結論を先に云えば、斎部・忌部氏上代譜は正しく説明出来ない要素を含みますので、再編成すべきです。
極端に云えば「天背男命は斎部宿禰本系帳」から削除し、むしろ、「天石門別命」を天背男命に置き換え、
その状態で一云・天背男命といえるかどうかを検討すべきです。 これを説明するのが本報です。
目次 (1) <神魂命系>天石門別命の系譜
<1> A系譜:天石門別命(天石都倭居命)の後裔・天日鷲命の系譜
<2> B系譜:天底立命(天壁立命)の子・天背男命系譜
<3> C系譜:「斎部宿禰本系帳」の天背男命に至る系譜
<4> 結論の系譜1
(2) <高魂命系>天石門別命の系譜
<1> D系譜:「新撰姓氏録」に基づく天石門別命の系譜
<2> 天日鷲翔矢命
<3> 天明玉命
<4> 天神立命
<ア> 天神立命と天背男命との同神論
<イ> 書写ソースにより神名が異なる場合
<ウ> 天世平命・天世乎命・天背斗女命・天背男命
<エ> 天壁立命は天背男命の父神
<5> 天櫛耳命 & 天冨命
<6> 結論の系譜2
(3) 総合結論の系譜
(4) 「天石門別命」一云「天背男命」
(1) <神魂命系>天石門別命の系譜
「斎部本系帳」(安房国忌部家系55コマ)の「天背男命」の項目には注記として「一云天石門別神一云明日名門命、・后神八倉比賣命」とあります。
これを「新撰姓氏録」の情報と対照するとそこに大問題が潜んでいることに気付かされます。
そこで、「新撰姓氏録」に基づいた時、<神魂命系>天背男命の系譜はどうなるのか、をここで検討します。
<1> A系譜:天石門別命(天石都倭居命)の後裔・天日鷲命の系譜
先ず、神魂命児・天石都倭居命(天石門別命)の後裔に神魂命五世孫・天日鷲命(天日和志命)がおり、
そこで次の系譜が成り立つ、と云う事が判り、これをA系譜(前報にあり)とします。
新撰姓氏録:446右京神別天神 多米宿祢 神御魂命五世孫天日鷲命之後也
参照:天石門別4 天石門別神の父:天太玉命ー忌部氏祖神 2021年12月27日
・A系譜:1神魂命→2天石都倭居命(天石門別命)→3・4→5天日鷲命(天日和志命)
注 ここでは、「天石門別命」は、正説が云う天太玉命の子ではなく、神魂命の子となっており、天日鷲命は
五世孫となります。
神代譜はこのように正説とは異なる系譜が出現すると云う、矛盾を含む大問題を幾つも含まれています。
それが後代に系譜作製者が苦心する原因となっています。これは前報で記したことです。
<2> B系譜:天壁立命の子・天背男命の系譜
次に、今木連(山城国)が、自分達は神魂命五世孫・天背男命(阿麻乃西乎乃命)の後裔だと申告しています。 新撰姓氏録:502山城国神別天神 今木連 神魂命五世孫阿麻乃西乎乃命之後也
また、宮部造(左京)が、自分達は天壁立命の子・天背男命の後裔だと申告しています。
新撰姓氏録:389左京神別天神 宮部造 天壁立命子天背男命之後也
亦、税部(山城国)は、自分達は神魂命の子・角凝魂命の後裔だと申告しています。
新撰姓氏録:511山城国神別天神 税部 神魂命子角凝魂命之後也
これらの記述を総合すると、次のB系譜が成り立ちます。3○○○の部分は未詳です。
・B系譜:1神魂命→2角凝魂命→3○○○→4 天壁立命→5天背男命
<3> C系譜:「斎部宿禰本系帳」の天背男命・天日鷲命系譜
「斎部宿禰本系帳」(安房国忌部家系)の伝える天背男命の上代系譜をCに示します。
C系譜:1神魂命→2角凝魂命→3天底立命(天壁立命)→4五十狭布魂命→
5伊加志保命(火雷命)→6天背男命→7天日鷲命
A・B系譜に比べると、C系譜には次の様な相違を見出します。
・ A系譜に比べて、 C系譜は、第3代に天底立命が、第4~5代に「五十狭布魂、伊加志保命」の二神 が夫々入り、
世代数が多くなっています。
・ B系譜の不詳の第3世代にC系譜の第3世代の天底立命(天壁立命)を入れ、C系譜の第4・5世代をスキップして、
第6世代・天背男命を第4世代としてつなげることが許されます。
・ これは「4 天壁立命→5天背男命」(新撰姓氏録389)の理によります。
このC系譜の五十狭布魂命は角凝魂命の子だとするのが「新撰姓氏録591・592・593」です。
新撰姓氏録:591摂津国神別天神 委文連 角凝魂命男伊佐布魂命之後也
592摂津国神別天神 竹原 同上
593摂津国神別天神 額田部宿祢 角凝魂命男五十狭経魂命之後也
これを受けて、C系図を修正すると、五十狭布魂命は天底立命と並び、C2系図を得ます。
この操作で上代譜は一世代縮まります。
天底立命は天壁立命と同神だとされ、しかも、天背男命は、「新撰姓氏録389」(上掲)に基づき、
天壁立命の子です。3天壁立命と天背男とを親子関係で直結すると、4伊加志保魂命(火雷命)は浮いてしまうので、これを削除しますと、C2系譜を得ることになります。
C2系譜:1神魂命→2角凝魂命 ┬3五十狭布魂命
└3天底立命(天壁立命)→4天背男命
<4> 結論の系譜1
図表1の左の<結論の系譜>は以上の議論を踏まえ積もりです。
ここでは天背男命は神魂命の4世孫となっています。
皆様にもこの可否をご吟味下さるようお願い致します。
尚、図表1の右2列の系図は「神別系図」(国立博物館デジタルアーカイブ)に見出したもので、C系図に酷似しています。後報にて検討しますが、丁度良いスペースなので、先にご覧に入れます。
(2) <高魂命系>天石門別命の系譜
天太玉命は歴とした高魂命の子神であり、「天石門別命」はその天太玉命の子神です。
従って、<高魂命系>天石門別命の系譜は欠くことが出来ません。
<1> D系譜:「新撰姓氏録」に基づく天石門別命の系譜
天石門別命は、「正説」に従えば、高魂命の子・天太玉命の子です。
だが、「新撰姓氏録」では、天石門別命は高魂命の子だとする記事はありません。
それでも敢えて正説を則り、天石門別命を取り込み、系譜完成を目指します。
第2世代に高魂命の子・天太玉命が位置付けられると、第3世代には、その子・天石門別命と共に、高魂命の孫とされている、天日鷲翔矢命・天明玉命・天神立命・天櫛耳命の四神が候補となり得ます。
新撰姓氏録:天日鷲翔矢命 398 左京神別天神 弓削宿祢 高魂命孫天日鷲翔矢命之後也
626 河内神別天神 弓削宿祢 天高御魂乃命孫・天和志可気流夜命之後也
天明玉命 449 右京神別天神 忌玉作 高魂命孫天明玉命之後也
天神立命 632 河内神別天神 役直 高御魂尊孫天神立命之後也
天櫛耳命 1175 和泉未定雑姓 日置部 天櫛玉命男天櫛耳命之後也
従って、系譜上、天石門別命は、天太玉命の次に、他の3神(天日鷲翔矢命・天神立命・天櫛耳命)と並ぶカタチで孫の位置に来ます。
系譜製作上は、四神からから孫一人を選択しなければならないワケではなく、複数選択があり得ます。
D系譜:高魂命→ 天太玉命 ┬ D1 天石門別命
├ D2 天日鷲翔矢命(天日鷲命)
├ D3 天神立命(天背男命)
└ D4 天櫛耳命
そこで、D2~D4について次に寸考します。
<2> 天日鷲翔矢命
天日鷲翔矢命と天日鷲命とは、明らかに「翔矢」の有無で、相違しています。
だが、今はその差には目をつむり、天日鷲命として扱います。
天日鷲命は、「新撰姓氏録398・626」により、高魂命の孫です。
天日鷲翔矢命 398 左京神別天神 弓削宿祢 高魂命孫天日鷲翔矢命之後也
626 河内神別天神 弓削宿祢 天高御魂乃命孫・天和志可気流夜命之後也
高魂命の子が天太玉命ですから、高魂命の孫・天日鷲命は天太玉命の子であっても可笑しくはないのです。
だが、前報の図表1に示したように、高魂命の子には、天太玉命の他にも「新撰姓氏録」に安牟須比命・櫛玉命・伊久魂命があり、「他資料」から天忍日命・天思兼命・天櫛玉命・栲幡千千姫命がありますから、一義的に「天太玉命の子は天日鷲命だ」と云い切ることは許されませんが、便宜上、図表2には天日鷲命を天太玉命につなげておきます。
また、参考までに、「斎部宿禰本系帳」も併記して、世代毎の比較に供します。
このまとめの特徴は、天石門別神も天日鷲命・天櫛耳命・天背男命も同世代であることです。
<3> 天櫛耳命 & 天冨命
天櫛耳命は「天櫛玉命の子」(姓氏録1175)ですが、その系譜は諸「系図」で混乱しています。
一例が「新撰姓氏録1175」です。ここでは、天櫛玉命が高魂命の第二世代にあり、その子・天櫛耳命が第三世代にあります。「別な姓氏録587」では櫛玉命は第三世代です。
「新撰姓氏録」への登記内でも系譜には世代のズレがあることです。
「新撰姓氏録1175」では天櫛玉命の子・天櫛耳命が記されていて、和泉国の日置部がその後裔とされています。 ・新撰姓氏録:1175和泉未定雑姓 日置部 天櫛玉命男天櫛耳命之後也
ところが、「斎部宿禰本系帳」では、天櫛耳命は天太玉命(后神・天比理乃咩神)の子とされ、更に、この天櫛耳命の子が天冨命です。
また、「忌部岡島家系」(安房国忌部家系32コマ)では天冨命は大宮賣命の子だとします。
すると、これらのバラバラな情報から、図表2の右半分の断片的な系譜が出来上がります。
天櫛耳命は櫛玉命の子(新撰姓氏録1175)で、櫛玉命は高魂命の子(新撰姓氏録587)ですから、図表2の天櫛耳命の系譜上の位置は右から二段目の1175の下に記し、その右側に世代位置を並べて「忌部岡島家系」と「斎部宿禰本系帳」を比較表示してあります。
<4> 天明玉命
天明玉命は「玉」含みの様々な神々との同神説が有ります。
「新撰姓氏録」が正しいとすると、次の「同神説」の中には間違いがあると云えます。
・「玄松子の神社記憶」での同神扱い:天明玉命(天羽明玉命・羽明玉)・天豊玉命・玉祖命(玉屋命)・
天櫛明玉命(櫛明玉神)
・ウイキペディア「玉祖命」での同神扱い:玉屋命・櫛明玉命・天明玉命・天櫛明玉命・豊玉命羽明玉
玉祖命の父を天背男命としている。
即ち、天明玉命は高魂命の孫(新撰姓氏録449)ですが、櫛玉命は高魂命の子(新撰姓氏録587)ですから、世代がズレているので、天明玉命と櫛玉命とを同神扱いすることは出来ない筈です。
・新撰姓氏録:449 右京神別天神 忌玉作 高魂命孫天明玉命之後也
587 摂津神別天神 小山連 高魂命子櫛玉命之後也
・注 「斎部宿禰本系帳」では櫛明玉命が天背男命の子で天日鷲命の兄弟として登場します。
むしろ、「天明玉命は櫛玉命の子」扱いにする方が合理的で、図表2にはそうしてあります。
図表3で目立つ点は、「新撰姓氏録」への登記内でも系譜には世代のズレがあることです。
一例が「新撰姓氏録1175」です。ここでは、天櫛玉命が高魂命の第二世代にあり、その子・天櫛耳命が第三世代にあります。「別な姓氏録587」では櫛玉命は第三世代です。
<5> 天神立命
<ア> 天神立命と天背男命との同神論
「新撰姓氏録」では、天神立命は高御魂尊の孫です。後裔に役直、葛城直が居ると読めます。 ・新撰姓氏録:632河内国神別天神 役直 高御魂尊孫天神立命之後也
天神立命は、降臨32随従神の一人で「山背久我直等祖」(神代本紀)とされているだけに、山城久我の地に祀られています。
・神足神社(長岡京市神足小字神足) 祭神:天神立命
・久我神社(京都市伏見区久我森宮町) 祭神:建角身命、玉依比賣命、別雷神、
・歯神社(久我神社末社)・・祭神:天神立命
由緒:一説には当社は往古、山背久我国造として、北山城一帯(高野・乙訓)に蟠踞した久我氏の祖
神、興我萬代継神(三代実録)を祀った、本市における最も古い神社の一つである。
・久我氏の衰頽後、賀茂氏がこれに代わってその始神を祀ったのではないか。
・別説では、起源は古く、平安・長岡遷都以前に遡り、「山城国風土記」逸文に云う賀茂氏が
大和から木津川を経て、この久我国(葛野乙訓に亘る地方の古称)の伏見地方に居をすえ、祖神
を祀ったのが当久我神社で、更に賀茂川を北上して今の賀茂の地に鎮まったと考えられる。
・当地方の西方(乙訓座火雷神)から丹塗矢が当社(玉依比売命)に飛来して、やがて別雷神が生ま
れられたとも、此の里では伝承されている。
(出所) 「全国神社祭祀祭礼総合調査」(神社本庁、平成7年)より抜粋
・三代実録:貞観8年8月14日丙戌、 授山城国正六位上・興我萬代継神 從五位下、
貞観16年閏4月7日乙丑、授山城國從五位下・興我萬代継神 從五位上
そして「天神本紀」の降臨随従32神の内に「山背久我直らの祖」が記され、その神名は天神立命と共に天背男命もあるのです。
すると、第一候補として「天神立命は天背男命と同神」説が浮上します。
勿論、それは決定打ではありません。
第二候補説は、この二神は久我直の「父方(男系)の祖」と「母方(女系)の祖」の立場にあり得る、とする最も基本的な血縁関係の表記問題を意識した見方です。
注 この「男系の祖」と「女系の祖」が断りなく「新撰姓氏録」に記載されていることに気付かないと、特に男女
平等系社会の弥生神代期については、理解を間違ってしまいます。
<イ> 書写ソースにより神名が異なる場合
同じ「天神本紀」でも書写ソースが違うと神名が違うのはどうしたことでしょう。
「天神本紀」(先代旧事本紀)*に32随従神の記述があり、そこでは天背男命は山背久我直等祖とされています。ところが、この [C]の「天背男命」の部に赤インクで「天神立命」と追記した人がいます。
* [C]国立図書館デジタルコレクション・先代旧事本紀https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2605934
そこで、別ソースの「天神本紀」をチェックすると、思わぬ結果を得るのです。
即ち、ウエブ上に次の「天神本紀」の4異ソースを得ます。
[A] 「先代旧事本記」巻第三・天神本紀 ・http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/sendaikuji_3.htm
[B] 国史大系. 第7巻 - 国立国会図書館デジタルコレクションの内、先代旧事本紀巻三天神本紀
・https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097
[C] 国立図書館デジタルコレクション・先代旧事本紀全10巻の内、先代旧事本紀巻三天神本紀
・https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2605934
[D] 先代旧事本紀 ・https://mononobe-muraji.blogspot.com/2021/11/sendaikujihongi.html
これらの[天神本紀]に記載された32随従神のリストを探しますと、次の○印の神名を、[A]と[B]は天神立命と記し、[C](49コマ)と[D]では天背男命と記しているのです。
○天神立命 :山背久我直等の先祖
天世手命 :久我直等の先祖
△天背男命 :尾張中島海部直等の先祖
△印の天背男命の項で、[A]・[B](119コマ)・[C](49コマ)では、共に、尾張中島海部直等の先祖と記していますが、 [D]では天背斗女命を尾張中島海部直等の先祖と記すのです。
これらは、書写の過程で、書写人の判断で「過去の記述」を修正していると推測します。
崩し字が読めずに本来の字を別な字に書写した可能性もあります。
<ウ> 天世平命・天世乎命・天背斗女命・天背男命
降臨の随従神の内、天世平命は「久我直らの祖」(天神本紀)、天背斗女命は「尾張中嶋海部直らの祖」(天神本紀)とされ、天背男命との近似性に関心が寄せられます。
天世平命の「平」は「乎」かも知れないと考えられているので、その場合、天世乎命アマセオノミコトと読めるのです。
天孫本紀(32随従神・抜粋):天背男命、 山背久我直らの祖
天世平命、 久我直の祖
天背斗女命、 尾張中嶋海部直の祖
注 天背斗女命を天背男命とする書写本があるのは上述の通り。
この問題は「天香香背男命」論で既に触れたのですが、そこでは天背男命を天香香背男命と同神で扱っています。その論拠は「尾張大國霊神社」にあります。
参考:天香香背男命 ー尾張から東国に先行するも、鹿島神に屈するー2020年10月07日
<エ> 天壁立命は天背男命の父神
更に、「新撰姓氏録」に天背男命の父神は天壁立命とあります。天壁立命を天神立命と同神と読む人も居ます。
・新撰姓氏録:1087右京未定雑姓 大辛 天押立命四世孫剣根命之後也
注 当ブログでは先に天背男命と天香香背男命とを取り上げています。その重要性に鑑みて、次回は、
忌部祖神からみでの「天背男命」を取り上げます。
亦、後日となりますが、再々度、「天背男命と天香香背男命」を取り上げます。
参照:天香香背男命 ー尾張から東国に先行するも、鹿島神に屈するー2020年10月07日
総じて、天神立命は天背男命と同神だとする通説は同意できます。
・新撰姓氏録:632河内神別天神 役直 高御魂尊孫天神立命之後也
そこで、図表2の神立命の下に括弧付きで天背男命を書き込んでいます。逆に天背男命に括弧付きで神立命と表示すべきかも知れません。
<6> 結論の系譜2
既に結論の系譜2は図表2に示しました。ここではそれを更に修正し図表3とします。
図表3は図表2で参考情報として付記した次の部分を、天櫛耳命・大宮比賣命を娶せて、結合したのです。これは飽くまで同世代だけの理由で結合したものであり、論拠はありません。
(参考) 古語拾遺・忌部岡島家系:天太玉命→大宮比賣命→天冨命
(参考) 斎部宿禰本系帳 :天太玉命→天櫛耳命 →天冨命
(3) 総合結論の系譜
「新撰姓氏録」ベースの神魂命と高魂命の後裔・天背男命に至る系譜をこうして得た訳です。
図表1 「新撰姓氏録」神魂命後裔・天背男命に至る系譜
図表2 「新撰姓氏録」高魂命後裔・天背男命に至る系譜
得られた系譜群は相互に似ています。だが、少しずつズレているので、複数の断片系譜をそのまま接続できません。
二つの「結論の系譜1」(図表1)と「結論の系譜2」(図表3)、とを図表4に収めます。
左から「新撰姓氏録」を基準に構成した神魂命系、高魂命系の系譜、最後に、右側に「斎部宿禰本系帳」の系譜を入れて、「結論の系譜」との比較に供します。
図表4の左から右へ、1)神魂命系の系譜、2)高魂命系の系譜、3)「斎部宿禰本系帳」の示す系譜です。神魂命・高魂命からその後裔・天背男命に至る系譜です。
◇ まとめの系譜の特徴
天石門別命を強く意識して「新撰姓氏録」ベースの系譜(図表4)を作ったのですが、ここに見る特徴を箇条書きしにして、結論とします。
1始祖を神魂命・高魂命とする二系統の系譜は並立していて一方を否定する理由はなく、系譜は並
立させざるを得ません。
2天石門別命(忌部二世神)は神魂命系では第二世代に、高魂命系では第三世代に位置づけられます。
3忌部絡みで注目するのは次の諸神です。
・天石門別命、天背男命、天日鷲命、天明玉命(櫛玉命・天櫛耳命・天冨命)
4これらの神々の出現世代は「新撰姓氏録」と「斎部宿禰本系帳」とでは異なっています。
この相違が、忌部氏の系譜作成上、上代譜の齟齬を来している理由と見受けます。
・天石門別命と天背男命との「同神説」(本系帳)があるが、天石門別命は天背男命の一世代古いか
同世代(姓氏録)です。
・天背男命は天日鷲命の「親説」(本系帳)があるが、同世代(姓氏録)です。
・櫛明玉命は天日鷲命の「兄弟説」(本系帳)があるが、櫛玉命の「子説」を推定します。
・櫛玉命・天櫛耳命・天冨命の三世代は直系の可能性を推定します。
5天背男命との相互関係で、他の神々は、系譜上、世代が逆転している場合もあります。
・「天石門別神」の子に天日鷲命と天背男命(天神立命)、及び、天櫛耳命が来ます。
ここでは天背男命と天日鷲命とは同世代です。
これに対して、参考系譜「斎部宿禰本系帳」では天背男命の次に天日鷲命と櫛明玉命が来ま
す。また、天石門別命は天背男命の別名とされています。
・天櫛耳命は「斎部宿禰本系帳」では天背男命3世孫ですが、天太玉命2世孫です。
それを<高魂命系>図で見ると、櫛玉命は高魂命の子・天太玉命の兄弟であり、天櫛耳命は櫛
玉命の子とされています。
この事態の発生について、次の様に推定理解します。即ち、系譜作製の時、或いは、姓氏録へ
の登記申請の時、人々の記憶は世代順序が不正確だった場合があると云う事です。
・[忌部本宗]の天冨命は、天太玉命の孫(斎部宿禰本系帳)とされ、その指揮・活躍なくしては、阿
波忌部も安房忌部も語れない程の人です。実際、「古語拾遺」はこの人の事績をかなりのス
ペースを割いて記しています。
・系譜検討の結果、天冨命は天太玉命の曾孫に相当するのが妥当と見ます。
6「斎部宿禰本系帳」の上代譜には錯誤があり、上代の世代数が多過ぎるし、加えて、著しい矛
盾を孕んでいます。
・それは、天太玉命と天背男命との関係です。天太玉命は天背男命の女ムスメ・天比理乃咩命を
后神とし、天櫛耳命を生んだとされています。
・高魂命と神魂命とを同世代とすると、「斎部宿禰本系帳」では天比理乃咩命は神魂命第7世代
になり、対する天太玉命は高魂命第2世代ですから、5世代のズレを抱えた結婚を想定しなく
てはなりません。この5世代差婚はあり得ないと思います。
・これまで、この5世代差結婚の不可能性を誰も問題にしなかったのは不思議です。
・「新撰姓氏録」に基く図表4の「天背男命に至る系譜」でもこの矛盾点は除かれていません。
7加えて、天比理乃咩命を天背男命の女ムスメとする限り、世代差婚問題ではなく、天太玉命が自
分の孫娘(参照:図表4の高魂命系)と結ばれることはあり得ないのです。
・「古事記」に、景行天皇が倭建命の曾孫・迦具漏比売命を妃として大江王(彦人大兄)を生んだ
とする記述がります。これも伝承の間違いでしょう。
(4) 「天石門別命」一云「天背男命」
「斎部宿禰本系帳」は「天背男命、一云天石門別命一云明日名門命、后神・八倉比賣命」と注記します。
上に得た結論からこれを検討しましょう。
<神魂命系>忌部系譜では、天背男命は天石門別命の孫です。
<高魂命系>忌部系譜では、天背男命は天石門別命の同世代の兄弟です。
この情景を視力の弱い人の視野に擬して考えてみます。
・先頭に天石門別命がその二、三人後から天背男命が歩いています。
よく判らないので、同一人だと見間違えます。或いは、二重写しに見えます。
・幅のある道を兄弟が並んで歩いて行きます。それを遠方から眺めた時、見間違えることもあ
り得ます。
これは、古代からの伝承を、アレは「天石門別命」だと見て、「天背男命」を見間違えるケースなのか、或いは逆に、アレは「天背男命」だと見て、「天石門別命」と見間違えるケースなのではないでしょうか。
「天石門別命」を正説とする「斎部宿禰本系帳」の立場からは、「天背男命」を主とすべきではなく、「天石門別命」を中心に押し出すべきです。
愈々、次は「斎部宿禰本系帳」を中心に各種の「忌部氏系図」を検察する事になりそうです。
皆さま、コロナフリーの良い新年をお迎えください。