前報では、「紀伊国造直系図」(出所A「望月系図」・・「諸系譜」第4冊(中田憲信編)が、その上古の系図部分は後世の創作性が高く、亦、諸情報を統合し切れていない点を咎めました。
「望月系図」は、情報間に矛盾が多く「超情報的・超古史料的な系図」となっているのです。
この「望月系図」は、前報で系図としては採れないことを確認したので、本報ではその吟味を中止しました。
本報では、紀伊国の祭神調べを中心に、忌部氏系・五十猛命系・紀氏系・名草彦命系の祭祀を総括します。
目次(前報) 1 諸系図の比較点検・・・香都知命
2「天道童信仰」と多久頭魂命
3「新撰姓氏録」と多久頭魂命・多久豆玉神・天手力男命
(本報) 4 紀伊国の祭神調べ
(1) 「古語拾遺」と忌部氏の紀伊国祭祀
<1> 忌部神・・「古語拾遺」の伝え
<2> 手置帆負命・彦狭知命の新撰姓氏録への登記は和泉国になし
<3> 置帆負命の祭祀
<4> 彦狭知命の祭祀
(2) 紀伊国名草郡の式内社の祭神
<1> 鳴神社と忌部氏
<2> 日前宮・国懸宮・香都知神社と紀氏
<3> 刺田比古神社と大伴氏
<4> 伊太祁曽神社と五十猛命族
(3) 名草の謎
<1> 名草戸畔の伝承
<2> 名草彦命・名草姫命
<3> 中名草姫(紀国造・智名曽命妹)は海部氏・尾張氏の女祖
<4> 大名草比古命の女・山下影比売命は皇別紀氏の女祖
<5> 神別紀氏はより別れる
4 紀伊国の祭神調べ
紀伊国には著名な古部族として五十猛命族、忌部氏、紀氏、大伴氏、名草族の五部族があったのではないか、と見ます。本報はこれら五部族の祭祀をレビューします。
(1) 「古語拾遺」と忌部氏の紀国祭祀
<1> 忌部神・・「古語拾遺」の伝え
手置帆負命は作笠者、彦狭知命は作盾者と「日本書紀」にあり、共に職能神です。
「古語拾遺」は、太玉命が率いる次の五神を記します。
そこでは手置帆負命・産狹知命は、太玉命(忌部氏祖)の子だとは表現していませんが、夫々、讚岐国・紀伊国の忌部氏祖だとしています。通説では手置帆負命も産狹知命も忌部神なのです。
・天日鷲命 (阿波国忌部等祖也)
・手置帆負命(讚岐国忌部祖也)
・産狹知命 (紀伊国忌部祖也)
・櫛明玉命 (出雲国玉作祖也)
・天目一箇命(筑紫伊勢兩国忌部祖也)
それなのに、「紀伊国造直系図(望月系図)」(「諸系譜」第4冊 中田憲信編)は手置帆負命と産狹知命を、夫々、御食持命、天御鳥命と同神に扱います。
前報に続いて、この「望月系図」については否定的な判断しか出来ません。
<2> 手置帆負命・彦狭知命の「新撰姓氏録」への登記は和泉国になし
「手置帆負命・彦狭知命」の裔が和泉国に登記していないことは重要です。
「紀伊国造直系図」では、手置帆負命・彦狭知命の二神は、夫々、「御食持命・天御鳥命」と同神とされているのに「新撰姓氏録」には顕れていないのです。
和泉国は紀伊国に隣接しているので、お溢コボれがありそうなのですが、ないのです。
対して、紀氏・紀宿禰の裔は和泉国に多く登記があるのです。
<3> 手置帆負命の祭祀
手置帆負命(讃岐忌部の祖)は次の如く讃岐に祀られています。
青字は「古語拾遺」の云う太玉命を中心とする広義の忌部氏祖(天日鷲命・櫛明玉命・天目一箇命)です。
参考図表 手置帆負命(讃岐忌部の祖)の讃岐国(香川県)での祭祀
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三豊市 忌部神社(豊中町笠田竹田) 祭神:手置帆負命・天日鷲命・櫛明玉命・彦狭知命・天目一箇命
五社明神(三野町大見竹田) 祭神:手置帆負命
荒魂神社(仁尾町仁尾江尻) 祭神:大國魂命、合祀:手置帆負命、彦狭知命
宇賀神社(豊中町笠田笠岡) 祭神:宇賀魂神、笠縫神 *1
厳島神社(財田町財田上大畑) 祭神:市杵島姫命、合祀:手置帆負命
麻部神社(高瀬町上麻) 祭神:天日鷲命
仲多度郡 鷲尾神社(まんのう町十郷) 祭神:天日鷲命
観音寺市 粟井神社(粟井町)*2 祭神:天太玉命
善通寺市 大麻神社(大麻町上ノ村山) 祭神:天太玉命
丸亀市 三所神社(本島町浦内) 祭神:天照皇大神、手置帆負命、天香山神
高松市 山祇神社(屋島神社内,屋島町東潟元) 祭神:手置帆負命、彦狭知命等
ちきり神社内工初神社(仏生山町百相上町) 祭神:手置帆負命、彦狭知命
楠尾神社(国分寺町新居)*3 祭神:玉依姫命、八幡大神、
さぬき市 多和神社(前山) 祭神:手置帆負命(多和神)、大己貴命
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(出所)ウイキペディア「讃岐忌部氏」
*1 手置帆負命(讃岐忌部の祖)の子孫、此の地に永住し、笠縫神(手置帆負命)を祀る。
*2 粟井神社社伝:相伝う当国の忌部等太玉命を阿波国より迎え来りて祀る。
*3 由緒:讃岐忌部の祖・手置帆負命が讃岐国国造の時、国の平和を祈る鎮護神として小祠を祀り、命の次子・手置 日下大人道長を宮仕えと定め、楠尾の宮と崇め奉った。
・社辺に楠の大木数多繁茂し、朝廷の造船用木として献上したとも伝わる。
<4> 彦狭知命の祭祀
彦狹知命は紀伊忌部祖とされているのに、前掲の「紀伊国造直系図」では紀伊国造系に採り入れられ、天御鳥命と同神とされています。
この天御鳥命は神魂命の御子だと「出雲国風土記」にあり、彦狹知命の「望月系譜」(前報の図表1)における位置は、神魂命を1とする時5の位置ですから、玄孫ヤシャゴです。
この設定は「出雲国風土記」の神魂命御子説に対しては大きくズレています。
不思議なことに、紀伊忌部祖とされる彦狹知命の紀伊国(和歌山県)での祭祀は次の二例しか見出すことができませんでした。漏れがあるかも知れません。
参考図表 彦狹知命(紀伊忌部の祖)の紀伊国での祭祀
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和歌山市・上小倉神社(九頭神社・和歌山市下三毛508) 祭神:手置帆負命、配神 彦狹知命、皇大神
紀の川市・三船神社(桃山町神田) 祭神:木霊屋船神、太玉命、彦狭知命
由緒:紀伊忌部氏の祖神を祭る名社
境内社:丹生神社、合祀:大神宮、蛭児神社、住吉神社、荒神々社、妙見神社、琴比羅神社
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現存する「新撰姓氏録」には紀伊国の記録が遺されていませんので、「紀氏祖神・彦狭知命の祭祀」は「延喜式神名帳」(紀伊国)の式内社祭祀に求めるしか方法がないのです。
だが、上述の様に、これは不成功です。
今の関心は、天御食持命が手置帆負命と、天御鳥命が彦狭知命と同神とされる様な伝承・記述を発見し、「望月系図」の示唆の裏取りをすることです。
だが、結局、そのような伝承・記述は見出さなかったのです。
(2) 紀伊国名草郡の式内社祭神
紀伊忌部氏(祖神:彦狭知命ー忌部五部神)は、紀伊国名草郡御木郷・麁香郷を原郷とすると考えられています。 参考・「古語拾遺」:「御木」は木を採る忌部、「麁香」は殿を造る忌部がいたことによるとします。
現存する「新撰姓氏録」は紀伊国の情報が欠けていますので、便法として、紀伊国の式内社の祭神の中に紀氏祖神を探します。
但し、今回取上げる紀伊国式内社は名草郡のみです。これ以外の伊都郡・那賀郡・在田郡・牟婁郡は対象から外しています。祭神が今回の話題からは離 れていると判断したからです。
参考・名草郡19座(大9座小10座)・・今回、対象とする
・牟婁郡 6座(大2座小4座) [熊野神・海神] 熊野速玉大社・熊野本宮大社・湖崎本之宮神社
・那賀郡 3座(小3座) [荒田直] 高魂命/剣根命。[忌部宿禰]豊玉彦命 国津姫命
・伊都郡 2座(大1座小1座) [小田連] 物之部武彦命
[天野氏・丹生氏]丹生都比売大神 高野御子大神 大食都比売大神 市杵島比売大神
・在田郡 1座(大1座) [伊太祈曽神社とは関係ありそう]素戔嗚尊
彦狹知命(紀伊忌部の祖)と手置帆負命との二神の末裔が紀伊国名草郡の御木・麁香ミアラカに居住していたとも云います。
そこで、名草郡の式内社を調べますが、紀伊忌部氏祖・彦狭知命の祭祀は見つかりません。
図表1に紀伊国の主要部・名草郡の式内社総覧を示し、これについて、若干、説明します。
この図表1のまとめ結果を見ると、名草郡の古神の特徴は次の如くです。
<1> 鳴神社
鳴神社は忌部氏祖・天太玉命を祀ります。
「和名類聚抄」には、紀伊国名草郡に忌部郷と神戸郷(忌部神戸)とがあり、その比定地は鳴神社付近だとされています。
この地は紀ノ川に繋がる支流(宮井川・大門川)沿岸近くにあり、旧祭神は水戸神(速秋津彦命・速秋津姫命)でした。水戸神の祭祀は古代湊に近く奉斎されたので、この地でもそれに倣ったのかも知れません。
だが、近年、鳴神社宮司が、本来の祭神は忌部氏祖・天太玉命だとして、水戸神は配祀神に変更したようです。
・鳴 神社(和歌山市鳴神)紀伊国 名草郡鎮座、名神大
祭神:天太玉命(忌部氏祖)、速秋津彦命・速秋津姫命(水戸神)
境内社・香都知神社・・祭神:軻遇突知命・・境内東端の社殿に鎭座する。
合祀:鳴神社東北200m御船ノ芝から、明治40年10月、鳴神社境内に合祀。
・堅眞音神社・・祭神:神吾田鹿葦津姫命
境内東端の社殿に香都知神社と並んで鎭座する。
合祀:鳴神社の東北300m鳴神惣垣内から、明治40年10月、鳴神社境内に
・鳴武神社(別名:壼の御前)・・祭神:鳴武大明神
由緒:五世紀、朝鮮百済から紀伊国に渡来し酒造技術を伝えた百済国耆閣大王の第四王女。
・忌部里神社(岡崎、旧忌部村)祭神:天太玉命。
境内社・香都知神社の本来の祭神は香都知命とされますが、現在の祭神は軻遇突智命です。
ここで注目は、紀氏系とされる香都知神社が忌部氏系の鳴神社の境内社に治まっていることです。
<2> 日前宮・国懸宮・香都知神社と紀氏
日前神社・国懸神社は式内社(名神大社)で紀伊国一宮です。
この二社を紀氏が古来奉斎してきたという経緯があり、配祀神にも天道根命を含み、摂社に天道根神社(祭神:天道根命)や中言神社(祭神:名草姫命、名草彦命)を抱えるのは、この地が紀氏の勢力圏だったことを物語る有力な根拠なのです。
元来、香都知神社の祭神は香都知命だったと思われます。
注 香都知命は「望月系図」では神魂命二世に位置づけられています。
日前宮・国懸宮は、紀氏祖も奉斎した紀氏の中核的な神社ですが、その東方僅か900mにある鳴神社は忌部氏系で、その境内社・香都知神社が紀氏系、と云う、この地域の祭祀事情なのです。
そのまま受け止めると、ここでの祭祀は忌部氏(鳴神社祭神)が主、紀氏(香都知神社祭神)が従のカタチと見ます。
忌部氏と紀氏の夫々の祭祀が地域的には混淆状態にあるのは、古代の二部族は融和的な関係にあったかも知れない、と考えますが、全体的には紀氏の影は薄くなりつつあるとの印象を受けます。
亦、忌部系の手置帆負命、彦狭知命の二神は式内社に祀られていないことを確認します。
<3> 刺田比古神社と大伴氏
刺田比古神社は大伴氏祖神を祀り、祭神は大伴道臣命 大伴佐弖比古命で、紀伊国が大伴氏縁ユカリの地であることを教えてくれます。だが、その祭祀は1社のみです。
<4> 伊太祁曽神社と五十猛命族
紀伊国名草郡には五十猛命・大屋津姫命・都麻津姫命の三神セットの祭祀が一番多い事は無視出来ません。
伝承の五十猛命族は、出雲縁ユカリの神で、紀国の森林開発に大きく貢献したとされます。
五十猛命族は素戔嗚命と共に朝鮮半島の新羅・曽尸茂梨に天降り、スサノオが「この地、吾居ること欲さず」と云い、埴土船で渡って、出雲斐伊川上の鳥上峯に至ったとされます。
五十猛命は、有功神とされ、 紀伊國に坐す大神で、一説に素戔烏尊の子だとされています。
五十猛命とその妹(大屋姫命と抓津姫命)の三神は 木々の種多数を持参し、紀伊国に渡って、この国に祀られたのです。 (出所) 先代旧事本紀
原文:所謂五十猛命 為有功之神 則紀伊國所坐大神是也 一説曰 素戔烏尊之子 號曰 五十猛命妹 大屋姫命 次 抓津姫命 凡三神 亦能分布八十木種 則奉渡於紀伊國 及此國所祭之神是也
素戔烏尊 此尊與天照太神共誓約(中略)次 五十猛命 亦云 大屋彦神 次 大屋姫神 次 抓津姫神
已上三柱 並坐 紀伊國 則紀伊國造齋祠神也」 (出所) 先代旧事本紀
五十猛命の上陸伝承は、島根県大田市五十猛町(古石見国五十猛村)にあります。
しかし、ここが上陸地だとしても、どこを出発してこの石見に上陸したか、は不明です。
出発地が「新羅の曽尸茂梨」からだとしても、途中経由地があるかも知れません。
例えば、対馬・壱岐・佐賀・福岡を経て、石見・出雲に、更に、紀伊に至ったのかも知れません。
今はこれを深追いせず、後日に委ねます。
五十猛命族は、この地方に早期に到来し、伊太祁曽神社を中心に複数の神社を祀ったと見ます。
・伊太祁󠄀曽神社(和歌山市伊太祈曽)名神大社、紀伊国一宮。
祭神:五十猛命(別名:大屋毘古神)
配神・大屋都比賣命・都麻津比賣命
由緒:三神は「木の神」として信仰される
・紀国(和歌山県)の五十猛命族祭祀の式内社例を次に記します。
・大屋都姫神社(境内 左脇宮) 和歌山市田森
・高積神社上宮・下宮 和歌山市禰宜
・都麻津姫神社(境内 脇殿) 和歌山市吉礼
・伊達神社 和歌山市園部
五十猛命族の到来は紀氏到来の時よりも古い時代だったと思われます。
その神格は森林育成ですから、五十猛族は全国の森林地帯に広く祀られている様です。
忌部氏や紀氏の祖神祭祀の場とも近い場に五十猛命族の祖神祭祀があり、日前宮・国懸宮の摂社に、伊太祁曽社、大屋都姫社、抓津姫社(今はない由)が鎮座するのは、後来の忌部氏などが融和的に受け入れられたのでしょうか。
これに関して「五十猛命の祭祀社まとめ」(神奈備)は貴重です。
ここでは紀伊国の祭祀社数のみを引用します。
・五十猛命の祭祀社数:紀伊(名草 10、那賀 2、海部 2、在田 3、日高 1、牟婁 7)合計25
不審なのは、紀伊国での五十猛命祭祀がこれ程多いのに、紀伊国での五十猛命裔についての情報は甚だ少ないのです。
紀氏・大伴氏・忌部氏の後裔の存在が知られているのに対して、五十猛命裔については知られることが少ないのです。
<5> 名草彦命・名草姫命
紀伊国の謎は、何よりも、名草山・名草郡など「名草」の名を多く留めて遺る点にあります。
そして、名草彦命・名草姫命は色濃く語り継がれてもいるのです。
<5-1> 名草戸畔の伝承
名草彦命・名草姫命は名草邑(名草郡、和歌山市名草山)の統治者だったと見られ、神武東征で転戦中の磐余彦(神武天皇)に誅殺されたことになっているのです。
先ず、歴史伝承には「名草戸畔」が登場します。
「日本書紀」は磐余彦が「名草邑に至る。則ち名草戸畔といふ者を誅す」と伝えます。
誅殺された名草戸畔の身体は、海南市の三社に分割埋納されたとの伝説があり、具体的には、邑人が、捨て置かれた名草戸畔の頭(宇賀部神社)、胴(杉尾神社)、足(千種神社)を夫々葬り祀った、と云うのです。
名草戸畔の死後は、天道根命(紀氏)が紀伊国造としてこの地を治めた事は充分想像出来ます。
これの類例は伊勢国にあるのです。
・伊勢:天日鷲別命は、先住・伊勢津彦を追い払い、伊勢国造になった。
<5-2> 名草彦命・名草姫命
その一方で、「名草彦命・名草姫命」は「名草戸畔」と結びつけられることはなく、次の三社に祀られています。
・名草彦命・名草姫命の祭祀:日前宮・国懸宮(配祀神として)
・摂社・中言神社
・麻為比売神社
これは名草族が先住部族としてこの地に勢力を張っていたことを示唆します。
<5-3> 中名草姫(智名曽命妹)は海部氏・尾張氏の女祖
亦、天道根命の曾孫・智名曽命(紀国造)の妹・中名草姫は建斗米命(尾張連遠祖)と聖婚し、建田背命以下錚錚たる六男一女を産みます。それが海部氏・物部氏の祖なのです。 (出所) 天孫本紀
◇天孫本紀:[海部・尾張]
・五世孫・建斗米命は天戸目命の子である。
この命は、紀伊国造・智名曽の妹・中名草姫を妻として、六男一女をお生みになった。
・六世孫・建田背命:神服連、海部直、丹波国造、但馬国造の祖である。
次・建宇那比命:城嶋連の祖・節名草姫を妻として、二男一女をお生みになった。
次・建多乎利命:笛吹連、若犬甘連の祖である。
次・建弥阿久良命:高屋大分国造らの祖である。
次・建麻利尼命:石作連、桑内連、山辺県主らの祖である。
次・建手和迩命:身人部連らの祖である。
妹・宇那比姫命
<5-4> 大名草比古命の女・山下影比売命は皇別紀氏の女祖
更に、紀氏系図には確かに「名草」を冠する人物「大名草比古命」(天道根命五世孫)がおり、この大名草比古命の子が宇遅比古命。その妹・山下影比売命が孝元天皇の皇子・彦忍信男命妃となり、武内宿禰を生んで、皇別紀氏が始まるのです。これは「古事記」ベースの話です。
「日本書紀」では、景行天皇の名代として紀伊国にきた屋主忍男武雄心命に莵道彦(宇豆比古)は娘の影媛を嫁がせます。影媛は武内宿禰を産み、更にその子・木角宿禰の子孫が皇別紀氏となります。
<5-5> 神別紀氏
一方、莵道彦(宇遅比古命)の直系は神別氏の紀伊国造家となります。
図表2に「紀国における忌部氏・紀氏・五十猛命・名草戸畔の祭祀分布」を示し、上で説明した神社の鎮座状況チェックの参考に供します。
(3) 「尾張古史」は紀国の五部族の祖神祭祀の比較対象
「尾張古史」はこの紀国の五部族の祖神祭祀の比較対象です。
尾張氏祖・乎止與命は尾張大印岐の女ムスメ・真敷刀俾に妻問いして、中島郡(現一宮市)辺りに拠点を張ります。
やがて、二人の子・建稲種命は成人すると、中島郡に東接する迩波県君(丹羽郡首長)・大荒田の女・玉姫に妻問いし、二男四女を得て、尾張氏は更に勢力圏を広めます。
(出所) 天孫本紀
参照:尾張古論1 尾張氏の発展 2019年12月16日
ここに登場する尾張大印岐は中島郡域の、迩波県君(丹羽郡首長)・大荒田は丹羽郡の、夫々、先住者です。そこに、尾張氏祖・乎止與命、その子・建稲種命が先住の二族と婚姻を通して、融和したと見られるのです。
迩波県君(丹羽郡首長)・大荒田は神八井耳命の裔であり、当地の古代人に迩波縣主・前利連、更に、前刀連(丹羽臣)を確認します。
その融和の証は、祖神崇拝の祭祀が共同で行われていることです。
一例が針綱神社です。ここには主神・尾張氏と共に、先住・丹羽氏祖・大荒田命とその女・玉比賣命が祀られているのです。
針綱神社(犬山市東丸の内)
祭神:1)主神 :尾治針名根連命(14世孫)、
2)尾張氏 :建稻種命(12世孫、尾張氏の祖)、尾綱根命(13世孫)、尻調根命、
3)原尾張氏:竹筒草命(5世孫)、建多乎利命(6世孫)、
4)先尾張氏:大荒田命(丹羽氏の祖)、玉比賣命(大荒田命の女=建稲種命妃、田県神社祭神)
5)上古神 :伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、
これは二族の融和だと考えます。
翻って、紀国の五部族の祖神祭祀はどうか。
「尾張国での部族融和」程には見事なカタチではありませんが、協同祭祀の状況は次の如く、日前神宮・國懸神宮で観察出来るようです。
・日前神宮・國懸神宮の摂社祭神:
・名草族 ・・配祀神として名草姫命、名草彦命、&、摂社:中言神社(祭神:名草姫命、名草彦命)
・紀氏 ・・配祀神として天道根命、&、摂社:天道根神社(祭神:天道根命)
・五十猛命族・・摂社:伊太祁曽社、大屋都姫社、抓津姫社*
* 元々伊太祁曽神社鎮座との伝承あり。総社の時は再度伊太祁曽三神を祀っていた。
神奈備氏も今はないが、過去にあったとする。
・忌部氏 ・・祖神の祭祀なし
・大伴氏 ・・祖神の祭祀なし
以上