「心の御柱奉建」の情報を集めていた時のことです。
 「上棟祭は次の三儀式から成る」とあり、そこに「屋船大神を祭る儀」が含められていたのです。
      ・丈量の儀:正殿の中心「心御柱」から「瑞垣御門」までの距離が正しいか測量する、
    ・上棟の儀:棟上げの儀式、
    ・屋船大神を祭る儀:建築の神様に祈願する
                            (参照:前報 伊勢舟木2 「心の御柱」造りを宇治土公・大内人が担う理由
ワケ)

  「屋船大神」とは何なのか。この見知らぬ神の「謎」は解けないまでも、追い求めようと思ったが、そこでは採り上げるスペースがなく、本報で、「屋船大神」を採上げたのです。
 

 目次 1 現代の建築儀礼
           (1)  現代の建築儀礼
             <1> 建築儀礼
         <2> 建築神祭の現状
           <3> 上棟式祝詞
         (2)  屋船大神・式年遷宮上棟祭の神
          <1> 屋船大神・式年遷宮の諸祭の神々
          <2> 延喜式の大殿祭祝詞は斎部氏による
          <3> 大殿祭祝詞の中の斎部氏
          2 屋船神
         (1)  屋船大神の祭祀
          <1> 伊勢における屋船大神の祭祀
                      <2>  他地域における屋船大神の祭祀
              <2-1> 古斯(能登・加賀)・石川県
              <2-2> 淡海(近江)・滋賀県
              <2-3> 播磨・兵庫県
              <2-4> 紀伊・和歌山県
              <2-5> 土佐・高知県
         (2)  屋船大神は舟木氏の神か
          <1> 「屋船大神」は舟木氏の職掌に起源する神か
          <2> 「屋船大神」の名付け親は忌部氏だったか
 

1 現代の建築儀礼 
 

(1)  現代の建築儀礼

<1> 建築儀礼

  「屋船大神」は上棟式の神様だと知りました。
  先ず、建築儀礼(神祭)を調べました。式次第は略して、
 1 地鎮祭トコシズメノマツリ  :祭神は産土神と大地主神オオトコヌシの二神
 2 釿始祭チョウナハジメノマツリ
   ・社殿又は屋舎等を造営に用いる木材を木造り始める祭儀で、釿始祭 或いは 木造始祭とも云う。
   ・この儀は地盤既に成り、始めて斧斤(手斧)を下して建築工作に著手する式であるから、地鎮・

        上棟に亜ぐ儀として重んぜられる。
   ・祭神は木匠の祖神たる手置帆負命・彦狭知命の二神と所在の産土神を祀る。
 3上棟祭ムネアゲマツリ
   ・祭神は、木の神・屋船久久遅命、建物の神・屋船豊宇気姫命、工匠の神・手置帆負命・彦狭知

        命の四柱の神と産土神で、棟札にはその神名を記してあります。
       ・一般に中央の柱に棟札をつけ、梁の上に板などを並べて祭場を設け、神籬を立てます。
       ・棟木には、上棟幣といわれる大きな御幣、弓矢の作り物、日の丸の白扇などが飾られ彩り

            を添えます。いずれも魔除の標とされるものです。
 4 竣工祭:「神殿祭」「新室祭」
       ・完成の儀礼で、屋船久久遅命、屋船豊宇気姫命、産土神をお祀りします。
 5 遷座祭:
   ・御祭神の御神靈に新殿にお遷り頂くお祭りで、深更に斎行されます。
    これは「浄暗ジョウアンと云い、清らかで静かな夜に行われる最も重い祭りの条件です。
    神社の最も大切にする御神靈をお遷しする、御建替の祭儀中、最も重要なお祭である。
                                       (出所) 建築の神Pukiuki

 「レファレンスの協同データベース」は中々に有用な検索サイトです。
 「上棟式」をキーワードとして検索すると次の様に教えてくれました。
   ・上棟式(棟上げ)は、「建築儀礼の中で最大の祝い」と記されており、
     上棟式(棟上げ)の祭神として、
     ・土地の氏神 :産土大神、
     ・工匠の守護神:手置帆負命・彦狭知命、
     ・家屋の守護神:屋船久久能知命・屋船豊受姫命、

  その検索先として、次の出所を挙げ、検索結果、いずれも祭神は同じだとします。
    1『建築工事の祭式-地鎮祭から竣工式まで』「建築工事の祭式」編集委員会/編著 学芸出版社2001年
    2『すぐに役立つ建築の儀式と祭典-起工式から落成披露まで 改訂新版』(河内悠著鹿島出版会998年
    3『神道事典』国学院大学日本文化研究所編(国学院大学日本文化研究所/編・発行 1994年) 
      4『祝詞大百科事典』(西牟田崇生編著 国書刊行会 2008年) 
    5『住まいと暮らしの質問室』「室内」編集部編 新潮社 2009年
      6『図説民俗建築大事典』(日本民俗建築学会/編 柏書房2001年)
      7『こんなに身近な日本の神々-神道と私達の文化はどうかかわっているのか』安蘇谷正彦著(毎日新聞社2004年)


<2> 建築神祭の現状

  今、「建築儀礼」をサービス事業として立派に運営するケースもある事をネット学習で知ります。
   事例1:有限会社・神祭サービス(岐阜県岐阜市宇佐南4丁目2番13号)
             在籍・提携神職12名、設営作業者17名の会社、愛知・岐阜・三重を中心に全国対応
              ・提供する神祭サービス
                              1地鎮祭:個人住宅・一般企業の建築工事着手事に行う式典・祭神:A産土大神・B大地主神
                                2起工式:工事着手時の式典(公共工事での呼称が一般的)
                                                                                                 祭神:A産土大神・C手置帆負命・彦狭知命
                                3安全祈願祭:工事の安全祈願(施工者中心に行う) 祭神:A産土大神
                                      注:A土地の氏神、B大地の守護神・土地の氏神、C工匠の守護神、
                        4催事用具の貸し出し設営サービス
         事例2:ハウジングオペレーションアーキテクツ株式会社(Zenken株式会社が運営)
       事例3:積極的に建築神祭を案内している神社ケース
          多摩川浅間神社(東京都大田区田園調布)  祭神:国土守護神・大地主神
             その土地の守護神・産土大神・・お祭を行う地域の氏神及び崇敬する神々
             起工式を合わせて行う場合・・家屋の守護神:屋船久久能智神・屋船豊受姫神
                          ・工匠の守護神:手置帆負神・彦狭知神
                                      両守護神を合わせて奉納します。


<3> 上棟式祝詞

 以上を総括すると、現代でも正式な建築儀礼は古風を継いでいるようです。
  上棟式は建築の中でも最大の祝であり、関係する全五神をお招きして執行われると解します。
 まとめましょう。
     1地鎮祭では、その土地の産土ウブスナ神にご挨拶し、
   2釿始祭では、工匠の守護二神(手置帆負命・彦狭知命)に工事の安全を祈り、
   3上棟式では、産土ウブスナ神、工匠の守護神に加えて、家屋の守護神(屋船久久能知命・
           屋船豊受姫命)に祈り(神主が祝詞)を捧げるのです。

   そこで、次は、上棟式の祝詞の内容について検討します。
 上棟式祝詞は、地元神社の神職によらず、大工棟梁が読上げるケースも多くなっているようです。そのためか、「上棟式祝詞」は「本」として市販されている位です。

   ネット上にも現用の「上棟式祝詞」を見出せます。次の如くです。
  引用:(現用)上棟式祝詞
     掛
けまくもあやに畏カシコき、手置帆負命、彦佐知命、屋船豊受比賣命の大神等の御前に、畏カシコみも白モウ

     さく。先に木工こだくみ(大工氏名)が、(建て主氏名)の家を造り初むるに、加久多安カクタヤスからぬ事をば、
     我が須女神の御霊賜いて突立てたる柱、取挙げたる棟木、桁、梁の木組
キカイとよみなる事なく、打堅めたる釘

             の緩び、取葺トリフケる束ツカのそぎなく、千代常チヨトコに造り終しめ給えるに嬉び、今日の生く日の足る日

             に、彌イヤ喜びの主人と御酒・御饌・設マケたらはして、今も後も此の家を安宮ヤスミヤと、大神等タチの護り給

             いて、法則ノリのまにまに平らけく安らけく、成しおへしめ給へと、畏カシコみ畏カシコみ申す。
                     参照ネット: 1 広報部レポート「松崎夢の蔵」職人共和国、
               2 BASIS HAUS+- 寿鉱業 住宅事業部
                                  3 有限会社 栗駒建業、 


    ここでの注目は現用の「上棟式祝詞」では産土神も屋船久久能智神も登場しない事です。
 二神(産土神・屋船久久能智神)は大工棟梁の現用「上棟式祝詞」(参照ネットの諸例)では省かれている事をここに指摘しておきます。

 産土神は地主神ですし、屋船久久能智神は木の霊ですから、木造建築には欠かせない神様の筈なのです。この欠如は、<1>で調べた「建築儀礼」の諸書の記述とも合致しません。

  上の<1>、<2>では、いずれも建築儀礼・建築五神を正しく記述しており、現在も「建築儀礼」がそれに則り執り行っているかと思いきや、それとは異なる実施例が出て来たのです。
 何故、二神は含められていないのか。 

(2)  屋船大神・式年遷宮上棟祭の神

<1> 屋船大神・式年遷宮の諸祭の神々

 遷宮諸祭では、先ずは地鎮祭で氏神に建物を建てる許しを請い、その後の幾つもの祭事で、幾度となく屋船大神に祈りを捧げます。
   式年遷宮の上棟祭の神、及び、関連する諸祭の神々については次の参考表をご覧下さい。

 参考    式年遷宮における屋船大神その他の祭神
──────────────────────────────────────────
 1山口坐神:山口祭は、新宮の御用材を伐出すに当り、御杣山の山口坐神に伐採と搬出の安
                 全を祈る。御杣山は現在は木曽に定められているが、山口祭は今も神路山、高
                 倉山の山麓で行う。  
 2木本坐神:木本祭は、御正殿の御床下に奉建する心御柱の御用材を伐採するに当たり、そ
                 の木本坐神を祀る。古くより神秘の儀式とされ、真夜中に行われる。
 3大宮地に坐す大神:地鎮祭は、「とこしずめのまつり」と訓読みしますが、一般的には「ジ
                チンサイ」と音読みします。伊勢神宮では「鎮地祭チンチサイ」と云い、民間では
               「地祭ジマツリ」とも云われます。
        ・神殿や庁舎、校舎、一般住宅などの新築、土木事業の起工にあたり、その敷地
                   の神を祀り、土地の平安堅固をお祈りします。
      ・691・持統天皇5年10月29日条、「使者を遣はして新益京(藤原京)を鎮ひ祭らし
                   む」(日本書紀)とあり、これが文献上の地鎮祭の初見だとされています。
      ・地鎮祭の祭神は、「延喜式」神名帳所載の神祇官の座摩五柱神(生井神、福井神、
        綱長井神、波比祇神、阿須波神)
が祀られ、伊勢の神宮の鎮地祭祝詞では「大宮地に       坐す大神等」と奏上されます。
      ・今日、各地の多くの神社で行われる地鎮祭では神名を明らかにせず、「此の処を       宇志波伎坐す神等」と祝詞で奏され、あるいはその所在の産土神と大地主神が        祭られています。                  (出所) 地鎮祭について | 御嶽山御嶽神明社
 4立柱祭:御正殿の建築はじめに際し、御柱を建てるお祭りです。
             建物の守り神として崇められる屋船大神に平安を祈り、束柱を貫き支える足堅
       と四間樌の木口を小工が木槌で打ち固めます。
 5御形祭:御正殿の東西の妻の束柱に円形の図様を穿つお祭りです。
            「皇太神宮儀式帳」は御正殿竣功後に奉仕する秘儀と記す。
 6上棟祭:御正殿に棟木を上げるお祭りです。古儀の通りに測量をした後、神職と造営庁職
             員が棟木から伸びた綱を曳いて棟木を上げる。造営に関わる遷宮諸祭の中でも
               一際華やかなお祭り。
 7檐付祭:御正殿の御屋根の萱を葺き始めるお祭りで、屋船大神に祈りが捧げられます。
──────────────────────────────────────────
                                  (出所)  伊勢神宮の第62回式年遷宮https://www.isejingu.or.jp/sengu/the62nd/

  こうして、屋船大神(立柱祭・上棟祭)の他に、山口坐神(山口祭)・木本坐神(木本祭)・大宮地に坐す大神(鎮地祭)の三神を遷宮祭の中に確認したのです。

  上棟祭で屋船大神に建物の守護をお祈りした後、屋船大神のお札を屋根裏に収めるのが一般だと云います。

 「日本書紀」(神産みの段)に「木の祖、句句廼馳」とあり、別に第六の一書に「木神等を句句廼馳と号す」とあります。
   原文:次生海、次生川、次生山、次生木祖句句廼馳、次生草祖草野姬、亦名野槌。既而伊弉諾尊・伊弉冉尊、

                  共議曰「吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。
 
 木の神は、木俣神、大屋毘古神、五十猛神なども知られていますが、上棟祭の木の神は久久能智神だとされています。

 これらの神々が式年遷宮の諸祭事に登場するのです。
      ・土地の守り神「産土大神」、
      ・建築:工匠の守り神「手置帆負神・彦狭知神
       建物・屋船二柱大神・屋船久久能知命(家屋の守護神)・・「大殿祭祝詞」(是木霊也)
                ・屋船豊受姫命 (家屋の守護神)  ・・「大殿祭祝詞」 (是稲霊也)


  ここでの中心的な話題は「屋船久久遅命<木の霊>と屋船豊宇気姫命<稲の霊>」です。
 屋船豊受気姫命は稲霊なり、家屋守護の神と記され、「俗の詞に宇賀能美多麻といふ」(大殿祭祝詞)とあって、宇迦之御魂神と同神とされています。

 但し、不思議なのは、現代の上棟祭儀礼にある「建築:工匠の守り神」への祈りはここに記されていないことです。建築:工匠の守り神は具体的には「手置帆負神・彦狭知神」です。

  当然ですが、次節の山上伊豆母先生の解説でも「(大殿祭は)屋船久久遅・屋船豊宇気姫・大宮売の三神を祭る」とあり、「手置帆負神・彦狭知神」は大殿祭に含められていないのです。

 この疑問ー現代の上棟祭と遷宮上棟祭との違いーは次報で考える事にしましょう。

<2> 延喜式の大殿祭祝詞は斎部氏による

 神名・屋船大神は[延喜式の大殿祭祝詞](967・康保4年より施行)に基づいているようです。

 その「延喜式祝詞」(延喜式第八巻)の冒頭に、「御殿ミアラカ・御門等の祭には齋部氏の祝詞を申せ、以外の諸の祭には、中臣氏の祝詞を申せ」とあります。

  これにより、今、関心の「大殿祭祝詞」は齋部氏の祝詞だということが判ります。

 更に、山上 伊豆母先生の次の解説を参考とします。
 引用・大殿祭:(但し、一部、ひらがなを漢字化、句読点を加えて、箇条書き化している)
   ・(大殿祭は)屋船久久遅・屋船豊宇気姫・大宮売の三神を祭る
   ・恒例には神今食・新嘗祭・大嘗祭の前後に行われ、臨時には宮殿の新築・移居や斎宮・斎王の卜定の

            のち行われた。
   ・「古語拾遺」に記す由来によれば、太玉命の孫・天富命が諸「斎部」を率い天璽を正殿に安置し殿祭

    の祝詞を奏したのが本義。
   ・後に、中臣が参加して、(斎部氏に)並び、宝亀以後の中臣が斎部を率いるという奏詞は、中臣による

            後世の改変と云う。
   ・式次第:糸四両・安芸木綿一斤・筥四合・米四升・酒二升・瓶一口・盞二口・案二脚を揃え、
        中臣・忌部の官人、宮主、史生、神部、御巫らが奉仕、
        中臣は御殿の南に侍し、
        忌部は巽に向かって微声で祝詞を申す。
   ・祝詞には神殿構立が忌部の専業であった時代の呪術や呪言が含まれ、他に見られない古態が遺る。」
                            (出所)「大殿祭」(国史大事典)・・解説者:山上 伊豆母(元帝塚山大学教授)


 「國學院大學」の久々能智神についての解説では、「屋船神の謂れ諸説」を紹介しています。
      ・大殿祭祝詞に「屋船久久遅命〈是は木の霊なり〉」が見える。「屋船」は家屋全体をふね(槽、容器)に見立てた

           語とする説があり、家屋の神として祭られていることによる称と捉えられている。
      ・この神は、御殿の木材の神格化とする説があるが、また、山の神を祭って伐り出した材で造った神聖な柱、忌柱

           に宿った神で、樹木の神ククノチを家屋の柱に移して家屋の神として祭ったと捉える説もある。

<3> 大殿祭祝詞の中の斎部氏

 次に「大殿祭祝詞」の全文を載せますが、この内の赤字部をご確認頂くことによって、大殿祭の中の斎部氏を把握して頂きます。

 引用:大殿祭祝詞
  高天原に神留り坐す皇親・神魯企神魯美命以て、皇御孫之命を天津高御座に坐せて、天津璽の剣・鏡を 捧げ持ち賜ひて、言寿ぎ宣りたまひしく、皇我が宇都の御子皇御孫之命、此の天津高御座に坐して、天津日嗣を万千秋の長秋に、大八洲豊葦原瑞穂之国を安国と平けく知食シロシメスせと、言寄さし奉り賜ひて、天津御量以て、事問ひし磐根・木根立ち・草の可岐葉をも言止めて、天降り賜ひし食国天下と、天津日嗣知食す皇御孫之命の御殿ミアラカを、今奥山の大峡小峡に立てる木を、斎部の斎斧を以て伐り採りて、本末をば山の神に祭りて、中間を持ち出で来て、斎鉏を以て斎柱立てて、皇御孫之命の天之御翳・日之御翳と、造り仕へ奉れる瑞之御殿、汝屋船命に、天津奇護言クスシイハヒコトを以て、言寿ぎ鎮め白さく、此の敷き坐す大宮地の底津磐根の極み、下津綱根ツナネ波府虫の禍無く、高天原は、青雲の靄く極み、天の血垂飛鳥の禍無く、掘り堅めたる柱・桁・梁・戸・^窓の錯ひサカヒ動き鳴る事無く、引結べる葛目の緩び、取葺ける草の噪ぎソソキ無く、御床都比の佐夜伎、夜女の伊須須伎、伊豆都志伎事無く、平けく安けく護り奉る神の御名を白さく、屋船久久遅命<木の霊>と屋船豊宇気姫命<稲の霊>と、御名をば称へ奉りて、皇御孫命の御世を堅磐に常磐に護り奉り、五十橿御世の足らし御世に、田永の御世と福へ奉るに依りて、斎玉作等が、持斎まはり、持浄まはり、造り仕へまつれる瑞八尺瓊の御吹ぎの五百都御統の玉に、明和幣ニキテ曜和幣を附けて、斎部宿禰某が弱肩に太襁取懸けて、言寿ぎ鎮め奉る事の漏れ落ちむ事をば、神直日命・大直日命、聞き直し見直して、平けく安けく知食せと白す。
  詞別きて白さく、大宮売命と御名を申す事は、皇御孫命の同殿の裏に塞り坐して、参入り罷出る人の選び知しめし、神等の伊須呂許比阿礼比坐すを、言直し和し
ヤハシ坐して、皇御孫命の朝の御膳・夕の御膳に仕へ奉る比礼懸くる伴緒・襁懸くる伴緒を、手の躓・足の躓マカヒ為さしめずて、親王・諸王・諸臣・百官人等を、己が乖乖在らしめず、邪意・穢心無く、宮進めに進め宮勤めに勤めしめて、咎過在らむをば、見直し聞き直し坐して、平けく安けく仕へ奉らしめ坐すに依りて、大宮売命と御名を称辞竟へ奉らくと白す。
                      (出所) ・ 延喜式祝詞 神話の森、「延喜式(50巻)-書陵部所蔵資料目録・画像公開システム」巻8祝詞


 上の「大殿祝詞」では「斎部の斎斧で御殿ミアラカを建てる木を伐り」、更に下ると斎玉作、斎部宿禰が登場します。
 この「大殿祭祝詞」の内容からすると、齋忌部氏がこの祝詞を創った、と云えそうです。

 忌部氏は式年遷宮で極めて重い役割を担っていたと思われます。
 「心の御柱」の聖材を伐り出す木本祭にも「心の御柱奉建」にも忌部氏が祝詞を上げたと考えられます。
 注記 然し、これには別な神事役・中臣氏も関わることですので、どこまでが忌部氏の関与で、どこからが中臣氏の

            関わりかは、今回、集めた情報では明らかではありません。
   ・亦、忌部氏は中臣氏と共に神事役として上古は対等に活躍していたが、ある時期から忌部氏は神事役から見

           えなくなるのです。
   ・二氏の勢力争いは夙に有名です、。脱線して「特論 忌部氏の退場」(次報)でその経緯を探ります。


(3) 屋船大神の祭祀

  屋船久々遅命は木の祖・句々迺馳命に、屋船豊宇氣姫命は、稲霊・豊宇気毘売命に通じると云います。

  更に、草の祖・草野比賣(鹿屋野比売神)は、豊受毘賣命の幸魂だとする見方に支えられて、屋船豊宇氣姫命論議に深く入り込んでいます。
  これに関連するのは、「玄松子の記憶」の「屋船神」紹介記事です。
  ・屋船久久廼遅命は大殿祭祝詞に記された木神で、家屋の守護神・屋船豊受気姫命と共に信仰された。

  ・木の神・久久能智神と野の神・草野比売神を総称して屋船神と云い「御殿ミアラカの神」である。

 従って、屋船大神を広く理解するには、句々迺馳命と豊宇気毘売命の二神まで拡げて追い求めれば良いわけですが、本ブログは、最も狭く、「屋船久々遅命と屋船豊宇氣姫命の祭祀」に止めます。

ご了承下さい。

<1> 伊勢(三重)における屋船大神の祭祀

  屋船大神が式年遷宮に際して祀られることは上記の通りです。
 その影響でしょうか、それとも、舟木氏の祭祀の拡がりの故でしょうか。

   伊勢における屋船大神の祭祀は「草野姫命の祭祀」と微妙に絡んでいます。

 清野井庭神社(豊受大神宮摂社で式内社・伊勢國度會郡)はの祭神・草野姫命は別名・鹿屋野比売神命で、大山祇命の后神です。それが「屋船の神の分霊」だと云われているのです。

   興味をそそるのは「神名帳考證」の記述です。
 この「神名帳考證」は出口延経の遺稿を元に外宮祠官・桑原弘雄、弘世父子が完成させた「式内社考証」(1733・享保18年)だと云います。
  この「神名帳考證」が、清野井庭神社の祭神を屋船久々遅命・屋船豊宇氣姫命としているのです。

  亦、今社(祭神:鹿屋根姫命)は清野井庭神社の論社です。
                                ・伊勢の祭祀11 神大市比賣命の祭祀 2023年03月24日

 上社(祭神:久久能智神)の境内には、式内社三社(志等美神社ー外宮摂社ー祭神:久久能智神、大河内神社ー外宮摂社ー祭神:大山祗神、打懸神社ー外宮末社ー 祭神:打懸明神)が鎮座しています。
    ・志等美神社(伊勢市辻久留)、式内社 伊勢國度會郡 豊受大神宮摂社)祭神:久久能智命

  能原神社と大山祇神社も、式外社ですが、草野姫命を祀ります。
      ・能原神社(四日市市中村町)祭神:草野姫命・天御中主神・天照大神
        ・大山祇神社(鳥羽市鳥羽)  祭神:大山祇神・草野姫命・猿田彦命


 こうして、屋船大神の伊勢祭祀は、本来の木神・句句廼馳命(久久能智神)よりは草神・草野姫命(鹿屋根姫)との密接な関係を持ちつつ、現代に受け継がれている様に思われます。

<2>  他地域における屋船大神の祭祀

  全国を眺めると、「屋船大神の祭祀」が神社祭祀に明確に読み取れる地域は次の六県です。
         ・石川・滋賀・兵庫・和歌山・高知・三重(上述)

  そこで、伊勢(三重)を除く五県について祭祀状況を寸論します。

<2-1> 古斯(能登・加賀)・石川県

   石川県は式内社・天日陰比咩神社が天日陰比咩大神と共に屋船久久能智命を祀ります。
 加えて、配祀神として豊受大御神も祀り、屋船神祭祀の色を濃くしています。
        ・天日陰比咩神社(鹿島郡中能登町二宮子、式内社 能登国 能登郡)
         祭神:天日陰比咩大神、屋船久久能智命
       相殿:(二宮神社)伊須流支比古大神 大己貴命 応神天皇 大昆古命
           (配祀)崇神天皇 印色之入日子命 建御名方命 伊弉諾大神 菊理媛命 大山咋命
             天照大御神 豊受大御神 罔象女神 波多八代宿彌命 二宮水天宮 
                 宮司:船木清史、禰宜:船木清崇


   更に注目すべきは、天日陰比咩神社の宮司・祢宜の方々は舟木姓であることです。

 舟木姓は越前・越中・能登に多いのには理由があるのです。
 今まではご紹介する機会がありませんでしたが、「舟木等本紀」には「古斯乃國」(越前・越中)に移住した舟木氏(伊瀬川叱古命の弟・木西川比古命)がいると記されているのです。
     ・「船木等本記」:木西川比古命が伊刀比女乃命(葛城は阿佐川麻ー御所市朝妻)との子・田田根足尼命が 古斯國君

                               の女・止移奈比女乃命との間に三子を儲けます。
                            ・その三子(乎川女乃命、馬手乃命、口以乃命)は古斯乃國君等に在せり。

 

   この記述は、伊勢舟木氏・伊瀬川叱古命の弟・木西川比古命の系統は越前・越中・能登に移住して、一勢力を形成した事を推測させます。

 平城宮跡出土の一木簡(能登国珠洲郡ー七尾市)は「舟木部が庸六斗」と記し、「古斯乃國」の舟木氏の歴史的な活動の残滓です。

 亦、大伴家持の能登郡巡行の時読める歌に「船木伐る能登島山」が歌い込まれており、そこが造船用材の伐採場だったことを国司・大伴家持が知っていたからこその万葉歌なのです。

 「鳥総トブサ立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立繁しも 幾代神びぞ」(4026)
   現代文:鳥総(木の梢や枝葉)を立てて船材を伐り出す能登の島山よ。今日見ると木立が茂り、
       幾代を経てかくも神々しいのか
       注・鳥総トブサ:木の梢や枝葉の茂った先の部分。昔、山神を祭る為に木を切株跡にこれを立てた。

                                               [コトバンク]
             参照:「天平20年出挙の諸郡巡行歌の特質」 森斌


   この古代能登の「舟木関わり」の余波は現代にも及んでいます。
 富山(500*)・石川(360)・福井(160)の三県に夥しい船木・舟木姓が残存しているのです。
             注 *括弧内の数字は、「名字由来」(ネット)による、舟木・船木姓の概略人数を示します。

 亦、石川県は句句廼馳命(久久能智神)の祭祀が濃厚な地域でもあります。
 数え漏らしがあるかも知れませんが、次の如くです。注 括弧内は「神社」を略した神社名です。
     ・輪島市   : 8社(高洲・伊勢・二俣・伊須流岐・伊須流・加志原・青木・下河㑹)、
   ・中能登町: 2社(天日陰比咩・鳥屋比古)、
   ・羽咋市  :1社(御門主比古)

         ・志賀町  :1社(罔象女社)
   ・金沢市  :2社(市杵嶋・戸室)


  この屋船神や句句廼馳命の祭祀の多さは舟木姓・船木姓の多さと関係しているとの見方は許されるかも知れません。
  草野姫命の祭祀も見かけます。
   ・草野姫神社(石川県羽咋郡志賀町草江)祭神:草野姫命
   ・額神社  (石川県かほく市高松)祭神:野蛟神 伊弉諾尊 事代主神 桜井三郎左衛門命
      由緒:当額之社は、往古より横山鎮座賀茂神社の摂社にして、同社祭神賀茂別雷神の祖母神草野姫及び

         伊弉諾神を奉斎し、金津庄高松の鎮守と尊崇来れり。(境内由緒書)
        ・当所は、加賀国より能登国に通じる街道にして街道の南、河北潟より七窪を経て当社に至る街道

         は、おまん狐の出でし所にして南入口に天星神を奉斎し、街道の中程には地蔵堂を、北部なる古宮

         の地に野の神なる草野姫を奉斎し奉り、旅人の安全を祈願す。
        ・草野姫叉の御名を以て野蛟明神と奉称す。


  追加します。金沢市の戸室神社も屋船久久廼智神を祀ります。
   ・戸室神社(金沢市戸室別所町)祭神:天照大御神、屋船久久廼智神

<2-2> 淡海(近江)・滋賀県

  滋賀県甲賀市に屋船神社が二社あり、ここでは屋船神が明示的な神社名となっています。
  ・屋船神社(甲賀市甲南町森尻、矢川神社境内社)
     祭神:屋船久久遅命(樹木の神)・屋船豊宇気姫命(稲穂の神)
           ・「日本書紀」に記される句句廼馳ククヌチは、家の木材の神とし、続いて生まれた草の祖「草野姫」

        と、「延喜式」祝詞に記載される 屋船豊宇気姫命は、同一神で、米と藁などの神とされ、家の屋根

        の葺き草を司る神であるとした。
               ・家屋は、木を材料にして造り、葺き草で覆う。故に、木神と草神とを並べて奉り、屋船神として祀っ

        たと云う。  (神道大辞典より抜粋)
           ・矢川神社境内社祭神:大己貴命、配祀:矢川枝姫命
      ・屋船神社(甲賀市甲南町宝木楓ノ木)・・矢川神社の境外社 大字宝木の産土神
  ・舟木屋敷跡(東近江市福堂町)


  舟木郷(近江国蒲生郡)の名残は近江八幡市船木&小船木町、及び、船木湊に遺りますが、舟木神社は見当たりません。 注:近くの神社・・日牟礼八幡宮・青根天満宮・諏訪神社・日吉神社

 亦、舟木地名は高島市安曇川町南船木&船木浜、船木関にありますが、こちらも屋船・舟木に繋がる神社を見ません。

 屋船神社の遺存は重要な歴史遺産と云えるでしょう。

<2-3> 播磨・兵庫県

   兵庫県明石市には屋船豊受大神が伊弉冊神社に祀られています。
    伊弉冊神社(別名・佐奈岐神社、明石市岬町)配祀神:素盞嗚大神・屋船豊受大神

   この地域の舟木氏は「住吉大社神代記・船木等本記」に判然と記されています。
   加古川上流から下流まで舟木氏の祀る住吉神社が分布し、中流の小野市舟木町と下流の明石市舟上町が舟木氏の拠点だったことが確認されています。詳しくは次のブログ文をご覧下さい。
                                        参照:天火明命の河内降臨7 「謎」多い船木族の系譜 2019年08月21日

  今、明石市に舟木地名がありませんが、古代には明石郡舟木村があったのです。
    引用:一。御封寄さし奉る初
     明石郡の封は元、寄進れるところなり。
     船木の村。船木連宇麻呂が戸を頭と為し五烟進依りき。田二百代。
     黒田の村。船木連鼠緒(ねずを)が戸を頭と為し十烟進依りき。田百代。
     辟田の村。船木連弓手(ゆみて)が戸を頭と為し十烟進依りき。田四百代。(出所) 「住吉大社神代記」


  屋船豊受大神を祀る伊弉冊神社(別名・佐奈岐神社)の鎮座は、古来、舟木氏が加古川流域で活動してきた事情と符合します。

  兵庫県の日本海沿岸域は、古代、但馬国・丹後国だった地域です。丹波を含めれば、総じてこの地域は「豊受毘賣命」の故地です。
 だが、屋船神としての「豊受毘賣命」を感じさせません。今後の検討に遺します。

<2-4> 紀伊・和歌山県

   三船神社は木霊屋船神と工匠の神・彦狭知命を祀ります。
   ・三船神社(和歌山県紀の川市桃山町神田)
       祭神:木霊屋船神、太玉命、彦狭知命、摂社:丹生都比売命、高野御子神
       由緒:太玉命は、高御産巣日神の子で、重要な祭具の創造神。
          彦狭知命は、太玉命の孫・天富命に率いられて山から木を伐採して、神武天皇の正殿を造営した

                          ことから「楯縫い、木工の神」として知られる。
                              ・「日本三代実録」861・貞観3年7月2日条:授紀伊国正六位上御船神従五位下


   紀伊国には五十猛命とその姉妹二神も「木の神として」祀られています。

   確かに、木霊・屋船神の祭祀を認めますが、舟木(地名・人名・神社名)は見出しません。

<2-5> 土佐・高知県+四国(徳島・愛媛)+淡路国

 土佐南国市の屋船豊宇氣姫命は豊岡上天神社に祀られています。
    ・豊岡上天神社(南国市岡豊町常通寺島、式内社) 祭神::屋船豊宇氣姫命


 徳島では草野姫神(別名・野椎神)が鹿江比賣神社ほかに祀られています。だが、屋船神との関係を明示するものはありません。

        ・鹿江比賣神社(徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻、大麻比古神社境内)
    ・鹿江比売神社(徳島県板野郡上板町神宅宮ノ北、大山寺のある大山の麓)式内社

      由緒:鹿江比売神社は葦稲葉神社に合祀されている
             ・摂社の「殿宮神社」が並んで鎮座、当社北の大山に大山寺あり。山神・大山津見神鎮座。
         ・鹿江比売神は草野姫と同神とされている。
   ・羽浦神社(阿南市羽ノ浦町中庄千田池)祭神:野椎神ほか

   ・八幡神社(阿波市市場町香美字八幡本)祭神:萱野媛命ほか

   ・岡上神社(板野郡板野町大寺字岡山路)祭神:豊受姫命


 四国の舟木地名は、1徳島県美馬郡脇町船木、2新居浜市船木(元船木村)、に見出します。
   ・船木神社(新居浜市船木、元船木村)祭神:大山積大神
   ・伊太祁神社(四国中央市土居町土居、旧宇摩郡)祭神:樹木神・五十猛命

 

 淡路市北淡町舟木は古代の淡路国津名郡で、石上神社が鎮座しています。

 その祭祀は古くは太田氏と日置氏が当たり、近くに太田所と言う集落あり、太田姓が多い。
 日置氏も太田氏も日神祭祀に関わったのでしょう。舟木氏も居たようで、恐らく太田氏と同祖だったか。・・と記すのはネット上の神奈備氏です。

 

 相変わらず、四国・淡路は奥深く「謎」を遺していますが、ここは触れるだけで済まします。

 

2 屋船大神は舟木氏の神か

 「屋船大神」の名称は中々に示唆深いものがあります。
  抑も、何故、上棟式なのに「屋」と「船」の神に祈るのでしょうか。
    ・学者先生の中には「屋船とは家屋を船に模した」説を唱える方も居られますが、これは採れません。

<1> 「屋船大神」は舟木氏の職掌に起源する神か

 建築の代名詞は「屋」で良いが、「船」は不要な筈なのです。
   だが、そこには「秘密(理由)」があるのです。

   その「秘密」(理由)は舟木氏の職掌にあると見ます。
   それは舟木氏が、その祖・太田命(太田田命)以来、「森林から木材を切り出す」氏族だったから、

木の霊の象徴である木神・句句廼馳命(久久能智神)、或いは、草神・草野姫命を祀っていた、と思われるのです。

  豊受毘賣命は草野姫命の幸魂とも云われているようです。平田篤胤の見解です。
  この平田説に推されて「草野姫命の祭祀」も上に追ったのです。

         ・草野姫命については、平田篤胤は「豊宇氣毘賣神は草野神の幸御魂神」とします。

    ・「古史成文」(平田篤胤):豊宇氣毘賣神(亦云を略す)。此神之幸御魂神。謂木神久久能智神。亦云木祖神。

                 次野神草野比賣神。亦名野椎神。亦云草祖神。
                     亦合此二神而號 屋船神。即御殿之神也。

 

  他方、神道五部書の一「伊勢二所皇御大神御鎮座傳記」には「屋舩命は木靈・久久遅命なり。稲靈・豐宇加能姫命なり」とあります。

  「豊受皇太神御鎮座本紀」は、それを総括して「屋舩命は草木の靈なり」とします。


 舟木氏は、一方では「森林から木材を切り出」して船を造り、他方では「森林から木材を切り出」して神社(屋)を建築する氏族だったのです。
   ・舟木氏については、その造船技術は「神功皇后の遠征船の建造故事」で、神殿造りの技術は「住吉大社」について

  知られています。                                     参照:「住吉大社神代記・船木等本記」

 経営する森林の木材を船材とし、或いは、宮殿・神殿用の聖なる建材とする時、神事を行うのは

古代の慣わしだった筈です。

   その時、宇治土公家に舟木氏の血統が合わされているが故に、屋(家屋)と船(舟)の神は合体されて「屋船大神」と呼ばれていたのだ、と推定します。

 こうして、上棟式の神は「屋」+「船」=「屋船大神」とされたのだと云えると思います。

   宇治土公・大内人の役割は、様々な神事に加えて、「心の御柱」造りの大役を含みます。
 これは前報した通りです。その「心の御柱」造りに関連する諸祭事には様々な神々に祈りを捧げますが、「屋船大神」は舟木氏の職掌に起源する神だったのです。

<2>「屋船大神」の名付け親は忌部氏だったか

   舟木(地名舟木・舟木氏・舟木神社・太田命)は屋船大神(屋船久久廼智神・屋船豊宇氣姫命)と繋がる筈だ、との推測に基づき、本ブログは各地の舟木・屋船神を探索しました。

 未だ、充分な傍証とまでは云えないかも知れません。だが、やや断定的に申述べます。


 亦、式年遷宮の「屋船大神」の名付け親は忌部氏だった可能性が高い、と見ます。

 近く「特論 忌部愁想」を企画します。