ユーロ2024とコパ・アメリカが終わりました。
そして、私はスペインのサッカー誌副編集長の秀逸な文章によって、これからのサッカーがどこに向かうのかが示されているように思うのです。
スペインの新たなフットボール哲学は「学術的」で「ストリート的」だ。彼らはポジショナルプレーや細かいボールタッチで試合の主導権を握ることを一切捨てていない。これまで通りボールを求めて、アンカー(ロドリ)を重用し、しっかりビルドアップを行う。だがその一方で、相手に打撃を与えられる可能性を見出せば、「教科書通りのポゼッション」を捨てて躊躇することなく一気にプレーを加速させ、勝負を仕掛ける。そこで彼らは「学術的」でなく、「ストリート的」な顔をのぞかせるのだ。
現代フットボールでは、カンテラ(スペイン語で石切場や採石場の意で、スポーツクラブの下部組織に対しても用いられる)での徹底的な教育によって、選手の特徴もチームとしてのプレーも画一性が叫ばれるようになって久しい。程度の差こそあれど、カンテラの子供たちはドリブルを仕掛けられたり創造性あるスルーパスを出せる場面で、ミスを恐れる指導者から無難な横パスを選択して次の機会を探るように指示される(もちろん、数的・位置的優位性を無視して無謀なプレーを行わせるのは論外だが)。そのような指導は選手たちの機械化を招き、予測不可能なプレーをピッチ上から消し去ってしまう。だからこそ戦術的かつフィジカル的で、試合の均衡ばかりを求める昨今のフットボールは、退屈で見え透いたものになってしまっている。
私は日本においても状況は同じだと思います。
とにかくドリブル重視的なことは、目の敵にされます。
ですが今回のスペイン代表の圧倒的なユーロ制覇は、ヤマルとニコ・ウイリアムズのドリブル突破が大きな要因でしょう。
かつてスペインになかった武器を、彼らは手に入れたのだと思います。
さらにスペイン代表監督デ・ラ・フエンテが伝えたということが素晴らしいと思います。
そしてヤマルとニコに対しては、ミスを恐れる育成年代の指導者たちには、決して口にできない言葉を伝えている。すなわち「勝負を仕掛けろ。ミスを恐れるな。自分らしくプレーするんだ」、と。だからこそ彼らのフットボールは、見ていて楽しいのだ。
多くの人にとって、今回のユーロは退屈に映ったのではないでしょうか。
私も最初に数試合見て、あまりのつまらなさにハイライトでしか見るのをやめてしまいました。
どのチームも同じようなパス回しで、淡々と時間が過ぎていきます。
20年前からサッカーのレベルは上がったと言われますが、人はレベルの高さを観たいのではないのです。
おもしろいものを観たいのです。
私としては、サッカー界が今のような方向性に行くのならば、やがて人気が衰えていくのではないかと思います。
といいますか、世界的にサッカー人気の低迷は言われているところです。
私はコーチとして、もちろん子どもたちをうまくするのは大事ですが、その子たちが大人になってもサッカーを続けたりサッカーファンであり続けることが大事だと思うのです。
そうであるならば、その子が大人になって結婚して子どもができたら、喜び勇んで子どもにサッカーをやらせるでしょう。
そのサイクルが続く限り、サッカーは人気であり続け、幸せなサッカー人生が世代を超えて循環していきます。
そういったなか、私としては「技術」と「ストリートサッカー的な要素」を両立させようということで、最近取り組みをしています。
つまり、ある日は極端に技術練習をやります。
ですが他の日は「ゲームデイ」ということで、練習時間すべてゲームです。
それもコーチは極力何も言わず、休憩時間ごとに選手たちで話し合わせます。
技術を学ぶ喜びと、自由にサッカーをやる喜びは車の両輪だと思うのです。
技術を教える日は徹底的に細かくやりますが、ゲームデイでは何も言わないという極端さが大事かなと思って、取り組んでいます。
そして私は年内に、ぜひやりたいことがあります。
それは仲のいいチームとの練習試合での設定です。
お互いのチームごちゃまぜで、ランダムにチームを作ります。
その中でキャプテンを決めて、自分たちでアップをし、キャプテンを中心にしてポジションを決めます。
そして試合です。
試合中、コーチの声掛けは禁止。保護者の応援はいいけど、指示はもちろん禁止です。
ハーフタイムはもちろん、子どもたちだけの話し合いです。
私はこれはめちゃくちゃおもしろいと思うし、しかも子どもたちの考える力や仲間とのコミュニケーションなども伸びると思います。