出雲基礎シリーズは出雲神の祭祀の基礎データ集めを図るものです。今はその序の口だけです。
将来、時間が許せば、今、追求中の「伊勢逍遙」程度には掘り下げたいと思っていますが、鍵は、働きが大分劣化しつつある、私の、頭脳の健康寿命です。
今は取敢えず来春までに「伊勢逍遙」を終えて、更にその後に続く予定を済ませたいのです。
今回は「大国主命の出雲祭祀」を中心に集め、コメント解説・独自見解の陳述は「ほぼナシ」で進めて、「出雲古史」前の手探りの情報集めとします。
目次 前報1 須佐之男命一族の出雲祭祀
(1) 須佐之男命の后神と裔神
(2) 須佐能男命の出雲祭祀
(3) 須佐之男命の事績伝承
本報2 大国主命一族の出雲祭祀
(1) 大国主命の名称
<1> 日本書記の用法・・大己貴命を主とする
<2> 古事記の用法 ・・大国主命を主とする
<3> 風土記の用法(出雲国・播磨国の場合)・・多彩
(2) 大国主命の系譜
<1> 大国主命の系譜
<2> 大国主命の后神・子神・孫神(風土記等記載分)
(3) 大国主命系譜の孕む矛盾
<1> 大国主命と天孫族の相互位置
<2> 大国主命の須勢理姫命との婚姻は無理がある
<3> 日本書記・古事記・新撰姓氏録の三史料の記述に見る矛盾
次報 (4) 大国主命の出雲祭祀
(5) 大国主命の后・子・孫の出雲祭祀
1 大国主命の系譜と出雲祭祀
(1) 大国主命の名称
「大国主命」は通説では次の名称の神々と同神に扱われています。
参考表 大国主命の12の別名の記載元
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(左欄) 赤表示は「日本書記」・青表示は「古事記」・紫表示は「新撰姓氏録」でその表記使用を示す。
(右欄):の次に「出雲国風土記」・「播磨国風土記」の夫々に登場する郡郷名でその出所を示す。
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1大己貴命・大穴牟遅神
2大国主神・大国主神・大国主・大国主大神
3顕国玉神・宇都志国玉神・杵築大神
4国作大己貴命
5大穴持命・大名牟知命・大名持神 :出雲・意宇郡母理里・山代郷、仁多郡三処郷・三沢郷、
6所造天下大神・所造天下大穴持命 :出雲・意宇郡拝志郷・宍道郷・出雲の神戸、島根郡美保郷
・楯縫郡玖潭郷、出雲郡美談郷・宇賀郷、
・神門郡八野郷・高岸郷・多伎郷、飯石郡多禰郷、
・大原郡神原郷・屋代郷・屋裏郷・木次郷、
7大物主命・大物主 :播磨・美嚢郡志深里
8大汝神・大汝命 :播磨・揖保郡稲種山、飾磨郡伊和里・枚野里)、
・神前郡船岡里、賀毛郡上鴨里
9葦原志挙乎命・葦原色許男神・葦原醜男神:播磨:宍禾郡(比治里・柏野里・御方里)
10八千矛神・八千戈神 ・揖保郡揖保里・美嚢郡志深里
11伊和大神 :播磨・宍禾郡(安師里・雲箇里・多駝里)、神前郡船岡里
飾磨郡(英賀里・伊和里・出水里)、託賀郡黒田里、揖保郡香山里
12幽冥主宰大神:(出所) 出雲教 「出雲教祖霊社」
大国主大神は多くの名をお持ちですが、「幽冥主宰大神カクリヨシロシメスオオカミ」とも申し上げ、霊界
を治める御神徳をお持ちです。その由来は『日本書紀』にある、大己貴神(大国主大神)が高皇産霊尊の国譲り
の勅に対して「吾が治らす顕露事アラワナルコトは、皇孫スメミマ治らしたまふべし。吾は退りて幽事を治らさむ」
と答えてお隠れになったことに因ります。
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<1> 日本書記の用法・・「大己貴命」を主とする
「日本書記」は「神代上」を通じて「大己貴神」を基本的に用いているが、「大国主命」も混用しているのが目に付きます。 「日本書紀」(神代上、八岐大蛇退治)の項に、次の如くあります。
(本文) 素戔嗚尊、八重垣を作り、妃と夫婦の営みをされ、大己貴神が誕生した。
(一書第一) 素戔嗚尊が稲田姫と産んだ子が清湯山奴士、名は狭漏彦八嶋野。この神の五代孫が大国主神です。
(一書第二) 生まれた六代孫を大己貴命と云う。
(一書第六)大国主神は、大物主神、国作大己貴命、葦原醜男神、八千戈神とも云う。
<2> 古事記の用法・・「大国主命」を主とする
「古事記」は基本的に「大国主」を用いています。
「古事記」は八咫大蛇退治の後、櫛名田比売と為した子神・八島士奴美神が大山津見神の女・木花知流比賣とが初祖として大国主神がその世孫だとします。
そして、そこに、大国主神の五つの別名が紹介されています。
・大穴牟遅神・葦原色許男神・八千矛神・宇都志国玉神
尚、大國魂大神は大国主神を指すのではなく、大年神の御子神とされています。
<3> 風土記の用法
「出雲国風土記」は「所造天下大神・所造天下大穴持命」を主に用います。
「出雲風土記」に「所造天下大神・所造天下大穴持命」とあるのは国土(天下)を創造した神と見ているからでしょう。
・所造天下大神/大穴持命は[出雲風土記]で最も登場回数が多い神、
・「越の八口」を平定、出雲帰還後に意宇郡母里郷で国譲りの宣言を発した。
・大原郡では八十神を討つために行動を起こしている。
「播磨風土記」での表示は多彩です。通説では次の神々は大国主命だとされています。
・大物主・大汝命・葦原醜男神・八千矛神・阿菩大神・伊和大神
「釈日本紀」を引用先とする「風土記」(逸文)では、大穴持命(伊予)・大己貴(尾張・伊豆)・大穴六道尊(土佐)が記されています。
元来、「大国主命」は「大国の主アルジ」と読め、大国を支配する領主と見ることが出来ます。
用例は次の通り。
例1:彦主命は「丹波の玖珂耳御笠の乱」を平定すると、天皇はその功を賞し、
丹波・多遅摩・二方の三国を与えた。彦坐王は大国主と呼ばれた。
・彦坐命と丹波道主命(彦多都彦命)
先ず、彦坐命は「玖珂耳御笠の乱」を鎮圧し、大丹波(但馬・丹後・丹波)を治める大国主となり、その息・
丹波道主命は、その名が示す通り、「丹波道」の首長となり、後裔たちは因幡から若狭に至る、謂わば、
大丹波諸国の国造になります。
丹波道主命自身は、因幡国造として彦多都彦命を名乗り、丹波川上摩須郎女を娶り、二人の娘達は垂仁
天皇の后妃となります。
・天皇はその功を賞し、彦坐王に、丹波・多遅麻・二方の三国を賜う。彦坐王は諸将を率いて多遅麻粟鹿県
に下り、刀我禾鹿宮に居した。姓を日下部足尼(宿祢)と賜い、諸国に日下部を定める。
これによって彦坐王は国造より上の大国主となった。 (出所) 但馬ネットで風土記
例2:物部大売布命は日本武尊に従い、東夷征伐を賞し、摂津の川奈辺(川辺郡)、多遅麻の気多郡、黄沼前(城崎郡)
の三県を与えられ、大売布命は多遅麻の気多郡に入り、気多の射楯宮に在した。多遅麻物部氏の祖である。
・大売布命は364・神功皇后2年5月21日、気多の大県主・物部連大売布命が薨ず。射楯丘(気多郡高田郷石立)
に殯す。 式内・売布神社(豊岡市日高町国分寺)祭神:気多大県主・物部連大売布命
・物部連大売布命の子・物部多遅麻連公武を多遅麻国造とし、船穂足尼命の娘・美愛志姫命を妻にし、物部連
多遅麻毘古を生み、美愛志姫命の弟・宇留波命を夜父県主とする。
・九世孫・物部多遅麻連公は、景行天皇の御世、大連を拝命し、石上神宮を祀った。
(出所) 但馬国ネットで風土記
注記・新撰姓氏録:山城国神別天神 真髪部 神饒速日命7世孫大賣布乃命之後也、
和泉国神別天神 志貴県主 饒速日命7世孫大賣布命之後也
・「但馬故事記」(但馬国司文書):9世紀編纂
・尾張古論10 伊福部考(8) 物部大売布大連の祭祀 2020年03月17日
大国主命と上記した諸神との同神性はいずれ検討しなければなりませんが、ここでは通説に従っています。
(2) 大国主命の系譜
大国主命の系譜は次の様に纏めました。
大国主命の后妃は多く、その子神に至っては181柱に及ぶと「日本書記(一書第一)」は伝えます。
従って、参考図はその一部でしかなく、不備な面がある事を覚悟しなければならないです。
<1> 大国主命の系譜
大国主命の系譜を参考図1に示します。
Ⅰは「古事記(神産みの段)」にある「大山祇神と鹿屋野比賣命(野椎神)」に依ります。
Ⅱは「古事記(八岐大蛇退治)」及び「須佐之男命の神裔譜」に基づきます。
Ⅲは后1・2・3・4・5・6は「古事記」の次の各記述に依ます。
その子神は:
・后1・2:「出雲風土記」
・后3 :事代主命后・摂津三島溝樴姫系列の系譜を「」
・后4 :「但馬故事記」
・后5 :「古事記」(沼河比賣への求婚譚)
・后6 :「古事記」(大国主命の神裔譜)
<2> 大国主命の后神・子神 (1) 風土記等記載分
参考図表3は大国主命の后神・子神の一覧表の一部*です。
注 その余の后神・子神については次報・付属資料に載せます。
調べが進む程に、特に日本海沿岸部での大国主命及び子神の祭祀社が続出します。
参考図2の世代順位で、大国主命は大山第7位、子神は第8位、孫は第9位にあります。
<3> 阿陀加夜奴志多岐喜比賣命
「出雲国風土記」が記す阿太加夜神社(松江市東出雲町出雲郷)の主祭神・阿陀加夜奴志多岐喜比賣命は、大国主命の御子で出雲郷アダガエの守護神であった、とされます。
・阿太加夜神社(松江市東出雲町出雲郷)
祭神:阿陀加夜奴志多岐喜比賣命 國之底立命 須佐之男命 淤母陀流命 訶志古泥命
境内社:稲荷神社 祭神 宇迦之魂命
雨風神社 祭神 奥津彦命 奥津姫命、級長津彦命 級長津姫命
兵庫神社 祭神 松岡兵庫頭
由緒:当社は大那牟遅命の御子阿陀加夜奴志多岐喜比賣命外4柱を祀り、鎮座年歴不詳である。
・天平5年の「出雲国風土記」に記され、貞観元年7月11日正五位下を授けられている。
(出所) 島根県神社庁、 「延喜式神社の調査」もこれを踏襲する。
・阿陀加夜努志多伎吉比売命の祭祀:
・阿太加夜神社(松江市東出雲町)
・高野宮(松江市大垣町、秋鹿村誌)
・多伎神社(出雲市多伎町)
・多伎藝神社()
・市森神社(出雲市稗原町)
参照:大国主命の妃(宗像4)2017年08月20日・・・図表4 大国主命の妃と子神たち
奈良時代に出雲臣が本拠を出雲国西部の現・出雲市(大社町を中心とする)に移動した様です。
東の意乎郡大庭から西の杵築へ移住したのは出雲国造第26世果安の時だ、と「出雲国造世系譜」(出雲国造家の伝承)、「富家の伝承」にある由です。
阿陀萱神社(鳥取県米子市橋本623)
由緒:古事記(712年)によれば大国主命は大勢の兄神様と一緒に八上姫へ求婚のため因幡国への途次、因幡の
白兎を助けた縁で結ばれ出雲の直会で多岐喜姫(当社祭神)が生まれ給う。因幡国へ里帰りの途中、多岐
喜姫は榎原郷橋本邑の榎の俣に指を挟まれ此処に留まり鎮守神として祭祀された歴史ある古社です。
・阿陀萱神社由緒書に、735・天平6年9月15日、合祀の宗像神社祭神を安芸国厳島神社より勧請した旨
の記述あり。
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異聞1:阿太加夜奴志多岐喜比賣命は、実は宗像三女神の次女・多伎津姫のことだ、と富氏は記します。
宗像氏の始祖・吾田片隅王は6代出雲大名持・臣津野の子で、その娘・三姉妹が宗像の三女神です。三女神の長
女・田心姫は7代大名持・天之冬衣王に嫁ぎ、8代少名彦(八重波津身=事代主)を儲く。次女・多伎津姫は8代
大名持・八千戈王に嫁ぎ、味鍬高彦を儲けた。こうして出雲王家は血の結束を高めていきます。
・「雲陽誌」(1717年)は出雲江の項にある説明の中で、
「大穴持命の御子・阿陀加夜怒志多伎吉比売命は神門郡多岐に坐となり、今此里に阿太加夜社勧請なるへし」と
多伎神社(現・出雲市多伎町鎮座)から勧請したと説明しています。
・多伎神社は西出雲王家「神門臣家」の領地・神門郡にあり、その主祭神は阿陀加夜努志多伎吉毘賣命です。
・神門臣家出身の八千戈王(大国主)に嫁した多伎津姫は、大国主が死ぬと、意宇郡アダカヤに住む姉・田心姫を頼
って移住んした。
異聞2:大国主と多伎都姫の間には、三子あり。
・「高照姫」は火明・徐福が妻にと求め、これに応じた。
・「美良姫」は葛城に移住したクシヒカタに嫁ぐ。
・「アジスキタカヒコ」は出雲に残り、神門臣家当主として当家を守り続けた。
彼は第九代少名彦となり、同大名持の富家「鳥鳴海」と共に、出雲王家を受け継いだ。(出所)今は不詳
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(3) 大国主命系譜の孕む矛盾
こうして、大山祇命を上祖とする複数の系譜を繋げて系図化し、複列の系譜を併置すると、この
大国主命の系譜(参考図2)が孕む矛盾が見えてきます。
<1> 大国主命と天孫族の相互位置
「系譜の孕む矛盾」は、大国主命の国譲りに登場する天孫族の系譜上の位置にあります。
ご説明します。
木花之佐久夜毘売・櫛名田比売・木花知流比賣は大山祇命の女ムスメですから、大山祇命を世代順位1とすると、これら三女は系譜上の世代順位は2です。
それを意識して、図表1で木花知流比賣の子孫を辿ると、大国主命は世代順位7です。
他方、順位2の木之花佐久夜毘売は天忍穂耳尊の子・ニニギと婚して天皇家の源を創ります。
天穂日命はニニギの叔父、その子・天夷鳥命はニニギの従兄弟ですから、夫々の順位は天穂日命が世代順位2位、天夷鳥命は順位3と見て良い筈です。
従って、国譲り神話に登場する天孫族は、天穂日命・天夷鳥命・伊佐我命の三代だと思われ、 夫々の系図上の順位は 2、3、4です。
ところが、大国主命の順位は7ですから、天孫族の系譜とは大幅なズレが認められるのです。
古代は、出産コントロールはしていませんから、10人の子を産むことはあり得ます。
すると、第一子と第十子との年齢差は20才以上になることもあるので、第一子は第十子の生まれた時には、既に次世代の子を産んでいることがあるので、世代のズレが生じます。
それでも大国主命と同時代の天孫族三代の世代格差は4~5世代ですから、説明出来ない、若しくは、説明し難い事態です。
<2> 大国主命の須勢理姫命との婚姻は無理がある
大国主命は須佐之男命の女ムスメ・須勢理姫命を妻神にする説話は「古事記」に詳しく、亦、杵築(出雲)大社の摂社・大神大后神社(祭神:后・須勢理毘売命)とある事からも「須勢理姫命が大国主命の妻神」説は通説化しているのがか判ります。
しかし、古事記の伝える「系譜(図表1)」では、大国主命は、須佐之男命・木花知流比賣の子孫で、その世代順位は7番目なのです。
須佐之男命の子神・須世理毘売命と大国主命との婚姻には無理があります。
「日本書記」(本文)は明らかに大己貴神(大国主命)を素戔嗚尊の子としています。
(本文)素戔嗚尊、八重垣を作り、妃と夫婦の営みをされ、大己貴神が誕生した。
系譜が正しいとすれば、この二つの伝承間の隔たりは、須勢理毘売命と婚した大国主命と世代順位は7番目の木花知流比賣裔の大国主命とは別人であることを示唆しているのです。
別な見方では、須勢理姫命を巡る神話は虚構であるか、歪曲されている可能性があります。
<3> 日本書記・古事記・新撰姓氏録の三史料の記述に見る矛盾
より具体的には、次の参考図表に日本書記・古事記・新撰姓氏録の三史料の記述を引用して、その世代記述の矛盾した姿を見ることが出来ます。
参考表 日本書記・古事記・新撰姓氏録の三史料の記述に見る矛盾
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1 日本書紀・本文 :素戔嗚尊の子神 ・大己貴命
2 ・第一の書:素戔嗚命の五代孫・大国主神
3 ・第二の書:素戔嗚命の五代孫・大己貴命
4 古事記 ・建速須佐之男命の七代孫・大国主神(父:天之冬衣神、母:刺国若比売)
譜:1建速須佐之男命、2八島士奴美神、3布波能母遅久奴須奴神、4深淵之水夜礼花神、
5淤美豆奴神、6天之冬衣神、 → 7大国主神
5 新撰姓氏録:566大和国神別地祇 大神朝臣 素佐能雄命六世孫大国主之後也
原文注:初大国主神娶三島溝杭耳之女玉櫛姫。夜未曙去。来曽不昼到。於是玉櫛姫績苧係衣。
至明随苧尋。経於茅渟県陶邑。直指大和国真穂御諸山。還視苧遣。唯有三。因之号姓大三栄
現代語訳:初め大国主神は三島溝杭耳の女・玉櫛姫を娶る。夜に訪ね来て曙に去る。未だ嘗て昼に来ず。
是に於いて玉櫛姫は績苧で衣を装う。明けるに至り、茅渟県陶邑を経て、真直に大和国真穂
御諸山を指す。還りて視るに苧は遣る。唯、三栄有り。是に因り、姓を大神(大三栄)と号す。
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このように、幾つかの情報を照合すると、情報間にはズレがあり、弥生古代の上古史はどうしても、俗に云う「アバウト」なものになるのです。
古代情報は、遺っているだけでも感謝したいのですが、その古代情報は不確実なのです。
神話伝承と云い、「古事記」(712年)の系譜伝承と云い、或いは、更に後世の「新撰姓氏録」(815年)の如き登記情報でも、この情報間にギャップ・ズレがあるが故に、その真実性・正確性を疑いながら、読み進めなければならないのです。
古代史の実相を覗き見ようとする人々は、そのギャップ・ズレを含む古情報を基に、逞しい想像(推理)力に支えられて、古代を「想観」するのでしょう。
当ブログもそのお仲間に入れて頂きます。