目次1 天石門別八倉比売一族
(1) 八倉姫命・大宜都比売命の祭祀
<1> 八倉姫命の祭祀(国府町)
<2> 国津神・大宜都比売の祭祀社(神山町)
<3> 阿波「天石門別」の女神の祭祀
<3-1> 天石門別八倉比売神社・八倉比売神社(徳島市国府町矢野)
祭神:天石門別八倉比売
<3-2> 天石門別豊玉比売神社・豊玉姫神社(名西郡神山町神領)
祭神:天石門別豊玉比売
(上一宮大粟神社境内)
<3-3> 和多都美豊玉比売神社・王子神社(名西郡石井町高原)
祭神:和多都美豊玉比売
<3-4> 多祁御奈刀祢神社 式内社
<3-5> 意富門麻比売神
<3-6> その他の女神たち
はじめに 天石門別八倉比売を娶った天背男命の裔(まとめ)
本文に入る前に、前報のまとめをご覧に入れます。系図からは「天背男命は八倉比売に妻問いした」と見て取れます。「この一連の話」はそこから始まり、筋立てられているのです。
そこで、本報では、八倉比売の祖神は阿波地主神の大宜都比売命であろう、との推測から、八倉姫命・大宜都比売命の二女神の祭祀社を追うことから始めます。
また、最終的には、次報で、八倉比売・大宜都比売命の文化を探ることを狙います。
1 天石門別八倉比売一族
(1) 八倉姫命・大宜都比売命の祭祀
<1> 八倉姫命の祭祀(国府町)
今、天石門別八倉比売神社は祭神を大日靈女命(天照大神)としています。
だが、この祭神は歴史の経過の中で歪められたものではないか、と思われます。
先祀神は後祀神により配祀神にされたり、境内社に移されたり、極端な場合はその祭祀が消し去られます。他の神々に置き換えられてしまう場合が多々あります。
神社名と祭祀神名とが全然一致しない場合はこのケースだと疑って間違いありません。
今は、その例証を挙げませんが、「女神物語ー弥生神代の考察」の各処に見られるのです。
天石門別八倉比売神社の場合は、正にそれです。この天石門別八倉比売神社には神社名と祭神名に接続性がなく、古神名は異なっていた筈なのです。
そこで、ここでは、神社名が示唆する「祭神:八倉比売」説を採ります。
・天石門別八倉比売神社、阿波國一宮、式内大社 祭神:天石門別八倉比売
論社1 八倉姫神社(徳島市国府町矢野531)
祭神:大日孁女命、別名・八倉比売命。
位置:八倉比売神社は気延山の南麓尾根に連なる標高120mの杉尾山(矢野神山)に鎮座す。
古代から山全体が御神体とされ、八倉比売神社も古くは「杉尾大明神」と呼ばれた。
・593:推古元年、気延山山頂から杉尾山に遷座された。
気延山には大小200の古墳があり、一番大きい前方後円墳上に八倉比売神社が鎮座し
ていると云います。
境内社:奥の院(五角形の積石祠)
・箭執神社(祭神:櫛岩窓命・豊岩窓命、=御門の神・天石門別神)
・松熊神社(境内社)祭神:手力男命 天宇受女命
由緒:本宮御本記によると、当松熊神社は麓の箭執神社を矢の御倉とし、当社を弓
の御倉と号し、日靈大神が高天原より天降り座すまで御弓を守り奉ったと記
されている。
・伊魔離神社
・大泉神社(徳島市国府町西矢野、八倉比売神社境外摂社)本殿より西北五丁余に五角の
天乃真名井がある。
元文年(1736~41)まで十二段の神饌田の泉だった。現在、大泉神として祀っている。
論社2 上一宮大粟神社(名西郡神山町) 祭神:大宜都比売命(亦の名:天石門別八倉比売命、大粟比売命)
論社3 一宮神社(徳島市一宮町) 祭神:大宜都比売命、天石門別八倉比売命
注 別な特殊例は石井町の八倉姫神社です。由緒をお読み下さい。
・八倉姫神社(名西郡石井町石井字石井前山)
祭神:八倉姫命
由緒:昭和6年、古墳発掘時に開祖者が神懸となり社殿を建立した。(石井町史)
・鳥居横に標柱・八倉姫神社古墳群あり、境内には箱式石棺が3基あり、狛犬左の小祠下に三つ
目の箱式石棺がある。箱式石棺が3基並んでいることから、この辺りに居を構えていた一族の
墓と考えられる。
・前山山稜は、気延山から西へと続き、この辺りには数百基の古墳が存在する。縦約2m、横約
50cmの「阿波の青石」を使った箱式石棺であり、古墳時代中期と思われる。
八倉比売は、この地の国津神の女として天背男命と婚した、と見て、その生きた時期は弥生後期~晩期だと思われます。或いは、その源流が弥生中期にあるかとも思われます。
この先住部族は、後来部族との婚姻により融合して生き残りますが、後来部族の持ち込んだ文化が次第に優勢となり、影が薄くなって行き、遂には忌部氏の陰に隠れたと見ます。
だが、後世まで「大宜都比売」・「八倉比売」の記憶は遺されたのです。
八倉比売は、「天石門別」の謎を遺して、「天石門別八倉比売神社」に祀られ遺ったのです。
或いは、天背男命と結ばれ天日鷲命を産んだことによって、その名が遺されたと云っても良いかも知れません。
「天石門別」一族については後に追いかける時が来るでしょう。
<2> 国津神・大宜都比売の祭祀社
大宜都比売も、神社の祭神名として遺っただけではなく、阿波の国名としても、太安万侶は「古事記」に記し遺してくれたのです。
太安万侶が、「古事記」で、阿波を大宜都比売と名付けているのには理由があります。
忌部氏渡来より遙か以前に、この阿波は大宜都比売一族が支配していたのではないか、と思われます。勿論、これは当ブログの推測ですので、学者先生にご高察願わなければなりません。
その大宜都比売を祀る神社は、現在でも徳島では次の三社が知られ、正に古代の阿波人は、国津神として、大宜都比売を祀っていたのです。
阿波国一宮の論社は次の三社があります。上記・天石門別八倉比売神社の論社でもありす。
・上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角)式内社(大)論社、阿波国一宮論社、
祭神:大宜都比売命(亦の名:天石門別八倉比売命、大粟比売命)
異説:配祀神扱いで、天石門別八倉比売命・大粟比売命
社伝:大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地
に粟を広めたという。
・腰の宮神社(祭神:事代主命)は上一宮大粟神社の対岸にあり、「葛倉神社」(徳島県神社誌)とされ
ているが、大宜都比売神に随従して伊勢から渡来したと云う。
・一宮神社(徳島市一宮町西丁237)式内社(大)、県社、上一宮大粟神社の分霊を祀る
祭神:大宜都比売命、天石門別八倉比売命
由緒:上一宮大粟神社の鎮座地は鮎喰川上流の神領で、それが不便なので、後世、徳島市一宮町に分霊を
祀った、と云います。
・阿波井上神社(鳴門市瀬戸町堂浦阿波井56)
祭神:天太玉命(忌部氏祖神)、大宣都比売命
由緒:創建年は不詳。中世に三好氏が現在の島田島に奉遷した。
大宜都比売命は、このブログの「弥生神代遍歴の旅」が再び大丹波に戻る時、大歳神の子神・羽山戸神妃として再登場し、八神を生みます。そこには、亦、意外な神々の展開を見る事になります。
暫くお待ち下さい。
阿波国一の宮の何れも大宜都比売命や八倉比売命を祭神とする点では共通しています。
この二女神(大宜都比売命・八倉比売命)は、同神とされることもありますが、云えることは、この二女神は天背男命の来住より先に居住していた部族の女神亦は女首長だった、と思われることです。
今の処、その証拠はありませんが、八倉姫命は大宜都比売の裔だ、とも考えられるのです。
実際、上一宮大粟神社の祭神は大宜都比売命(亦の名:天石門別八倉比売命、大粟比売命)とされているのです。
この「大粟(阿波)比売命」こそ阿波を表徴する最適の神名でもあるのです。
<3> 阿波「天石門別」の女神たちの祭祀
それが阿波の特長なのか、それとも、八倉姫命一族の領国の特徴なのか、は決め兼ねるのですが、阿波は女神の祭祀が多いことに気付かせられます。
式内社からして、多くの女神が祀られています。特に、夫婦神として祀られています。
次の通りです。
名方郡の郡域は、現・徳島市の大部分、名東郡佐那河内村、名西郡(石井町、神山町)、板野郡上板町瀬部に及びます。徳島市国府町も当然名方郡域にありました。
その名方郡に女神が多く祀られているのです。後述しますが、この名方郡は「天石門別」一族の中心地だったと思われます。
図表2 阿波国名方郡(式内社)の女神たち(赤字で示す)
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1 天石門別八倉比売神社・八倉比売神社(徳島市国府町矢野) 祭神:天石門別八倉比売
2 天石門別豊玉比売神社・豊玉姫神社(名西郡神山町神領、上一宮大粟神社境内) 祭神:天石門別豊玉比売
3 和多都美豊玉比売神社・王子神社 (名西郡石井町高原) 祭神:和多都美豊玉比売
4 多祁御奈刀祢神社 (名西郡石井町浦庄) 祭神:多祁御奈刀祢神
5 意富門麻比売神社・宅宮神社(徳島市上八万町上中筋) 祭神:意富門麻比売(大苫邊尊)・大年大神
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<3-1> 天石門別八倉比売神社 (既述のため略)
<3-2>&<3-3> 天石門別豊玉比売神社・豊玉姫神社, 和多都美豊玉比売神社・王子神社
ここに見る「天石門別豊玉比売神社・豊玉姫神社」、[和多都美豊玉比売神社」は海神の祭祀です。
前報では、大麻比古命の妻:黒島の磯根御気姫命の父・布留多摩命が大綿津見神・豊玉彦命の子神である事が明らかとなりました。
その系譜に従えば、此の近隣地域に海神の祭祀があっってもおかしくはないのです。確かに、この地域の海神祭祀はこの式内社のみならず、何社も鎮座しているのです。
「綿津見神社の調査結果報告書」によれば、徳島県には綿津見系神社は25社あり、全国852社に比較されます。 注 「綿津見神社の調査結果報告書」(安曇誕生の系譜を探る会ゆかりの地部会)平成27年2月
ここでは、特選式内社に2~3の式外社も加えて、リストして示します。
図表3 阿波の海神祭祀
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・ 朝立彦神社(徳島市飯谷町小竹)式内社 阿波國勝浦郡 阿佐多知比古神社
祭神:豊玉毘古命 豊玉姫命
由緒:(式内・阿佐多知比古神社なら、阿佐多知比古が元の祭神か)
・ 宇奈爲神社(那賀郡那賀町木頭字内の瀬)式内社 阿波國那賀郡,十二社神社とも呼ぶ。
祭神:豊玉彦命 豊玉姫命 玉依姫命
由緒:十二社神社・十二社権現とは熊野からの勧請社を意味する。承暦年間(1077~1080)、紀伊国から湯浅
権守俊明が当地の領主となり、熊野十二社権現を宇奈爲神社に勧請、その後、十二社権現が主となった
神社。
・宇奈爲神社と名を戻した今も神社の中心は熊野権現で、拝殿の後ろの本殿は熊野本宮、右に熊野新宮、
左に熊野那智宮が鎮座している。本来の宇奈爲神社社殿は、熊野本宮の後方の高い場所にある。
拝殿後方には、熊野三社が並び、右手には、八社宮・鎮守社・水天宮・轟祠・牛王祠・王子祠、左手に
は、阿須賀社が鎮座している。
・これら社殿の並びより一段高い後方に、一社だけ社殿があり、それが宇奈爲神社本殿。
・ 王子和多津美神社(徳島市国府町和田宮の元)式内社 阿波國名方郡、 祭神:豊玉姫命
・ 王子神社(名西郡石井町高原字桑島) 式内社、別名:豊玉毘売神社、 祭神:豊玉比売命、
・ 王子神社(名西郡石井町高原中島) 式内社、別名:豊玉毘売神社、 祭神:豊玉比売命、
・ 雨降神社(徳島市不動西町) ・式内社 阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社、祭神:豊玉媛命
・式内社 阿波國名方郡 和多都美豊玉比賣神社
・速雨神社(徳島市八多町板東91)式内社 阿波國勝浦郡 速雨神社 祭神:豊玉比女神、
由緒:創祀年代は不詳。 「阿波國式社略考」では、祭神は豊玉彦命とされている。
・豊玉比女神は、海神・大綿津見神の女です、妹・玉依比女命は山幸彦命(穂穂手見) と結婚し、
鵜葺草萱不合命をもうけ、天皇家の神話期の伝承となっています。
・ 大御神社(神山町、上一宮大粟神社境内社) 祭神:豊玉姫命
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参考:王子神社(徳島市八万町向寺山)
由緒:境内石碑「王子神社縁起」には天照大神の
第一皇子・天忍穂耳命を祀る一王子祠が八万町福万谷に、
第二皇子・天之菩卑能命を祀る御縣神社が小松島市に、
第三皇子・天津日子根命が当社に、
第四皇子・活津日子根命を祀る四王子神社が八万町長谷に、
第五皇子・熊野久須毘命を祀る熊野神社が丈六町に在ると記されている。
・八万村史には第二皇子は八万町柿谷の二王子祠に祀られ、一王子から四王子までが八万村に在ったと云う。
・山麓の反対側(西側)には朝宮神社(古くは旧八万村の氏神で、御祭神は大靈女尊(天照大神)と月読命が、
南側には天王神社(祭神・素盞嗚尊)も鎮座する。
・また社殿裏には、天津彦根命の御陵が存在する。
磯根御食比売の伯母・豊玉姫命の祭祀の存在からは、父・布留多摩命の祭祀も在る筈だと考えますが、残念ながら、当地では未発見です。
父・布留多摩命の祭祀は摂津岸和田市の式内・夜疑神社(岸和田だんじりの一角)があるのみです。
・夜疑神社(大阪府岸和田市中井町2-7-1、式内社) 祭神:布留多摩命
<3-4> 多祁御奈刀祢神社 式内社
多祁御奈刀祢神社の祭神は、江戸時代までは、建御名方命一柱だった由なので、「女神」絡みの神社とは云い難いですが、一応、リストします。
「阿府志」では、高志国造の阿閇氏がこの附近に住み、この地に産まれたという建御名方命を祀った、と云います。
注 建御名方命は北陸の地に、母・高志沼河姫と父大国主命の子として生まれたとする伝承あり。
多祁御奈刀祢神社(徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1) 祭神:建御名方命・八坂刀売命
<3-5> 意富門麻比売神
意富門麻比売神(大苫邊尊)は「神託・卜占の大女神」と見ます。
その理由は、「神言苫比売の謎」を解くと判るのです。
天日鷲命の后神・神言苫比売については、情報が無く分からない、と前報しましたが、・・・。 参照 阿波古史試論(4) 天背男命 八倉姫命に妻問いす 2021年10月05日
だが、宅宮神社(式内・意富門麻比売神社の論社)にヒントがあって、神言苫比売の「謎」が少し解けたかに見えますので、関連を追記します。
意富門麻比売神の「門麻」は「苫トマ」と読むので、神言苫比売は、「神言」(=神託、託宣)+「苫」(=門麻、占)と分解すると「神託・卜占の女神」だと判るのです。
阿波・名方郡の著名大社十二社を巡る「十二社詣り」の筆頭が当社(現・宅宮神社)なので、意富門麻比売(大苫邊尊)は相当に神位が高く、神言苫比売と同じ「神託・卜占の女神」だと見ます。ひょっとすると、神言苫比売の祖神かも知れません。
この大苫邊尊は、元々、神話上では、神代七代(日本書紀)の第五代に夫婦神として誕生した女神(男神は大戸之道尊)に当たります。
意富門麻比売神社(宅宮神社) 祭神:大苫邊尊(意富門麻比売)
説明:天正年間(1573年-1593年)、長宗我部元親が阿波国侵攻の際、兵火により社殿が焼失。
その後、神林地(現在地)に社殿再建、宅宮大明神として奉斎、現在まで日本唯一の家宅の守護神である。
稚武彦命は江戸中期の寛保元年(1741年)の勧請の故、ここでは略す。
<6> その他の女神たち
この他にも、式内社だけでも、何社も数える女神祭祀を見出します。
この女神祭祀の多さは、阿波徳島の一大特徴とも云うべく、ブログ「女神物語ー弥生神代の考察」に相応しい地域と云えそうです。残念ながら、深掘りする情報に欠けますが、・・。
図表4 阿波国麻殖郡(式内社)の女神たち(赤字で示す)
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1 天水沼間比古神・天水塞比売神社2座 敷島神社(吉野川市鴨島町敷地)に合祀
2 秘羽目神足浜目門比売神社2座
・杉尾神社(吉野川市鴨島町牛島杉尾) 式内社 麻殖郡 秘羽目神足濱目門比賣神社二座
祭神:天水沼間彦神 天水塞姫神
・中内神社(吉野川市鴨島町西麻植中筋) 祭神:秘羽目神・足濱目門比賣神(天日鷲命の后神)
由緒:創祀年代は不詳。名神大社である忌部神社の仮宮伝承があると云う。
当社は江戸時代、「中の内宮」と呼ばれたという。中内大明神とも。江戸時代中期の寛保元年
(1741年)、天日鷲命が合祀されたという。
・当社の古地は敷地の天足宮とする説があり、その地の小字は日和女、当地の西南200mには秘和女
塚がある。
・天足宮は、敷島神社に合祀の雨宮と考えるのが一般的で、式内社「天水沼間比古神天水塞比売神社
二座」のこと。
・当社の東には関や木留、諏訪などの河浜に関係の深い地点の多い吉野川沖積層の村落があり、その
水防の神として祀られたものと考えられている。
・秘羽目神は「秘羽目門比古神」の略称で、「千濱の門の比古神」。足濱目門比賣神は「葦濱の門の
姫神」で、河浜の門を司る水防の男女神のこと。
・八幡神社(吉野川市川島町児島前池北)
祭神:秘羽目神・足濱目門比賣神、誉田別天皇
・秘羽目神足浜目門比売神社二座に比定される式内社の論社。 阿波国 麻殖郡
・天正年間(1573年-1592年)、戦火で焼失。[川島町史]の下記の記載が式内比定の根拠。
「蜂須賀氏が阿波を領すると、式内日羽女神社の社号は差支えありとして改称を申渡された。やむな
く誉田別命を合祀し、鎮守八幡神社と改称した。(後略)」
・秘羽目神は「秘羽目門比古神」の略称で、「千濱の門の比古神」。
・足濱目門比賣神は「葦濱の門の姫神」で、河浜の門を司る水防の男女神のこと。
3 天村雲神伊自波夜比売神社2座
・天村雲神社(吉野川市山川町流) 祭神:天村雲命 伊自波夜姫命
・天村雲神社(吉野川市山川町村雲) 祭神:天村雲命 伊自波夜姫命
4 建嶋女祖命神社(小松島市中田町字広見)式内社 阿波國那賀郡 祭神:建嶋女祖命
5 賀志波比売神社(阿南市見能林町柏野)式内社 阿波國那賀郡 八幡神社飛地境内末社 祭神:賀志波比賣命
6 古烏神社(阿南市宝田町川原)式内社 阿波國那賀郡 建比賣神社、正八幡神社末社 祭神:建比賣命
7 津峯神社(阿南市津乃峰町東分)式内社 阿波國那賀郡 賀志波比賣神社 祭神:賀志波比賣命 相殿 大山祇命
8 室姫神社(阿南市新野町入田)式内社 阿波國那賀郡 祭神:室比賣命(木花咲弥姫命)
9 鹿江比売神社(鳴門市大麻町板東塚鼻)
10 杉尾神社(吉野川市鴨島町大字牛島字杉尾)式内社 阿波國麻殖郡 秘羽目神足濱目門比賣神社二座
祭神:天水沼比古神 天水塞比賣神
11 田寸神社(三好郡東みよし町加茂字山根)式内社 阿波國美馬郡 祭神:田寸津彦神 田寸津姫神
12 横田神社(三好郡東みよし町加茂字中村)式内社 阿波國美馬郡 祭神:市杵島姫命、
異説:玉依姫命(名神序頌)、猿田彦命(阿波式内神社考)
13 葦稲葉神社 殿宮神社(板野郡上板町神宅字宮ノ北)式外社 葦稲葉神 続日本紀
葦稲葉神社・ 祭神:葦稻羽神(倉稻魂命)、鹿江比賣神
殿宮神社・ 祭神:素盞嗚尊
14 船盡神社(名西郡神山町阿野字歯ノ辻)式外社、 祭神:船尽比売尊・天手力雄尊
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<4> 杉尾神社
天石門別八倉比売姫神社は杉尾山(気延山の南麓尾根)という小山の上に鎮座し、その由緒に「当社は鎮座される杉尾山自体を御神体としてあがめ奉る」とあるので、この一帯に分布している「杉尾神社(約20社)の淵源ここにあり」と見ます。
杉尾山は「大宜都比売命」亦は「天石門別八倉比売姫」の代名詞なのではないでしょうか。
本来は大宜都比売命神社、亦は、八倉比売命神社とすべきを、そうしないで、杉尾神社としたところが「ミソ」なのではないか、と思われます。
「平成祭データ調べ」を引用して杉尾神社の徳島県内の分布を「玄松子氏」が紹介しています。
引用:徳島には、杉尾神社が22社、存在する。祭神は、大己貴命13社、住吉三神1社、素盞嗚尊1社、事代主命1社、
少彦名神1社、建御名方命1 社、天石門別八倉比賣神2社、不詳1社、天水沼間彦神 天水塞姫神1社。
大己貴命を祭神とする神社が多く、当社祭神も大己貴命だったのではないだろうか。
延喜式の頃には、秘羽目神足濱目門比賣神社と称し、後に、大己貴命を祀るようになった時点で、杉尾神社と号
し始め、その後、式内社に比定され、社名はその儘に、取り違えた神を祭神としてしまったのではないだろう
か。 (出所) 「杉尾神社」玄松子の神社記憶
玄松子氏は「当社(杉尾神社)祭神は大己貴命だったのではないだろうか。」としておられます。
だが、天石門別八倉比賣神社が杉尾山の山上に鎮座している事を考えると、「杉尾」は重要な意味を持つと思われますので、本来、杉尾神社は天石門別八倉比賣を祭神としていたもの、と思われるのです。
今は、祭神としての八倉比売は少数派となりましたが、それは歴史推移の中で本来の祭神が判らなくなり、地主神としての大己貴命などに置き換えられて行った、と推測します。
図表5 阿波徳島の杉尾神社調べ
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徳島市 5:杉尾神社(板野郡藍住町笠木字中野) 祭神:天石門別八倉比売命
・当社の祭神は天石門別八倉比売命と申し、此の地に奉斎された年代は不詳なるも、村民は杉尾
大明神と尊称し深く崇拝す。室町時代、当地に笠木城あり城主笠木掃部頭特に当社を崇敬され
たと謂う。
・蜂須賀家政公ある時当社の前を馬にて通過せんとするに馬進まず、已むなく下馬し当神社を参
拝再び馬上の人となれば忽ち馬進めり。是より家政公当社を崇敬し、蜂須賀家の家紋入り高張
提灯を奉納す。
+杉尾神社4社 (西新浜町1丁目・国府町東黒田字榎島・飯谷町杉尾・大松町宮ノ本)
三好市&三好郡 2:杉尾神社(池田町ハヤシ・三好郡東みよし町足代)三好郡池田町に杉尾通りあり。
美馬郡つるぎ町 2:貞光猿飼・半田日浦
美馬市美馬町 2:丸山・宮前
名西郡 1:神山町鬼籠野字一ノ坂
吉野川市鴨島町 2:喜来・牛島杉尾
・杉尾神社(鴨島町牛島杉尾)式内社阿波國麻殖郡、祭神:天水沼比古神 天水塞比賣神
阿波市 1:土成町土成字田中3
阿南市 3:桑野町西谷126・福井町宮宅・那賀川町八幡柳ノ本
海部郡海陽町 2:櫛川字宮ノ前・吉野片山
小松島市 1:田野町鳥居本
那賀郡那賀町 2:蔭谷岡・横石石原
勝浦郡勝浦町 1:星谷宮原 Σ24社
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杉尾大明神・杉尾社など:1 勝占神社(徳島市勝占町中山)1875:明治8年までは杉尾大明神と呼ばれた。
2 建布都神社(阿波市市場町香美)はかつては杉尾社とも呼ばれた。
3 奥の院(八倉比売神社社殿裏):阿波の青石から成る「五角形の磐座」
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「玄松子氏調べ」を裏付けするため、グーグル地図上に杉尾神社を探しますと、社数は24社に及び「平成神社調べ」を上回り、その上、江戸時代には「杉尾大明神」などと称した神社が別に出てきますので、往古、「杉尾」を冠する神社は相当数あったと推定出来ます。
今の段階では、根拠は弱いですが「仮説:杉尾神社は天石門別八倉姫命祭祀の隠れである」(図表3&6)を遺して、先を急ぎます。
証拠不十分ながらの上古覗見の積もりです。