天手力男命は天涯孤独な神人です。
 紀記には登場しても、その親神も祖神も後裔も語り継がれず、です。
 現存する「新撰姓氏録」にも登場しません。それは畿内に後裔がいなかった事を意味します。

 ところが、「船木等本記」に「日神をお出し申上げる」と説明される神人が登場するのです。
  その神人はもしや天手力男命なのではないでしょうか。これは新たな謎を生みます。
 しかも、紀伊国を訪ねると、亦別な謎の中に誘い込まれるのです。


目次1 日神をお出し申上げる
    (1)「日神をお出し申し上げる」とは何か
         <1>   「日神をお出し申し上げる」(船木等本記)
                   <2> 天岩戸神話(紀記抜粋)
                   <3> 「神田田命は天手力男命と同神」説
    (2) 舟木氏は天手力男命を祀ったか
       <1> 伊勢神宮(内宮)の相殿神としての「天手力男命」
          <1-1> 太安万侶
          <1-2>  「日本書記」
          <1-3>  相殿神(天手力男神と萬幡豐秋津命)の謎
       <2> 佐那神社の祭神・天手力男命
          <2-1> 佐那神社
          <2-2> 舟木氏と佐那神社
       <3> 伊勢に天手力男命の祭祀社多し
  2 天手力男命を想う
             <1> 天手力男命を祖神に掲げる氏族
         <2> 紀伊国の天手力男命
                  <3> 仮説「天手力男命は舟木氏に出る」

1  日神をお出し申上げる

(1) 「日神をお出し申し上げる」とは何か

<1> 「日神をお出し申し上げる」

  「住吉大社神代記」には「天の下に日神をお出しした」と云うが驚くべき記述があります。即ち、
  「住吉大社神代記」に含まれる二記(膽駒・神南備山本記・船木等本記)は次の様に記しているのです。
     引用1・船木等本記:昔、日神を出し奉る宇麻〔呂〕・鼠緒・弓手等が遠祖大田田命の兒、神田田命が日神を

                                     出し奉りて、即ち此の杣山を領すところなり。
     引用2・膽駒・神南備山本記:大八嶋國の天の下に日神を出し奉るは船木の遠祖・大田田神なり。


 だが、続く驚きもあります。
 此の段階で既にこの二記の「伝承」は内容を異にしているのです。
  引用1では「神田田命が日神を出し奉り」とされています。
  引用2では「日神を出し奉るは舟木の遠祖・太田田命なり」となって居ります。
 太田田命の孫が神田田命である事が別に記されていますので、世代ずれが生じているのです。

 いずれにしても、「日神を出し奉る」神人は「舟木氏の祖」だった、と「住吉大社神代記」は記しているのです。

  「舟木氏の祖」は、次の様な表現を含む文の引用により説明されます。
  即ち、・「膽駒・神南備山本記」は「船木の遠祖大田田神」と云います。
         ・「播磨國の賀茂郡、椅鹿山」では「船木・鳥取の二姓を定め」、

      「是に於て、船木宇麻〔呂〕・同鼠緒・同弓手等、御神の山を斎護る」と記します。
 
  更に、舟木氏の職掌に基づく姓カバネ、役職も垂仁朝~景行朝・神功皇后期に生まれたことが記されています。
      ・「船木等本記」では、「巻向の玉木宮に大八嶋知食しし御世垂仁天皇より、巻向の日代宮に大八嶋食知景行天皇

         ・氣長足姫比古の御世に至るまでの二世は、意彌那宜多命の兒、意富彌多足尼仕へ奉る。(津守宿禰の遠祖なり)
   是に於いて舩司・津司に任け賜ひ、又、處處の船木連を被らせ賜ふ。但波國・粟國・伊勢國・針間國・周芳國の

         五箇國、爾時より船津の官の名を負ひて仕へ奉る。」

 舟木氏は、舟材の伐採から始まり、造船から湊(船津)管理まで、その職掌は拡がり、それに相応しい役職(舩司・津司、船木連、船津の官の名)が授けられているのです。

  こうして、舟木氏の特徴は、一方では「舩司・津司、船木連、船津」が表しているのですが、他方では「日神を出し奉った」祖神を持つのです。

  だが、「住吉大社神代記」はそれ以上を語りません。

  兎に角、ここに「日神をお出し申し上げる」のは大田田命の児・神田田命であることを確認します。主役は太田田命の児・神田田命です。

  但し、太田田命が日神を出し奉った可能性も否定出来ません。亦、前報で太田田命は太田命と同神としましたので、神田田命は太田命の子です。

<2> 天岩戸神話(紀記抜粋)

  「日神をお出し申し上げる」と云う「船木氏本記」(住吉大社神代記)の伝えは「天岩戸神話」を想起させます。

 日本神話の中で「天岩戸事件」で「日神」を取上げるのは凡そ次の様です。
  天岩戸神話のあらまし:「日本書記」(本文)
     ・1 素戔嗚命の狼藉に怒った天照大神は岩戸の中に隠れます。
     ・2 すると、神々は工夫して大神を岩戸からお出し申上げる工夫をします。
       ・3 外界が騒がしいので、天照大神が岩戸を少し開けて外界をご覧になろうとすると、
       手力男神がその手を引き、外へお出し申上げた。(原文:手力雄神、則奉承天照大神之手、引而奉出)


   天照大神と天手力男命が文中に出てくる様子は資料によって大分違います。

  「船木等本記」では「日神をお出し奉る」と云いますから、それと同じ表現の資料を探すと、

  「日本書記」の一書(第3)が対応します。
       引用:この時、天手力男神が、岩戸の脇に隠れておられて、戸を引き開けられたので、日神の光が国中に充ちた。                  (原文:是時、天手力雄神、侍磐戸側、則引開之者、日神之光、滿於六合)
                                (出所)  全現代語訳「日本書記上」宇治谷孟 講談社学術文庫44頁


 「日神をお出し申し上げる」とか「神田田命が日神をお出し申しげて」の記述は直接手を差し伸べたかの様な印象を与えます。

  「日本書記(本文)の表現「手力男神が天照大神のお手をとって引き出し奉った。」は、それに対応するもので、「お手をとって」と云う直截的な表現になっています。
  参考:「日本書紀」は次の如く「天手力男命」を記します。
        ・本文:手力男神が天照大神のお手をとって引き出し奉った。中臣神と忌部神が注連縄を引き渡した。
        ・一書(第一) 手力男神の記述なし
                   (第二) 手力男神の記述なし。但し、次の記述在り。

           岩戸を開ける時、天糠戸神が造った鏡が戸に当たり小さな傷がついた。この傷は今も残っている。

           今、伊勢の大神である。
             (第三) 岩戸を僅かに開け、外を窺われると、岩戸の蔭に隠れていた天手力男神が戸を引開けた。


 「船木等本記」と「日本書記」の「天岩戸事件」の記述は対応していると見ます。
 「天照大神を岩戸からお出し申上げ」た経緯は「天岩戸神話」を想起させると云って良いでしょう。

<3> 「神田田命は天手力男命と同神」説

 「天岩戸神話」で天照大神を岩戸からお出し申し上げたのは天手力男神ですから、神田田命を天手力男神に擬する人もいる筈です。

 それが「天手力男神と神田田命との同神」説、或いは、「天手力男神と太田田命との同神」説を生みます。

 こうして、舟木氏祖に天手力男神がいることになります。

(2) 舟木氏は天手力男命を祀ったか

  では、舟木氏が行った天手力男命の伊勢祭祀はどのように観察出来るのでしょうか。

 伊瀬川叱古命(舟木氏)が伊瀬玉移比古女乃命(=葦立弖神社の祭神:玉移良比女命)を娶り、当地での地縁を確保したので、伊勢は舟木氏縁の地と見ることが出来ます。
                                                 参照:伊勢舟木1    伊勢川叱子命と伊西・舩木神社 2024年01月12日

   後裔は祖神を祀ります。宮川流域での太田命の祭祀は舟木氏縁ユカリだった可能性が大きいです。
   これは前報で確かめました。

 今回、推論により得た「神田田命(舟木氏)は天手力男神と同神」説に従えば、伊勢国には舟木氏裔が祖神・天手力男命を祀った筈です。
 それは太田命祭祀とは同祀かも知れません。別祀かも知れません。

 実際の調べがその実態を明かします。

<1> 伊勢神宮(内宮)の相殿神としての「天手力男命」

 先ず、伊勢神宮(内宮)の相殿神として天手力男命は祀られている事を確認します。

  伊勢神宮の公式サイトには「正宮皇大神宮 御祭神 天照大御神 御鎮座 垂仁天皇26年」とあり、相殿神には触れていません。

  だが、「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」には内宮祭神が次の様に記述されています。
  天照坐皇太神宮・天照坐皇太神一座。[在伊勢國度會郡宇遲村五十鈴河上]
           ・相殿神二座。左,天手力男命。[元是御戶開神坐,靈御形弓坐。是神代輪王所造也]
                    右,萬幡豐秋津命。[靈御形劍。是神代龍神所造也。]
                          件姬神,則止由氣皇太神太子,高皇產靈神一女也。是天照皇太神太子正哉吾勝尊妃。                                                皇孫命母也。故天照皇太神與止由氣皇太神二柱大神,則曰天津彥火瓊瓊杵尊之大祖也。

          故尊祖敬宗,禮教為先矣。

  「御鎮座次第記」は、神道五部書の一として夙に名高く、少なくとも、中世鎌倉期には編纂されていた書です。それが天手力男命を皇大神宮の相殿神としているのです。

 「何故、相殿神に天手力男命を選んだのか」この点は注目しておかなければなりません。
  しかも、天手力男命は萬幡豐秋津命と共に祀られています。

<1-1> 太安万侶はなぜ書かない

 「古事記」は712年に編纂なり、「日本書記」は720年に完成したと云います。
 第一回式年遷宮は690(内宮)・692(外宮)年でしたから、この二書の編纂時に伊勢神宮が存在していた事は明らかです。

 太安万侶は、書記役は別に居たにしても、膨大な知識を吟味して「古事記」を編纂した人ですから、伊勢神宮の第一回式年遷宮を知らない筈はありません。

 だが、不思議なことに「古事記」には伊勢神宮の存在を示唆する片鱗もないのです。
 太安万侶は「手力男神が佐那那に坐す」(古事記)と記しながら、「手力男神は伊勢の大神の相殿に坐す」とは書いていないのです。不思議です。

 太安万侶の父・多品治は壬申の乱では初め(岐阜国安八郡湯浴令)から天武天皇側に立ち、戦勲を上げ、天武勝利に貢献した人です。
    天武・持統朝での叙位実績は、
      ・684・天武天皇13年、朝臣
      ・685・天武天皇14年、天皇の衣袴を授かった10人の中の一人だった。
      ・696・持統天皇10年、品治は直広壱と物を与えられた。


 太安万侶はそのような父から、色々教わらなかったのでしょうか。

    ・例えば、「天武天皇様はあの壬申の乱の初期に、伊勢の大神を遙拝されたのだよ」とか。
    注 「日本書記」672・天武元年6月27日の条:於朝明郡迹太川辺(現・四日市市大矢知町
)望拝天照大神

<1-2> 「日本書紀」

 「日本書記」には、上の記事もそうですが、微かに「伊勢の大神」に触れている所があります。

          参照:日本書記一書(第二)手力男神の記述なし、但し、次の文あり。
       岩戸を開ける時、天糠戸神が造った鏡が戸に当たり小さな傷がついた。この傷は今も残っている。

                   今、伊勢の大神である。

  これは貴重な記録です。720年の「日本書紀」編纂完了の時、「鏡」(伊勢の大神)の何処か小さな傷がついたのです。残念ながら、ここでも相殿神には触れられていません。

<1-3> 相殿神(天手力男神と萬幡豐秋津命)の謎

 相殿神としては、天手力男神の他に、「萬幡豐秋津命」が祀られています。
  万幡豊秋津師比売命
    別名:上・天孫降臨
      ・紀 栲幡千千姫(九段本書)、万幡豊秋津媛命(九段一書一)、万幡姫(九段一書二・七)、
         栲幡千千姫万幡姫命(九段一書六)、千千姫命(九段一書六)、
         天万栲幡千幡姫(九段一書七・八)、栲幡千幡姫(九段一書七)、
       拾 栲幡千千姫命(天中の三神と氏祖系譜、吾勝尊)
       旧 栲幡千々姫萬幡姫命(天神本紀)、萬幡豊秋津師姫命(天神本紀)、栲幡千々姫命(天神本紀)
    梗概:高木神(高御産巣日神)の娘で、
       天忍穂耳命との間に、天火明命と天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命の二神を生む。
                                           (出所) 皇學館大学・古典文化事業


   大きな疑問は、なぜ伊勢神宮(内宮)の相殿神として「天手力男神と萬幡豐秋津命」を祀るのか、と云う根本的な謎です。

   この天手力男神を相殿神に祀るのは、一つの見方として、天岩戸事件との繋がりを示唆していると云えます。
   即ち、天手力男神は、天岩戸から天照大神をお出し申上げた神話故事に因み、例えば、守護神として相殿神とするのは受け入れ易い発想です。

   だが、萬幡豐秋津命には困惑するのです。
 天岩戸事件の発端である機屋で狼藉を受けた神話故事に因むならば、それは、むしろ、稚日女神が相応しいのです。

 萬幡豐秋津命は高御産巣日神の女で、天忍穂耳命妃となり、天火明命と天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇々芸命の二神を生みます。天皇家の祖神・瓊瓊杵尊の母神ですから、ここに祀るのは一向に差し支えはない筈です。

  だが、それならば、夫君・天忍穂耳命と共に相殿神として祀るのが相応しいと思われます。

  萬幡豐秋津命の祭祀はどの様に理解すべき、今ひとつ判らないのです。

 ともあれ、伊勢国内では「天照大神・天手力男神・萬幡豐秋津命」の三神祭祀の神社(後述)が数社も見られますので、此の基本的な三神祭祀は中世以降には定式化したと推定します。

<2> 佐那神社の祭神・天手力男命

 次に、「古事記」は、「手力男命は佐那那県に坐す」と明かしています。
        引用・「古事記」(天孫降臨の段):手力男神者、坐佐那那県也

<2-1> 佐那神社

 「古事記」が「手力男命は佐那那県に坐す」と記すのは、天手力男命を祭神とする「式内社・佐那神社」の事でしょう。
     ・佐那神社(多気郡多気町仁田) 伊勢國多氣郡の式内社
       祭神:天手力雄命 配祀 曙立王命
         ・祭神に関わる他説は次の三説があるようです。
                 1 佐那の名の類似からか若沙那賣神
               2 天孫降臨で供に随伴した天石窓神説
                             3 佐那造だった御代宿禰説


 少々、スペースを取りますが、佐那神社の歴史的な推移もチェックするため、色々な情報も取込みます。
            合祀:若沙那賣命 彌志呂宿禰命

                     8神・八柱神(天忍穂耳命 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野櫲樟日命 田心姫命 瑞津姫命 市杵島姫命)
                     6神・火産霊命・倉稲魂命・大山祇命・木花咲耶姫命・(猿田彦命)・天宇受売命

       5神・事解男命 速玉男命 天照大御神 伊弉册命 素盞鳴命

                     4神・譽田別命 菅原道眞 不詳三座
      ・上記の祭神名は「三重県神社誌」から転載した。「平成祭データ」は猿田彦命も記している由です。

       合祀式内社:伊勢國多氣郡 火地神社     八柱神社    (油夫)
                  伊勢國多氣郡 須麻漏賣神社 須麻漏賣神社(平谷)
                  伊勢國多氣郡 守山神社     八柱神社    (神坂)
                  伊勢國多氣郡 穴師神社     八柱神社    (神坂)
            注記:明治末期の合祀政策により、37社の合祀の結果、社号を佐奈神社から佐那神社へ改称し、                                         佐那神社が生まれたと云います。
            ・合祀:明治41年1月8日、旧佐奈村地区の三十七社を合祀し、社号を佐奈神社から佐那神社へ改称。
                明治44年1月、古例により神宮から古材を受けて式年遷宮を行い、
                昭和18年10月8日、県社に昇格す。
                ・合祀神数:「天手力男命をはじめ二十六柱の神々」(式年遷宮の案内板)
                  「天手力男神を主神とし天宇受売神など二十三柱祭神不詳二座」(由緒石碑)
                              「主神以外に二十三柱の神々の名と不詳三座」(三重県神社誌)
               

 ここでは曙立王命には触れません。

<2-2> 舟木氏と佐那神社
 
   佐那神社について、原情報は未確認ながら、次の様な情報もあります。
       引用・神奈備:佐那神社の神職は(嘗て)舟木氏だった。

   ここでの関心は、この「式内社・佐那神社の神職は舟木氏だった」と云う指摘です。
 これは「舟木氏は神職となって天手力男神を祀っていた」事を意味し、舟木氏と天手力男神との関係が可成り近いことを示唆する重要情報なのです。
 

  だが、残念ですが、この指摘の根拠は示されていないので、この情報の採用は差し控えざるを得ません。

 

 中世或いは明治までは佐那神社神職は舟木氏だった証拠が示されると、話は一挙に「手力男命を祀る舟木氏は、その神裔にちがいない」と云う事になるのですが、・・。

<3> 天手力男命の伊勢祭祀

 神田田命を天手力男神に擬する場合は、天手力男命の祭祀は伊勢国に多く見られる筈です。
 そこで、天手力男命の祭祀を「三重県の神社一覧」(三重県神社庁)で探し求めます。
                   但し、伊勢神宮(内宮)の調べはここには入っていません。別枠です。
 その結果、伊勢の地には、天手力男命を祀る神社が18社も鎮座しているのです。
       注 天手力男命の祭祀は更に多いのかも知れません。調べ漏れもあり得ますし、「実は、歴史の途中で何らかの

     事情により、消えてしまった」と云うケースもあり得るからです。

  天手力男命の祭祀の地域分布は次の通りです。(神社名の前の数字は図表1の神社番号)
  ・多気郡     4    1佐那神社・ 2相生神社・3前野神社・4川添神社・(磐止神社・猛祭神社)
      ・伊賀市     5    5都美恵神社・6葦  神社・7手力男神社・8真木山神社・9神戸神社
    ・名張市   1  10箕曲神社
            ・亀山市   1  11関 神社
      ・四日市市    4  12神明神社・13 御薗神社・14大宮神明社・15 日永神社
      ・松阪市               1  16手力男神社
      ・伊勢市               1    18伊勢神宮(内宮)
  ・熊野市     1   17西山神社            

 

  図表1に天手力男命を祀る伊勢18社を示します。

 

 寸考を附します。

 多気郡に天手力男命の祭祀がこれだけ多いのは他の地域に比べて特異だと云えます。
 その原因として、「古事記」にも記された「式内(多気郡)・佐那神社」、或いは、伊勢神宮(内宮)の天手力男命の祭祀の影響が考えられます。
 
   だが、伊賀市に天手力男命の祭祀が多い理由は直ぐには見つかりません。
   強いて云うならば、伊賀には天手力男命を祖神として祀る人々がいたのです。

 亦、伊賀は、伊勢・伊賀国の他地域に比べてで、神社祭神に次の様な特異性を見ます。
  少し立ち入りましょう。

 第一に、阿波国の神々(その後裔)が伊賀国に到来した跡を見ます。
    ・阿波国で八倉比賣に妻問いした天背男命の祭祀は伊勢国内でも伊賀国のみにあり、その他の伊勢地には見当

     たりません。次に見るのは尾張国から常陸国に飛びます。
    ・天背男命の女・稚日女神も阿波神社に見られます。
       ・阿波神社(伊賀市下阿波)式内社 伊賀國山田郡 阿波神社
          祭神:稚日女神 猿田毘古命 火産靈命
          合祀:菅原道眞 火迦具土命 大物主命 少彦名命 速玉之男命 大山祇命 山王 八柱神
          由緒:873・貞観15年9月27日従五位上
            ・中世に阿波越後が阿波國から杉尾白鬚神を遷迎合祀した
             阿波君が氏祖を祀るか。江戸時代は「杉尾大明神」と称していた。

    ・この地から飛んで、稚日女神は「かぶらこさん」の愛称で志摩(鳥羽市安楽島加布良古)に祀られています。

          参照:志摩の祭祀5 かぶらこさんの謎 2023年06月06日
                 ・加布良古神社(鳥羽市安楽島加布良古)
                      祭神:稚日女尊
                                由緒:本来は加布良古神社として稚日女尊を祀っていたが、1096年の永長地震で壊滅した

                                             伊射波神社(安楽島二地浦贄)の移遷を受入れ、伊射波神社の名称を引き継ぎ、その後、
                        明応地震(1498年)で海没した神乎多乃御子神社の祭神:狭依姫命を合祀したので、
                                             現在は祭神は四神(稚日女尊・伊射波登美命・玉柱屋姫命、狭依姫命)の伊射波神社と

                                             して祀られている。
                       ・「かぶらこさん」の呼称は残っているが、現在の正式名称は伊射波神社です。
                          そこに到る経緯は次のブログ文をご参照下さい。
                             ・参照:志摩の祭祀1   別宮・伊雑宮の謎                               2023年04月20日
                                             志摩の祭祀2 神社移遷の因・・古代の南海トラフ地震  2023年05月09日
                                       志摩の祭祀3 神乎多乃御子神社の謎ー狭依姫命ー           2023年05月16日
                       志摩の祭祀4 贄神事の神と航海の護り神                  2023年05月23日


  第二に、粟皇神の祭祀が伊賀にあります。志摩にもあります。
            ・伊賀二社・阿波神社(伊賀市下阿波) 祭神:稚日女神 猿田毘古命 火産靈命
                 ・葦 神社(伊賀市上阿波) 祭神:粟皇神(市杵嶋姫命 田心姫神 湍津姫命=宗像三女神)
      ・伊勢志摩では鳥羽市安楽島の古名は粟嶋です。延喜式神名帳には次の様にあります。
           ・志摩国三座大二座小一座 粟嶋坐 伊射波神社     二座並大
                                同島坐 神乎多乃御子神社  小一座
    ・粟皇子神社(伊勢市二見町松下鳥取)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社で、且つ、式内社です。
      その祭神は須佐乃乎命御玉道主命(別名:淡海子神、宗像三女神)とあり、志摩にも二社あり。
         ・土宮神社(鳥羽市小浜町) 祭神:(古)粟海子神
           社伝:この社は元粟海子神を祭りたるもの。風波のため境内を壊す憂いがあり、伊浦の海岸に

                                     移せしも、この処もまた風波の被害を受け、正徳2年(1712年)、今の伊勢市二見町町

                                     松下に遷し奉り、村人その跡に、大土御祖神を斎き奉りし。
                  ・粟嶋坐神乎多乃御子神社(鳥羽市)  祭神:狭依姫命(市杵嶋姫命)


 安楽島では、粟嶋と称されていた頃、神乎多乃御子神社(小一座)の祭神・狭依姫命(市杵島姫神)は加布良古崎の前海にあたる長藻瀬という島嶼に祀られていました。
    ・葦神社(伊賀市上阿波)
       由緒・祭神:神功皇后の三韓征伐後、高良命が勅命により、宮を三所に分け
            ・大国主神・事代主神を芦谷へ葦神社として祀り、
            ・天日方命・奇日方命を別府宮として祀り、
            ・市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命を粟皇神として三女垣内に祀った。
          その他の祭神:天手力男命 少名毘古那命 布都御魂神 神功皇后あり。
         ・粟皇子神=道貴主・・市杵嶋姫命・田心姫神・湍津姫命を三女垣内に祀る。


  こうして、伊賀国(市)は、中々に伊勢の他の地域とは異なったユニークな神々を祀るのです。
 「天手力男神の祭祀」もその例外ではないのですが、現在の情報レベルでは、そのユニークさを説明出来ません。

  関神社(亀山市)は紀伊熊野坐神社の御分霊を勧請し、熊野三所権現社を称していた神社です。
  従って、今、関神社に祀られている天手力男命は先祀神か近隣からの合祀神と見るべきです。

  四日市市の四社は社名が神明社だったり、祭神構成(天照大神・天手力男神・万幡豊秋津師比賣)が内宮と同じところから見て伊勢神宮の分祠と思われます。

  西山神社の場合、住吉神も祀りますので、そこに舟木氏の影を見ます。

  参考まで、図表2には、伊勢について、天手力男命を祀る神社18社と天岩戸の3伝承地を地図上に示します。

 

 

2 天手力男命

<1> 仮説:天手力男命(太田田命亦は神田田命)は舟木氏の祖神である

  本報では「舟木等本記」から、「神田田命(亦は太田田命)は天手力男命と同神」説を仮説して、「伊勢国における天手力男命の祭祀」の背景を凝視しました。

  これを大胆に云い切れば、次の仮説となります。
   仮説:天手力男命(太田田命亦は神田田命)は舟木氏の祖神である

<2> 天手力男命を祖神に掲げる氏族

  ところが、天手力男命の素性を求めて、他説を追い有名な史書・家系図を探りまと、天手力男命は少なくとも四系の家系の祖神に組込まれています。

 各氏族が「天手力男命」を祖神の中に採入れようとして、大袈裟に云えば、神話で有名なこの力自慢の神を奪い合っているのです。天涯孤独と思いきや、・・。

  天手力男命を祖神に掲げる氏族は三氏、舟木氏を含めると次の四氏になりますが、他にもあるかもしれません。
       1忌部氏  ・・根拠資料:「斎部氏家牒」(大正4年、忌部正昻)
   2度会神主家・・根拠資料:「神代系譜」(江戸末期、平田篤胤)
   3紀伊家  ・・根拠資料:「紀伊国造家系図」()
   4舟木氏  ・・根拠資料:「船木等本記」(住吉大社神代記)


  その根拠資料をお示して、今回は終わります。

 

<3> 紀伊国の天手力男命

   真実は一つしかない筈です。だが、紀伊国造系図は夙に有名で、そこにはこれまで見てきた系図群とは異なる系譜が複数示されています。謎は解けずに、深まるばかりです。

 「紀伊国造家系図」とされる次の二系図は内容的に異なりますので、別途、調査検討が必要です。ここでは参考までに載せ、今後の検討課題として遺します。
       ・(出所A)は「望月系図」・・「諸系譜」第4冊(中田憲信編)
       ・(出所B)はウイキペディア「紀伊国造」