夙に有名な「紀伊国造系図」に遭遇することなく今日に到りました。

いざ「望月系図」に当面してみると、これまで見てきた系図群からすると、そこには違和感を覚える系譜が示されているのでした。
   別な系図に載る神人が、或いは、古代史料に違ったカタチで載る神人が、この紀伊国造の系譜に載っているのです。
 その系譜に載る上古の神人を検すると想像を超える姿を見ます。

 真実は一つしかない筈です。弥生上古の謎は解けずに、むしろ、深まるばかりです。
    ・それは真実の系譜を伝えているのか。
    ・それとも、創作系図であって、内容は出鱈目なのか。

 一見そのまま受け入れてしまいますが、余りに驚愕的で意表を突く上古系譜なのです。

 これに対する「疑論」は欠かせないと考えます。

目次 1 諸系図の比較点検・・・香都知命
      (1) 香都知神の背景・・「古屋氏系図」(大伴氏系図)
          <1> 古屋家家譜には「雷神信仰」が組み込まれている
          <2>  三世孫・香都知命
          <3> 四世孫・天雷命
          <4> 和歌山県神社庁は本来の祭神は天太玉命一柱だとする
                  (2) 別々の系図に同一神が登場する「怪」=「議論」
   2 「天道童信仰」と多久頭魂命
                  (1) 天道信仰
      (2) 多久頭魂神社
                           <1>   天神多久頭魂神社
                           <2> 母神・神魂神と子神・多久頭魂神の母子二神祭祀
           <3> その他:多久虫玉神社・多久神社
        (3) 天道日女
   3 「新撰姓氏録」の情報・・多久頭魂命・多久豆玉神・天手力男命
      (1)「新撰姓氏録」の御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔
         <1>  和泉国に多い御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔


      (2) 「新撰姓氏録」に見ない二神
         <1>  天御鳥命
                          <2> 天手力男命
 
1 諸系図の比較点検・・・香都知命

 「紀伊国造家系図」は、伊勢舟木シリーズで天手力男命の関係する神々を探していた時に出会いましたが、内容的に異なる系図なので、これは調査検討が要る、と見たのです。

  ここでは幾つかの項目で「疑論」を展開します。疑問への答は出ない段階です。
 参考図表「紀伊国造家系の二図」は、原資料からAsahonmatiが作成したものです。



 この系図について、次に、夫々の神人について寸評し、上古系譜利用の難しさを考察します。

(1) 香都知神の背景・・「古屋氏系図」(大伴氏系図)を見る

  香都知命は「古屋氏系図」(大伴氏系図)にも登場します。
 大伴氏と紀氏とは近い関係だと云います。「香都知命」が大伴氏系図にも紀氏系図にも登場するので、この二系図を認めるならば、血統は交差していることになります。

<1> 古屋家家譜には「雷神信仰」が組み込まれている

  古屋家系譜の上代譜の一特徴は、大和国と紀国の「雷神信仰」が組込まれている点です。
  雷神祭祀の徴は、3世孫・香都知命(香都知神社)、4世孫・天雷命(鳴神社・鳴雷神社)に見る事が出来ますが、現在、これら神社の祭神は必ずしも雷神ではなく、その一例が鳴神社です。
    ・鳴雷神社(奈良市春日野町)春日大社境外末社、延喜式内大社・大和国添上郡
             祭神:天水分神
           神社覈録:鳴雷は奈留伊加都知と訓べし。祭神は鳴雷神、春日香山に在す、今髪生
カミナリ
                                  と称す(大和志)、古事記に「伊邪那美命、為黄泉戸喫、於左足者鳴雷居」とあり。
       類社:宮中主水司坐鳴雷神社


 「古屋家家譜」の示唆する天雷命は、「新撰姓氏録」に「佐伯造(右京神別天神)は<天雷神の孫・天押人命の裔なり」とあります。系譜作製者は、この「天雷神」を採用したと思われます。                           新撰姓氏録:437右京神別天神 佐伯造   天雷神孫・天押人命之後也

  鳴神社では、むしろ、天太玉命が再考されて、今や、本殿に祀られております。それならば、天雷神も再考すべきです。微かなつながりを推測させるのが「安房国忌部家系」で天背男命の父を伊加志保命(火雷命)としている点です。ここに天雷神ではないが、火雷神を見つける事が出来るのです。

<2>  三世孫・香都知命

  「古屋氏系図」(大伴氏系図)では3世孫・香都知命の注記に「香都知神社」を記しています。
  「香都知神社」の祭神は、香都知カヅチ神(雷神)ではなく、軻遇突知カグツチ命だとされています。
     ・香都知神社(和歌山市鳴神1089)式内社 紀伊国 名草郡鎮座
        祭神:軻遇突知命(亦名・火雷神)
              由緒:由緒不詳。天正13年以後断絶、その後、国造忠光其跡芝原に石社を建置
             明治6年村社、明治40年10月、鳴神社に合併、式内社・堅真音神社と一棟に併祀
             軻遇突知命は火産霊神とも云われ、亦の名は火雷神です。
        ・「神代系図」(平田篤胤)では「この神が天上に居られた時の御霊は津速産霊神と謂う」とあり。
        ・上賀茂神社の祭神:賀茂別雷神を火雷神の子とする「丹塗り矢伝承」があります。参考情報です。
        ・軻遇突知命は、後に、但馬に戻り「大歳神の神裔考」の初期にその姿を見せます。

 
<3> 四世孫・天雷命

   「古屋氏系図」(大伴氏系図)では4世孫・天雷命の注記に鳴神社が記されています。
  その現祭神は天雷命ではなく、忌部祖神・天太玉命、及び、速秋津彦命・速秋津姫命です。
      ・鳴   神社(和歌山市鳴神)式内社 名神大社
             祭神:速秋津彦命・速秋津姫命、天太玉命、 由緒:(伝)第6代孝安天皇年間に創建
                 由緒:当社は延喜式内名神大社往古紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏により創建せられた。
                主祭神・天太玉命(左本殿)、及び、祓戸神・速秋津彦命・速秋津姫命(右本殿)を祀る。
                       ・和歌山県神社庁は、延喜式には鳴神社の祭神は一柱と記されていると云います。

 
<4> 和歌山県神社庁は本来の祭神は天太玉命一柱だとする

  そこで、「和歌山県神社庁の説明文」(抜粋)を阜嵐健氏「延喜式神社の調査」から引用します。
   ・「紀伊続風土記」によれば、何時の頃からか不明であるが、氏地内での争論、天正13(I585)年、豊臣秀吉の紀州

   攻め、神仏習合等により衰微していた当社は江戸中期の享保4(1719)年に仏色を排除して、紀州藩による社殿の

   再建、又神田5石余の寄進を受けた。
     ・ しかし乍ら、その際に「然るに祀る神を定めらるるに至りて速秋津彦命、速秋津比売命となし、本殿を両殿に作

         らしめ給へり」とあり、現在の祭神は近世に改めて定められた。
     ・「延喜式神名帳」名草郡条には、本来祭神一座にて、古代忌部郷(紀伊國忌部氏の本拠、彦狭知命は紀伊忌部の祖

         とされる)に属するところから、元来の祭神は忌部氏の祖神である天太玉命と思料される。
 
 これによれば、延喜式神名帳の段階では、祭神は天太玉命一柱だった、というのです。

                                                     (出所) 「天石門別」論    古屋家家譜の上代譜を採らず 2021年12月01日

(2) 別々の系図に同一神が登場する

 細かい吟味をせずにネット上に見る系図をそのまま引用します。


  

 三系譜は、夫々、第何代目かで一致し、それ以降は略似た姿で終始すると良いのですが、紀氏系は第7代天道根命、忌部氏系は第5代天背男命で二系が一致するものの、大伴系では一致しません。 

 そう云う中で、「香都知命」は大伴氏系図にも「紀国造直系譜」にも登場します。
 神代期は情報が少なく、系図化に際しては神々を系図間で奪い合う事態も生じるようです。
 二系が何らかの理由で繋がっている場合もあるかも知れませんが、・・。

  香都知命は、将来、別に論じる機会があるでしょう。
 それは「雷神」、或いは、「軻遇突智神」を論じる時でしょう。中々の難題です。

  今は、上古神代期の香都知命が二系図に登場し、混乱が見られることを指摘するのみです。

2 「天道童信仰」と多久頭魂命

(1) 天道信仰

 「天道法師」は「天道信仰」の中核伝説です。

 次の文は「日本伝承大鑑」https://japanmystery.com/nagasaki/tazuku.htmlを引用する「天神多久頭多麻命神社(延喜式神社の調査)」から文意を変えない範囲で一部改変しています。
   ・天道童信仰の伝承:
   ・対馬の南部にある豆酘ツツ村に一人の娘があり、ある時、太陽光を浴びて感精して、神童を生む。

   ・この神童が後に天道法師となるという話である。
   ・天道法師は仏門に入り、若くして奈良の都で修行を重ねて神通力を得て対馬に戻ったが、時の文武天皇が

    病に倒れた折に、対馬から飛行して奈良へ赴いて見事に病を治したと云う。
   ・この天道法師が、対馬独自の神である“多久頭魂神”であるとされている。
   ・一方で、母神=神魂神(神産巣日神)・子神=多久頭魂神の母子二神として対馬で信仰されており、

   ・これは母神=神功皇后、子神=応神天皇と云う八幡神信仰との類似性や関連性が指摘されている。

   ・いずれにせよ、日本の神仏伝説を巧みに織り交ぜながらも、対馬独自に長く信仰されてきている。

(2) 多久頭魂神社

  この天道信仰の対象となるのが次の「多久頭魂神社」二社です。

<1>  天神多久頭魂神社

 天神多久頭魂神社は、対馬北端の佐護にあり、多久頭魂神を祀っていると見られています。
   天神多久頭魂神社(対馬市上県町佐護洲﨑西里)式内社 對馬嶋上縣郡 天神多久頭多麻命神社
     祭神:多久頭魂命(天神地祇)
         由緒:「對州神社誌」に、天道大菩薩とあり、天神多久頭魂とは、所謂、天道と見なされている。
         佐護川対岸の千俵蒔山と相対する位置に天道山がある。
         「對州神社誌」には天道山を「麦百俵蒔程之山」と記し、雄嶽(北)と雌嶽(南)の二峰の内、

         雄嶽の頂上に鎮座している。
        ・対馬北部の港にあり、半島に近い。その為、千俵蒔山には防人が配されていて頂上に「烽」

         跡がある。当社境内は天道山の遥拝所に当たる。
        ・対馬の南端、豆酘の龍多山には多久頭魂神社が祀られ、北の当社と対を成している。


 この神社には社殿がなく、その傍にある天道山を遙拝する形で建てられています。
 境内の入口には鳥居と石積みの石塔があり、その奥まった処に、中に立入り出来ない階段状となった場所があり、その一番上のところに鏡が置かれている由です。

 これが神籬・磐境を設けた原初的な祭祀形態なのでしょう。
 亦、鏡を祀ることで太陽信仰の場であることを示していると考えられています。

<2> 母神・神魂神と子神・多久頭魂神の母子二神祭祀

  対馬の南北両端部に「多久頭魂神」が祀られているのは重要です。(図表1参照)
 ・「多久頭魂神」の祭祀には天道信仰が背景にあるとされますが、母神・神魂神と子神・多久頭魂神の母子二神は

  確かに対で祀られている節があるのです。
   ・上県のA1・天神多久頭魂神社はA2・神魂命神社と共に祀られているのです。
 ・下県のB1・多久頭魂神社はB2・高御魂神社と共に祀られているのです。



  

 玄松子氏は次の様に書いています。
  引用:両部神道の時代には、祭神・多久頭魂神は天道法師とされた。
              「式内社調査報告」を読んで、「豆酘・多久頭神社」と「佐護・天神多久頭神社」は一対に考えら     

               れている、対馬の北と南に位置し、天道信仰のシンボル。
    ・豆酘の多久頭神社の側には高御魂神社(式内社)があり、天道法師の母神であると云う。
     そして、ここ佐護の天神多久頭神社の側には、神御魂神社があるのだ。俗称、女房神。天道の母神だ。

               他の3社が式内社なのに、ここだけ式内社になっていない。だから、興味を持った。

  多久頭魂命は元々は対馬の「天道童信仰」に関わる神だったのです。
  多久都魂命は対馬の神です。

  それがどのように「紀国造直系図」に採り入れられたのかは、未だ解明できていません。

 

<3> その他

  奈良にも多久虫玉神社が鎮座しますが、その祭神は建玉依比古とされ、多久頭魂神ではありません。今回はこの神社は対象としません。
   ・石園座多久虫玉神社(奈良県大和高田市片塩町)式内大社、通称竜王宮
          祭神:建玉依比古命(鴨玉依比古命)・建玉依比賣命、配祀:豊玉比古命・豊玉比賣命
      由緒:本来の祭神は、社名から、「多久虫玉神」「虫」は「豆(づ)」の誤記という説もあり、

         「大和の神祭祀」(田中昭三 編著)では、当社の本来の祭神は多久頭魂神と下照姫命だろうとする。
 

   多久頭魂神社から「頭魂」を抜いたカタチの「多久神社」も出雲を初め諸処に祀られていますが、これも今回の対象としません。
 

(3) 天道日女

  天道日女は天道信仰の影響を受けた名前なのか。「紀伊国造直系図」の創作者はそこに着目して

天道日女を取り込んだかも知れません。

 「但馬故事記」によれば、天道日女は大汝貴命と神屋楯比売命との間に生まれた女神で、天火明命妃です。事代主神は天道日女の兄弟とされています 
                    「宗像女神は高皇産霊命の女」説は謎を解く(その1) ー事代主神の系譜ー2017年11月25日
 

 やがて、二人の間には天香語山命が生まれ、物部氏と海部氏の流れはここから始まります。

  この間の事情を先報から引用します。
     引用:何しろ、天火明命は、大己貴命と神屋楯姫命(宗像女神・多岐津姫命)との娘・天道日女を妃に迎え、

                  長男・天香山命を生み、その天香山命は天火明命と市杵嶋姫命との間に生まれた穂屋姫を娶り、

                  天村雲命を生んでいます。
       ・高皇産霊命の娘・宗像三女神の内、二女神が大己貴命妃となり、残る一女神は天火明命
(ニギハヤヒ)妃とな

                  り、更に、大己貴命の娘・天道日女は天火明命妃となっているのですから、この三者の血によって結ばれ

                  た絆は中々に強い筈だと思われるのです。
                                 参照:第2編 天道姫命ゆかりの神々 1 天火明命の丹波降臨  2019年06月30日


   ところが、この「紀伊国造直系図」では、天道日女は天御食持命(御食持命、手置帆負命)の女ムスメで、天御鳥命(彦狭知命)の姉妹なのです。

 天道日女が「天火明命妃であり、天香語山命の母であること」は「但馬故事記」と「紀伊国造直系図」とで同じです。

  問題は天道日女の血筋です。
   ・紀伊国造直系図では天道日女は父を天御食持命(御食持命、手置帆負命)とし、母は不詳です。
   ・天道日女命は、「古事記」や「日本書紀」には登場せず、「先代旧事本紀」や「尾張氏系図」に現れる女神です。
 ・天道日女は大己貴命と神屋楯姫命(宗像女神・多岐津姫命)との娘です。
                  参照:第2編 天道姫命ゆかりの神々 1 天火明命の丹波降臨   2019年06月30日
                           第2編 天道姫命ゆかりの神々  天火明命の丹波降臨2 2019年07月06日


  「天道日女」の名を「天道信仰」(対馬)から来ていると見る人は、多久都魂命の天道信仰との繋がりから天道日女を「紀伊国造直系図」に採り入れたい衝動に駆られるかも知れません。
  本ブログは、「天道日女」を「天道信仰」に結びつける着想に感嘆しつつも、それを否定します。

 

3「新撰姓氏録」の情報・・多久頭魂命・多久豆玉神・天手力男命

(1) 「新撰姓氏録」の御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔

  多久豆玉命は、「新撰姓氏録」では神魂命の男とし、その後裔に爪工連を挙げています。
       参照 391左京神別天神      爪工連 神魂命子多久都玉命三世孫天仁木命之後也
          707和泉国神別天神 爪工連 神魂命男多久豆玉命之後也
                                    雄略天皇御世。造紫蓋爪。并奉餝御座。仍賜爪工連姓


  「新撰姓氏録」は多久豆玉命を神魂命の男とするのに、「紀伊国造直系図」は多久豆玉命を神魂命の孫とするので、既にこの段階で系譜は異なります。
   付言:当ブログは、基本的に「新撰姓氏録」の情報が他情報よりも確度が高いとして、諸考察を進めています。

  御食持命も、「新撰姓氏録」では神魂命の子だとされ、「紀伊国造直系図」が四世孫とするのとは大いに異なります。三世代のズレがあります。

 御食持命の後裔の紀直が和泉国に登記しており、「神代本紀」(先代旧事本紀)も御食持命を紀伊直等の祖としています。

<1>  和泉国に多い御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔

   図表2は「新撰姓氏録」を元に御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔を探すと、それが和泉国に多いことは確認します。
 

 紀伊国は、紀ノ川を挟んで北側に和泉山脈を介して和泉国に南接しています。
 その和泉国にこれだけ多くの紀氏裔を確認出来たことは紀氏が紀伊国で勢力を張っていたことを

推測するのに心強い励ましとなります。

  図表2 和泉国に多い御食持命・多久豆玉命・天道根命の裔
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・紀直:神魂命子御食持命の後裔
  639河内国神別天神  紀直                  神魂命五世孫天道根命之後也
  715和泉国神別天神    紀直                        神魂命子御食持命之後也
  716和泉国神別天神    大村直    紀直同祖       大名草彦命男枳弥都弥命之後也
  719和泉国神別天神    高野                      大名草彦命之後也
・多久豆玉命:神魂命男:多久豆玉命の後裔
  707和泉国神別天神    爪工連                     神魂命男多久豆玉命之後也
                      雄略天皇御世。造紫蓋爪。并奉餝御座。仍賜爪工連姓
  713和泉国神別天神    大庭造                     神魂命八世孫天津麻良命之後也
  714和泉国神別天神    神直                        同神五世孫生玉兄日子命之後也
・天道根命の裔
  471右京神別天孫       滋野宿祢    紀直同祖    神魂命五世孫天道根命之後也
  472右京神別天孫       大村直                     天道根命六世孫君積命之後也
  473右京神別天孫       大家首                     天道尼乃命孫比古摩夜真止乃命之後也
  564大和国神別天孫    伊蘇志臣 滋野宿祢同祖 天道根命之後也
  709和泉国神別天神    物部連                     神魂命五世孫天道根命之後也
  710和泉国神別天神    和山守首                     同上
  711和泉国神別天神    和田首                        同上
  712和泉国神別天神    高家首                        同上
  717和泉国神別天神    川瀬造                     神魂命五世孫天道根命之後也
  718和泉国神別天神    直尻家  大村直同祖
──────────────────────────────────────────

  これで、和泉国には御食持命・多久豆玉命・天道根命の後裔が多いことが判ります。

  図表3は左側に新撰姓氏録ベースの紀氏系図を載せ、右側に紀氏裔が右京・大和・和泉の各国に居住展開してる様を示します。



 

(2) 「新撰姓氏録」に見ない二神

<1>  天御鳥命

  天御鳥命は「出雲国風土記」(楯縫郡総記)に登場する神魂命の御子で、母神の勅を受けて、「楯部」(建築家)として天下りし、大神の宮を築いた神人です。

  「出雲国風土記」によれば、神魂命は楯縫郡で「所造天下大神の宮を造り奉れ」と詔します。
 すると、御子・天御鳥命は楯縫部となり、宮を造ったと云うのです。
  引用:神魂命が「私の天日栖宮は十分に足り整っている。縦横が千尋ある長い拷紲を使い、百結に結び、
               八十結にしっかりと結び下げて、所造天下大神の宮造り奉れ」と詔して、御子・天御鳥命を楯部

               として天下らせます。天御鳥命が大神の宮の御装束としての楯を造り始めたのがこの地で、今に

               至るまで楯桙を造り、神々に奉っているので、この地を楯縫と云う。
                                                                                                     (出所)   「出雲国風土記」 楯縫郡総記


   この「拷紲百結び工法」(栲縄結び技法)については先に次のブログ文でご報告しています。
 杵築宮の建築技法は、釘を用いず、この「拷紲百結び工法」によって行われたのです。
                    参照:伊勢津彦の謎2 伊勢津彦=出雲建子命を出雲に探す 2023年08月29日

 天御鳥命の楯縫技法による宮殿作りは彦狭知命の職能神格と同じです。
 「紀伊国造直系図」の作製者は彦狭知命の職能神格を承知して居り、天御鳥命(出雲風土記)との同神説を考え合わせたのだと思われます。
 引用:「日本書紀」(神代下第九段一書第二)では、父・手置帆負神と共に彦狭知命が作盾者(楯縫)として登場します。
   ・「古語拾遺」(神代段)でも父と共に登場し、天御量を用い大小の峡谷の木を伐採して瑞殿を造営し、御笠・矛・

                                        盾を制作したと云います。
   ・「古語拾遺」(神武天皇段)にも再び父と共に登場し、太玉命の孫・天富命に率いられて山から木を伐採して、

                                        神武天皇の正殿ミアラカを造営します。

   彦狭知命の職能神格は父・手置帆負神の神格・笠作り結びついて明かです。
  「出雲風土記」に出てくる天御鳥命を彦狭知命に結びつける発想は大したものです。
 だが、それが真実である保証はないのです。古代に建築家は一人しかいない、と考えるのは愚かなのです。
    引用・天神本紀:紀伊の国の忌部の遠祖・手置帆負神を笠作りの役目とした。
            彦狭知神を盾作りの役目とした。
            天目一筒神を鍛冶の役とした。
            天日鷲神を布作りの役目とした。
            櫛明玉神を玉作りの役目とした。
           ・天太玉命を弱肩に太い襷をかけるように、天孫の代わりとして、

                                                                                                  この神を祀らせるのは、ここから始まった。
            ・天児屋命は神事を掌る元締め役、そこで太占の卜いを役目として仕えさせた。

<2> 天手力男命

  天手力男命については、先ず、前報と接続して考える為、「伊勢舩木4 日神をお出し申上げるー天手力男命を想う」では次の様に前書きした事をご紹介します。
   引用:天手力男命は天涯孤独な神人です。
     紀記には登場しても、その親神も祖神も後裔も語り継がれず、です。
     現存する「新撰姓氏録」にも登場しません。それは畿内に後裔がいなかった事を意味します。


 ところが、「船木等本記」に「日神をお出し申上げる」と説明される神人が登場するのです。
   その神人はもしや天手力男命なのではないでしょうか。これは新たな謎を生みます。
 しかも、紀伊国を訪ねると、亦別な謎の中に誘い込まれるのです。
                          参照:伊勢舩木4 日神をお出し申上げるー天手力男命を想う 2024年02月11日

  多久頭魂命は「紀国造直系譜(出所A)」では手力男命と同神に扱われています。
 前報では「天手力男命は天涯孤独な神人です。」と記したのに、ここでは親も子もいる普通の神人なのです。

 天手力男命がある系譜に採り入れられている時、天岩戸(神話)事件との関わりと整合したカタチで、その系譜を理解出来るか、と云う問題が生じます。

  調べても、多久頭魂命・多久豆玉神を天手力男命と同神とする説は中々出て来ません。

  江戸末期に復古神道を興した平田篤胤の影響があるかと推測して、彼の著「神代系図」での「天手力男命」の注記を見ても、そこに記されているのは次の諸神で、多久都魂神ではありません。
   引用:平田篤胤の天手力男命の同神説(神代系図27コマ/38)
              天石戸別神(櫛窓石窓神・豊窓石窓神)、伊佐布魂命、明日名門命、阿居太都命、天背男命、
      天石帆命、天石戸別安国玉主神、天嗣杵命


  上の平田説で、赤字で示したのは「斎部氏本系帳」が天背男命の同神とする神人です。
                 参考:平田篤胤3 平田の「天手力男命の同神論」2022年03月12日
                    (特に参照: 図表5 平田の「天手力男命の同神論」の総括)


  「古屋氏系図」は大伴氏系図として有名です。
  その「古屋家家譜」の第五代は天石門別安国玉主命で、注記に「一名:大国栖玉命、大刀辛雄命、妻神:八倉比売命」とあります。
  この「大刀辛雄命」はタチカラオノミコトと読めますので、「手力男命」を指すのでしょう。
  すると、天石門別安国玉主命は手力男命と同神となります。
               参考:「天石門別」論     古屋家家譜の上代譜を採らず      2021年12月01日
                       阿波古史試論(3) 「安房国忌部家系」の古忌部詳説 2021年09月29日
                                 天日鷲命1    「86系譜」の示唆                     2022年03月18日


  しかも、大刀辛雄命タチカラオノミコトは八倉比賣命を妻にしているのです。
  これは天背男命が許さないでしょう。天背男命の妻神は八倉比賣命だと、「安房国忌部家系」で充分に学んだ筈です。

  要するに、何処を見ても、多久頭魂命・多久豆玉神・天手力男命の三神を同神とする説は見受けられないのです。

  然も、「紀伊国造直系図」は「多久頭魂命・多久豆玉神・天手力男命の三神を同神とする」のです。当惑です。

  次報でもこの「疑論」は続きます。