目次 (1) 古事記は「伊勢舟木直」を神八井耳命裔とする
(2) 神八井耳命裔の中で「伊勢舟木直」の位置を探る
<1> 神八井耳命の国造裔
<2> 崇神朝の大きなうねり
(3) 神八井耳命裔の系譜
<1> 武諸木命
<2> 丹羽臣&大荒田命
<3> 島田臣
<4> 志紀首・志紀県主&雀部臣
(4)「伊勢舟木直」の評価
(1) 古事記は「伊勢舟木直」を神八井耳命裔とする
「古事記」は神八井耳命の後裔多数を記し、その中に、「伊勢の船木直」の記載があります。
「古事記」:神八井耳命は、意富臣(多氏)、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿曽臣、筑紫の三家連、
雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊予国造、科野国造、石城国造、常道仲国造、長狭国造、
伊勢の船木直、尾張の丹羽臣、島田臣らの祖なり。
これが伊勢舟木直の大元情報です。
だが、この伊勢舟木直の裔孫を確定する系譜情報はないのです。
次報でご案内しますが、あるのは全て断片情報としての「舟木」であり、それらを「伊勢舟木直」
に繋げる推測でしかないのです。
(2) 神八井耳命裔の中で「伊勢舟木直」の位置を探る
そこで、「古事記」が記した「神八井耳命裔の展開地とその出自」を色々と探ります。
その狙いは、その最後には伊勢舟木直のポジションを確認する為です。
方法:第一の方法は、「新撰姓氏録」や「国造本紀」により、古事記の記載を確かめます。
第二の方法は、第一の方法では判らない時は、ネットで検索することにします。
注 姓氏録は北川研究室のまとめを使います。各氏姓についている登録番号を用い、その詳細は
注記により示します。
図表1に「古事記」の神八井耳命の19裔を分類しながら纏めてあります。
・第一の[中央]は、京、及び、その近く(五畿ー大和・山城・摂津・河内・和泉ー)にいたと思われる人々です。
・第二の[中部]は、後に取り上げる「伊勢舟木」に繋がるかと期待する神八井耳命裔です。今は五里霧中です。
・第三は[国造裔]です。これは東国、四国・九州に展開した裔孫たちです。
注記:77左京皇別 多朝臣 出自謚神武皇子神八井耳命之後也
78左京皇別 小子部宿祢 多朝臣同祖 神八井耳之後也
・大泊瀬幼武天皇御世。所遣諸国。取斂蚕児誤聚小児貢之。天皇大哂。賜姓小児部連
176右京皇別 島田臣 多朝臣同祖 神八井耳命之後也
・成務朝、仲臣子上(神八井耳命五世孫・武恵賀前命孫)が尾張国島田田上下二県の悪 神を平定した功績により島田臣を賜姓す。
[原文] 五世孫武恵賀前命孫仲臣子上。稚足彦天皇[謚成務]御代。尾張国 島田上下二県有悪神。遣子上平服之。復命之日賜号島田臣也
177右京皇別 茨田連 多朝臣同祖 神八井耳命男 彦八井耳命之後也
286河内国皇別 茨田宿祢 多朝臣同祖 彦八井耳命之後也 男野現宿祢。仁徳天皇御代。造茨田堤
311和泉国皇別 雀部臣 多朝臣同祖 神八井耳命之後也
312和泉国皇別 小子部連 同神八井耳命之後也
313和泉国皇別 志紀県主 雀部臣同祖
<1> 神八井耳命の国造裔
神八井耳命裔は、国造として東国(科野・安房・常陸)・四国(伊予)・九州(火・阿蘇・大分・筑紫)に拠したとされています。
国造定賜の裔孫が神八井耳命から何世代目か、どの天皇の御世かを検し、時代観を得ます。
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1 九州では阿蘇国造が神八井耳命の孫(3世代目)ですが、その初代の時代推定が困難です。
・「国造本紀」は崇神朝に速瓶玉命を初代阿蘇国造に定めたとし、この人は神八井耳命の孫だとします。
・「日本書紀」及び「肥後風土記」は健磐龍命・阿蘇都彦・阿蘇都媛を景行朝の人と捉えています。
・だが、阿蘇神社の社伝は「孝霊天皇が速瓶玉命に勅して健磐龍命を祀らせた。」とし、更に上古に遡ります。
参考・国造本紀:崇神朝、神八井耳命孫/速瓶玉命を初代阿蘇国造に定賜す、とし、この人は火国造と 同祖だ
とします。
・日本書紀:景行天皇18年6月16日に景行天皇は九州巡幸の一環として阿蘇国に到るも、その国の野原
は広く遠く、人は見えず、天皇は「是国に人有りや」と問うた。すると、阿蘇都彦・阿蘇都媛
の二神が現れ、「吾二人在り。何ぞ人無らんや」と云うので、その国を名付けて阿蘇と云った。
注、「日本書紀」には阿蘇都彦と健磐龍命を同人とする記録はない。
・阿蘇神社の創始:孝霊天皇9年6月に、孝霊天皇が速瓶玉命に勅して健磐龍命を祀らせた。
・火國造・遲男江命は大分國造の同祖・志貴多奈彦命の子で、瑞籬朝(崇神朝)に国造に定賜。
・火国造と四国の伊予国造は神八井耳命の曾孫・敷桁波命(=志貴多奈彦命)の子ですから、初代阿蘇国造の
次の4世代目です。勢力圏は火(肥)国造から始まり、その子達の代に阿蘇・伊予へその勢力圏を拡げたと
見るのが穏当な見方でしょう。
2東国では、黒坂命は初代開拓使として派遣され、陸奥まで進攻しますが病死した様です。
この黒坂命の東征は崇神朝のことだと推測しますが、今はその根拠を議論しません。
・黒坂命は神八井耳命の孫(3世代目)だと思われますが、情報が少ない為、伝説上の人物としてしか扱われてい
ません。「孫」扱いも推測の域を超えません。風土記と神社伝承が遺るのみです。
・黒前神社(日立市十王町黒坂)
祭神:黒坂命
鎮座地:竪破山658m登山口駐車場に一の鳥居あり。黒前神社は竪破山の頂上に鎮座。
由緒:崇神天皇の御代、黒坂命は蝦夷征伐のため奥州遠征の大任を果たしたが、凱旋の途中、往路で
戦勝祈願をした多歌郡角枯山を再訪した時、発病して客死した。その時、角枯山の名を黒前山
と改め、文武天皇(683~797)の勅により、黒前神社を創建、黒坂命を祭神とした。
3 東国常陸の初代・仲国造は建借馬命だとされます。
その時代は崇神朝とも成務朝とも記されており、記録の信憑性が問われます。
・常陸国風土記・行方郡条:「古老曰、斯貴瑞垣宮大八洲所馭天皇之世(崇神朝)、為平東垂之荒賊、
遣建借間命(即此那賀国造初祖)」とあり。
・国造本紀・仲国造条 :「志賀高穴穂朝御世。伊予国造同祖・建借間命定賜国造」とあり。
ご注目下さい。斯貴瑞垣宮で天下を治めたのは崇神天皇ですが、志賀高穴穂朝は成務朝です。
「常陸国風土記・行方郡条」と「国造本紀・仲国造条」の両記述には時間のズレがあります。
・阿蘇家略系譜:神八井耳命八世孫・建借間命は「志賀高穴穂大宮朝、定賜仲国造」とあり。
・後世、那珂国造の裔と思われる人たち(壬生直・壬生連)が「常陸風土記」に出て来ます。
・653・白雉4年、孝徳朝、那珂国造・壬生直夫子と茨城国造・壬生連麻呂は行方郡の設置を申
しでます。 (出所) 「常陸国風土記」行方郡条
・「古事記」は茨城国造は神八井耳命裔だとし、「国造本紀」は初代茨城国造は建許呂命とします。
建許呂命の祖は天津彦根命ですので、伝承源により差異を生じています。
・だが、孝徳朝の行方郡の新設折衝に登場した茨城国造は壬生連麻呂であり、建借馬命の後裔であ
る可能性があります。「古事記」はこれを根拠に「神八井耳命の裔」説を出したのかも知れません。
4 崇神朝に科野國造に定賜された建五百建命は、神八井耳命孫とされます。
・国造本紀・科野國造条:崇神朝の御世、神八井耳命の孫の建五百建命を国造に定賜。
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<2> 崇神朝の大きなうねり
諸々の、だが、少ない、確実性に不安のある情報を勘案すると、大きなうねりが始まったのはどうも崇神朝のようです。
神八井耳命の第五世代目裔の東西諸国の国造定賜を「国造本紀」などで見ると、それが推測できるのです。
参考まとめ:崇神朝:阿蘇国造・火国造・科野國造(国造本紀)、仲国造(常陸風土記)、
成務朝:仲国造(国造本紀)
・但し、九州の国造は資料によりその名を異にする。
今は深入りしませんが、一つだけ追加します。
科野国造に定賜した武五百建命は発音は「健磐竜命」と同じだと云う見方があるのです。
それは、武=健、五百=磐、建=竜の四つの等式が成立つからです。
このため、武五百建命は科野から九州・阿蘇に移動し、健磐竜命として阿蘇を開拓したと云う話が伝わります。これが事実ならば、崇神朝における東国からの大遠征です。
その健磐龍命の家系についてウイキペディアが様々な資料を引用して説明しています。
だが、諸説入り乱れ、系譜化は難しいです。
今はこの件について深掘りしません。付属資料に基礎情報を記します。
(3) 神八井耳命裔の系譜
これまでの「新撰姓氏録」・「古事記」・「国造本紀」、及び、「神社由緒・伝承」の記述から、神八井耳命裔の系譜を作成すると、図表1になります。
不明確、乃至、不透明なまま作成している部分は次の部分です。
1 第二世代:神宇都彦命・健磐龍命は兄弟か従兄弟か、同神ですが、いずれとも断定出来ません。
2 第三世代:建黒坂命は「時代」が明確ではなく、仮にこの位置に置いたに過ぎません。
3 第四世代:敷桁彦命は、国造本紀に出てくるにも拘わらず、阿蘇氏系譜には出てきません。
4 第五世代:阿蘇国造と火国造とは分かれた筈なのに、本宗阿蘇家の第5世代は示せません。
5 第五世代:武恵賀前命は「神八井耳命の5世孫」(姓氏録176)とされますが、その上代は不詳です。
この系譜は一部推定を含みます。各項目毎に根拠を次に説明します。
説明表 神八井耳命の系譜の論拠ー神名の前の数字は伝えられるその世代を示すー
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・黒坂命は「常陸国風土記」に登場し、神八井耳命の孫世代と推定します。
此の命は長駆して奥羽にまで到ったとの伝承は、崇神朝のものであり、武五百建命(健磐竜命)と同世代だろうと推測し たのです。
2 健磐龍命:健磐龍命神社(阿蘇神社一宮)の祭神であり、別に、国造神社()の祭神でもある。
・孝霊帝が速瓶玉命に勅し、その父・健磐龍命を祀らせた、との伝承あり。
3 速瓶玉命・国造本紀(阿蘇国造:崇神朝、神八井耳命の孫で、火国造と同祖)
3/5 武恵賀前命・大縣神社(犬山市宮山)式内社(名神大社)・尾張国二宮
祭神:大縣大神(尾張国開拓の祖神)
祭神別説:1 国狭槌尊説
2 天津彦根命(大縣主の祖神)説
3 少彦名命説
4 大荒田命(日本武尊三世孫、迩波縣君祖)説
・神社覈録:邇波縣君祖大荒田女子玉姫者、建稻種命之妻也
5 武恵賀前命(神八井耳命孫・迩波縣君祖)説。
・田縣神社(小牧市田県町)祭神:御年神・玉姫命(大荒田命女)
社伝:当地は大荒田命邸の一部で、邸内で五穀豊穣の神である御歳神を祀る。
・新撰姓氏録176
・成務朝、仲臣子上(神八井耳命五世孫・武恵賀前命孫)が尾張国島田田上下二県
の悪神を平定した功績により島田臣を賜姓す。迩波縣君祖
3 武五百建命・国造本紀(科野国造:崇神朝、神八井耳命孫・建五百建命を国造に)、阿蘇
・科野大宮社(上田市常入上常田、信濃国総社)
祭神:大己貴命・事代主命、創建:(伝)崇神朝、武五百建命が創建
・会津比賣神社(長野市松代町)
祭神:会津比売命(初代科野国造・建五百建命妃)
・松代町史:会津比売命は建御名方神の子・出速雄命の子で、武五百建命妃とする。
・伊津速比売神と同人説もある。
・「阿蘇系図」では武五百建命の妻を建御名方神の五世孫・会知早雄命の娘とする。
会知早雄命は伊豆早雄命の四世孫となる。
・武五百建命の科野国造定賜が崇神朝の比較的早い時期だったとの伝承は,この東山道*が早期に開発されて
いた事を推定させます。 *岐阜から木曽・塩尻・松本・長野・作久・・の中部縄文文化の中心地を経る。
・傍証は、阿智神社(下伊那郡阿智村)の祭祀が古く、それに次いで、多紐細文鏡(最初期の銅鏡)の長野県
佐久市での出土が挙げられると思います。最後の長野県佐久市での出土鏡は、破片に二孔を開けて呪符
か護符に転用された形だった、と云います。伝世鏡でしょう。
・高皇産霊命一族が葛城の鴨都波・名柄に拠点を築いた後、その一波は更に東方へ進んだ証がこの社宮司
遺跡(佐久市)の多鈕細文鏡経世片だと思われます。
参考:弥生神代考5(2) 多紐細文鏡の道 2018年01月12日
・弥生神代考5(3) 多紐細文鏡の埋納遺跡の総括 2018年01月25日
4 敷桁彦命 ・国造本紀:神八井耳命を祖とする志貴多奈彦命(敷桁彦命)の子・遅男江命を国造に定めた。
・速瓶玉命:神八井耳命の孫 ・・崇神朝、火国造と同祖
・遅男江命:志貴多奈彦命の子・・崇神朝、大分国造と同祖
・速後上命 :敷桁波命の子 ・・成務朝、印幡国造と同祖
・国造本紀
・肥前風土記:建緒組(別名:健緒純)を火国造の祖とする。
・日本書紀 :景行天皇皇子・弟豊戸別皇子が火国別の祖とある。
景行紀に熊襲梟帥の娘・市鹿文を火国造に与えたとも記され
5 建緒組命 ・建緒組命は「国造本紀」には登場せず、代わりに、火國造・遲男江命が記されている。
・国造本紀:火國造・遲男江命は大分國造の同祖(神八井耳命の後裔・志貴多奈彦命の子)、瑞籬朝(崇神朝)
・[肥前国風土記]:建緒組命:崇神朝、益城郡の朝来名峰に打猿と頸猿の土蜘蛛二人を勅命に
より討つと、「火君の祖・健緒組」を授かった。
5速後上命 ・国造本紀
・志賀高穴穂朝の御世に印幡国造の同祖敷桁彦命の子・速後上命を以って国造に定め賜う。
・軽島豊明朝の御世に神八井耳命の八世孫伊都許利命を以って国造に定め賜う。
5建借馬命 ・国造本紀では、成務朝、仲国造となり、伊予国造と同祖
7仲臣子上命・姓氏録176、成務朝、神八井耳命五世孫・武恵賀前命の孫が成務朝に臣姓を授かる。
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(出所) 古事記・日本書紀・国造本紀・風土記・新撰姓氏録・神社伝承
(3) 神八井耳命裔(非国造)の寸論
ここでは、神八井耳命裔(非国造)について資料記述を集めましたが、不満足なメモ集です。
次報「伊勢舟木直」のバックグラウンド理解の為にと努めた積もりです。
<1> 武諸木命
日本書紀:景行天皇12年9月5日条に多臣の祖・武諸木命が登場します。だが、その情報は孤立しており、他の神八井耳命裔との関係は示せず、系譜に取り込むことが出来ませんでした。
・武諸木命・・日本書紀:景行天皇12年9月5日
引用:周芳娑麼で、て景行天皇は南を望み、群卿に詔して「南方に煙が多く立つ。必ず賊がいる」と。
即ち留まって、先ず、多臣の祖・武諸木、国前臣の祖・菟名手、物部君の祖・夏花を遣わして様子
を探らせた。(後略)
・国崎神社(京都郡苅田町稲光)祭神:国前臣・菟名手命 は見つけましたが、武諸木美琴の神社は未発見です。
<2> 丹羽臣&大荒田命
丹羽氏は神八井耳命を祖とし、現丹羽郡丹羽の県主を務めた、と見ます。
丹羽氏祖は大荒田命とその女・玉姫命で、今も「丹羽郡」に名を遺す古丹羽県主です。
「県主」は「国造」よりも古い「地域首長」の肩書きですから、可成り早い時代に丹羽氏は当地に定住したと読めます。
大荒田命は祖神・神八井耳命を爾波神社に祀り、女ムスメ・玉姫と尾張国造・建稲種命と聖婚させ、丹羽県主の地位を固めます。
・式内・爾波神社(一宮市丹羽字宮浦)尓波神社 尾張国 丹羽郡鎮座
祭神:大荒田命
神八井耳命は尾張丹羽臣祖、尾張丹羽臣の拠点は尾張国丹羽郡丹羽郷で、
愛知県一宮市丹羽にその名を遺している。
尚、大荒田命系の祭祀は次の神社にも遺ります。
・式内・大縣神社(愛知県犬山市宮山3)尾張国 丹羽郡鎮座、名神大 国幣中社 尾張国二宮
祭神:大縣大神(尾張開拓の祖)、大荒田命(玉姫命の父)
祭神説:国狭槌尊、国之常立尊、大荒田命(延喜式当時の祭神)
青塚古墳:大縣神社祭神・大縣大神の神裔・大荒田命(丹羽縣君の祖)の墳墓説あり。
・田縣神社(愛知県小牧市田県町152)祭神:玉姫(尾張開拓の祖・大荒田命の娘、乎斗与命と婚す)
・式内・爾波神社(一宮市丹羽宮浦)祭神:神八井耳命、丹羽郡の総社
・式内・前利神社(愛知県丹羽郡扶桑町斎藤宮添)尾張国 丹羽郡鎮座
祭神:神八井耳命・・前刀連(丹羽臣)祖神
由緒:前刀連(丹羽臣の同族)が祀る
「天孫本紀」(先代旧事本紀)には次の記述があります。
・十一世孫・乎止与命。この命は、尾張大印岐の娘・真敷刀俾を妻として、一男を生んだ。
・十二世孫・建稲種命。この命は、迩波県君の祖・大荒田の娘・玉姫を妻として、二男四女を生んだ。
神位:國内神名帳云、從三位爾波天神、神社覈録
天火明命十一世孫・乎止与命は濃尾平野を支配する尾張大印岐の女・眞敷刀婢命と婚し、この地方に移住、尾張国造となり、その子・建稲種命は丹羽県主の祖・大荒田命の女・玉姫と婚します。
この二世代に亘る「妻問い」の結果、この地は、遂に尾張国造の統治下に入り、尾張大印伎と丹羽県主はその許で協和・共存したのです。
その証は針綱神社の祭神構成に遺る、と云えましょう。
・針綱神社(愛知県犬山市犬山北古券)
祭神:尾治針名根連命 ・・天火明命裔。尾綱根命の子。玉姫命の孫
2玉姫命 ・・丹羽氏祖・大荒田命女・建稲種命妃
3菊理姫命・伊邪那岐命・大己貴命 ・・上古神
4建筒草命・建多乎利命・建稲種命 ・・原尾張氏
+尻調根命・尾綱根命 ・・尾張氏
5大荒田命 ・・丹羽氏祖
針綱神社は一連の尾張国神社の中でも最も重要な神社の一社です。
その祭神構成は、針綱神社によりますと、次の様です。
・先ず、主祭神に、尾綱根命の子・尾治針名根連命を掲げます。
・次に、比売命(玉姫命)です。この玉姫命は(丹羽氏祖)大荒田命女・玉姫命で、建稲種命の妃となった方です。
だが、何故か、夫君・建稲種命と併記されず、尾治針名根連命の直後に記されています。
・第三に記されている上古神(伊邪那岐命 菊理姫命 大己貴命)については今は議論しません。
・第四に原尾張氏(建筒草命 建多乎利命)に続き、尾張氏(建稲種命 尻調根命・尾綱根命)が記されています。
この尾張氏は玉姫命の夫君と二御子です。
・第五に、丹羽氏祖・大荒田命が記されています。玉姫命の父ですから、建稲種命の岳父に当たる人です。
<3> 島田臣・・尾張国海部郡嶋田郷(愛知県海部郡美和町)
島田臣は、新撰姓氏録に登記して右京に住み、次の様な興味深い情報を伝えています。
参考:新撰姓氏録・176右京皇別 島田臣 多朝臣同祖 神八井耳命之後也
注記:五世孫武恵賀前命孫仲臣子上。稚足彦天皇[謚成務]御代。
尾張国島田上下二県有悪神。遣子上平服之。復命之日賜号島田臣也
現代語訳:五世孫・武恵賀前命の孫に仲臣子上がいる。稚足彦天皇[謚イミナ成務]の御代の事だった。
尾張国の島田郡の上下県に悪しき神がいた。子上を派遣してこれを平服させた。
その復命の日、子上は島田臣を賜った。
この記事の示唆の一は、島田臣は尾張国島田郡上下県の出身だという事です。
加えて、南風さんの記事から抜粋引用します。
引用:「尾張国の島田上下の二県」を『和名抄』の尾張国海部郡嶋田郷とする見解があります。
・嶋田郷は、愛知県愛西市勝幡町、或いは、あま市七宝町・美和町南部から津島市東部一帯に比定されますが、
確証はなく、詳細は不明となっています。
・太神社(尾張国中島郡、一宮市大和町於保)」式内・名神大社、祭神:神八井耳命
・近世の於保村の南東に接して、島村(現・稲沢市島本郷町・島新田町・島下畑町)があり、「島田上下の二県」
のうち1つは中島郡於保・島の地域であった可能性があります。
島田臣裔の中には「古事記」を研究・教授している人がいます。多臣裔だからこそでしょうか。
・「阿蘇家略系譜」では武恵賀前命の孫・武沼田命が長狭国造で、その子・那珂乃子上命を指摘する。
・「阿蘇家略系譜」では伊勢舩木直と同じく大荒男命を祖とする。
・「新撰姓氏録」の仲臣子上と那珂臣子上は同一人。子上の子が大荒男命で島田臣の祖という。
・「弘仁私記」序に見える嶋田臣清田の分注に「皇子・神八井耳命之後、正六位上村田第一男」とある。
・学者はこの系譜に疑問符を付けているようです。
<4> 志紀首・志紀県主&雀部臣
本貫を「新撰姓氏録」で調べると、志紀首(178 & 289)は右京と河内国に登記ありです。
志紀県主(287 & 313)は河内国と和泉国に登記ありです。
しかも、和泉国の志貴県主が雀部臣(311)と同祖とされ、中央の雀部氏(臣・造)と同族である事を「姓氏録313」で知ります。
・新撰姓氏録:178 右京皇別 志紀首 多朝臣同祖 神八井耳命之後也
287 河内国皇別 志紀県主 多同祖 神八井耳命之後也
289 河内国皇別 志紀首 志紀県主同祖 神八井耳命之後也
313 和泉国皇別 志紀県主 雀部臣同祖
志貴県主神社の祭神は神八井耳命となっており、その素性を示しています。
・志貴県主神社(大阪府藤井寺市惣社)式内社(大)、祭神:神八井耳命
(4)「伊勢舟木直」の評価
今回は、「伊勢舟木直」を論じるに当たり、その外郭にある「神八井耳命の神裔系譜」を探り、次報「伊勢舟木直」への準備としたものです。
<1> 神八井耳命裔の姓・・「直」・「君」・「臣」
どうして「直」・「君」・「臣」などの諸姓を吟味するのか、と云えば、今、「伊勢舟木直」が話題の焦点だからです。
東国へ行けば、「直」姓は国造級の立場を取る氏族なのです。
だが、伊勢舟木直の情報は中央~中部に探っても出て来ません。
今までの調べからすると、神八井耳命裔は氏姓カバネ階級としては中堅の「臣・連・直」の姓カバネを得ています。
島田臣が「臣」を授かった事情からすれば、「臣」姓はこの中でも上位の姓なのでしょう。だが、ここではこれらの姓を横並びに扱います。
亦、東西諸国の国造は「直」の姓が多いと云われます。
・主に近畿、中国地方(吉備と出雲以外)、四国、東海道、関東南部に直姓の国造が広がった。
・関東北部や九州の国造には君姓が多かった。
・但し、吉備と出雲の国造は臣姓だった。
参考:1 臣・連は中央(畿内)豪族に与えられた姓、君・直は地方豪族に与えられた姓
2 君:中央・地方の有力豪族・・主に大王家から分化した氏や地方の有力豪族(筑紫や毛野)
3 直:君より下の地方豪族又は新興氏族
・主に5世紀から6世紀頃に大王家に服属した地方の一般豪族 (出所) ヤフー知恵袋
<2> 舟木氏(船木等本記)と伊勢舟木直(神八井耳命系)
舟木氏祖は太田田命です。
その子・田田根足尼命とその三子(乎川女・馬手・口以)については「古斯国君に坐す」と「船木等本記」が記すのは真に興味をそそります。
この舟木氏祖に太田田命を戴く人々は、伊勢舟木直とどの様に関わるのか、或いは、関わらないのか、これが次報で取り扱う大問題です。
次報(仮題):伊勢舟木6 伊勢舟木直の出自