は事実として。

何か もう、

両親にも感謝しかないです。











子供らと揃って帰省するタイミング探してたけど、

とりあえず、平日の どこかで

子供らが学校行ってる間にでも

父親に会いに行こうと思います。