目次1 伊瀬川叱古命
          (1) 「住吉大社神代記・船木等本記」に見る舟木氏系譜を読む
      <1> 「神田田命は天手力男神である」説
      <2> 地名・舟木と舟木神社
      <3> 東条川流域の舟木遺跡群と神社群:
      <4> 三つの類推
    (2)  伊瀬川叱古命は伊瀬玉移比古女乃命を娶る
          <1>  葦立弖神社の祭神:玉移良比女命
      <2> 宇治土公の祖・太田命が寄進した宇遅之国
      <3>  太田命は宮川流域(度会郡・多気郡)に祀られている
    (3) 結論:舟木氏・太田命は宮川上下流の沿岸に展開した
      <1> 伊勢に展開した舟木氏の総合図表
      <2> 「イセツヒコ伊勢津彦」の接続ならず

1 伊勢川叱古命

   西播磨揖保郡林田里の「伊和大神の御子・伊勢都比古」に対比して、東播磨には「伊瀬川叱子」が登場し、それが伊勢国多気郡大紀町の舟木神社へと繋がる、と見ます。
 だが、この見方が正しいのかどうかは検しなければなりません。本ブログの役目です。

  これまで集め、検討対象としている伊勢津彦三系は次の通りです。

  第一の伊勢津彦は「伊勢津彦シリーズ」の主役です。
         ・「伊勢国風土記(逸文)」は 伊勢津彦は出雲建子命ー天夷鳥命系」と記しています。
    「伊勢津彦シリーズ」はこの「伊勢国風土記(逸文)」から始まったのです。
                                                                  参照:伊勢津彦の謎1 出雲神の上古系譜    2023年08月21日

  第二の「伊勢都比古」は「播磨風土記」(揖保郡林田里)によりその存在が知られます。
   ・そこに「山の峰におられる神は伊和大神の御子・伊勢都比古・伊勢津比女」だとあり。
                  参照:伊勢津彦の謎9 伊勢都日子は伊和大神の御子・・「播磨国風土記」2024年01月02日

  第三の「伊瀬川叱古命」は「船木等本記」(住吉大社神代記)に記載があります。

    ・ 伊勢都比古命は「播磨国風土記」での名ですが、「船木等本記」(住吉大社神代記)では伊瀬川叱古命と記さ

             れています。

   ・ そこに「神背都比古命の児、天売移乃命の児、富止比女命を娶って伊瀬川叱古命を生む。」とあり、この

            「川」を「ツ」と読ませているのです。

 今回の対象はこの「伊瀬川叱古命」です。
 その周辺の吟味を進めることにより「伊勢津彦の謎」が一層深まることになるのです。

 尚、これに加えて、第四の「伊勢命」があり、これは、今回、取り上げません。
 近い将来始める「礒部の謎シリーズ」の中で、若干ですが、触れることになるでしょう。
   ・伊勢命:伊勢命神社(島根県隠岐郡隠岐の島町久見字宮川原)隠岐国穏地郡 名神大社    祭神:伊勢命
            

(1) 「住吉大社神代記・船木等本記」に見る舟木氏系譜を読む

 住吉大社の神官・船木氏の祖について「船木等本記」(住吉大社神代記)に次の様な伝承があります。                                                       参照:天火明命の河内降臨7 「謎」多い船木族の系譜 2019年08月21日

 1「大田田命の子、神田田命の子、神背都比古命。この神が天売移乃命の児、富止比女命を娶って       生んだ児は、長子は伊瀬川比古命で、この神は伊瀬玉移比古女乃命を娶られて、この伊勢国の船

     木に鎮座している。」
          原文:[大]田田命子。神田田命子。神背都比古命。此神者。天賣移乃命兒。冨止比女乃命娶生兒。先者

         伊瀬川比古乃命。此神者。伊瀬玉移比古女乃命娶坐。此伊西國舩木在。 (出所)   船木等本記
 

  2「昔、日神をお出し申上げたのは宇麻、鼠緒、弓手ら。亦、遠祖・大田田命の兒・神田田命も

     をお出し申上げました。 注 呂、及び、神は原文では欠けています。
        原文:昔奉レ出二日神一宇麻〔呂〕。鼠緒。弓手。等 遠祖大田田命兒。神田田命奉レ出二日[神]一。
       注:三舟木(宇麻呂、鼠緒、弓手)は別に記述あり、明石郡の海岸縁の三村の首長です。
         参考・原文:御封奉寄初 明石郡封元所二寄進一。
                           船木村。爲レ頭二船木連宇麻呂戸一五烟進依。田二百代。
                                 黒田村。爲レ頭二船木連鼠緒戸一十烟進依。田百代。
                                 辟田村。爲レ頭二船木連弓手戸一十烟進依。田四百代。 (出所) 船木等本記


  以上は重要な記述なので、次に、逐一、読解・確認して行きます。
                但し、これらの引用は一部なので、ご不審の向きは原文(ネット上にあり)をご参照願います。

<1> 「神田田命は天手力男神である」説

 伊瀬川比古命から見て、大田田命は曾祖父、神田田命は祖父、神背都比古命が父神です。
 そして、祖父・神田田命は、「大田田命の児・神田田命が日神をお出し申上げて」は「膽駒神奈備山本記」にも同じ記載がある神人です。

 「日神をお出し申上げる」の意味は「何処かに隠れている日神を表に引出す」のですから、この

 神田田命を天岩戸神話の天手力男神に擬する人がいても可笑しくないのです。

  これは「神田田命は天手力男神である」説を有力視する根拠となります。
                    だが、今の処、ネット上にはそのように発信する人を見ません。

 この「神田田命は天手力男神である」説については、今はこれだけに留めます。
 だが、次報「日神をお出し申上げるー天手力男命」(仮称)で更に論じることになります。

<2> 地名・舟木と舟木神社(度会郡大紀町舟木)

  伊瀬川比古命は「大田田命の孫・神背都比古命」の長子です。別に次子・木西川比古命がおりますが、ここでは略します。

 この伊瀬川比古命は伊瀬玉移比古女乃命を娶り、伊西国の船木に鎮座すると云います。
  「伊西国の舟木」は度会郡大紀町舟木と見ます。そこには確かに舟木神社が鎮座しています。

  舟木神社は伊勢国度会郡の滝原に少なくとも二社あります。
 現在、一社は独立して舟木神社(大紀町舟木)に鎮座し、もう一社は大滝神社に合祀されています。
       ・舩木神社(三重県度会郡大紀町船木)
   ・大滝神社(度会郡大紀町滝原、岩滝神社とも云う)
      祭神:国狭土神
     合祀神:八柱神(正勝吾勝勝速日天忍穂耳命・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野櫲樟日命・
                                                                  田心姫命・湍津島姫命・市杵島姫命)
         太田命・大宮比売命・倉稲魂神・大物主命・素盞嗚命・大山祇命・木花開耶姫命・磐長姫命・

                        天津日高彦火瓊瓊杵命・火産霊命・埴安比売神・金山彦命・武甕槌命・建御名方命・
        誉田別尊・足仲彦尊・気長足姫尊・菅原道真・祭神不詳三座,
     由緒:崇神天皇58年巳春、豊鋤入姫命より倭姫命に事寄せ給う。
        崇神天皇60年未冬、此地の西南十曲ケ国獄に(天照大神の御魂が)降臨したという。その事を秋志野々宮

                                                (阿紀神社に比定)で、宇多の大采称奈ノ命へ教へ給ひ、直に迎え奉り鎮座されたと。
       ・垂仁天皇25年丙辰春、倭姫命行啓の時、大田命の啓行によってこの地に至り給い、 (天照大神の御魂

                        が)この岩滝の上りに鎮座されたことが古老の伝えに残っている。
         ・1871・明治4年以来、村社、
         ・1875・明治8年12月、郷社となる。
       → ・1907・明治40年11月20日、岩滝神社境内社・船木(太田命)・三瀬川の各社を合する。
               阿曽村八柱神社およびその境内社、他の阿曽各社を合祀の上、
         ・1908・明治41年10月9日、滝原長者野に移転・合祀、大滝神社と単称する。以下略
                                                                                                 (出所) 三重県の神社一覧、神社検索(三重)、


 上記の船木神社の祭神は不明ですが、大(岩)滝神社の祭神は合祀のため大変多いです。
 その中に気になるのが「太田命」です。

  上の由緒の中で→で示す部分にご注目下さい。
 岩滝神社境内社・舟木神社の祭神は太田命となっています。明治の合祀策で大滝神社の祭神に採

り入れられたのです。   但し、この船木(太田命)の情報出所が今判らなくなっています。目下、捜索中です。

  ここでは、舟木氏は舟木神社に太田命を祖神として祀っていたのです。「住吉大社本記」の云う「太田田命」ではなく「太田命」です。ここに「祖神・太田命は太田田命である」説が生まれます。

 今、この住所は大紀町舟木になっていますが、古代の「舟木」は舟木氏の拠点として、今より廣い地域を指す地名だった可能性もあります。
 この界隈に彌生遺跡や古墳時代の遺跡も出土する筈ですが、未だ満足な報告を見ません。

 この「言い」は播磨東部の舟木氏拠点の状況からのアナロジー(類推)による予言です。

<3>  東条川流域の舟木遺跡群と神社群:

  それを説明するため、話は、一寸、播磨に飛びます。
 播磨国東部に同じ地名・舟木があり、そこは舟木氏の拠点だったことが明かされています。

 これは、既にご報告済みですが、ここで、もう一度、播磨国東部の舟木氏拠点を展望します。
 伊勢の舟木氏拠点との比較を試みるためです。

 そこは、現在の兵庫県小野市舟木町です。

 ここには、住吉神を祀る複数の神社あり、古代の舟木遺跡・舟木古墳群あり、です。
 この近辺は縄文・弥生~古墳時代の遺跡が多く、氏子区域内からは三ヶ処に弥生遺跡が発掘され、船木高町遺跡(弥生後期)と山麓は古墳群が続きます。
    ・愛宕山古墳(南・小野市中谷町)、
    ・横山古墳 (東・東条町松沢)、
    ・船木古墳群(西の小野市船木町芝打野一帯から北山を経て中番町東野に展開)・・船木1・2・3号墳
      ・船木高町遺跡(弥生後期)


 この「神ノ木」に古代は社殿がなかったでしょうが、原始的な祭祀社が弥生時代までさかのぼる

可能性がある、と云う人もいます。
 一例の垣田神社は「東条別宮」として加古川左岸の中心的な住吉神の祭祀社です。
     ・垣田神社(小野市小田町住社)延喜式内社、
        祭神:表筒男神、中筒男命、底津男命 配 神功皇后
            由緒:899(昌泰2)年、醍醐天皇の勅使・藤原公方が奉幣の儀があり、垣田大神の勅号を受けた。
           901(延喜元)年に、神功皇后を配祀した時、垣田住吉大神と称す。
                  ・式内・住吉神社と比定され、論社となっている住吉社は更に次の三社だと云います。
                 ・加東市上鴨川571、 加東市下久米67、 小野市垂井町908


   他方、坂合神社(住吉神社)は、「酒見神」として、加古川右岸の中心的な住吉神祭祀社です。
 両社とも「住吉大社神代記731(天平3)年」に記された住吉大神の宮・九箇処の内の一社とされています。

 別に、管田神社の祭祀は、元々、天目一箇命を祀っていたところへ、後来の船木族が住吉三神の

祭祀を行うに至り、管田神社の祭神に住吉三神が加えられたようです。
       ・ 管田神社(小野市菅田町568)式内社
             祭神:天目一箇神 表筒男神 中筒男命 底筒男命
           由緒:延喜式・菅田神社は、初め菅田首の一族がその祖神・天久斯麻比止都命を奉じて菅田字南垣内に鎮座
                       していたところ、後に摂津住吉大社の神領となると、住吉三神を配祀し、住吉神社と改称します。


 次の図表1は前報からの流用です。加古川の河口部には魚住・住吉神社もあり、上流から、河口まで舟木氏により住吉神が祀られているのです。
                          参照:天火明命の河内降臨5  播磨・東条川沿岸の住吉神 2019年07月31日

 

 

 尚、「住吉大社神代記」には次の記載があるので、明石郡(現・明石市)に地名・舟木があったことを確認します。
   引用・「住吉大社神代記」明石郡封元所二寄進一。
                 船木村。爲レ頭二船木連宇麻呂戸一五烟進依。田二百代。
                 黒田村。爲レ頭二船木連鼠緒戸一十烟進依。田百代。
                 辟田村。爲レ頭二船木連弓手戸一十烟進依。田四百代。


 こうして、東条川(加古川中流域へ流入)沿いの船木村と加古川河口~海岸部の船木村が共に存在していたことが確認出来るのです。

  亦、「住吉大社神代記」の中にある「膽駒神南備山本記」には次の様に記されています。
   引用:大八嶋國天下奉レ出二日神一者。船木遠祖大田田神也。

<4> 三つの類推

  この播磨・東条川の舟木所縁の三点セット「A地名としての舟木町があり、B舟木氏が祀る神社あり、Cその周辺に古遺跡あり」のアナロジー(類推)が伊勢・宮川上流の舟木に当て嵌まるだろう、と考えるのです。

  即ち、A 舟木町あり     ・・伊勢国大紀町舟木
     B 舟木氏の祀る神社あり・・舟木神社・大滝神社+太田命祭祀(後述)あり
           C 周辺の古遺跡あり  ・・未発掘

  それで、生意気にも「この界隈に彌生遺跡や古墳時代の遺跡も出土する筈」としたのです。
  この大紀町舟木界隈は、残念ながら、発掘を動機付ける建設計画事案が少ないと見ますので、未発掘は続く可能性の方が大きいでしょう。
   ・大紀町の遺跡:
   1 野添大辻遺跡(大紀町野添)宮川右岸の台地上(標高約65m)にある縄文時代と中世(鎌倉〜戦国時代)の集落跡。

            野添には伊勢神宮から滝原宮・熊野への「滝原道」が通る。
   2 樋ノ谷遺跡(大紀町神原)
   3 野手遺跡() など縄文時代早期〜中期の遺跡、
   4 大紀町錦町での収集土器は語る
    ◇三重県大紀町で1950年代に発見の土器破片は奈良県など畿央から運ばれた可能性があると云う。
      ・三重県大紀町教育委員会:
      熊野灘に面した大紀町錦地区で1950年代に見つけた土器破片約20点が、奈良県桜井市の纒向遺跡(国史跡、

                3世紀初め~4世紀初め)での出土土器と同じ土質と判ったと発表した。
      ヤマト王権の東西交易を裏付ける貴重な資料だと云う。
      ・約20点は甕や高坏などの破片で、海岸部に位置する名古遺跡(約4千年前~江戸中期)などで地元の中学生ら

               が収集した。
            ・いずれも近畿中央部に起源がある「庄内式・布留式」系の土器片(同町教委が保管)。
          ・桜井市纒向学研究センターの橋本輝彦統括研究員が調べた結果を語る。
          ・ヤマト王権の伸長が著しい時期の土器が畿央から持ち込まれた。錦地区で発見されたことで、周辺は有力者

               がいた東西交易の拠点港だった可能性があり、土器が持ち込まれるくらい畿央と密接な関係性があったと思

               われ、相当数の人々が行き来していたのではないか。
     ◇ 錦神社(度会郡大紀町錦151)祭神:武速須佐男命・天之忍穂耳命・天津彦根命
       ◇ この錦地区は、神武天皇軍が「丹敷戸辺」を誅伐した地との伝承あり。


  こうして、三点セット(地名・舟木、祭祀、弥生遺跡~古墳)の捜索は、神社や弥生遺跡の情報が不十分な点が残念ですが、そこそこの成果を挙げたと云えるでしょう。

  亦、この場合は、伊瀬宇治の海岸部に別な逸話(伊瀬川比古と伊瀬玉移比古女之命の聖婚)を見出した点がプラスです。

 

(2) 舟木氏系・伊瀬川比古命は伊瀬玉移比古女乃命を娶る

  ここで、図表2に舟木氏の略系譜を「住吉大社記」から作成し、ご案内します。

 



 

<1>  玉移良比古女乃命は伊勢・葦立弖神社の祭神

   ここに見る伊瀬玉移比古女乃命は葦立弖神社の祭神:玉移良比女命の事だと推測します。
 葦立弖神社は、伊勢神宮内宮末社なのに社殿廃絶のため、内宮摂社の国津御祖神社に同座しています。

 祭神・玉移良比女命は宇治都比女命(国津御祖神社の祭神・宇治比賣命と同神)の子とされ、この地の産土神とされています。伊瀬玉移比古女乃命はこの地の産主神と結ばれたのです。
    ・国津御祖神社・葦立弖神社(伊勢市楠部町字尾崎)
       祭神:(国津御祖神社、式内社、皇大神宮摂社)祭神:宇治比賣命・田村比賣命
          (葦立弖神社、皇大神宮末社)     祭神:玉移良比女命
               由緒:玉移良比女命は宇治都比女命(国津御祖神社祭神・宇治比賣命と同神)の御子、産土神。
         参考:大土御祖神社・宇治奴鬼神社(伊勢市楠部町尾崎)は国津御祖神社・葦立弖神社とほぼ同一鎮座地に在り。


  系譜は、国津御祖神→宇治比賣命→玉移良比女命=伊瀬玉移比古女乃命となっており、国津御祖神の正体を知りたいところです。
  これまでの調べを基にすると、国津御祖神は大年神の子神・大土御祖神、或いは、大国玉神だろうと推考されます。

<2> 宇治土公の祖・太田命が寄進した宇遅之国

   注目は、葦立弖神社は、大土御祖神社・宇治奴鬼神社と極めて近接して鎮座しており、四社の鎮座地は伊勢市楠部町で、そこは宮川の右岸です。亦、宮川左岸には宇治奴鬼神社跡地があります。

   この界隈は古代に「宇遅之国」と呼ばれていたのではないでしょうか。そして、宇遅の地は、宇治土公の祖・太田命が、倭姫命に神宮鎮座地として献上したとされるのです。

 「倭姫世記」によりますと、垂仁朝、伊勢に到着した倭姫命に、太田命は自領を「五十鈴川の畔の<さこくしろ宇遅の国>」ですとご案内し、神田を献上します。
 太田命はこの五十鈴川上の地主神だったのです。
    (注) 「倭姫世記」では、太田命を「猿田彦神裔・宇治土公の祖」としていますが、それは鎌倉時代に「倭姫世

       記」を纏めた何者かの仕業です。「伊勢の祭祀13 宇治土公の秘密 2023年04月08日」では「宇治土公 

       の祖は太田命、遠祖は大土御祖命」を提案しています。


 「宇遅之国」は、「宇治山田の地域」(狭義)を想定すれば、先ずは良いでしょう。
   ◇狭義の宇治:伊勢市宇治山田地区、伊勢市役所では進修地区と修道地区に分けて捉える。
         ・進修:宇治館町  ・内宮の鎮座地。大部分が神宮林。
                    伊勢神宮皇大神宮(内宮)・荒祭宮・風日祈宮 - 内宮境内の別宮
                    五十鈴公園 - 旧神宮外苑。
            ・宇治今在家町・北部は宇治橋前であり、内宮の鳥居前。
                   ・南部は度会郡南伊勢町まで続く広大な山林
                   ・宇治橋・岩戸屋
            ・宇治中之切町・内宮鳥居前町の中心部。赤福本店・百五銀行内宮前支店
            ・宇治浦田・宇治浦田町
         ・修道(古市丘陵)・桜木町・中之町・古市町・久世戸町、
                  倭町(山田の一部)・中村町字桜が丘


 だが、広義の「宇遅之国」は更にその外郭地域・宮川右岸域を含むと考えます。
  それは、五十鈴川から宮川までの地域は陸続きであり、この地域には多くの伊勢神宮摂末社が鎮座していることから、ここまでを広く「宇遅之国」と捉えるべきではないか、と考えるからです。

 今回、取り上げた四社もこの領域にあるのです。
     ・国津御祖神社・葦立弖神社(伊勢市楠部町字尾崎)
     ・宇治山田神社・那自賣神社(伊勢市中村町字西垣外)
            祭神(宇治山田神社):山田姫命                         式内社、皇大神宮摂社
            祭神(那自賣神社) :大水上御祖命・御裳乃須蘇比賣命     皇大神宮末社
     ・宇治乃奴鬼神社跡(伊勢市楠部町乙42-7)


   興味深いのは、太田命は倭姫命を宮川上流の滝原まで案内していることです。
  それは次の様な大滝神社の社伝により判るのです。
  引用:「垂仁天皇25年丙辰春、倭姫命行啓の時、大田命の啓行によって、この地に至り給い、(天照大神の御魂が)

                  この岩滝の上りに鎮座されたことが古老の伝えに残っている。」(大滝神社社伝、上掲)

  この伝承は、大田命の勢力圏は宮川上流域の滝原・舟木から川下の「宇遅国」(伊勢市)まで広かったのではないか、とする見方を支持します。

 

<3>  太田命は宮川流域(度会郡・多気郡)に祀られている

  確かに、太田命は「倭姫命世記」に登場します。次に「倭姫命世記」(神話の森)から引用・要約しますので、ご確認下さい。
   登場順序 1 五十鈴川の後の江に入ると現れたのは佐美川日子、祭祀社:江神社
          2 神淵河原で参上したは宇遅都日女。後江で、御饗を奉った。
        3 その時、猿田彦神の裔、宇治土公の祖の大田命が現はれ、「さこくしろ宇遅の国」と領地を紹介し、

                       御止代の神田を進った。
                       ・倭姫命が「吉き宮処あるや」と問ふと、「さこくしろ宇遅の五十鈴の河上は、大日本の国の中にも

                          殊勝なる霊地あるなり。その中に、翁三十八万歳の間にも未だ視知らざる霊物あり。照耀くこと日

                          月の如くなり。惟ふに、小縁の物に在らじ。定めて主の出現御坐さむとする時に、「献るべし」と

                          思ひてここに敬ひ祭り申す。」                                            (出所) 「倭姫命世記」神話の森
        注 さこくしろ:拆鈴サクスズのついた腕飾り。拆釧には多数の鈴がついているので、「多くの鈴」の意の「五十

                                鈴イスズ」と同音の地名・「いすず」にかかる。     (出所) コトバンク

  そして、伊勢国での太田命の祭祀は次の様に六社もあります。だが、伊勢の他の地域には見ない祭祀です。

 図表3  太田命の伊勢三重祭祀
─────────────────────────────────────────────
・ 川添神社(多気郡大台町栃原)式内社、伊勢國多氣郡 相鹿牟山神社二座
      祭神:建日別命・天手力雄命・八柱神・国狭槌命・句句廼馳命・誉田別命・蛭児命・軻遇突智命・
         太田命・倉稲魂命・大宮女命・保食神・大己貴命・天照大神・天児屋根命・大山祇命・
                   金山彦命・高産土神・神産土神・木花咲耶姫命・菅原道眞・埴山姫命・素戔嗚命
・ 大滝神社(岩滝神社、度会郡大紀町滝原)
      祭神:國狹土神、大山祗命、木花開耶姫命、磐長姫命、火産靈命、迦具都智命、軻遇突智命、
           太田命・大宮比売命、倉稲魂命、宇加之魂命、天津日高彦彦火瓊々杵命、金山彦命、八柱神、
         埴安比賣命、金山毘古命、大物主命、武甕槌命、武速素箋鳴命、
         譽田別命、足仲多命、気長足姫命、建御名方命、菅原道眞、磐の命、神名不詳三座
・ 頭之宮四方神社(度会郡大紀町大内山)
    祭神:唐橋中将光盛
          合祀:建速須佐之男命、大山祇命、倉稲魂命、太田命、太田姫命、金山比古命、大内但馬神、
         八衢毘古神・八衢毘売神、久那斗神・火産霊神、誉田別命、八柱神
・ 七保神社(度会郡大紀町野原、通称 野原神社)
      祭神:八柱神
                ・大山祗命、鹿屋野姫命、火産靈命、金山彦命、椎喬親王、天照皇大神、天太玉命、天兒屋根命、

        ・木花開耶姫命、天津彦彦火瓊々杵命、猿田彦命、天鈿女命、伊弉冉命、譽田別命、菅原道眞、
      ・大田命、少彦名命、倉稲魂命、大宮姫命、大己貴命、彌波能賣命、埴安比賣命、入鹿大臣、
・ 豊玉神社(伊勢市西豊浜町)
          祭神:太田命、大宮姫命、倉稲魂神、大山祇神、火産靈神、暮日尊、朝日尊、坪井御前天尊、
・ 稲荷神社(洲崎濱宮神明神社境内、四日市市海山道町)
    祭神(稲荷神社):太田神・倉稲魂神・大宮能売神・大己貴命・保食神
        (神明神社):天照大御神・面足命・惶根神・仁徳天皇・建速須佐之男命・宇迦之御魂神・
              大山祇命・火産霊神・火之迦具土神・菅原道真公・保食神・倭姫命
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    (出所) 「三重県の神社一覧」及び「神社検索(三重)」から抜粋引用
                                                 参照:伊勢の祭祀13  宇治土公の秘密 2023年04月08日


  この六社の祭祀には注目すべき点があります。
  ・第一に、その殆どの祭祀が宮川流域(度会郡<3社>・多気郡<1社>)にあることです。
      ・最上流は宮川支流の唐子川沿岸にある頭之宮四方神社(大紀町大内山)です。
       この神社は、1191・建久2年の創建で、祭神:唐橋中将光盛卿は桓武天皇の後裔とされます。

       亦、「あたまの宮さん」として、特に首より上の諸祈願に信仰を集めているようです。
       だが、ここでは、太田命がその合祀神に含まれていることに注目します。
       この近辺に祀られていた小社が明治末期になって合祀されたのです。
       そのような小社は、ここだけでなく、伊勢の各地で合祀されたのです。
       中には、祭神を遺さずに消された小社も少なくなかったと思われます。

    ・第二に、この六社に共通する共祀神(大宮比売命・倉稲魂命・大山祇命・火産靈命)が見出せるのです。
                  その共祀の意味は、合祀経緯を勘案しなければ厳密なことが云えないので、今は、深入りは避けます。

                    しかし、いつも一緒に祀られていることは何か理由ワケがありそうです。
    ・第三に、稲荷神社(図表3の6番目)のある四日市市には「伊勢舟木首」の伝承が多々あります。
              ・「伊勢舟木首」の伝承は次報で扱うことになります。

        太田命を通して、伊勢南(度会郡)と伊勢中部(朝明郡)との繋がりが見えるかも知れません。
       ・次の焦点は耳常神社(四日市市下之宮町、伊勢国朝明郡鎮座)となる可能性があります。


(2)  結論:舟木氏・太田命は宮川上下流の沿岸に展開した

   今は、以上の検討により、舟木氏は伊勢・宮川の上流から下流にかけての沿岸部に展開していた、と見ることが出来ます。

<1> 伊勢に展開した舟木氏の総合図

 ここで、 これまでに調べ検討した諸情報を図表4に一括記載します。

 

 図表4をご説明します。
  1 現代の舟木姓の方々の居住状況を紫マークで示します。

   ・現在、舟木姓の人々は津市・松阪市にシフトしており、伊勢市に僅かあり、

   ・宮川上流に舟木氏拠点(滝原の大滝神社・舟木の舟木神社)を確認したにも関わらず、大紀町には

    舟木姓の居住者はいないようです。参考表をご覧下さい。
  2 緑⛩は太田命の六祭祀で、宮川の上流から下流まで展開しています。 
   ・伊勢国の宮川上流の舟木社に舟木氏祖神・太田命の祭祀あり、下流域には「宇遅国」あり、          です。片や、「舟木氏等本記」は「伊瀬川叱古の祖神に太田田命あり」と云います。
       ・太田命の六祭祀社(図の下から右上方へ)

        1 頭之宮四方神社・2 大滝神社・3 川添神社・4 七保神社・5 豊玉神社、6 稲荷神社
                             ・但し、6稲荷神社(洲崎濱宮神明神社境内、四日市市海山道町)は上図に示せていません。

     ・この事実を突き合わせて「太田命は太田田命と同神」説を仮説として提出します。

    いずれ、本格的にこの仮説を論じる時が来るでしょう。
                    ・太田田根子命と同神、亦は、同系の神人と見る人は別に居ますが、。

  3 黒⛩は伊勢神宮関連の神社(上流は滝原宮、下流は内・外宮)です。
  4 赤⛩は舟木氏関わりの神社です。
   ・伊瀬都叱古と伊瀬玉移比古女乃命(葦立弖神社の祭神:玉移良比女命)との聖婚あり。
  5紫の○の中に☆印は宝塚古墳です。
       ・宝塚古墳出土の「舟形埴輪」については、このシリーズの最後に検討します。

 

 

<2> 「イセツヒコ」三表記の接続ならず

  イセツヒコは、1伊勢津彦、2伊勢都比古(播磨西部)、3伊瀬川叱子(船木等本記)の三表記があり、予てよりその同神性、血統接続姓などの関係があるのではないか、と疑いを抱いてきました。

 だが、本報では祖の関係を解明出来ず、未だ、その関係性を把握するに到っていません。
 

 いずれ、最終判断を示しますが、「謎」に終わるかも知れません。

 

 尚、「舟木氏シリーズ」は次の三報(仮称)で終える予定です。

      本報:伊勢舟木1    伊勢川叱子命と伊西(勢)・舩木神社

      次報:伊勢舟木2 「心の御柱」造りを宇治土公・大内人が担う理由ワケ

     次々報:伊勢舟木3  日神をお出し申上げるー天手力男命

      続報:伊勢舟木4  伊勢舩木直と銅鐸祭祀

     続々報:伊勢舟木5  宝塚古墳出土の舟形埴輪

                 場合によっては、「舩木・礒部シリーズ」に移行するかも知れません。