守備の芸術。

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 サッカーを観るときは、やっぱり攻撃がおもしろい。

 それでも私は過去唯一「守備が楽しみで」試合を観るチームがあった。

 往年の「アズーリ」、イタリア代表だ。

 今のイタリア代表には芸術的守備者はいないけど、昔はすごかった。

 中でもトップオブトップは、バレージ、ネスタ、マルディーニ、カンナバーロ。

 この4人は凄まじかった。

 

 まずは私が史上最高ディフェンダーだと信じて疑わないネスタ。

 1対1、カバーリング、空中戦、タックル、ラインコントロール、すべてが超一流だったけど、なによりもプレーがかっこよかった。

 そして非常に賢いと私は思っていた。

 そう思ったのが、ネスタが30代後半になって身体能力がはっきり衰えた頃の、その頃売出し中のメッシとの対戦だ。

 

 

 全盛期は無敵を誇った1対1の守備もはっきり衰えたなかでのメッシとの対戦。

 どんなディフェンダーでもメッシを止められないのに、キャリア晩年でのメッシとの戦いはキツい。

 だが映像を見ると、ネスタの賢さに驚くのだ。

 

 ゴール前での最も危ない場所だけを消して、そこからだけはシュートを打たせない。

 メッシがドリブルで突っ込んできたら、ペナルティエリア少し外までは後退するけど、そこからは一転してボールを取りにいく。

 最も危険な方向だけは絶対に切って、それ以外の方向に抜かれてさらにメッシの驚異的な突破でゴール前に入られそうなら、ファールして止める。

 もしくは誘導した方向に抜かれることは計算済みだと思う。

 そこに味方の守備者が戻っていることは把握している。

 というか、こういった守備のやり方はイタリアの伝統芸だ。

 バレージの頃、1990年代ではすでにこういったやり方でイタリア代表は守備をやっている。

 ある意味ファーストディフェンダーは「おとり」なのだ。

 

 2006年ワールドカップ優勝のときの、カンナバーロの守備。

 

 

 完璧だと思う。

 さらにイタリア代表全体の守備の素晴らしさがわかる。

 カンナバーロがサイドや中盤に出ていけば、他の選手が最も危ないディフェンス真ん中を埋める。

 敵攻撃時の身体の向きも、すべての選手が素晴らしい。

 このワールドカップでイタリア代表は7試合戦って2失点。ワールドカップ優勝チームとして歴代最少失点だと思う。

 

 ワールドカップ決勝ということでいえば、1994年ワールドカップのフランコバレージも忘れられない。

 ワールドカップ初戦で怪我をし、緊急手術をし、決勝の舞台に戻ってきた。

 

 

 当時世界最強のブラジル代表ツートップ、ロマーリオとベベットを完璧に抑え込んだ。

 

 マルディーニは私からすると、なんか完璧すぎて書く気すら起こらない選手だ(笑)。

 なんか完璧に仕事をこなすサイボーグについて書く気が起こらないような気持ちにさせられる(笑)。

 

 2000年前後のイタリア代表は、4バックのうち3人が、ネスタ、カンナバーロ、マルディーニだった。右サイドバックも人材難というわけでもなく素晴らしい選手が何人もいた。

 私はこの頃のイタリア代表のディフェンスラインは、間違いなく、歴代最高だと思う。

 辛うじて匹敵するのは、ブラン、デサイー、テュラムの頃のフランス代表くらいしか思いつかない。

 ただ、当時のフランス代表の守備は、どこか私には「力づく」に感じたのに対して、2000年前後のイタリア代表の守備は、本当に美しかった。

 私は、グアルディオラの頃のバルサの美しいサッカーを高い金を払ってでも見る価値があるのと同時に、2000年前後のイタリア代表の美しい守備は、高い金を払ってでも見る価値があると思っている。

 

 特に全盛期の上記したイタリアの守備者を見たりすると「本当に現代サッカーってレベルが上がっているのかな」と思う。

 この4人の守備者が現代にいたら、4人とも間違いなく最低でも世界トップ10には入っていると勝手に思う。

 というか、この4人を凌ぐ守備者は現代の守備者で一人も思い浮かばない。

 

 一人のサッカーファンとして見たかったのは「全盛期のメッシ対2000年前後のイタリア代表の守備」だ。

 20年間、いかなるチームのディフェンスも破壊してきたメッシだけど、同時に2000年前後のイタリアの芸術的守備者たちは、いかなるオフェンスも弾き返してきた。

 

 私は僅差でイタリア守備陣が勝つ気がするが、どうだろう。

 というのは、なにかここに「イタリアとアルゼンチンの不思議な因縁」を感じるのだ。

 世界最強を誇った1990年前後のセリエAでは「マラドーナ対ACミランの守備」という対決が頂上決戦だった。

 そしてその頃のミランには、バレージとマルディーニがいた。

 結果として、マラドーナのナポリがセリエA優勝2回を果たすも、ここからミランの時代になっていくのだ。

 

 もし日本代表と対戦したら、唯一対戦相手を応援する国があり、それがアルゼンチンだ。

 先日のラグビーワールドカップでも、私はアルゼンチンを応援していた。

 試合前はファンとしてラグビーを楽しむ気持ちだった。

 早稲田出身だから、毎年冬の大学ラグビーは手に汗を握って応援している。

 最近帝京が強すぎてつらいが。

 だが、試合中に私が聞き覚えがある歌をアルゼンチンの観客が歌っていて、それから一気にアルゼンチン応援になってしまった。

 

 

 やっぱアルゼンチンはいいなあと思った。

 アルゼンチン人はある意味幸せだろうと思う。

 だって1980年くらいから現代まで、サッカーの神話を作り続けてきたのは2人のアルゼンチン人なのだから。

 

 ただ、その2人目のアルゼンチン人神話も終わりに近づいている。

 マラドーナが出てきてからメッシが出てくるまでけっこう時間がかかった。

 3人目のサッカー神話を作るのがアルゼンチン人かはわからない。

 だが私は意外にその可能性が高いと思っている。

 今サッカー強国で、明らかに異質なサッカーをやっているのがアルゼンチンだ。

 まずは個人技。

 とにかくドリブルで抜いていくことを重視する。

 パスサッカー全盛期において、バックパスしたら「この腰抜け野郎!」と観客から罵声が飛ぶのはアルゼンチンくらいだろう。

 だからこそ、アルゼンチンは三度、メッシやマラドーナ級の選手が出てくる素地があると私は思っている。

 

 イタリアはどうか。

 近年中盤にはいい選手がたくさん出てきている。

 だがその中盤の選手にしても、バロンドールを取れるほどの選手というわけではない気がする。

 イタリアはなにかを失った気がして私はならないのだ。

 たとえば数年前、カンナバーロはあるインタビューで嘆いていた。

「私の少年時代は1対1ばかりやっていた。だが今のイタリアの育成はどうだ。戦術的なことばかり。これでは根本的な能力が伸びるはずがない」

 

 おそらくイタリアが往年の輝きを取り戻すには、現代サッカーのエッセンスも入れつつ、なにかイタリア固有のものを取り戻す必要がある気がしている。

 それが何かはわからないけど。

 

 もしイタリア代表が往年の守備芸術みたいななにかを現代に表現できれば、私にとって日本代表より応援したくなるチームはアルゼンチンともう一つ増えることになる。

 その「なにか」は私の知識ではわからないけど、でもその「なにか」は人種を超えて感動的な「なにか」なのだ。

 

 けっこうそういうのは「国歌」が表現している気もする。

 無意識に国民意識を国歌が表現している気がする。

 

 たとえばブラジル国歌。

 素晴らしいけど、なんかこれは日本人には異世界過ぎて無理だよなと思ってしまう(笑)

 

 

 イタリア国歌。

 ブラジル国歌ほど異質さは感じなくて、震えるほどの感動が来る。

 

 

 そしてアルゼンチン国歌。

 私は震えるほどの感動がくるのだ。

 

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E3%80%802014%E5%B9%B4

 

 

 私が死ぬまでに見たいことの一つが「アルゼンチン対イタリアのワールドカップ決勝」だ。

 だが私の予想では残念ながら、アルゼンチンもイタリアも更に弱くなっていくのでこの20年では不可能だろう。

 強くなっていくのは日本を筆頭に、アジアだろう。

 

 だが日本で少年サッカーのコーチをやっていて、子ども自体は素晴らしい選手が続々でてきて嬉しい限りだし私もコーチを一生懸命やっているつもりだが、それでも日本からメッシやマラドーナ級の選手が出てくるとは思えない。

なんか性格が良い悪いとかの問題ではなく、↓のようなスピーチをできる日本人は出てくるのだろうか。

 

 

 その気概や良しという感じだけど、鎌田大地の↓とか見ると、ちょっと違う次元なのかなと思ってしまう。

 

 

 なんかそういった土壌が、少年サッカーにはまだ日本にはあると思う。

 私は弱小チームでコーチをしているからわかるが、強いチームに10点差でボコられたとき、明らかに相手の子どもや監督がうちをばかにしていると思うことが、けっこうある。

 それは正しいかどうかはわからないが、でもプロでもなくミスマッチでカテゴリー違いのチームと当たったとき、あまりにこういうことをやるのは私は違うと思っている。

 私は最終的に都大会に出場にあと一歩という代を率いたときは、力の差があるチームと試合するときは最初から、普段試合に出る時間が短い子を出した。さらに下の代から連れていって、最初からその子達を出していた。

 それで最終盤まで同点とかでも、勝ちたいから主力を出すようなことはなかった。

 当たり前だろう。

 なんのためにそういうことをやっているのか。

 うちにいる子が等しく「サッカーで痺れる試合を経験する」ためだろう。

 それで戦力的には不相応に勝てなくて、保護者からはお叱りをけっこう受けたけど、私は間違ったことはしていないと今でも思っている。

 ちゃんと主力も伸びたし、なによりもいい子に育ってくれたのだ。

 なにも反省することはないだろう。

 絶対に勝ち試合で5点差はつかないようにしたし、実際に5点差以上で勝った試合はたまたま点が入っちゃっただけで、ほとんどない。

 私は↓のような記事のスペインのやり方を支持する。

 

 

 強いものほど、自分が完敗したときはわかるものだ。

 

 それがネスタがメッシと対戦したときのインタビューだろう。

 ネスタみたいな、史上最高の守備者(と私は思っている)はメッシと戦った感想を↓のように言えるのだ。

 

 

 長友佑都はそういうことを言える最初の日本人だと思う。

 そういう日本人が多数出てきたとき、本当の意味で日本が世界トップに立つときがくると私は思う。