私としては、常にアウトサイドでボールを持つことで、理想的な身体の使い方をできるし、サッカー的にもいいと思って、度々ブログで書いてきました。
身体操作でいえば、アウトサイドでボールを持つと、膝がボールの上に乗ってきて、同時に腰が前に出てきます。
ボールと一体になって、身体が前に出るようになります。
サッカー面でいえば、よく「常にボールを蹴れる位置にボールを置きなさい」と言われます。
私は具体的には「常にアウトサイドでボールタッチをできるところが、常にボールを蹴れる置き所」だと考えています。
メッシはアウトサイドでドリブルしますが、次のタッチがドリブルなのかパスなのかがわからないから、相手は常に翻弄されるのだと思います。
ただ、アウトサイドタッチでボールを持つことは基本なのだと思いますが、その先があるように最近思ってきました。
そのことを書きたいと思います。
今の日本サッカー界でも、アウトサイドタッチの重要性を語るコーチは増えたと思います。
ただ、メッシやマラドーナのアウトサイドタッチとは根本的に違いがあるように思います。
たとえば↓58秒のメッシのタッチです。
股関節を内旋させて、左足のアウトサイドで、ボールに回転をかけています。
スタートダッシュでのスピードを最大限に上げる際、メッシのアウトサイドでボールに回転をかけるように、足を内旋させるのは非常に重要だと思います。膝が内側に入る感じになるのです。
↓は史上最速の男、ウサインボルトのスタートです。
ボルトはスタートの特に最初の2歩、膝が内側に入っています。
メッシのボールタッチと同じです。内旋運動を上手に使っています。
サッカーのドリブルにおいて、単にアウトサイドでタッチをすると、足でボールを真っすぐに押し出す感じになってしまい、内旋をしなくなります。
私としては、足を真っすぐ押し出すと、腸腰筋が使えないと思っています。
メッシやマラドーナは、アウトサイドでボール回転をかけてドリブルするフォームが身についているので、なにげないドリブルでも腸腰筋が使えているのだと思います。
ですが、内旋するボールタッチができないと、腸腰筋を使えていないので、一回一回の差はわずかでも、10年間積み重なったら、とんでもない違いになると思うのです。
さらに、足を内旋したので着地も内股になるかと思いきや、メッシもボルトも着地は前方に向けて真っすぐか、もしくはがに股気味になっています。
私としては、着地した後は、ハムストリングスか大殿筋を使うからだと推測しています。
解剖学的な観点から、着地足はがに股気味がもしくは真っすぐがいいのだと私は考えています。
たとえば着地足が、がに股がいいと思う根拠は、大殿筋の起始部と停止部にあります。
筋肉は収縮することで機能を発揮します。
大殿筋が収縮すれば、それは斜め方向に力を発揮するのです。ということは、前方に真っすぐ進みたければ、足をがに股気味にした方がいいはずです。
それは相撲の立ち合いでもわかる気がしています。
がに股気味になって相手にぶつかります。
つまり、アウトサイドでボールを持つといっても、けっこう複雑なことをやる必要があるということだと私は思っています。
まずは足を内旋させます。
ですが着地は逆に、足を外に向けるのです。
それを一歩のうちにやらなくてはなりません。
そして具体的な練習としては、シンプルに「アウトサイドでボールに回転をかけてドリブルし、真っすぐ進む」でいいと思います。
というのは、足を内旋させてアウトサイドでボールに回転をかけたあとに真っすぐ進もうと思ったら、足は必然的に外側にもっていかざるを得ないのです。であれば、この条件設定で練習を積めば、理想的なボールタッチができると私は考えています。
サッカー育成に関わっている人は皆、信念があると思います。
今一番多いのは「サッカーの本質を理解する派」的な方々だと思います。スペインサッカーを信奉する人たちだと思います。
さらに「自由にストリートサッカー的にサッカーをやる派」「とにかく基本の徹底派」の方々もかなりいると思います。
その中では、私はたぶん少数派で「サッカーを学問的に突き詰めたい派」です。
サッカーから「人間とはなにか」「日本人とはなにか」を知りたいという欲求があります。
たとえば、私は最近だらだらとドリブル練習する数人の子たちを念頭に置いて「一人でもコーンドリブルを歩いている子がいたら、連帯責任で一生この練習終わらないぞ!」と言いました。
実は私はこういうのは一番やりたくないのです。周りに迷惑だから云々、は私の信念として、感情として、本当に嫌いなのです。
私は、たとえば殺人犯の子や家族が必要以上にバッシングされる日本的な何かが嫌いなのです。
そういう思想体系の私ですが、いくら怒って注意してもまったく態度を改めない相手に、業を煮やして、自分の嫌いなことを一時的ですが解禁したのでした。
すると、何を言っても聞かなかった子たちが、いきなり素直にドリブル練習を始めました。
「連帯責任」という言葉は、現代日本の子どもにとっても、最もつらいことのようでした。
そのとき私が思ったのは「なんて文化的遺伝性みたいなものは根が深いんだろう」という、一種の戦慄でした。
小学生のうちから、ある意味琴線に触れる𠮟り方というのは、日本的なことをやらないと響かないのです。
「連帯責任」「おまえのせいで○○が迷惑している」「お前の行動が○○という組織の評判を落としている」
こういった言葉は、絶対的に令和の子にも響くのだと思いました。
それは良し悪しではなくて、なんという民族的な根深さだろうと思ったのです。
私は中国に6年間住みましたが、中国人の子どもにそんな叱り方をしても響かないと確信を持って言えます。
そういうところが文化なのでしょう。
そのなかで私には「サッカーは学問的に捉えればもっと向上する」という信念があります。
私は心情的には「サッカーはストリートでやらせるのが一番」と思っていますが、今の時代ではそれが一番とは思っていません。
もっと工夫を凝らせば、段違いにうまくなると思います。
ただ、いくらブログで書いてもしょうがないでしょう。
ですがこれまで書いたことを読者の方が実践してくれて、実際にうまくなったという声をけっこうもらっているので、私はそれが嬉しくてブログを書いている面があるのです。
さらに実際に私自身、関東大学リーグキャプテンと副キャプテンを、市内弱小チームでたった30人弱を卒業させた中から輩出しているのです。
サッカー現場にいる方にはわかってもらえると思いますが、これは奇跡的なことだと思います。
もちろん更に上の選手を輩出したいと思い、今でも毎日研究しています。
そして今回書いたことも、私なりに最近考えて発見したことであり、納得したら試していただきたいと思います。