私は、子供の頃に決めました。


「気持ちを感じるのをやめよう」と。


それは、

辛かったり

悲しかったり

悔しかったり


そんな気持ちを感じるのが

つらくてつらくてたまらなかったのです。



どうしたら辛い思いをしなくなるのか?

たくさん考えた結果、

「気持ちを感じるのをやめてみたらいいんじゃないか?」と思いつきました。


気持ちを感じない作戦は

なかなか効果的で、つらさが薄くなってきました。



それでもまだ辛い。


次に「楽しかったり嬉しかったりとの差が大きいほど辛さを感じるのではないか?」と考えた私は、

「楽しいや嬉しいも感じ過ぎないようにしよう」と決めました。


これもなかなか効果的でした。

つらさを感じることがもっと少なくなってきました。



それでも以前の記憶を思い出してはつらくなる。


じゃあ

「記憶に残さないようにしよう」と決めました。

そのために、「人の表情やしぐさを見ない」と決めました。





きっと相手はこう思ったのだろう。

私はこう捉えることにしよう。

そうすれば、うまくいく。



そうやって、自分がキズつかないように

してきました。

それを極めると、本当につらい思いをしなくなることに成功しました。

だけど、気づくとこれっぽっちも楽しくなくなりました。


「気持ちを感じない作戦」


小学生の時に決めたことを、ずーーっと今までやってきました。

当たり前の習慣になりすぎて自分の気持ちがわかりません。

「どうしたいの?」と聞かれると

どうしたらいいのかわからなくて、体も頭も凍ります。自分の中でパニックになります。




私はずっと

「気持ちを感じるのをやめる」

ことで、自分を守りながら


「相手の全てを受け入れる」

「相手の言う事を聞く」

「相手の期待に応える」


これをやってきたんです。



イコール

「相手の気持ちを思いやる」

「空気を読んで相手を喜ばせる」

「私は自分よりも相手の喜びが幸せな人」

ということをしているつもりでした。



そうすることで

「愛される」

「認められる」

「うまくいく」

「すばらしい人」

「ここにいてもいいと思える」

と感じようとしてきたのでした。





だけど、マスターコースに行ったことで、

「気持ちを感じない」が難しくなってきました。





セルフイメージも少し上がっている。

行動も少し変わってきている。

それに合わせて動くと

心の中の何かが必死に叫んでいる。

すぐに強制終了になる。



「もう疲れちゃった」

「もう頑張りたくない」

「助けて」

「ずっと一緒にいて」





なりたい私になるために、

在りたい私であるために、

「気持ちを感じない作戦」が

ついに不要になったみたいです。




私は

「自分の気持ちを素直に言えるようになりたい」

「ただ、感じたままに表現したい」のです。




今まで、ずっと私を守ってくれた。

今まで、それが私の魅力だと思っていたし、

今まで、それが私の優しさだった。

そして何より、私の最大の愛情表現だった。




だけどもう、大丈夫だよ。


今まで私を守ってくれてありがとう。


もう、自分へのコントロールを手放します。


私が、感情を感じることで人として良くないことをするかもしれないことを許します。


どんなひどい感情も、幼い感情も、自分勝手な感情も感じることを許します。


感情にいい、悪いをつけることをやめます。


うまくいくために私の気持ちを歪めるのをやめます。








すぐには出来ないけど、何年かかるかわからないけど、ゆっくりゆっくり、なんども立ち止まって

時には後退もしながら「感情を感じる」をやってみます。




宣言でした。