目次1 本報 天背男命が八倉姫命に妻問い
       (1) 天日鷲命の生誕地
          <1>  天日鷲命の生誕地・気延山界隈(阿波・名方郡)
          <2> 妻問いは
       (2) 天日鷲命の兄弟姉妹五人
          <1> 櫛明玉命
          <2> 許登能麻遅命・天萬多幡千幡比売命
          <3>  関連の寸論:
                                       <3-1>   「叔母甥婚」と「異母兄妹婚」
                                       <3-2> 「穂屋姫命の異母兄妹婚」の二伝承
                                       <3-3> 系譜研究の難しさ
          <4>  天比理乃咩命
          <5>  天津羽羽命
       (3)  天日鷲命の后神:
                              <1> 神言苫比売命
          <2> 足濱日門比売神
       (4) 大麻比古命の后神
          <1> 黒島は何処?
          <2> 黒島の磯根比売命
       (5) 推定:天背男命は阿波を去る
          <1>天背男命は八倉姫命への初めての妻問いの約10~15年後に阿波を去る。                                    <2>  天背男命は天石門別命なり 
     2次報 天石門別八倉比売一族

 

<本文>

(1)  天日鷲命の生誕地

<1>  天日鷲命の生誕地・気延山界隈(阿波・名方郡)

 天背男命は八倉比売命に妻問いしたようです。

  「安房国忌部家系」(斎部氏本系帳55コマ)は天背男命の后神は八倉比売命だと注記しています。

 

 先住の八倉比売部族は、彌生後期には少なくとも、鮎喰川流域にあったようです。
  「天日鷲命の生誕地は八倉姫命の住地である」と見るのが「妻問い婚」時代の常識です。
 天日鷲命は阿波で成人したのです。

 麻殖郡域も、往古は「八倉姫一族の領域」だったのではないか、とすら思われます。
 天日鷲命が誕生すると、八倉比売一族はその誕生を祝って麻殖郡域を天日鷲命に開かせたかも

知れないのです。

<2> 妻問いは

  この「妻問い」と「継嗣・天日鷲命の麻殖郡域の開発」の推測根拠は次の様です。

  「後来部族の男首長が先住部族の女首長(亦は男首長の女ムスメ)と結ばれて、生まれた子はその地元

     の首長となる」と云う古代ルール(仮説)がありそうなのです。

  この「女神物語」でこれまでに採り上げた二例は次の通りです。
 
 例1  天村雲命は白雲神の女・伊加理姫に妻問いす
  先住の伊加理姫が後来の天村雲命との間に成した男子はその地域の首長とされるのが古代の

      流儀だったと思われます。
  二人の間に生まれた継嗣・倭宿禰命(亦名・天御影命)は、堂々と天御蔭志樂別命と名乗り、志樂

  の首長であることを示し、その後の丹後海部氏の祖となったのでした。
  そして、伊加理姫神は白雲山の麓の社に鎮まっています。
    (出所) 弥生神代考4ー伊加理姫の謎ー「宗像女神は高皇産霊命の女」説は謎を解く(その4続き)2017年12月19日
 

 例2 原尾張氏・乎止與命は尾張大印岐の女・真敷刀俾に妻問いす
  乎止與命は、尾張原住の部族長・尾張大印岐の女・真敷刀俾に妻問いして中島郡(今の一宮市)辺り   

  に拠点を張ります。乎止與命は、尾張大印岐の庇護・協力を得て、その地に根付くのです。
      二人の子・建稲種命は成人すると、中島郡に東接する迩波県君(丹羽郡首長)・大荒田の女・玉姫に

      妻問いして、二男四女を得て、尾張氏は更に勢力圏を広めます。
                                        (出所) 尾張古論1   尾張氏の発展  2019年12月16日

 これに加えるならば、景行天皇の九州遠征と九州妃の生んだ皇子たちが九州分国を支配した話が「日本書紀」にあり、これを図表に「例3」として示します。
   

 




 

 尚、神社は神話的な古伝承の証だと云うのに、この阿波には天日鷲命の父・天背男命を祭神とする神社を見出せず、やや寂しさを感じます。何処かに祀られていると良いのですが、・・。

 追記:天背男命の祭祀を四国内で見つけました。残念ながら、それは阿波国内ではなく、主として土佐国内です。

    追加的に、伊予国にも見出します。次のブログ文に記載あり。

   ・参照「天石門別6 天石門別命・天背男命の謎(続) 2022年01月19日」の図表9、及び、図表10-1&2

 「天日鷲命」については、近い将来「続報」を書く予定ですが、その前に「天背男命」を「天香香背男命」も含めて、再考察しなければならないでしょう。
                                    参照 天香香背男命 ー尾張から東国に先行するも、鹿島神に屈するー2020年10月07日

(2) 天日鷲命の兄弟姉妹五人

  天日鷲命の兄弟姉妹は皆この地で育ったことでしょう。

  天日鷲命(天日鷲駆矢命)の兄弟姉妹は次の如くで、錚錚たる男神・女神だと云えます。
      1 櫛明玉命       :玉造部祖と記され、出雲意宇郡忌部町に
  2 許登能麻遅命     :興台産霊命コゴトムスビとの間に生んだ天児屋命(中臣氏始祖)は、叔母・天萬

                                  多幡千幡比売命(天日鷲命女)を娶ります。「叔母・甥婚」です。
  3 天比理乃咩命     :天太玉命の妃
  4 天津羽羽命        :事代主神の妃
  5 天萬多幡千幡比売命:天児屋命の妃

  これらの兄弟姉妹について、次に寸論します。
 尚、ここでは、別論も引用・併記しますが、基本は「安房国忌部家系」に従うとする方針を維持します。

<1> 櫛明玉命
 櫛明玉命は出雲忌部の祖と云われますが、その子に大多麻流命と阿岐国造の祖・天湯津彦命がおり、大多麻流命の女ムスメ・玉之美良媛は天八現津彦命の妻となったと云います。
  注 「斎部宿禰本系帳」櫛明玉命:此の者玉造部祖也
     ・天照大神の岩戸隠れの時、八尺瓊曲玉を作ったと「古語拾遺」にあり。
     ・玉作湯神社(島根県松江市玉湯町玉造)式内社 出雲國意宇郡 県社
                祭神:櫛明玉神 大名持神 少毘古那神
                合祀:式内社 出雲國意宇郡 同社坐韓國伊太氐神社 五十猛命
                境外摂社:式内社・出雲國意宇郡 布吾弥神社, 飛地摂社:布吾彌神社(祭神:大名持命)
                由緒:創祀年代は不詳。式内社・玉作湯神社に比定されている古社。


<2> 許登能麻遅命・天萬多幡千幡比売命
 許登能麻遅命の出自については、「安房国忌部家系」は天背男命の女(天日鷲命妹)とします。

                注 「斎部宿禰本系帳」(神魂命系)許登能麻遅命:天児屋根命母也

  亦、天萬多幡千幡比売命は許登能麻遅命の妹で、しかも、天児屋命の妻となったと云います。

姉が産んだ男子と妹が婚するのは「叔母甥婚」です。
      注 「斎部宿禰本系帳」(神魂命系)天萬栲幡千幡比売命:
            天児屋根命后神、天忍雲根命・丹潟姫命母神也、一云・大宮媛命、一云・天女鈿命、
            一云・大之戸幡姫命、一云・棚織比売命、一云・大八千々比売命、


 だが、これには異論があります。
 穂積眞年編「中臣氏総系」に、許登能麻遅媛命は安国玉主命の女ムスメだとしているのです。

  (出所)・「諸系譜」第三冊国会図書館デジタルアーカイブ62コマ、 鈴木真年「中臣氏総系」)
  引用:天児屋根命(太詔戸命・武乳速命・天見通命)母・安国玉主命女・許登能麻遅媛命、天降坐摂津国島下郡

     宿久山式島下郡須久々神社是也二座 居同国武庫郡児屋里、
        ・穂屋姫命(異母妹)一号大宮媛命、亦名、栲幡千々姫命
      ・天忍雲根命(天村雲命)の母・栲幡千々姫命


 天児屋命の母が許登能麻遅媛命だとする点では両系譜とも同じですが、この母の出自が異なる

のが不審です。
 「安房国忌部家系」は、許登能麻遅媛命の父は天背男命、母は天石戸別八倉比売とします。

 「中臣氏総系」は、父は天石門別安國玉主命とするが、母については記述がありません。
 何と、この天石門別安國玉主命は土佐・高知に祀られているのです。
    注 天石門別安國玉主命は式内・天石門別安國玉主神社に鎮座します。
                     (高知県高岡郡越知町黒瀬)、及び、同名社(吾川郡いの町神谷)


  次の図表を比較・考察する時、人は母の名前を出さない方の系図を疑う筈です。

  古代は母系社会ですから、母の名は父の名よりも重要なのです。

 両図の比較では、天背男命が天石門別安國玉主命と対比され、母:天石戸別八倉比売が不詳の母と対比されます。そして、「天石門別」が両図に別なカタチで顕れていることに気付かれるでしょう。
 

 亦、 「斎部宿禰本系帳」(神魂命系55コマ)では天背男命は天石門別神だと記していますので、「天石門別」を少し掘り下げて見る必要があります。暫く、後報までお待ちください。

 

 尚、神社は神話的な古伝承を伝える筈なのに、この阿波には天日鷲命の父・天背男命を祭神とする神社を見出せず、やや寂しさを感じます。何処かに祀られていると良いのですが、・・。
 「天日鷲命」については、近い将来「続報」を書く予定ですが、その前に「天背男命」を「天香香背男命」も含めて、再考察しなければならないでしょう。


 許登能麻遅媛命の母は誰なのか、一応の答は八倉姫命です。だが、決定的ではないのです。

<3>  関連の寸論:
 

<3-1>  「叔母甥婚」と「異母兄妹婚」
 「中臣氏総系」は許登能麻遅媛命は穂屋姫命と同一人だと明かします。
 「安房国忌部家系」では、天日鷲命の妹・天萬多幡千幡比売命は天児屋命の妃(妻)だとしていますので、天児屋根命は母の妹・叔母と結婚していることを示しています。「叔母甥婚」です。

  「中臣総系」は、天児屋根命の後継・天忍雲根命の母とされる栲幡千々姫命は、穂屋姫命のことであり、天児屋根命の異母妹だと記します。
 それならば、天児屋根命と穂屋姫命とは「異母兄妹婚」により結ばれたのです。

<3-2> 「穂屋姫命の異母兄妹婚」の二伝承

 亦、「中臣氏総系」は許登能麻遅媛命は穂屋姫命と同一人だと明かします。
                注 穂屋姫命(異母妹)一号大宮媛命、亦名、栲幡千々姫命・・「中臣氏総系」

  すると、もう一つの注目点が浮上します。
 この天児屋根命に関する「穂屋姫命の異母兄妹婚」伝承と極めて似た「穂屋姫命の異母兄妹婚」が天火明命・天香山命系に存在することです。 (参照:次図表)

  しかも、(天香山命の)子・天村雲命は(天児屋根命の)子・天忍雲根命(一云天村雲命)と比較対照され、そこに驚くべき類同性を見るのです。

 

  「中臣総系」は、天児屋根命の後継・天忍雲根命の母・栲幡千々姫命は、穂屋姫命のことであり、天児屋根命の異母妹だと記します。それならば、天児屋根命と穂屋姫命とは「異母兄妹婚」により結ばれたのです。

<3-3> 系譜研究の難しさ

 

 それにしても、この「類同性」は驚きです。
  このような場合、「天火明命=興台産霊命」説、或いは、「天香山命=天児屋根命」説、を称える人が出て来ることを危惧します。
 色々な神々を捉えて、安易に「同神論」を展開している数多の人がいます。その「同神論」を堅持して様々な系統の「系譜論」を引用して、古史が解釈されているようです。

 「同神論」は情報の少ない神代を単純化・簡単化する上では有効ですが、同時に、間違いを引き起こす可能性が大きい、と思われます。

 これは「古伝に混淆あり」と云う事を示しているのではないでしょうか。

 そこに意図が働いたのか、類例が偶然に生じたのかを別にしての捉えです。

 古系図は屡々このような混線を生んでいると思われ、その場合は、充分な論考を欠いて、早急に、一方が正しく、他方が間違いだと断じたり、無理に一系図に編輯・作成しようとするのは危険です。

 

 屡々、ウイキペディアにもそのような編輯事例を見ますが、説明・コメントなしでの編輯事例の表示は慎むべきでしょう。

 むしろ、当初は静観・併記して、その系図の各段階毎の考察とその根拠を多くの人々が公開し続け、広論するのが良いと考えます。
 今は、この事実を明かにしましたので、後の広論に委ねたいと思います。
 

  尚、屡々、「系譜資料の出所」の表記が不十分で再検索に手間を要する事があります。

  これはウイキペディアの記載にも当て嵌まります。(出所)は情報源が何処にあるかまで指定することが求められ、ウイキペディアの執筆者やブログ同好の皆様のご配慮をお願いしたいと思います。

<4>  天比理乃咩命
  天比理乃咩命が天太玉命の妃となったことで、天背男命の血統は忌部氏祖神・高皇産霊神の血とつながります。
 
 「斎部宿禰本系帳」は「安房国忌部家系」の50コマ目から始まり、その次コマから系譜が始まります。その冒頭が高皇産霊神で、その子・天太玉命の注記に「亦名・天神玉命、亦名・玉櫛比古命、后神・天比理乃咩命」とあります。

  天太玉命の次は「天櫛耳命」が記されていますが、何の注記もありません、そのまま次は「天冨命」に系譜線が引かれており、天櫛耳命は注記を伴なわない謎の人物です。

 先に、天河別命神社の伝承では、祭神・天河別命は天石門別命=天櫛耳命と同神説があることをご紹介しました。だが、次の様に情報を集めると、混乱は増すばかりです。
  ・「安房国忌部家系」(「斎部宿禰本系帳」神魂命系55コマ)では「天背男命は天石門別神なり」とします。
  ・ 「古語拾遺」には、天石門別命は忌部氏の太祖・天太玉命の御子神と記されていますので、天石門別命は天富命の父

       神と云うことになります。

  「斎部宿禰本系帳」は高皇産霊神に始まる本系C1に加えて、系譜途中で、婚姻により本系C1に三回合流する神魂命を始祖とする流れC2があります。

  その第一回目の合流(婚姻)は天太玉命(C1)と天比理乃咩命(C2)の婚です。

 夫々の注記は次の如く一致します。
                             C1の注記    「天太玉命    :亦名・天神玉命、亦名・玉櫛彦命、后神・天比理乃咩命」
                            C2の注記    「天比理乃咩命:一云・稚日女命、天太玉命后神」
                        注 二回目の合流は大麻比古命の子・由布津主命(神魂命系)と飯長姫命(高皇産霊神系)との婚姻
                              三回目の合流は、奈良時代に、弟名美咩(神魂命系)と伊侶弗(高皇産霊神系)との婚姻


   安房忌部氏は天比理乃咩命を洲崎神社(館山市)に祀ります。
 すると、頼朝公は平家追討を命ずる令旨を受けて挙兵するも石橋山の戦いに敗れ真鶴岬から逃れて安房へ到り、再起を図る危機に、洲崎神社に源氏の再興と武運長久を祈願します。

 やがて、幕府樹立の暁に、頼朝公は社領寄進、社殿造営を以て神恩に報います。
 源頼朝公は、更に、1191:建久2年、名神大社・安房神社の御分霊を武蔵国に勧請し、幕府直轄の神社として「洲崎大神」を創建しています。 

                                                参照:東国の神裔考(4)  洲崎神社は海を渡った 2021年08月30日

 阿波に来てみると、それだけではないことを知ります。
 1187:文治3年、源頼朝公は山崎・忌部神社(吉野川市山川町忌部山)に、田畑一千町歩を寄進しています。                    参照:阿波古史試論(2)  忌部氏の阿波渡来と定住 2021年09月23日

 天比理乃咩命は鎌倉時代の幕開けに大役を果たしたのです。

<5>  天津羽羽命
 天津羽羽命は事代主神の妃だと「安房国忌部家系」にあります。
             注 「斎部宿禰本系帳」(神魂命系)天津羽々命:一云・天御梶比女命、八重事代主命后神、
 
  次報で取り上げますが、事代主命裔・天八現津彦命の8世孫・韓背宿祢は長国造となり、同じく8世孫・小立宿祢は都佐国造となります。 この系譜に従えば、阿波国と長国の首長家は遠く血縁があることになります。                                           注 参照:次報 阿波古史試論(4) 長の国

  だが、調べると、色々あるものです。
 土佐二宮の朝倉神社(高知市朝倉)の祭神は天津羽羽神で、朝倉郷の開拓神とされているのです。県域を越えると、亦見えてくるものがあるのです。
      ・朝倉神社(高知市朝倉丙2100)神体:赤鬼山、式内社、(伝)土佐国二宮、県社
           祭神:天津羽羽神(朝倉郷の開拓神)、         後祀:天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)
               由緒:「釈日本紀」所引「土佐国風土記」逸文に「土左郡朝倉郷あり。郷中に社あり。神名は天津

                                   羽々の神なり。天の石帆別の神、今の天の石門別の神の子なり。」とあるのです。

  この「由緒から始まる次の文章」は再度採り上げる時が後に来ます。暫くお待ちください。

 この社から西8kmに天石門別安國玉主天神社(神谷)が鎮座し、更にその西9kmにも同名の天石門別安國玉主天神社(黒瀬)が鎮座しています。
        注  天石門別安國玉主天神社(高知県吾川郡いの町神谷)、天石門別安國玉主天神社(高知県高岡郡越知町黒瀬)

 そして、その社名が示す祭神・天石門別安國玉主命は、「中臣氏系図」亦は「藤原氏系図」では、天児屋根命の祖父なのです。

 亦、「安房国忌部家系」(斎部宿禰本系帳)では、天背男命は天石門別命だとします。
 それ故に、天背男命は「天石戸門」一族との関係が疑われるのです。

 ここに、不可思議な混戦・混淆が今は「謎」としてあります。

  ・「尊卑分脈」藤原氏系図  新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集. 第1巻(コマ10~11)
      天児屋根命の注記に「本系帳に云う、興台産霊命が王主命(の女)許登能麻遅媛命を娶り生んだのが天児屋根命だ」

   と記します。

(3)  天日鷲命の后神:足濱日門比売神

・神言苫比売命(天日鷲命妃)と足浜目門比売命(天日鷲命の后神)は「安房国忌部家系」の夫々別の処に記されています。前者は「安房国忌部家系」(天日鷲命系5コマ)に、後者は「斎部宿禰本系帳」(神魂命系)に出ています。

<3-1>  神言苫比売命

 大麻比古命・天白羽鳥命・天羽雷雄命の三神は何れも天日鷲命の子神とされますが、女神・神言苫比売命がこれら三神を生んだ、と「安房国忌部系」(5コマ)に記されています。

 神言苫比売命の祭祀社としては、今、山崎・忌部神社がこの后神名をあげていますが、「特選神名牒」(明治初期)は祭神として天日鷲命のみを挙げているので、その後の「祭神構成の整形」があって、神言苫比売命が夫婦二神として調えられ、天太玉尊と后神・比理能賣命の夫婦二神が対にセットされた、と推測します。
     山崎・忌部神社(徳島県吉野川市山川町忌部山)式内社 阿波國麻殖郡  名神大
            祭神:天日鷲翔矢尊(天日鷲命)、后神・言筥女命、天太玉尊、后神・比理能賣命、
                                                                                          津咋見命 長白羽命 由布洲主命 衣織比女命
            注 山崎・忌部神社は、「東国の神裔考(4)小杉榲邨と忌部神社を巡る論争2021年09月10日」で採り上げま

                  したので、これ以上の言及は略します。

  神言苫比売命については、その出自も記されず、これ以上の伝承・祭祀の記述も見出せなかったのは残念です。

<3-2>  足濱日門比売神

  天日鷲命の后神・足濱日門比売神は「斎部宿禰本系帳」(神魂命系)に注記されています。

  亦、延喜式・麻殖郡の秘羽目神足浜目門比売神社の2座の内の1座として阿波に祀られています。
                                    注 「斎部宿禰本系帳」(神魂命系) 天日鷲翔矢命:后神・足浜日門比売神

 「中内神社」は「忌部神社の仮宮伝承」をもつ式内社で、「延喜式」神名帳「麻植郡」条にある「秘羽目神足浜目門比売神社」に比定されている由です。                (出所)「延喜式神社の調査」

 今、論社・中内神社は祭神:祕羽目神・足浜目門比売神を祀り、杉尾神社(論社)は天水沼間彦神 

天水塞姫神を祀ります。この二社の鎮座地は正しく忌部氏の拠点・麻植郡にあります。
             (論社)  中内神社(吉野川市鴨島町西麻植中筋)祭神:祕羽目神・足浜目門比売神
             (論社)  杉尾神社(吉野川市鴨島町牛島杉尾)祭神:天水沼間彦神 天水塞姫神


 ここで祭神二座とする点が興味を惹きます。
 「足浜目門比売神」が天日鷲命の后神であるのに、「祕羽目(比古)神」は誰を指すのか、父なのか、夫・天日鷲命なのか、は不明です。

  また、この女性とは同じ麻植郡内での「妻問い」ですので、もっと他地域へ出かけても良いものを、と天日鷲命の消極性を感じます。

(4) 大麻比古命の妻:黒島の磯根御気姫命

 天日鷲命の子・大麻比古命の妻は黒島の磯根御気比売と云い、その二子は千賀江比売・由布津主命だと、「安房国忌部家系」(6コマ)に記されています。
                      注  「安房国忌部家系」(6コマ):亦大麻比古命黒島娶磯根御食比売生千鹿比売命次由布津主命

<1> 黒島は何処?

 原文が「黒島娶磯根御食比売」なので「黒島で磯根御食比売を娶った」と読みます。すると、
「黒島は何処」と問うことになります。

「黒島は何処」と探るその方針は、徳島+近隣二県の式内社に「標し・兆し」探し、をする事です。

 すると、黒島神社(観音寺市)、黒島神宮(新居浜市)の二つの「黒島」が見つかります。
 だが、決定的な証を与えてはくれません。神社情報は次の如くです。伊曽乃神社は「磯」つながりの、今は、参考情報です。
      ・讃岐・黒島神社(観音寺市池之尻町)
              祭神:闇山祇尊、 (合祀)瀬織津比咩尊
                  ・主祭神に関しては、闇山祇命の他、黒雷神、佐須良姫命などとする説もある。
                      ・扁額には「黒島神社・池宮神社」と二社名が併記されていた。池宮神社には合祀の

                                       瀬織津比咩尊を祀り、当社の南500mにある仁池に鎮座していた。(玄松子)
    ・愛媛:黒嶋神宮(新居浜市黒島107)式内小社、県社
            祭神:大山祇神、木花咲耶姫、天之御中主神
            由緒:仁徳天皇の時代の創建。黒島は、元、離島だったが、後に陸続きとなる。
            ・伊曽乃神社(西条市中野甲)(名神大) 伊予国 新居郡鎮座 旧国弊中社
               祭神:伊曽乃神
                 社伝・旧記:一座は天照大神の荒魂、後に武国凝別命を加えて二座となったとする。
                      主神・天照大神は本殿内陣正中に奉斎され、脇殿神・武国凝別命はその左に祀らる。
                             由緒:景行天皇の皇子、武国凝別命国土開発の大任を帯び、伊予の地に封ぜられると、皇祖・

                                      天照皇大神を奉斎し庶民を愛撫し皇威を弘められた。命の御子孫は伊予三村別氏として

                                      この地に拡がり栄え、天照皇大神に始祖・武国凝別命を併せ祀った。

  なお、島名「黒島」探しの成果は芳しくありません。
              注 ① 岡山県瀬戸内市、    ② 和歌山県日高郡由良町衣奈、     ③ 沖縄県八重山郡竹富町(八重山諸島)、
            ④ 長崎県北部の北松浦半島の南西沖合にある島、など。


  だが、「大麻比古命関わり」は出てきました。
 粟井神社(香川)・大麻神社(讃岐)には明らかに大麻比古彦命の影があります。
  これは大麻比古命又はその裔の時代に、阿波・徳島から活動範囲を拡大した名残りと見ます。
        ・香川:粟井神社(観音寺市粟井町)式内社(名神大)、県社、刈田大明神とも称された
          祭神:天太玉命、配祀:天照皇大神 月讀命 保食命
                由緒:讃岐忌部氏がこの地を開墾した際、氏神の天太玉命を祭ったのが始まりと伝わる。
                   忌部氏が阿波国、亦は、安房国より来住・勧請したので安房居と称したと云う。

                                   又、忌部氏が粟を傳へ、粟をはじめ五穀が豊かに実るので粟井の名がついたとも云う。
            ・社地も含め近辺から彌生時代の石庖丁・銅剣他の遺物、古墳・武器他多くが集中して発見

                                  されており、原始より有力な集落の形成が考えられている。
            ・「粟井」は阿波国または安房国から転じたと云う。
            ・かつては刈田大明神と称し、苅田郡(刈田郡、神田郡とも呼称)の由来となった由。
            ・当社が遷座してくる以前にあった杉尾神社は境内社の奥に残っている。
       ・大麻神社(善通寺市大麻町上ノ村 241)
          祭神:天太玉命
          配祀:天津彦彦火瓊瓊杵尊 天香語山命 天櫛玉命 天糠戸命 天御陰命 天神立命 天三降命 天伊佐布魂命

                                  天事湯彦命 天神玉命 天村雲命 天世手命 天湯津彦命 天神魂命 天乳速日命 天活玉命 天下春命 

                                  天鈿女命 天道根命 天明玉命 天造日女命 天玉櫛彦命 天日神命 天伊岐志迩保命 天表春命

                                  天兒屋根命 天椹野命 天背男命 天斗麻彌命 天八坂彦命 天少彦根命 天月神命
                         由緒:往古、忌部氏が当国に麻を伝え、天太玉命を祀り、大麻神と崇めたと云う。
                                  これは徳島の阿波一宮・大麻比古神社と同神の筈です。
                               ・当社鎮座の大麻山は、山全体が古墳群として著名で、弥生期から古墳期へかけての遺跡・

                                  出土品も多い。
 
<2> 豊玉彦命・振魂命(布留多摩命)
  徳島に戻って、やや遠い関係の神社として見出したのは「速雨神社」です。

 「新撰姓氏録」は次の様に伝え、布留多摩命は和多羅豊命の児であることが判り、この「和多羅

 豊命」は海神・積・豊玉彦命を指すのです。

   そして、後に判ることは「布留多摩命は黒島磯根比売命の父」なのでした。

                 注  「新撰姓氏録」481右京神別地祇 八木造 和多羅豊命児布留多摩乃命之後也

 豊玉彦命は、豊玉姫命と振玉命(布留多摩命)などの父なので、磯根御食比売つながりなのです。
      ・徳島:速雨神社(徳島市八多町板東91)式内社 阿波國勝浦郡 速雨神社
                   祭神:豊玉比女神、 「阿波國式社略考」では豊玉彦命
                 由緒:創祀年代は不詳。
                      ・豊玉比女神は、海神・大綿津見神の女です、妹・玉依比女命は山幸彦命(穂穂手見)と結婚し、

                         鵜葺草萱不合命をもうけ、天皇家の神話期の伝承となっています。
        ・「阿波國式社略考」で は御祭神は豊玉彦命、父としている。
        ・「速雨」の社名は、現在「はやさめ」と読まれているが、延喜式は「はやあめ」
                     ・大御神社(神山町、上一宮大粟神社境内社)祭神:豊玉姫命

 

 式内二社(速雨神社・宇母理比古神社)は近接していますので、念のためチェック。
        ・宇母理比古神社(徳島市八多町森時41)阿波国 勝浦郡鎮座
           祭神:鵜鷲守神、        鶴鵜葺不合尊説:勝浦郡志
           由緒:中世八多川の洪水で社殿流失、江戸時代は「森時大明神」「宇母理大明神」と称す
                    郷土の諸学者は不詳としている。中世以後社運衰え、その所在不明だったらしい。 
                 ・藩政時代、森時大明神を宇母理比古神社と比定した。


 更に、布留多摩命の祭祀社を探して行くと、岸和田市の式内・夜疑神社が浮上します。

   ここでは「和多羅豊命」(新撰姓氏録)の代わりに「和多罪豊玉彦」となっています。
    ・大阪:夜疑神社(大阪府岸和田市中井町2-7-1)式内社
          祭神:布留多摩命
          由緒:当社の創建は不詳。
当社は弥生遺跡で有名な「天の川」の畔、天の川低湿地の小高い所

                                      に鎮座する。
            ・天の川沿いに池尻・大町・小松里・箕土路・下池田・中井・荒木・吉井など、氏地内の

                                      各所に弥生遺跡がある。殊に池尻・中井では縄文遺跡が確認されている。
                 ・時代が下って池尻を中心に古墳群・氏子地域内全域にわたって条里制の遺構がある。
                     ・「陽疑」「楊貴」「八木」などと表記されたこともあるが、いずれも「やぎ」と読む。
                     ・鎮座地の「中井」は、「和泉志」に「旧名中八木」と記されており、八木の中心=八木一族

                                      居住の本拠地だったと思われる。奈良県橿原市八木町に八木寺(廃寺)あり。
                           「八木」は河内国和泉郡八木郷(現大阪府岸和田市八木地区)の地名に基づく。
                ・祭神・布留多摩命は、弘仁五年(814)成立の「新撰姓氏録」に「481右京神別地祇 八木造。

                                     和多罪豊玉彦の児、布留多摩命の後なり」とあり、奈良時代以前、この地を治めていた八木

                                     一族が祖神を祀ったのが起源だろう。
              ・境内より天平・平安・鎌倉期の古瓦の出土あり、1300年前には当社も栄えていた。
                  ・旧、当社は中井村一村の氏神だった。明治41~42年に各字持ちの氏神を当社に合祀以来、

                                     八木郷の総氏神。

<2> 黒島の磯根比売命

  黒島の磯根比売命は、実は、「布留多摩命の女」なのでした。念を入れて調べると、布留多摩命(振魂命)の系譜が黒島磯根御食比売の父だと示しています。
 

 豊玉彦命は海神です。

 その二女は「海幸彦・山幸彦」神話に登場する豊玉姫命・玉依姫命で、神武天皇伝承につながり

ます。
 結論は、黒島磯根御食姫命は「豊玉彦命→振魂命」に出ず、です。

  やや長くなりましたが、最終的にまとめると、図表4「大麻比古命(天背男命系)と磯根御気姫命(豊玉彦命系)との合流」を得るのです。

  例の如く、この図表が意味を持つには、「系譜」が正しいとする仮説に基づいています。

 

 

5) 推定:天背男命は阿波を去る

<1> 天背男命は八倉姫命への初めての妻問いの約10~15年後には阿波を去る。

 天背男命は天石門別八倉姫命への初めての妻問いの約10~15年後には阿波を去った、と推定されます。

  天背男命が八倉姫命との間に5人の子女を成すには、「通い婚」でも「共住」でも、最後の子を産み育てるのに約10年の歳月が要った筈です。
 双子・三つ子、亦は、年子でない場合は、通常、2年毎に子は誕生するからです。

  天石門別八倉比売が天背男命との間に五子を生み育てたと云う事実を留意する要ありです。

 しかも、天背男命は「去る」のです。それは、別に後報しますので、暫くお待ちください。

<2> 天背男命は天石門別命なり

 天背男命を祀る人は子・天日鷲命、亦は、その裔の筈ですが、阿波には天背男命を祀ったとする祭祀痕跡を見ません。これは「阿波の謎」の一つです。

 「天背男命は天石門別神なり」(「斎部宿禰本系帳」神魂命系55コマ)と云う系譜伝承は更に吟味を要し、場合によっては、人は迷路に立ち往生するのです。
            次回は、この「天石門別」の挑戦に応えたく努めます。ご期待下さい。