先に「大歳神の裔神の伊勢祭祀」を「神大市日賣命の祭祀」(伊勢の祭祀10)でまとめ、大歳神については可成り詳しく調べた積もりでした。
     参照:伊勢の祭祀10  神大市比賣命の祭祀 2023年03月24日
                伊勢の祭祀12  宇治土公の秘密   2023年04月08日

    だが、その時に僅かしか触れなかったことがあります。それは、大年神の伊勢妃の存在です。 神社伝承を別アングルから吟味する要ありと判断し、ここに検討結果をご報告します。


目次1 大年神の伊勢妃
    (1) 朝熊神社
       <1> 朝熊神社の祭神二説
       <2> 朝熊神社の祭神構成の示唆
       <3> 大年神妃・櫛玉姫命説は新たな視界を開く
    (2) 佐美長神社(磯部・大歳神社)
       <1> 佐見都日女命と佐美川日子
                 <2>   佐見長神社の祭神疑
            (3)   江 神社と天須婆留女命
       <1>  天須婆留女命母子の伊勢祭祀
       <2> 仮説:天須婆留女命は大歳神妃
    2  大年神の伊勢妃をめぐる系譜

1 大年神の伊勢妃

(1) 朝熊神社

   朝熊神社は、内宮(伊勢神宮皇大神宮)の第1位摂社で、その扱いは別宮並みと云われています。
   その理由は祭神構成にあると見ます。
 何しろ、大山祇命に始まり桜大刀自に到る錚錚たる神々がここに集結して祀られているのですから、頷ける話です。

  朝熊神社の祭神は、第二祭神説によれば、次の図表黒枠内の赤字表示の神々(大山祇命に始まり朝熊水神・苔虫神・櫛玉姫命・大年神・桜大刀自)を包含します。

 仮に、第一祭神説の三神を採っても、夫々の祭神の親神を説明することにより、この祭神構成の基本はその中に包含されて、朝熊神社の祭神の高貴性・神厳性が認められるのです。

 


<1> 朝熊神社の祭神二説

 ところで、この朝熊神社の現祭神は大歳神を含む三神ですが、考証・伝記はやや異なり、二つの祭神説があると云えます。
      ・朝熊神社の現祭神:大歳神、苔虫神、朝熊水神 ・・朝熊平野の守護神、且つ、五穀と水の神
      ・祭神第一説は「皇太神宮儀式帳」(804)の記す三祭神:「桜大刀自・苔虫神・朝熊水神」で、夫々の神につい                 て、次の様に説明しています。
                             説明:桜大刀自は称神櫛玉命児、大歳児、苔虫神は、朝熊水神は大山罪命の子、
     ・祭神第二説は「倭姫命世記」(神部五部書の一)の記す六祭神で、「儀式帳」が記す三祭神(桜大刀自・苔虫神・

          朝熊水神)にその親神三神(+親神:櫛玉命・保於止志神・大山祇)を加えます。
                             説明:大歳神の子、石長姫、大山罪命の子、桜大刀自の親、大歳神、朝熊神・苔虫神の父

                           
   これについては、「皇太神宮儀式帳」(804年)の記述を、中世になって解釈・考察したのが「御鎮座伝記」(13世紀)だと理解します。

  「皇太神宮儀式帳」で祭神:桜大刀自(大歳神の子)・苔虫神・朝熊水神を説明する時、この神々と

血縁関係にある神々(桜大刀自の父・大歳神、朝熊の父・大山祇)を記述しています。
 「御鎮座伝記」ではこれらの神々も祭神に採り入れたと推測します。
                        :櫛玉命(霊石坐)、保於止志神(大年神、石坐)、桜大刀神(花木坐)、苔虫神(石坐)、
           大山祇(石坐)、朝熊水神(石坐)。宝鏡二面(日月所化白銅鏡是也)


  「儀式帳」では祭神三座の親二神(神櫛玉命&大歳神)が記されていますので、中世の「御鎮座伝記」ではこれら親二神も祭神としたものと推定します。
 図表2でそれをお読み取り下さい。

<2> 朝熊神社の祭神構成の示唆

  これをそのまま摂って、総括して理解を進めると、その示唆は次の通りと読みます。

 1 朝熊神社の祭神・櫻大刀自は、神櫛玉命の児、且つ、大歳の児だとします。
  ・櫻大刀自は女性で、然も、大刀自の意味は高貴人の妻なのです。
   ・「大刀自」の用法は「1 上代、天皇の傍に仕えた女性の称号。2 妃の次位の、天皇の妻の称」(コトバンク)

              だとされますから。櫻大刀自は朝熊水神の后神だと思われます。
          ・その高貴人の夫君としては朝熊水神が最も有望ですが、世代が合致しません。

 

   2 桜大刀自の双親(神櫛玉命と大年神)の記述は、この双親が夫婦である事を意味しています。
  これについて思い当たるのが、櫛玉姫命を祭神だとする神社がある事です。
 
    櫛田神社(松阪市)の祭神については、これまで櫛玉命だと早合点していました。
      例えば、「延喜式神社の調査」は祭神を櫛玉命としています。
  
    だが、櫛玉姫命説もあるのです。

  「ウイキペディア<櫛田神社>」・「玄松子」・「神奈備」などは祭神を櫛玉姫命としています。
    櫛田神社(松阪市櫛田町)祭神:大若子命・櫛玉姫命・須佐之男・天忍穂耳・市杵島姫

 3 別な祭神・朝熊水神は大山祇命(大山罪命)の子神です。
  桜大刀自は朝熊水神の甥に当たる大年神の女ムスメと云う関係にあります。
  
 4 更に別な祭神・苔虫神は大山祇神の一女・石長姫命と推測されているようです。
   北九州に遺る伝承ですが、次の二社でこれを認めます。
    ・若宮神社(糸島市志摩船越)祭神:木花咲耶姫・苔牟須売神、
           ・若宮神社の旧称は桜谷神社、地元では苔牟須売神は盤(石)長姫命の事と伝わる。
      ・細石神社(糸島市三雲432)祭神:磐長姫命・木之花開耶姫命


<3> 大年神妃・櫛玉姫命説は新たな視界を開く

  朝熊神社の由緒に登場した「櫛玉命は大年神の妃神」説は、新たな系譜を生み出します。
    注 図表1では、残念ながらスペースの都合もあって。これを組み込んでいませんが、図表2では

      これを取り上げています。

  「古事記」は、大年神の三妃(天知迦留美豆比賣・伊努比賣・香用比賣)を記します。
 だが、伊勢朝熊の地では、櫛玉命(櫛玉姫命)が別な姿で鎮座し、大年神系列と天穂日命系列との結節点が生じているのを見るのです。

 二神が桜大刀自の両親神だとする「皇太神宮儀式帳」の記述(櫻大刀自、称神櫛玉命児、大歳児)は伊勢古史に新たな視界を開く事になります。

  だが、不思議なことにこれまで何方も、この点「神櫛玉命・大歳神の夫婦説」について言及がないのです。私の読み間違いなのでしょうか。独り孤高を持さなければなりません。

(2) 佐美長神社(磯部・大歳神社)

  佐美長神社は明治維新前までは大歳社を名乗り、今も、祭神は大歳神です。
  しかも、「皇大神宮儀式帳」(804年)では、既に社名を「佐美長」と名乗っていたのです。

<1> 佐見都日女命と佐美川日子

 その佐美長の「佐見」は佐見都日女命に通じ、二見町には佐見都日女命を祀る堅田神社・栄野神社の二社を認めます。亦、二見町に南接する鳥羽市堅神町の堅神神社も佐見都日女命を祀り、この二見国近辺は佐見都日女命の祭祀が集まっているのです。
       ・堅田神社(伊勢市二見町茶屋字堅田、内宮の摂社27社のうち第15位) 祭神:佐見都日女命
   ・栄野神社(伊勢市二見町江)興玉二見神社末社            祭神:佐見都日女命、大若子命
   ・堅神神社(鳥羽市堅神町787)                    祭神:佐見津日女命・國挟槌命・瓊々杵命 


  尤も、佐見長神社(志摩市磯部町)と「佐美都日女命の祭祀」(伊勢市二見町)との関係は説明しきれていないのです。謂わば、ここにはミッシング・リンクがあるのです。
 
「倭姫世記」によれば、御塩浜から船で五十鈴川の入り江に到着した倭姫命は、佐見津日子命に出迎えられ、江神社を定めますが、江神社の祭神三柱に佐見津日子命の名はありません。
  引用:二見浜に御船を泊め、大子命に「国の名は何そ」と問ふと、「速雨 二見国」と申上げた。
     永くその浜に御船を留めて坐す時、佐見都日女が現はれ参上したので、「汝が国の名は何そ」と問ふと、

     詔を聞かず何も答へずに、堅塩を以て多き御饗を奉った。倭姫命は慈しんで堅多社を定められた。

                             参照・堅田神社(伊勢市二見町茶屋字堅田)祭神:佐見都日女命
    ・五十鈴河の後の江に入ると、佐美川日子が現はれ参上したので、「この河の名は何そ」と問ふと、

     「五十鈴河後」と申上げた。その処に江社を定められた。       (出所) 倭姫世記 神話の森

 
「二見町史」は、江神社が明治以前は「八王子社」と呼ばれ、祭神を「氏神・佐美都彦命」としていたと記している由です。                   (出所)「延喜式神社の調査」&ウイキペディア「江神社」

   現在の江神社の三祭神(長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命)は、「佐美都彦命」でも「佐見都日女」でもありませんが、これが天須婆留女命に通じると見て、次の取り上げる事になります。
                    参照・江神社(伊勢市二見町江)祭神:長口女命、大歳御祖命、宇加乃御玉命

<2> 佐見長神社の祭神疑

  この佐美長神社は、伊勢国には含められないで、志摩国の佐見長と理解されてきたようです。
  佐美長神社(三重県志摩市磯部町恵利原) 同島坐神乎多乃御子神社 志摩国 答志郡鎮座、
    祭神:大歳神・・「神乎多」(おそらく伊雑宮の神田)を守護する神として祭られたものと思われる
    由緒:垂仁天皇27年9月、倭姫命定祝とされ、江戸時代は「大歳社」と称していた。
               社殿は東面し、「磯部郷土史」は「猿田彦神が伊雑海口から西に向い進まれたのを迎え奉つた

       事による」と云う。伊雑宮所管社である。
           ・倭姫命が志摩地方へ巡幸した際に稲穂を咥えて現れた真名鶴を大歳神の化身として祀ったと云い、

       真名鶴が稲穂を落としたので「穂落社」「大歳社」と呼ばれていた。
       ・江戸以前から大歳社と称されており、祭神は大歳神。
       ・この大歳神に関しては、「玄松子の神社記憶」によれば、次の様な諸説がある。
        1素盞鳴尊の御子神説、
        2地元の穀物神説、
        3伊佐波登美神:天牟羅雲命の神裔・玉枉屋命の子孫である伊佐波登美神説、
               ・伊佐波登美神の御子神説、
               ・伊佐波登美神の子孫説、
    境内社:伊雑宮所管社・佐美長御前神社四社(社殿前の小祠4つ)
       ・式内社・同嶋坐神乎多乃御子神社の論社。
    穂落し伝承:倭姫命が志摩国ご巡行の際、鳥の鳴く声高くきこえて夜昼止まないので、これを見させると、

                     葦原の中に一株の稲が生えていて、根本は一本で穂が千穂にも分れ茂っていた。一羽の真名鶴がその

                     穂をくわえて飛びながら鳴いているのを発見し、この鶴を大歳神(五穀の神)と崇めて、この地に祀った。
    奉斎氏族:島(志摩)津国造族と考えられ、同族の二方国造と同じく大歳神を祀ることから、海神族の特徴が

                     顕著に見られる。                                (出所) 「佐美長神社」(延喜式の神社調査、阜嵐健氏)

  この佐見長神社には諸論の展開があり、「佐見長神社」について「延喜式神社の調査」「ウイキペディア」から次の諸説を得ます。
 ・「神社覈録」・「倭姫世記」云、彼稻生地乎千田号支、云々、(事は前に見ゆ)彼鶴眞鳥乎號、称大歳神、同処                                 祝充奉也、云々、又云、伊雑宮一座、云々、(事は前に見ゆ)大歳神一座、國津神子、形石坐、
          ・連胤按るに、前の二社は別社なれど、原は一ッにして別社には非るべし、
                  ・古來同社地に在すを考ふれば、伊佐奈岐宮、月読宮と同処にあるが如くなれど、御子神社は別宮と

         は崇め來らぬ故に、彼是と異説の起る也、
          ・抑伊雑宮を、儀式帳、太神宮式等には一座といひ、此式には二座といへるより、くざぐさの考へ出

                         來て、此一座を、世記には伊佐波止美神、また玉柱屋命といへるを、儀式解十二に、当宮に坐神、

                         古き人のいひ伝へたるは云々、(倭姫世記にも此事を注す)
          ・稻の殊に志なびたるは太御神の恩頼なれば、その恩頼を蒙りしは伊佐波止美神なれば、同殿に祭り

                         奉ると云り、然るをただ、伊佐波止美神をのみ祭るなりといふは、儀式、大神宮式神名を挙ず、ただ                           太神宮遥宮とあるに合ず、ごれも荒祭神の所にいふが如く、神名を称すべき事ならず、ただ大御神の                           恩頼をば祭るといふべし、一説伊雑宮は、玉柱屋命を祭るといふは、論ひにも及ばずと云り、
          ・然れば實に犬御神の恩頼をのみ祭るならば、此式にも伊雑宮とのみいふべきを、假宇書にして二座と                           載せしは、荒祭宮と同日の論にはあらざるべし、
          ・こは大神宮の御魂をも合せ祭りし故に、儀式、大神宮式には遥宮と載せたれど、其神実は、止美神、

         柱屋命なるべし、今も御樋代二具ありとあるを考へ合すべし。
          ・同島坐神乎多乃御子神社:同島は前に同じ、粟島也、神は加牟と訓べし、乎多乃御子は假字也、

         〇祭神大歳神○伊雑宮同処に在す
 ・「磯部町史」の仮説:「立場により呼称は異なる」とする仮説を提出して、次の様に云います。
           ・志摩国における名称が「同島坐神乎多乃御子神社」、
                         ・内宮における名称が「佐美長神社」、
                              ・地元神人による名称が「大歳神社」、
 ・「宇治山田市史」では、佐美長神社の祭神を「神乎多乃御子神」とする。
          神乎多乃御子神」は「延喜式神名帳」記載の同島坐神乎多乃御子神社(佐美長神社に比定)の
                      祭神であり、粟島(=志摩)の神の子である水田の守護神と考えられる。


   この佐美長神社は、神乎多乃御子神社の謎を孕む故に、亦、当地が大歳神の拠点とされる故に、重要なのです。更に、「佐美」が汎二見国(伊勢市二見町から鳥羽市~志摩市にかけての地域)に「大歳神から

み」で関わっていることも注視しなければ成りません。
                      参照:志摩の祭祀3  神乎多乃御子神社の謎ー狭依姫命ー 2023年05月16日
                         志摩の祭祀9  汎二見浦の祭祀                 2023年06月28日


 但し、「穂落とし伝承」が示唆するように、地元住民は「穂落としさん」「穂落社」と呼び、その「音」から「大歳」が生まれた可能性があります。

 これは、今は大歳神が祭神となっているが、元来は違っていたのではないか、とする疑いが解けずに遺っていることを意味するのです。
 後にお示しする図表1でも佐見長神社一社が他の佐見都日女祭祀社から離れて立地するのは、或いは、この辺の事情を反映しているのかも知れません。

(3)   江 神社と天須婆留女命

 前項で述べたことですが、「佐美」が汎二見国(伊勢市二見町から鳥羽市~志摩市にかけての地域)に「大歳神絡み」で関わっていることも注視しなければ成りません。

  この項で取り上げる「江神社と天須婆留女命」は正にその「汎二見」に関わるのです。

<1>  天須婆留女命母子の伊勢祭祀

 天須婆留女命御魂は棒原神社(内宮摂社)の祭神です。
      ・棒原神社(度会郡玉城町上田辺字朝久田)式内社、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社27社の第23位。
           祭神:天須婆留女命御魂、御前神


 天須婆留女命の子神として伊勢の祭祀社で挙げられているのは少なくとも三柱を数えます。
    1大神御蔭川神は「御船神社・蚊野神社」の祭神:
           ・御船神社(三重県多気郡多気町土羽字南出)皇大神宮摂社、式内社
              祭神:(御船神社)大神御蔭川神、(牟弥乃神社)寒川比古命・寒川比女命
           ・蚊野神社(三重県度会郡玉城町蚊野字里中)式内社、皇大神宮摂社27社の第7位
                      祭神:大神御蔭川神、     蚊野御前神社:御前神
    2速川比古命・速川比女命は「狭田国生神社」の祭神:
           ・狭田国生神社(玉城町)

              祭神:速川比古命・速川比女命・・天須婆留女命御魂の子
        3長口女命は「江 神社」の祭神:
                ・江 神社(伊勢市二見町江)

                祭神:長口女命・大歳御祖命・宇加乃御玉命
                      由緒:「皇太神宮儀式帳」長口女命は天須婆留女命の子

 

 

<2> 仮説:天須婆留女命は大歳神妃

  この内、注目するのは「祭神は天須婆留女命の子・長口女命、大歳御租命、及び、宇加乃御玉なり」とする江神社の祭神伝承です。
       
参照:度会8 伊勢神宮の水神2   度会系図と「豊受皇太神宮補任次第」を読む 2022年11月10日
               該当項目:国津神三代記(朝熊水神、大歳神一族の伊勢祭祀、国津神三代記、天須婆留女命)


   江神社の祭神構成から、「仮説:天須婆留女命は大歳神妃」は次の様にして生まれます。
 

 天須婆留女命の子神の長口女命は、大歳御祖命・宇迦御命と共に。江神社に祀られています。
 古代の共祀形式から判断すると、大歳御祖命と長口女命とは親娘か、夫婦だと考えられます。
  「長口女命は天須婆留女命の子」
(江神社)の伝承からすると、天須婆留女命は大歳神の伊勢妃として長口女命を生んだか、或いは、長口女命は大歳神の伊勢妃で、その母が天須婆留女命だとする見方が成り立つのです。

   天須婆留女命を大年神妃とする見方は未だ出されていませんが、将来、この「天須婆留女命は大年神妃」説を検討する人が出てくることを期待します。


2  大年神の伊勢妃をめぐる系譜

 

  朝熊神社・佐美長神社・江神社の検討から「大年神の伊勢妃」として次の二妃(櫛玉姫命、及び、天須婆留女命)を探り出した積りです。
               
 
それを「大年神の神裔譜」の中でお示ししたのが図表4です。ご覧下さい。
 


 

   この図表4は、謂わば、「伊勢津彦の謎シリーズ」の集約です。若干ご説明します。
  1「神代七代」は日本書記に記載があります。
  2その7代目の伊弉諾・伊弉冉が大山祇命と草野姫命を生みます。
  3すると、二神は様々な男神・女神を生みます。
 
        ・石長比賣    :美人ならざる故に瓊瓊杵尊に拒まれる。
    ・木花之佐久夜毘売:瓊瓊杵尊と結ばれ、日向三代を経て、始祖・神武天皇・天皇家の源を成す。
        ・足名椎・手名椎 :八岐大蛇退治の結果、須佐之男命はその女・櫛名田比売を娶る
          ・ 神大市比賣命   :建速須佐之男命と結ばれ、大年神・倉稻魂神を生む。
    ・木花知流比賣  :櫛名田比売の子・八嶋士奴美神と結ばれ、大国主命一統の源を成し、図表4の最も右の

                                       枠内にその系譜を示します。      参照・伊勢津彦の謎7 木花知流比賣の祭祀
 
  4 宇迦之御魂神(倉稻魂神)は、その妃が知られずも、一女・香用比売は大年神妃となり、三子(大香

   山戸臣神・御年神・大宣都比賣神)を生んでいます。
    5 伊怒比売は神活須毘命の女とされます。神活須毘命は神魂命
(女神)と同一神、且つ、天穂日命妃

      と推定します。但し、図では神魂命と伊怒比売との親子関係は示していません。
         
・図表4の右からに番目の枠内に天夷鳥命裔の出雲臣氏を示します。
  6 大年神は、「古事記」によれば、三妃を娶り、多くの子孫を遺しています。
       図表4の青字表示の子神は伊勢の神社の祭神とされており、これは次報で述べます。
  7「大年神の伊勢妃」はこの図表4の中央部に赤字表記しています。
  8 ここでは伊勢津彦が主要な関心で、これまで、大年神と伊勢津彦との間には直接的な接点は

       ないと思い込んでいましたが、朝熊神社祭神・桜大刀自が大年神と櫛玉命との子であること

       に鑑みて、新たに新接点と見たのです。
    9「天須婆留女命の大年神妃」説は、前項の「櫛玉命は大年神妃」説よりはその根拠は間接的、

      且つ、要推理ですが、可能性大と見て、ここに提出したものです。

 以上で、このブログ文を終えます。