目次 (1) 出雲建命は天御鳥命・天夷鳥命、その子は出雲建子命=伊勢津彦だと見る
     <1> 「出雲建子命」の由縁
     <2> 「神魂命は女神」説
     <3> 天夷鳥命(建比良鳥命)の異名同神は多く伝わるが、后神は不詳
     <4>  参考・「神魂命は男神」説
      (2) 「神魂命は女神」説の周辺模索
     <1> カモス考
        <1-1>  神魂命はカモスと読む
        <1-2> 出雲をアダガヤと読む
        <1-3>  神魂命と神活須毘命
        <1-4> 予感:神魂命は神皇産霊命と違う神格を感じさせる
     <2>  神魂命の出雲展開

        <2-1>  神魂カモス神社
        <2-2> 「出雲国風土記」に見る神魂命一族の祭祀
        <2-3> 神魂命の子&孫神達
     <3> 天夷鳥命の出雲祭祀
     <4> 神活須毘神の子・伊努比賣は何処
        <4-1>  伊努神社
        <4-2>  伊努(伊農)七社
   (3) 天孫族の出雲での婚姻
 

(1) 出雲建命は天御鳥命=天夷鳥命、その子は出雲建子命=伊勢津彦だと見る

<1> 「出雲建子命」の由縁

   天御鳥命は神魂命の子として「出雲国風土記(楯縫郡総記)」に登場します。
 だが、これ以外に、この天御鳥命の記述は「出雲風土記」にありません。

 天御鳥命の役割とは、神魂命の詔を受けて、神殿の造営に関わったと見られることです。
   引用:神魂命が「私の天日栖宮は十分に足り整っている。縦横が千尋ある長い拷紲を使い、百結に結び、

      八十結にしっかりと結び下げて、所造天下大神の宮造り奉れ」と詔して、御子・天御鳥命を楯部

      として天下らせます。
     ・天御鳥命が大神の宮の御装束としての楯を造り始めたのがこの地で、今に至るまで楯桙を造り、

      神々に奉っているので、この地を楯縫と云う。     (出所)  「出雲国風土記」 楯縫郡総記

 しかも、その表記を検すると、天御鳥命は天夷鳥命と一字しか違わないのです。
 天夷鳥命は、別に、天穂日命の子として、「国譲り交渉」に際して大役を果たしています。


 天御鳥命は「大神の神殿造営」に重要な役割を果たした故に、天御鳥命は出雲建子命と呼ぶに

相応しい、と推定し、この故に、天御鳥命=天夷鳥命は出雲建命とも云われた筈です。
   そこで、当ブログは天御鳥命は天夷鳥命と同神だと判断しました。

 だが、その名称「出雲建命」は出雲では記録されていません。
 その輝かしい父の業績を誇る、出雲建命の子・伊勢津彦が、自分は「出雲建子命」であると

伊勢で名乗ったらしく、それが「伊勢国風土記(逸文)」に遺ったのです。

  天穂日命(男神)と神魂命(女神)の子・天夷鳥命の別名は、建比良鳥命、武夷鳥命・武日照命だとされます。これに加えて、天御鳥命も含めるべきでしょう。

 

  「天夷鳥命と天御鳥命とは同神」仮説を認める時、「神魂命の女神」説と「天穂日命(男神)と神魂命(女神)とは夫婦」説が成り立ちます。

 勿論、出雲健命の子神は出雲建子命で、伊勢では、伊勢津彦と呼ばれていたと見ます。

<2> 「神魂命は女神」説:

 「神魂命は女神」説を結論とした処で、前報を終えたので、復習しながら、前進します。

  神魂命は女神である可能性は大きく、学者達は次の様に記します。
   1 國學院大學の古典文化センター「神産巣日神」
          引用:神産巣日神(別名:神産巣日之命・神産巣日御祖命)、
        ・「御祖命」は通例、母神に対する呼称なので、この神は女神とされていたとも考えられる。
    2 ウイキペディア「カミムスビ」:
      引用:「御祖神という記述、大国主神が八十神らによって殺されたとき、大国主神の母の刺国若比
          売が神産巣日神に願い出て、遣わされた𧏛貝比売と蛤貝比売が「母の乳汁」を塗って治癒
          したことから女神であるともされる。特に配偶神(夫神))については記されていないが、

        複数の御子神がいるとされる。」
                        注  このウイキペディアの引用先は「風土記の世界」三浦佑之著、岩波新書、2016年
    3 平田篤胤の「神代系図」で高魂命(男神)と神魂命(女神)を夫婦神として取り扱っています。
                                             参照:「神代系図」平田篤胤     (国立国会図書館デジタルアーカイブ)
                                                   ・平田篤胤2「神代系図」に見る平田の古代氏族観 2022年03月06日

  

 これらはいずれも神魂命を女神としています。

   亦、興味深いのは「同社神魂意保刀自神社」の存在です。
 この社は、今は、阿須伎神社(出雲市大社町遙堪)に合祀され、祭神が大刀自神だとされるだけで、由緒不詳です。
       参考:同社神魂意保刀自神社 出雲国 出雲郡 合祀先:阿須伎神社(出雲市大社町遙堪)
              祭神:大刀自神
 

  「神魂意保刀自」は神魂御祖命と同義で、女神・神魂命に敬意を表した呼称だと、と思われます。「神魂命は女神」説はここに確認されるのです。

 もう一つ「神魂命は女神」説に有利な、重要な指摘があります。
 「大社造には男造オヅクリ・女造メヅクリと呼ばれる二つの内部構造があるが、出雲大社は男造、

      神魂神社は女造となっている」(ウイキペディア「神魂神社」*)と云うのです。

                                 *原出所:近畿建築士会協議会 編『ひろば』266号、近畿建築士会協議会、1986年

<3> 天夷鳥命(建比良鳥命)の異名同神は多く伝わるが、后神は不詳

 建比良鳥命は天夷鳥命と同神とされている神人で、その異名は色々と挙げられ、その輝かしい事績も伝えられています。前報をご覧下さい。
         参照: 図表1 出雲建子命の父・天夷鳥命に関する基礎情報
                           (出所) 伊勢津彦の謎2 伊勢津彦=出雲建子命を出雲に探す  2023年08月29日


   残念ながら、この天夷鳥命の后神の記述は古史料にはありません。

 ところが、当ブログが天穂日命妃と推定した神魂命が天夷鳥命の后神の可能性もあります。
  ここでは重要だとする注記のみを遺し、これは後に検討することになります。
      注記:神魂命(女神)は天夷鳥命(男神)の妃になり、二人の御子が天御鳥命だと見る事が出来る。
          その場合は、歴史景色は一世代ずれて見えるのです。これは後に検討します。

 

   実は、出雲の貴神たちは、屡々、その后神が伝わらず、「出雲古史の謎」を形成します。

   今回は「伊勢」を出雲に探す調べですから、「出雲古史」には立ち入りませんが、いずれ採り上げなければまりません。

 

<4> 参考・「神魂命は男神」説

  「出雲の古代史」は門脇禎二先生の著になり、初刊1976年ですから、約50年前の本です。
                         注:「出雲の古代史」門脇禎二著(NHKブックス)1996年第42刷

  その中で次の様な記述があり、これは「神魂命の男神」説です。
      引用:カミムスビ神も元来は出雲の神とする指摘(松前健「出雲神話」186頁)や、この神話が元来男神で出雲の

     造物主・創造神であることが解明されているのは、極めて重要である(水野祐「出雲神話」231~233頁)

                                (出所) 「出雲の古代史」Ⅲ出雲国家の形成 107頁

   ここで一寸脱線します。

    ここに登場する三先生については「ウイキペディア」で覗見し、注目著書を選びながら、その学跡を推測します。

  第一の門脇先生の古代史研究は「日本海沿岸・瀬戸内海沿岸の地域王国」(出雲・丹後・吉備)をヤマト王国との関係で考察されている点に注目します。
      ・門脇禎二(1925~ 2007):奈良女子大学教授・京都府立大学&京都橘女子大学教授&学長
             注目著書 ・「出雲の古代史」          日本放送出版協会、1976年
                      ・「丹後王国論序説 日本海域の古代史」 東京大学出版会、1986年
                ・「日本海域の古代史」         東京大学出版会、1986年
                ・「吉備の古代史」          日本放送出版協会、1992年
                ・「古代日本の<地域王国>と<ヤマト王国>」上下   学生社、2000年
                ・「邪馬台国と地域王国」        吉川弘文館、2008年  (2007年6月死去)


  第二の松前先生は神話学者です。その追悼文に学者諸先生の交わりに感銘を受けます。
    ・松前 健(1922~ 2002):天理大学教授・立命館大学教授・大阪成蹊女子短期大学教授・奈良大学教授
           注目著書 ・「日本神話の新研究」             桜楓社、1960年
                          日本宗教学会の姉崎正治記念賞を受賞 1961年
                ・「日本神話の形成」              塙書房、1970年
                ・「出雲神話」                 講談社、1976年
                ・「松前健著作集」        おうふう(桜楓)、 1997-1998年
                ・「日本神話の謎」                                          大和書房、1985年
                       注目追悼文:「追悼 松前健先生」『論究日本文学』(立命館大学、2002年)
                            ・松前健先生をしのんで - 福田晃
                            ・松前健先生回想 - 真下厚
                            ・松前健先生を思い出そう - 三浦俊介
                            ・おもひで - 龍野暁啓        いずれもウイキペディアからアクセス可能


  第三の水野先生は「三王朝交替論」で有名な方で、発想の豊かさを思わせます。
    ・水野 祐(1918~2000):早稲田大学教授
            注目著書 ・「日本古代王朝史論序説」            私家版 1952年
                                          増訂版 小宮山書店 1954年
                 ・「出雲国風土記論攷」      早稲田大学古代史研究会 1965年
                                           東京白川書院 1983年
                 ・「逆説の日本古代史 イラスト・チャートでわかる 
                                                       古事記・日本書紀だけではわからない日本原像の真実!」
                                      ベストセラーズ 1992年


  門脇先生は、錚錚たる上記二先生の主張「神魂命は男神」説を認めておられるので、50年後の現代でも、学界ではこの「神魂命は男神」説の重みは変わっていない、と思われます。

 尤も、「神魂命は女神」説で取上げた皇學館大学の古典文化事業の記述は「女神とされていたとも考えられる」としているので、学界でも意見が分かれているのかも知れません。

 この「神魂命男神」説の論理を吟味しないで、先に進むのは、やや無謀かも知れませんが、今は、「神魂命は女神」説を堅持する時の歴史景色の検討に移ります。

(2) 「神魂命は女神」説の周辺模索

  神魂命が重要なポジションを締めている様に思われますので、神魂命を調考します。
 「神魂命は女神」説を堅持する時の「歴史景色」(次報)の検討に移る前の周辺模索です。

<1> カモス考

  神魂命はカモスノミコトと読むようです。
 「出雲イズクモ」はイズモ、「秋鹿アキカ」はアイカと読むのです。どうも、難しいです。

<1-1>  神魂命はカモスと読む

   出雲では神魂命を、カミタマ(亦は、カミムスヒ)ノミコトとは云わず、カモスノミコトと云うよう

です。どう見てもそうは読めませんが、当て字なのでしょう。

  一方、「神産巣日神」(古事記)・「神皇産霊尊」(日本書紀)をカミムスビの神と読ませています。
  産巣日=産霊=牟須比=産日は、全て同じく、ムスヒと読ませています。
   例 産巣日:神産巣日神・高産巣日神・和久産巣日神
     産霊 :火産霊命・神皇産霊尊
     牟須比:安牟須比命・己己都牟須比命
     産日 :生産日神・足産日神・玉積産日神


  代表的な古史料で見ると、「神産巣日神」(古事記)、「神皇産霊尊」(日本書紀)、「神魂命」(出雲国風土記)と書かれています。

 「神魂命」の表記は明らかに「神産巣日神・神皇産霊命」とは違い、亦、発音も違うのです。
  注 現在、多くの書が出雲の神魂命を神産巣日神・神皇産霊命と記すので、この混同が同一化に繋がっています。

     すると、神魂命は神産巣日神と同一神だとする誤解が一般化して、弥生神代史は歪曲されているのです。
    
<1-2> 出雲をアダカヤと読む

  「出雲をアダカヤと読む」のはどう見ても、アダカヤが先で、出雲を後から当てた、としか考えられません。次の様な情報にも接します。
        質問:「出雲郷」(島根県八束郡東出雲町内の地名)の読み方で現在使われているのは「あだかい」、

         「あだかや」、「あだかえ」のうちどれか
        回答:「日本地名大辞典」「島根県大百科辞典」によると「あだかや」であるが、東出雲町役場では

               「あだかえ」を使っている。
                          (出所) 出雲市立出雲中央図書館の回答(レファレンス協同データベース)

 

    実際、アダカヤ(阿太加夜)神社はアダカエ(出雲)郷に鎮座しています。

   参考:阿太加夜社(松江市東出雲町出雲郷)
            祭神:阿陀加夜奴志多岐喜比賣命
        配祀:國之底立命、須佐之男命、淑母陀流命、阿志古泥命
        由緒:創祀不詳、天平5年(733年)の「出雲国風土記」に「阿太加夜社」として記載
           当社は大那牟遅命の御子・阿太加夜奴志多岐喜比賣命、外四柱を祀る。
        別名・芦高神社
          ・日本三大船神事の一つ「ホーランエンヤ」は、松江城の城山稲荷神社の御神霊を10km離れた当社(出雲郷)

                 へ水路お迎えし、7日間にわたって豊作や繁栄のための大祈祷が行われる祭り。
          ・この船神事は12年目毎に行われ式年神幸祭と呼び、「ホーランエンヤ」と通称します。         ・

                 約100隻の船が1kmに亘りつながれ、宍道湖、大橋川、中海、意宇川を往復する華麗な水上パレードは、広

                 島厳島神社の管絃祭、大阪市天満宮の天神祭と並び、日本三大船神事の一つと云われ、約350年の歴史をも

                 つ壮大な船祭りです。

   出雲方言の特異性が発音に表れるという事があるのかも知れません。


   朝鮮半島の伽耶(加羅)は分立する小国の集合だったのでしょう。
 その伽耶の一国にアラカヤ(安羅加羅)があり、その音はアダカヤに酷似します。

 実際は同一かも知れません。この議論の延長線上には、出雲人到来の起源が関わり、出雲の固有名詞には考察すべき奥深さがあります。だが、今は、詮索はここまでです。

<1-3> 神魂命と神活須毘命

 「古事記」に登場する「神活須毘命」は、ひょっとしたら、出雲の神魂命から来ており、カモスと読むのではなかろうか、と考えています。

  「神活須毘命」については、「大年神裔譜」(古事記)に伊努比賣の父とだけあり、それ以上の情報がありませんので、伊努比賣を手がかりに考えるしかありません。
  参考:大年神神裔譜(古事記)に登場する伊努比賣(神活須毘神の女)は大年神との間に大国御魂神・韓神・曽富理神・

      白日神・聖神の五神を生んでいます。

 次の様な対応を考えると、古代の神名にはこの程度の対応で同神性を認められるのではないか、と考えられます。
                 神活 須  毘 命
                 ↓↑   ↓↑  ↓↑   
                 ナシ  須沼  比 神

 この時代の「漢字の使い方」として、その「音」を用いる方法と大まかな当て字方式があったのでしょう。
 

 「大年神神裔譜」(古事記)の神活須毘神は「地祇本紀」では須沼比神と記されています。
  従って、神活須毘命は「地祇本紀」の須沼比神と同神と考えられます。
  参考:「地祇本紀](先代旧事本紀)では伊怒姫の親神は「須沼比神」とされ、二人の間の五子は「古事記」

      の記載する五神と同じです。

  尚、須沼比命は飛騨國一之宮、式内社・水無神社の祭神となっています。
    ・水無神社(岐阜県高山市 一之宮)飛騨國一之宮、式内社
       祭神:御歳大神(水無神)
       配祀:大己貴命・三穗津姫命・応神天皇・高降姫命・神武天皇・須沼比命・天火明命・
          少彦名命・高照光姫命・天熊人命・天照皇大神・豊受姫大神・大歳神・大八椅命
       境内:摂社稲荷社、末社白川社をはじめ、拝殿の左右回廊に飛騨国中の主要な神々と産土神

          などの八十八社を奉斎している。
          由緒抜粋:飛騨一宮水無神社は、水無神として「御年大神」を主神に外十四柱の神々が祀られています。
        ・水無神の名は平安時代中期に編纂された格式「延喜式」に記載され、飛騨国の一宮と称されて

                         飛騨国中の宗祀として現在に至るまで篤い信仰を受けています。
        ・社名の水無は諸説あり「水主(川の水源を司る神)」の意味であり、「みなし」(水成)亦は

                       「みずなし」とも読み、俗に「すいむ」と音読することもあります。
       ・社前を流れる宮川の川床が上り、流れが伏流して水無川となることから、水無川、水無瀬川原、

                        鬼川原(覆ヶ川原)などの地名となりました。

   主祭神の御歳大神は配祀・大年神の御子神で、飛騨は阿多由太神社(飛騨市国府町)・大歳神社(飛騨市古川町)・栗原神社(高山市上宝町)などの式内社に大年神一族の祭祀が見られ、外戚の須沼比命(神魂命)もその関連で祀られていると見ます。

  大八椅命は瀛津世襲命の子で、「国造本紀」では、成務朝に斐陀国造(物部・尾張氏系)に任ぜられ、その裔が飛騨氏です。瀛津世襲命は遠祖を天火明命とする物部・尾張氏系です。

  飛騨國一之宮、式内社・水無神社の配祀神・須沼比命の検討は、今は、「地祇本紀」の裏取りでしかありませんが、抉エグれば、「大年神系の祭祀」との繋がりが出て来そうです。

<1-4> 予感:神魂命は神皇産霊命と違う神格を感じさせる

  ところで、今は予感としか云えないのですが、神魂命の神格は神皇産霊命の神格とは違うのではないか、それが、後に、混同され同一神とされたのではないか、と感じています。
 

 古くから、神魂命は、神皇産霊命(神産巣日神)と混同され、カモス性はかき消されたと見ます。

           注 後に引用する神社の祭神名には「神魂命」ではなく「神産巣日神」が頻出します。


 今は深入り出来ませんが、元々、「出雲国風土記」に登場する神魂命と「古事記・日本書記・新撰姓氏録」に登場する神皇産霊命とはその神格に異質性を感じさせられます。

<2>  神魂命の出雲展開

<2-1>  神魂カモス神社

 神魂カモス神社は、意宇六社の一社とされ、「神魂カモスさん」、「大庭の大宮さん」と呼ばれているそうです。亦、本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝だと云います。
     神魂カモス神社(松江市大庭町)
           祭神:伊弉冊大神、伊弉諾大神
              由緒:創祀年代は不詳。社伝によると、天照皇大神の神勅を奉じ、天穂日命が大国主命に出雲国奉還

                        を促した時、大庭釜ケ谷に天降り、出雲大神・出雲国総産土大神として祀ったので、大庭大宮と

                        も称されたと云う。

  だが、不思議なことに、神魂神社は「延喜式神名帳」、国史や「出雲国風土記」にも記載がないのです。 これは、意宇六社(神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社)に属するにも関わらず、です。

 色々な理由が云われていますが、納得出来ません。ここには何かが隠されています。

 ・大業を成し遂げた出雲臣の祖・天穂日命の名を隠して、常識的には天穂日命神社が受け入れ易いのに、

       神魂神社とする事はなぜか。天穂日命の后神だからか。

 ・神魂神社の祭神は、常識的には神魂命だろうと思われるのに、神魂命ではないとする。何故か。

 ・神魂命を天穂日命の后神と認めると、天穂日命の拠点・西出雲での神魂神社の祭祀もあって然る    

  べき、と考えられます。主神を神魂命と天穂日命との二神にしてあるのが最も常識的です。

 

 重要な留意点は、この神魂神社が東出雲(松江市・意宇郡)に鎮座する唯一の「神魂」縁ユカリの社で、次に述べる西出雲(出雲市・出雲郡)では多くの「神魂」を冠する社があり、それも式内社として観測出来るのとは対照的です。


<2-2> 「延喜式式内社」に見る神魂命一族の祭祀

「延喜式式内社」に見る、神魂命一族・神魂命の御子達の登場状況を次に記します。
 神魂命の祭祀はいずれも東出雲の出雲郡(現・出雲市)に見出されます。

           同社神魂伊能知奴志神社(出雲市大社町杵築東字森)祭神:神産巣日神
           同社神魂御子神社       (出雲大社境内社)        祭神:多紀理毘賣命
           同社神魂伊豆乃賣神社 (伊努神社に合祀)        祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命
           同社神魂神社     (伊努神社に合祀)        祭神:神魂命
           神魂意保刀自神社   (阿須伎神社 に合祀)    祭神:大刀自神=神魂御祖命

 

 但し、神門郡の朝山神社は例外として見ます。神魂命の子女は神門郡・島根郡に祀られ、

朝山神社は子神・眞玉着玉邑姫命に神魂命が配されていると見るからです。
           朝山神社             (神門郡朝山郷)           祭神:眞玉着玉邑姫命、神産巣日神、大己貴命

<2-3> 神魂命の子&孫神達

 神魂命の子&孫神達については略記します。
    1 天御鳥命は「出雲国風土記・楯縫郡」に「神魂命の御子」と明記あり、当ブログは天御鳥命は天夷鳥命と

   同神だとしますが、天御鳥命を祭神とする神社は見つかりません。
       ・天夷鳥命は[神阿麻能比奈等理神社](出雲郡)に、今は阿須伎神社 に合祀されています。
     ・「天日名鳥命神社」(因幡国高草郡)に祭神:天日名鳥命として祀られていることは注目です。

                                    ・参照:<3> 天夷鳥命の出雲祭祀。

    2 伊努比賣は神活須毘神の子だと「古事記」に明記があり、「出雲国風土記」には伊努社・伊農社は七社ある

   とされ,「伊農」の重要性を示唆するのに、該当する社を検討すると、伊努比賣はいずれの社の祭神とはなって

   いないのです。                            ・参照:<4> 伊努比賣の出雲祭祀。
  3 その他の子神達は島根郡を中心に拡がっています。

       ・天津枳値可美高日子命(出雲郡漆治郷)
     ・綾門比女命(出雲郡宇賀郷)・八尋鉾長依日子命(島根郡生馬郷)は所造天下大神命の妻問い記録です。
     ・宇武賀比売命(島根郡法吉郷)・支佐加比売命は若い大国主命の命を助けた故に、杵築大社摂社・記録です。
     ・支佐加比売命・佐太大神(島根郡加賀郷)は左太神社(島根郡加賀郷、出雲国二宮)に祀られています。
                          注 佐太大神は、御祖・神魂命の御子・支佐加比賣命の御子です。

 

<3> 天夷鳥命の出雲祭祀

   天夷鳥命は「神阿麻能比奈等理神社」(出雲郡)に祀られ、今は阿須伎神社に合祀されています。
   ・阿須伎神社(出雲市大社町揺堪、出雲郡)
       祭神:阿遲須伎高日古根命
       配祀:五十猛命、天稚彦命、素盞嗚命、猿田彦命、伊邪那岐命、事代主命、下照姫命、
          天夷鳥命、稻背脛命、天穗日命


   阿須伎神社は、「出雲国風土記」の「阿受伎社」に対応する社で、祭神・阿遅須伎高日子根命は大国主命の長男神に当たります。
「出雲国風土記」に39社が記載されている「阿受伎社」は全て合祀されて、「阿須伎神社」に纏められたようです。

 注 嘗てはこの地に阿須伎神社と称する同名の社が、「出雲国風土記」(733年)に38社、「延喜式」(905年)に11社

   記録されていたが、現在は当社一社を遺すのみです。   (出所) 平成祭データ
   ・「玄松子の記憶」は、「同社」は、 阿湏伎神社の相殿、或いは、同名社と云う意味だとします。
    例として、「同社神韓國伊大弖神社」は「阿湏伎神社の相殿の神韓國伊大弖神社」、或いは、「阿湏伎神社と

    呼ばれている神韓國伊大弖神社」の意味だとしています。これに従います。

   当社に合祀されている多くの神々は延喜式式内社で、その中に、神魂命・天夷鳥命・伊佐我命など伊勢津彦縁ユカリの神々を祀る神社が含まれているので、これを重視します。
  ・阿受枳社  (同社韓国伊太氐神社)       式内   五十猛命
  ・同阿受枳社(同社天若日子神社)         式内 天稚彦命
  ・阿受枳社  (同社須佐袁神社)         式内 素盞嗚命
  ・同社      (同社神魂意保刀自神社)    式内 大刀自神=神魂命・・伊勢津彦の祖母
  ・同社      (同社阿須伎神社)       式内 祭神不詳
  ・同社      (同社神伊佐那伎神社)   式内 伊邪那岐命
  ・同社      (同社神阿麻能比奈等理神社)式内 天夷鳥命            ・・伊勢津彦の父
  ・同社      (同社神伊佐我神社)    式内 伊佐我命            ・・伊勢津彦の兄弟、亦は、同神
  ・同社      (同社阿遅須伎神社)    式内 阿遲須伎高日子根命
  ・同社      (同社天若日子神社)    式内 天若日子命


  赤字で示した神々の伊勢津彦との血縁関係は次の様です。

    注 神々の伊勢津彦との血縁:神魂命(祖母)・天夷鳥命(父)・伊佐我命(同神、亦は、兄弟)

   但し、天夷鳥命と同神とした天御鳥命(神魂命の御子)は、どこにもその名前では祀られていません。
 

 尚、東出雲(松江市・意宇郡)には天夷鳥命の祭祀は見られず、神魂命・天夷鳥命親子の祭祀が西出雲(出雲市・出雲郡)にシフトしていることを知ります。

 亦、東方の因幡国の「天日名鳥命神社」(高草郡)に天日名鳥命が祀られていることは注目です。

<4> 伊努比賣の出雲祭祀

   神魂命(神活須毘神)の祭祀の近くにその子・伊努比賣も祀られているとの推測は許されるでしょう。
 確かに、伊努神社は出雲郡伊農郷に鎮座しています。
  だが、そこに鎮座しているのは、伊努比賣ではなく、赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命です。

   更に不審なのは、出雲には伊努社・伊農社が七社あるというのに、現在の社名も伊努社ではなく、祭神も伊努比賣とは異なるのです。
 
   伊農郷は、神亀三年(726)、伊農郷から「伊努郷」に改称され、出雲の東西二郡に「伊農郷」があります。別には「倭名類従抄」で「伊勢郷」とされ、予て不審感を抱いていた地です。

<4-1>  伊努神社

  先ず、伊努神社から見て行きます。
 「国引きの神・意美豆努命の御子・赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命の社が郷の中に鎮座する」(出雲郡記)とあり、その社は伊努社だとされます。
   ・伊努神社(出雲市西林木町)式内社 出雲國出雲郡 伊努神社
      祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命
      配祀:鵜葺草葺不合命 玉依毘賣命 速秋津比賣命 神皇産霊命 天之甕津日女命
                                                                                                        誉田別皇命 息長足姫命 武内宿禰命
            合祀:合祀式内社(出雲國出雲郡)の祭神を配祀する。
         ・同社神魂伊豆乃売神社 祭神:高産霊神、速秋都比女命、伊豆乃賣神
         ・同社神魂神社             祭神:神魂命(神皇産霊命)、大古利姫神
         ・同社比古佐和気神社    祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭気命・天津彦根命 天之甕津日女命?
         ・意布伎神社                祭神:鵜葺草葺不合命 玉依毘売命
            由緒:733・天平5年2月30日「、伊努社」「伊農社」『出雲国風土記』
          ・伊努卿は今の東、西両林木町・日下町・矢尾町を含む地域を指し、伊努卿の中心部にあり、
         伊努谷川の扇状地の扇頂付近に鎮座している。東西に信仰圏を控え、峠を越すと鰐淵寺川の上流

         に出て日本海に通じ、南は低地に接するという、いわゆる「四通八達」の要衛にある。
        ・当社は郡内58社中第6位に置かれ、大社町の阿受伎神社や、日御碕神社より社格が高かったと

                         思われる節がある。
                ・延喜式に云ふ出雲郡伊努神社、 風土記に云ふ伊努郷、国引坐し意美豆努命の御子、赤衾伊農

                         意保須美比古佐倭氣命の社なり。すなはち郷中に坐す故 伊農と云う。
               ・「出雲国風土記」秋鹿郡伊農郷の由来に「出雲の郡伊農の郷に鎮座される、赤衾伊農意保                                          須美比古佐和気能命の后である天甕津日女の命が、国内をご巡行になった時に、ここにお着きに

                            なっておっしゃったことには、「ああわが夫よ、伊農よ」とおっしゃった」とある。
           ・亦、出雲郡伊努郷の由来に「国引きされた意美豆努の命の御子、赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命

                            の社が、郷の中に鎮座しておられる。」ともある。
 

 伊努神社の表の顔・祭神名は意美豆努命の御子・赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命であり、そこ

には伊努比賣の名前はありません。
   この長い祭神名の冠は「赤衾伊努」亦は「赤衾伊農」で、それは出生地の名前でしょう。

               出雲国風土記:伊努郷、国引坐し意美豆努命の御子、赤衾伊農意保須美比古佐倭氣命の社なり。

                すなはち郷中に坐す故 伊農と云う。
 

 「意保須美比古」が成人名で、「佐倭気能命」=佐別命は「別」に意味があり、母方の領地を継承する立場を意味するのです。         注 これは当ブログの独自解釈ですので、ご批判下さい。

  尚、赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命の后神は天甕津日女命です。

         出雲国風土記(秋鹿郡伊農郷):出雲の郡伊農の郷に鎮座される、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の后である

         天甕津日女の命が、国内をご巡行になった時に、ここにお着きになっておっしゃったことには、

           「ああわが夫よ、伊農よ」とおっしゃった」とある。


 この赤衾伊努意保須美比古佐倭気能命とその后神・天甕津日女命については次報で採り上げることにし、本報では「伊努」にこだわり続けます。

 

<4-2>  伊努(伊農)七社

  出雲には伊努社四社・伊農社三社あり、と云われています。

 そこで、「出雲国風土記」(出雲郡)鎮座の伊努社・伊農社を拾い出し、「延喜式神社の調査」でその祭神を対応させます。それが図表1です。

 

   伊農七社は、結局、現在の伊努神社の中に収められているようです。
 

 この図表1についてコメントを述べます。
    1 伊努神社の祭神は、現在、赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命ですが、配祀神の中の速秋津比賣命 

   神皇産霊命の二神を注視します。前者は水戸神、後者は、勿論、神魂カモスです。
  2 その水戸神は伊農社(神魂伊豆乃賣神社)に祀られているのです。
   伊豆乃賣神と速秋都比女命は、共に、水戸神とされているのです。
  3 比古佐和気神社の祭神は天津日子根命ですが、多くの賢者は社名は比古佐和気なるが故に、

   赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命だろうとします。
  4 神魂神社は当然神魂カモスを祀ります。
  5 別に伊努社(意保伎神社)もあります。
    6 都我利神社は、今は強く意識している「伊勢」の故に、重要です。
      その合祀社・伊佐波神社は式内社で、然も、何と、伊勢志摩に鎮座する伊佐和神社二社と           同名なのです。それ故に、「特選神名牒」は祭神を伊射波止美命としています。
   ・都我利神社(出雲市東林木町)式内社 出雲國出雲郡 都我利神社
      祭神:阿遅志貴高彦根命
      配祀:伊弉諾命 伊弉冉命 速玉男命 事解男命 倉稲魂命 軻遇突命 道實霊神 或いは、津狡命「特撰神名牒」
      合祀:伊佐波神社(式内社/出雲國出雲郡)
           祭神:伊弉諾尊、亦は、伊射波止美命(特撰神名牒)、泣澤女命(出雲國神社考)、
      由緒:伊務神社(西の宮)に対し「東の宮」と云う。拝殿に五額
(稲荷・熊野・都我利・伊佐波・天満宮)あり。
        社伝:白雉三年四月の勧請。阿遅志貴高彦根命は天稚彦命の葬儀に臨み、間違えられて怒り、剣を抜いて喪 

         屋を切り壊します。その剣名・我理が都我利の社号となったと云う。


(3)  天孫族・天穂日命は出雲女神・神魂命に妻問いす

  「大年神神裔譜」(古事記)にある話です。
 須佐之男命の子・大年神は伊努比賣に妻問いして五子神を成したと云いますが、この伊努比賣は神活須毘神の子だと云います。

 この神活須毘神は神魂命だと思われるので、「出雲国風土記」に神魂命に関わる記事を探しますと、出雲における神魂命の活動範囲が見えてきます。

  神魂命はどうも神産巣日神と同神とすべきではないと思います。
 出雲の地主神ですから、或いは、意美豆努命の女神かも知れません。

  本報では、天孫族・天穂日命が出雲国に来て、地主神の女・神魂命に妻問いしたと推測します。

 二神の子・天夷鳥命は国譲りの大業に貢献し出雲臣の祖となります。その子が伊佐我命です。

  これまでもこの妻問い形式の結果、生まれた男子はその地の国主となっています。
 

 先行事例をリストしましょう。  
  例1 天村雲命は白雲神の女・伊加理姫に妻問いす
    先住の伊加理姫が後来の天村雲命との間に成した男子はその地域の首長とされるのが古代の流儀だったと思われ

    ます。二人の間に生まれた継嗣・倭宿禰命(亦名・天御影命)は、堂々と天御蔭志樂別命と名乗り、志樂の首長で

    あることを示し、その後の丹後海部氏の祖となり、そして、伊加理姫神は白雲山の麓の社に鎮まっています。
             (出所) 弥生神代考4ー伊加理姫の謎ー
                         「宗像女神は高皇産霊命の女」説は謎を解く(その4続き)2017年12月19日
  例2 原尾張氏・乎止與命は尾張大印岐の女・真敷刀俾に妻問いす
    乎止與命は、尾張原住の部族長・尾張大印岐の女・真敷刀俾に妻問いして中島郡(今の一宮市)辺りに拠点を張り

    ます。乎止與命は、尾張大印岐の庇護・協力を得て、その地に根付くのです。
        二人の子・建稲種命は成人すると、中島郡に東接する迩波県君(丹羽郡首長)・大荒田の女・玉姫に妻問いして、

    二男四女を得て、尾張氏は更に勢力圏を広めます。
                                           (出所) 尾張古論1   尾張氏の発展  2019年12月16日
      例3 景行天皇は、九州遠征の際、九州妃が生んだ皇子たちが九州分国を支配した話が「日本書紀」にあります。
      例4 天背男命は八倉姫命に妻問いし、二人の間に生まれた男子は各地の主帳になっています。
                                                         (出所)  阿波古史試論(4) 天背男命 八倉姫命に妻問いす 2021年10月05日
      例5 天日別命は伊勢攻略が一段落した時、大国玉神の女・弥豆佐々良姫命命と御合いします。

    生まれた彦國見賀岐建與束命は度会国御神社の祭神で、伊勢の神国造となったと伝わります。
                                  (出所)   

 

  この出雲でも、須佐之男命は、オロチ族を破り、大山津見命の女・櫛名田比売と結ばれ、その地の首長となった、と読みます。

  その上で、結論です。・・「天孫族・天穂日命は出雲女神・神魂命に妻問いす。」