目次 栃木・星宮神社の謎
1栃木・星宮神社の祭神は磐裂神・根裂神が大部分
<1> 栃木・星宮神社の祭神の実相
<2> 栃木・星宮神社の祭神総括
<3> 栃木県内の星宮神社(星神社)の分布
<4> 天香香背男命を祀る神社群
2 勝道上人の星宮神社創始の伝承
1) 社伝に見る勝道上人の星宮創建への関わり
2) 勝道上人の事績にみる「星」つながり
3) 栃木県の星宮神社の本元の祭神は明星天子・虚空蔵菩薩である。
4) 二荒山神社に見る密教の習合
5) 日光修験の盛行と神仏分離令
3 「栃木・星宮神社の謎」の解
<本文>
これまで、尾張国から始めて常陸国までは星宮神社の祭神は天香香背男命だとしてきました。
ところが、栃木県について調べを始めると、そこでは星宮神社の祭神が、
(1) 磐裂命・根裂命、
(2) 経津主命、
(3) 磐裂命・根裂命・経津主命、
(4) 天香香背男命
(5) 瓊瓊杵尊、
(6) 高皇産霊尊
などとなっている場合が見られ、最早、天香香背男命は祭神の少数派としてしか登場しません。
更に、これらの神々を祀る神社が、磐裂神社、根裂神社、磐裂根裂神社などとして登場します。
そこで、根裂神社・磐裂神社・磐裂根裂神社も加えて、下野国(栃木)の「星宮神社についての考察」をここで試みます。
注 この場合、栃木県の神社・祭神についての情報は、次の「栃木県の神社」(ネット上)*によっています。
*kyonsight「栃木県の神社」https://kyonsight.com/jt/
・その神社・祭神に関する情報内容はグーグルマップの検索で得られるものよりも充実しています。
・その資料集積は少なくとも次の資料を用いています。
・「鹿沼聞書・下野神名帳」1800年頃、
・「下野掌覧」万延元年1860、
・「下野神社沿革誌」(明治三十六年1903)
・現地訪問による神社実在の確認努力は大したものです。
・従って、以下の「星宮神社論」で引用の諸情報は、主にこの資料をそのまま用い、二、三追加情報を
参照します。
注 まとめの段階に入ってから見つけた「全国の星宮神社・星神社と星宮の地名」(ネット上**)は追加的に参照し
ています。 **https://www.ensenji.or.jp/blog/1241/
いずれ、更なる調べを重ねて、より充実した「星宮神社論」に改訂したいと思いますが、取り敢えずは、ここに「栃木県の星宮神社」の試論を展開します。
1 星宮神社論
1) 栃木・星宮神社の祭神は磐裂神・根裂神が大部分
<1> 栃木・星宮神社の祭神の実相
尾張から常陸にかけての星宮神社(星神社)は祭神を天香香背男命(亦はその別名)でした。
ところが、栃木県の星宮神社を精査すると、そこに「謎」が浮上するのです。
図表1は下野市の星宮神社の場合ですが、祭神は全て磐裂神・根裂神となっており、最早、天香香背男命は登場しません。
下野市の場合、祭神が磐裂神・根裂神の祭祀社は、磐裂根裂神社以外にも、愛宕神社・金井神社・川西神社があります。
いずれも、虚空蔵宮伝承を伴い、それが星宮神社との陰のつながりを見ます。
・磐裂根裂神社(下野市箕輪339)は、祭神を磐裂神・根裂神とし、寛正三年(462)、壬生胤業が壬生城支城として
築いた箕輪城跡に鎮座しており、それ以前の創建を推測させます。
・愛宕神社は、天平13年(741)、下野国分寺の創建の際、艮(うしとら)の方角の守護神として創建された由(社伝)です
が、その配祀神:磐裂命・根裂命は正に栃木・星宮神社の祭神なのです。
また、社伝に云う「艮(うしとら)の方角の守護神」とは虚空蔵菩薩の事なのです。
・金井神社は祭神を磐裂神・根裂神とし、虚空蔵宮と称して余又の地に鎮座していた由です。
・また、「明治維新の際、それまで虚空蔵宮と称していたのを星宮神社と改称した」とする現・星宮神社が下野市に
は6社もあり、下野市の星宮神社全体の約半数を占めます。
・明治維新の神仏分離令により、仏教系の虚空蔵宮は改称を求められ、虚空蔵宮を称する前の星宮神社に戻したの
です。栃木県の他の星宮神社は多く虚空蔵菩薩に繋がりありです。これには議論がある処ですので、後に「虚空蔵
宮」は再論します。
この様に下野市の星宮神社つながりを見ることにより、これが栃木県の「星宮神社」を代表していると見て、大掴みした積もりです。
後に、栃木県全体の姿を図表3で示しますが、この様子は、略々、変わりません。
2) 栃木・星宮神社の祭神総括
(磐裂神・根裂神、磐筒男命・磐筒女命、甕速日神・磐裂神・経津主命、瓊瓊杵尊、その他)
下野国全般に拡大して見ると、星宮神社の祭神は、磐裂神を中心に、天香香背男命とは異なった神々です。その状況を次に要約して示します。次の図表3もご参照下さい。
1 大部分の星宮神社の祭神は磐裂神・根裂神です。 例:星宮神社(佐野市朝日町)
2 磐筒男命・磐筒女命二神は、磐裂神・根裂神の子神で、この二神を祭神とする事例は真岡市に
見ます。 星宮神社(真岡市中890) 祭神:盤筒男命・盤筒女命 境内社:三ヶ月社
星宮神社(下野市下坪山1458)祭神:磐筒男命・磐筒女命
3 甕速日神・磐裂神・根裂神を祭神とする事例は、星宮神社(芳賀郡芳賀町)です。
星宮神社(芳賀町芳志戸1937)祭神:甕速日神 配神:磐裂神・根裂神
4 甕速日神・磐裂神・経津主命を祭神とする事例は、高根沢町・宇都宮市に多く見られます。
高根沢:星宮神社(高根沢町寺渡戸283) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主神、境内社:鳥子神社(天日鷲命)
星宮神社(高根沢町桑窪393) 祭神:経津主命
星宮神社(高根沢町西高谷333) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主命
明治九年1876上坪地の上の宮(経津主命)と 下坪地の下の宮(磐裂神・根裂神)を合祀。
星宮神社(高根沢町飯室443) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主神 創建:天正十九年1591
星宮神社(高根沢町花岡1802) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主神 創建:文禄2年1593
星宮神社(高根沢町伏久571-1) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主神
宇都宮:星宮神社(宇都宮市西川田本町3-14-8)祭神:磐裂神・根裂神 配神:経津主神・大日靈貴神
創建:『下野神社沿革誌』では建武(南朝)元年1334創建,境内社標に「建武三年1336」
星宮神社(宇都宮市下欠町55) 祭神:磐裂神・根裂神・経津主神 享保年間1716-36の創建。
星宮神社(宇都宮市西川田本町3-14-8)祭神:磐裂神・根裂神 配神:経津主神・大日靈貴神
『下野神社沿革誌』では建武(南朝)元年1334創建,境内の社標には「建武三年1336」とある
星宮神社(宇都宮市刈沼町480)祭神:国常立尊・磐裂神・経津主神・根裂神
創建:不詳,永禄五年1562,直井淡路守道昌が再建したと伝わる。天保二年1831神祇管領よ り星宮大明神の神璽。明治39年(1906),刈沼南端に位置する字鎮守林面から現在地に 遷宮,同時に瀧尾大明神を合祀。
5 経津主命のみを祭神とする事例:
・星宮神社(日光市明神1617)
・星宮神社(日光市小代1071-1)・・創建:寛永元年1624香取神宮の御分霊を勧請。
6 ニニギノミコト(天津彦彦火瓊瓊杵尊)を祭神とする事例は、次の諸例を挙げられます。
足利市・佐野市には瓊瓊杵命を祀る例が多く、鹿沼市・真岡市にも見る。
・星宮神社(足利市梁田町495)祭神:天津日高彦火瓊瓊杵尊
創建:正徳五年1715虚空蔵尊を奉祭する。維新に際し星宮神社と改称した。
・星宮神社(山川町243-1)祭神:邇邇芸命 配神:天照大神
創建:室町時代1336/8〜1573初期に鎌倉公方足利基氏が、鑁阿寺東方守護として、橋本郷を山河郷か
ら分村し,現在のの足利中心部にある鑁阿寺に寄進する。同時に虚空蔵尊を守護神として祀って始
まる。天保年間1830~44に祭神を瓊瓊杵命に変えて星宮大明神と改称した。
・星宮神社(常見町1-25-6)
祭神:瓊瓊杵命、配神:譽田別命・大産霊神・奥津毘古神・奥津比女神・宇賀能魂命
創建:鎌倉初期。恒見小次郎が虚空蔵尊を祀ったことに始まる。文政五年1822神祇伯賀寿王より星宮
大明神の神号を賜る。
・星宮神社(佐野市免鳥町742)主祭神:天彦火瓊瓊杵尊、正応年間1288~93の創立
・星の宮神社(佐野市大蔵町2928)祭神:迩々杵尊、配神:磐裂、根裂神、
由緒:当社は神仏分離令までは虚空蔵菩薩を祀り、共に国土開発の神として、功顕崇拝される。
・根裂神社(鹿沼市上石川544)祭神:磐裂命・根裂命・天津瓊瓊杵命、
創建:大同三年(808)星宮大明神の石祠あり。
・星宮神社(真岡市下籠谷308)祭神:瓊瓊杵尊
7 高皇産霊尊も祭神に加えられています。
・星宮神社(真岡市古山コヤマ1300)祭神:高皇産霊神
・星宮神社(真岡市上江連486)祭神:高皇産霊神 配神:磐裂神,根裂神
・星宮神社(真岡市西大島278)祭神:高皇産霊神,磐裂神,根裂神 配神:三鳥田全宮大神,素戔嗚命
・星宮神社(真岡市下大曽606)祭神:高皇産霊神・磐裂神・根裂神
・星宮神社(真岡市古山1300)祭神:高皇産霊神 配神:市杵嶋姫命
8 虚空蔵菩薩は、密教では「明けの明星」「宵いの明星」の化身とされ、それが星宮・磐裂と同一
に扱われています。
虚空蔵菩薩の祭祀は明治維新の神仏分離令によりかなり打撃を受けましたが、今尚、「虚空蔵
菩薩堂」としても遺り、星宮神社・磐裂神社の伝承に語り継がれています。
・虚空蔵菩薩尊(日光市稲荷町、観音寺虚空蔵堂) 創建は寛永17年(1640)。神橋右岸にある星の宮(磐裂神社)
の分霊を勧請し東町六ヶ町の鎮守としたのが始まりと伝わります。
祭神・虚空蔵尊(仏神)を祀り、境内には鳥居や狛犬が安置され、神仏混合の色彩が濃い。
・虚空蔵菩薩(さくら市・葛城1203) 星宮福一満虚空蔵菩薩が祀られている。
3) 栃木県内の星宮神社(星神社)の分布
栃木県の星宮神社の祭神は殆どが磐裂神・根裂神の二神ですので、星神社以外にも「磐裂神・根裂神」を祀る神社も含めて論じるべきだとの結論に達します。
そこでHP「栃木県の神社」*により数えると、星宮神社145社、磐裂神・根裂神祭祀社は26社、その他を合計して総数は188社に及びます。
*先に、栃木県の星宮神社は、グーグルマップでの検索結果、80社だったと前報図表2に示しましたが、
今回使用の情報源・HP「栃木県の神社」が更に詳細な情報を載せていることが判ります。
これを示したのが図表2です。栃木県全体の個々の神社については付属資料をご覧下さい。
4) 天香香背男命を祀る栃木の神社群
栃木県では磐裂神・根裂神が星宮神社の祭神だと見るのは一般的なのかも知れませんが、茨城県で見たように、天香香背男命を祀る星宮神社もあるのです。
例えば、大平山神社の境内社・星宮神社の祭神は天加々背男命、小山市押切の星宮神社・祭神は香香背男となっているのです。
大平山神社は、天津日高彦瓊瓊杵命を祭神とし、その境内社・星宮神社は磐裂根裂神と共に天之加々背男命を祀り、星宮神社の祭殿はまるで仏教寺院のお堂のような造りで、神仏習合の名残が読み取れます。
・太平山神社(栃木市平井町659)
祭神:天津日高彦瓊瓊杵命 配祀神:天照皇大神・豊受姫大神
由緒:西暦827年、慈覚大師(円仁)により創建されたと云う。
境内社:星宮神社
・このほかに「下野神社沿革誌」には末社60余社あり。
祭神:磐裂根裂神・天之加々背男命・天海水木土火金地などの森羅万象の神々
・星宮神社のお寺のお堂のような造りは神仏習合の名残です。
小山市の星宮神社の場合は、香香背男命が単独の祭神として祀られています。
この由緒には、虚空蔵様が登場し、更に、境内の石祠・青麻神社の祭神は天照大神・月読尊・天之御中主神であり、明治以前はその本地仏は大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩だったのですから、ここも神仏習合の密教色が強い上、神道の神々も祀られている、と云う姿なのです。
・星宮神社(小山市押切87)
祭神:香香背男命、
由緒:創立は不詳、元文三(1738)年四月六日、京都神祇官より正一位星宮大明神の称号を賜わる。
明治初年、星宮神社と改めます。(中略) 「境内には虚空蔵様が祀られている建物もある」と
「栃木県神社誌」にあり。
・境内の石祠は青麻神社と見られ、青麻神社の祭神は天照大神・月読尊・天之御中主神であり、明治
以前はその本地仏は大日如来・不動明王・虚空蔵菩薩だったのだから、星宮神社の境内にあるのも
納得できる。 (出所)ブログ「神社ぐだぐだ参拝録」
総計として天香香背男命を祀る栃木県の神社リスト(判明分のみ)を図表3に示します。
その鎮座地の特徴は、日光市・鹿沼市・宇都宮市にはなく、栃木県南部域(佐野市3・小山市5・栃木市8・野木町1)で、強いて挙げれば、旧下都賀郡域だといえます。
尚、後報で「栃木の天香香背男命の祭祀社」を再度取り上げます。
図表3 天香香背男命を祀る栃木県の神社リスト
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1 星宮神社 小山市押切87 祭神:香香脊男命
2 星宮神社 小山市島田650 祭神:天香香背男命
3 星宮神社 小山市上初田171 祭神:天香香背男命
4 星宮神社 小山市上国府塚738 祭神:天香香背男命
5 星宮神社 小山市下石塚716 祭神:天香香背男命
6 星宮神社 下都賀郡野木町丸林633 祭神:天香香背男命
7 星ノ宮(*) 栃木市平井町659 祭神:天加加背男命 (*)大平山神社摂社
8 星ノ宮神社 栃木市藤岡町都賀2531-6 祭神:天香香背男命
9 星宮神社 栃木市藤岡町小池 祭神:天香香背男命
10 三毳神社 栃木市藤岡町大和田1358 祭神:主神・日本武命 配祀・ 香香背男命
11 星宮神社 栃木市都賀町大柿455 祭神:香香背男命
12 星ノ宮神社 栃木市岩舟町静宿上856 祭神:天香香背男命
13 星宮神社 栃木市岩舟町静4165 祭神:天香香背男命
14 三鴨神社 栃木市岩舟町下津原1145 祭神:主神・事代主命、配祀:香香背男命、*ほか
15 星宮神社 佐野市赤見町1160 祭神:天香香背男命
16 星宮神社 佐野市免鳥町742 祭神:天香香背男命
17 星宮神社 佐野市村上町880 祭神:天香香背男命
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*相殿には健御名方命・香々背男命・稲倉魂命・武甕槌命・櫛御氣野命・天太玉命・火産霊命・伊邪那美命・
白山姫命・若狭姫命・若狭彦命を配祀する。
本殿は、氏子達の浄財によって建立された』(「栃木県神社誌」より抜粋)
この栃木での天香背男命の祭祀は常陸(茨城)と共通する旧祀で3~4世紀に起源すると思われ、その後、8~9世紀に虚空蔵菩薩(明星天子)を中心とする星宮信仰が、日光二荒山神社から南下拡散して、天香背男命の祭祀を覆い隠したと見ます。
もっと多くの天香香背男命を祀る神社群が過去にはあったのに、祭神が他の神に置き換えられた事情が有るのではないか、とも思われるのです。後に詳論する機会を設けます。
2)勝道上人の星宮神社創始
資料を読み進めると、栃木の「星宮神社」には勝道上人の日光二荒山神社の開創が関わっているようですので、栃木県の星宮神社群の社伝に勝道上人の関わりを探り、次に、勝道上人の事績に「星」つながりをチェックします。
<1> 社伝に見る勝道上人の星宮創建への関わり
創建社伝の残る神社で見る限り、栃木県で最古の星宮神社は、次の六社です。
1 磐裂神社(日光市上鉢石町1114-1)
祭神:磐裂神・根裂神
伝承:天応二年(782)、男体山登頂に成功した勝道上人が磐裂神の御加護によるものとの感謝の念から、大同
四年(809)に小祠を建て創建したとされ、勝道上人は、日光開山時、自ら一刀三禮を以て彫刻した星宮
尊像を鎮祭したと云う。
所在:(旧地名)上都賀郡日光町大字日光字星宮
・明治四年(1871)、星宮から磐裂神社と改称。金谷ホテルに入る坂道の途中右手、神橋の神饌所の真裏
にあたり、現地では、磐裂神社と呼ばず、通称で「星の宮」と云う。坂を登ると左手にホテル「星の
宿」に星宮の名残あり。
2 星宮神社(日光市矢野口)「天応二年(782)三月十五日奉勧請星宮大明神」の木札が現存する
・天応二年782は勝道上人が男体山登頂に成功した年で、奥宮創祀と同年。
3 星宮神社(下野市下大領361)
由緒:大同元年(806)頃に当村を開拓した始祖を祀ったことに始まる。維新に星宮神社と改称。
4 星宮神社(鹿沼市大和田町104)祭神:磐裂神・根裂神 配神:経津主命
由緒:「大同三年808/星空大明神」と石刻の、創建の証拠のある県内屈指の古社
5 根裂神社(鹿沼市上石川544、字宮)祭神:磐裂命・根裂命・天津瓊瓊杵命
配神:大日孁貴命・素盞嗚命・大山祇命・国常立命・火産霊命・罔象女命・大雷命
創建:創建当時の古い石が残っており「大同三年808/星空(宮?)大明神」と刻まれている。
6 磐裂神社(日光市吉沢きちさわ349)祭神:磐裂神
創建:(伝)大同四年809
この中でも、日光市上鉢石町の磐裂神社の伝承では「天応二年(782)、男体山登頂に成功した勝道上人が磐裂神の御加護によるものとの感謝の念から、大同四年(809)に小祠を建て創建した」とされ、勝道上人が星宮創建に密接に関わっていることを知るのです。
ここは勝道上人が渡河に苦労し二度の失敗の後、蛇に助けられて成功したと云う伝承の遺る「神橋」(山菅の蛇橋)を渡る手前の磐裂神社です。
この上鉢石町の磐裂神社から南方に向かい、順次、磐裂神社や星宮神社が続きます。
鎮座状況: 盤裂神社は、盤裂神・根裂神を祭神とし、本地仏を虚空蔵菩薩としている。
勝道上人の日光登 山の成功は、盤裂神の助けによるものと云われ、この神社圏は日光に始まり、今市の行
川流域を通って鹿沼に及んでいます。その鎮座状況を略述すれば次の通り。
1) 神橋から南に「磐裂神社」・・1匠町・2上鉢石・3所野・4和泉・5矢野口・6吉沢、
2) その南に「星宮神社」・・・・7明神・8和田島・9小代・10小倉・11笹原田・12田野町、
3) 更にその南に「磐裂神社」・・14奈良部町200、15奈良部町291、
・下野市谷地賀の星宮神社は、創建を朱鳥二年(687)とします。
だが、下野市は創建不詳としますので、その取り扱いは保留です。
<2> 勝道上人の事績にみる「星」つながり
勝道上人の日光開山事績がこの「星宮神社」の祭祀につながりそうなので、日光二荒山神社界隈にお堂や日光修験道を訪ねて伝承を調べます。
伝承1 「神橋と深沙大王」:
「神橋」(大谷川の清流を眼下に)は、ここを渡れば日光二荒山神社に至ります。「はね橋」形式としては我国唯一の古橋だったと云います。
勝道上人一行は、大谷川の急流に立ち往生し、二度も北岸渡河に失敗します。三度目の時、「夜叉のような姿の深沙大王」が顕れ、手にした二匹の蛇を投げると、蛇はたちまち橋に変じ、上人一行は川を渡れたという「蛇橋(神橋)伝説」が伝わります。
神橋を渡ると、大谷川北岸にある「深沙王堂」( 蛇王権現)はこの伝承を受けたものです。
勝道上一行が大谷川を渡ったのは天平神護二年(766)のことでした。
注記1 深沙大王と玄奘三蔵・十六善神・調布深大寺
◇深沙大王は本来、疫病を除き、魔事を遠ざける効能のある神とされています。
・天竺流砂河の神で玄奘三蔵がこの砂漠を渡る時に現れた。玄奘三蔵は七回生まれ変わり、大般若経を中国に
もたらそうとしたが、その度に深沙大王が大般若経を国外に出すことをおしみ三蔵を殺した。しかし、七回
も生まれ変わって法を求む心に感心し、以後大般若経の守護神となったと云う。
・十六善神とは四天王と十二神将と合わせた合計十六名の般若経を守る夜叉神とされる護法善神。
・深沙大王は、大般若経を守護する十六善神の一神で、観音菩薩または多聞天の化身とされます。
・深大寺(東京都調布市深大寺元町)では、例年十月に「深沙大王堂」で、「大般若経六百巻の転読会」を厳修
します。その「開創縁起」に水神「深沙大王」が登場し、堂内に玄奘と向い合う鬼神姿の深沙大王像を描い
た「十六善神図」あり。
・十六善神図は密教絵画の格好のモチーフとして各地の寺院に掲げられている由です。
伝承2 「明星天子伝説」:勝道上人が日光を開山した由縁
上人が七才の時、夢の中に「明星天子」が顕れ、「汝はこれから仏道を学び、成人したら日光山を開け」と告げられた、と云います。明星天子は、その時、勝道上人に「三帰依と四弘誓願」を授けたと伝わります。
注記2 三帰依と四弘誓願
・三帰依:仏陀に帰依、法(真理)に帰依、僧(聖者の僧団)に帰依が三帰依。
・四弘誓願:仏教信者として、四つの基本的な誓い。
1.衆生無辺誓願度:大勢の人が幸せになれるように勤める。(全ての生き物を救済するという誓願)
2.煩悩無尽誓願断:尽きる事のない煩悩を無くす。(全ての煩悩は断つという誓願)
3.法門無量誓願学:壮大なお釈迦様の教えをすべて学ぶ。(無尽の法門は全て知るという誓願)
4.仏道無上誓願成:最上の悟りを得て必ず成仏する。(仏道は無上だが、必ず成仏するという誓願)
「明星天子」とは金星のことで、それを祀る「星の宮」(磐裂神社)が神橋のすぐ近くにあります。
勝道上人は、明星天子の導きで日光開山をなし遂げられたので、日光開山後に、神橋の袂に星神を祀った、と云います。
それが神橋袂の「星の宮」(磐裂神社)のことで、日光開山の年・天応二年(782)に創建されたと伝わります。
伝承3 「四本竜寺(紫雲立寺)」は本宮神社の裏手にあり。
上人一行がこの地にたどり着いた時、突然、前方に紫雲が立ち登り、やがて、四つの雲にわかれ男体山の方角にたなびいて行ったので、上人はこの地が霊地だと悟ったと云います。
今も、三重塔の前にある「紫雲石」は紫雲が立ち上ったとされる古蹟だとされ、四本竜寺の名もその云い伝えから付いたと云います。(日光山の起こり)
伝承4 「小玉堂」:
ここには弘法大師(空海)にかかわる伝承が遺ります。
弘仁十一年(820)、日光山内の滝尾の地で修行していた大師が、この地を通り過ぎた折り、そこにあった池から大小二つの白玉が浮かび上がるのを目撃したと云うのです。
大玉は自らを妙見尊星(北極星)と称し、小玉は天補星(北斗七星の輔星)と名乗ったと云う。
有り難く思った大師は、大玉を妙見菩薩に見立てて中禅寺湖に妙見堂(現存せず)を、小玉を虚空菩薩の本尊とし小玉堂を建てたとされます。
・滝尾神社を創建したと伝わる弘法大師は北極星にまつわる諸伝承にも関係するとされ、日光山域に拡がる星辰信仰を
窺わせます。
伝承5 「開山堂」:
東照宮社務所を左に見ながら北行すると、木立の中に朱塗りの建物を見ます。山を背にした重層の屋根を置いた宝形造りの建物は「開山堂」といい、日光開山の祖・勝道上人が祀られている霊廟です。
・弘仁八年(817)3月1日、勝道上人はこの地で八十二歳の天寿を全うします。遺体は、上人の弟子
達が、開山堂の裏手にある仏岩谷とよばれる巌谷で荼毘に付したと云います。
・開山堂の堂内には地蔵菩薩が安置されていると云います。
・五輪塔(勝道上人之塔)と共に三人の弟子たちの墓三基が仏岩谷から改葬されて並ぶ。
注記3 勝道上人の伝承を追うコース:
1 星の宮(磐裂神社) : 勝道上人、日光開山成功を明星大師に謝して祀る
2 神橋 : 蛇橋(神橋)伝説
3 深沙王堂 : 同上
4 本宮神社 : 祭神:味耜高彦根命
5 四本竜寺 : 紫雲石あり。日光山の起こり
6 小玉堂 : 空海、虚空蔵菩薩を本尊として建立伝承
7 開山堂 : 勝道上人、入寂の地
8 滝尾神社 : 祭神:田心姫命
9 行者堂 : 二荒山神社とその別宮・滝尾神社を結ぶ峠部分に建つ山岳信仰の拠点.
10 空烟地蔵 : 男体山への登山道を探す勝道上人を地蔵菩薩が導いたと云う伝説あり。
11 二荒山神社 : 祭神:二荒山大神(大己貴命,田心姫命,味耜高彦根命)
◇日光修験道(建立修行日記等に随う)コース:
①出流山より ②永野、③粕尾、④粟野等の山々をめぐり、⑤大剣峰に至り、⑥三昧岩より⑦大岩山、
⑧地蔵岳、⑨薬師岳と修行し、薬師より東に尾根づたいに ⑩三の宿、 ⑪滝ヶ原峠、
⑫鳴虫山と下り、大谷川の岸に到着する。大剣峰から実際に日光(男体山)に行くには、Ⅰ足尾から登ってゆく
道と、Ⅱ薬師から下って、⑬細尾峠に着き、それより登って今の ⑭「茶の木平」に出る道とがある。
(出所)日光修験
3) 栃木県の星宮神社は「密教尽くし」であり、星神は明星天子・虚空蔵菩薩である。
「栃木県の星宮神社の謎」は、以上の資料読みで、かなり解けたかに思われます。
先ず、勝道上人の伝承は、明星天子・深沙大王・虚空蔵菩薩・妙見菩薩・地蔵菩薩など、「密教尽くし」だと云うことです。
勝道上人は、少年期に明星大師から「三帰依と四弘誓願」を授けられ、仏道に進むことになり、下野国薬師寺に学び、僧侶として修道に励み、やがて発心して日光山開山に成功すると、明星大師に感謝して、「星の宮」を建立した、と読みます。
明星大師(明星天子)は「明けの明星」そのものであり、「虚空蔵菩薩」(知恵の菩薩)と同義の神とされます。ですから、「星の宮」には明星大師亦は明星天子が祀られているのです。
4) 二荒山神社に見る密教の習合
「二荒山フタラサン」の名の由来には諸説あるようですが、観音菩薩がお住いの「補陀洛山フダラサン」を捩ったものと云う説が示唆的です。
「日光」も、日光・月光・星光の三光の一から来た名前なのでしょう。
この神社は元々から密教の影響を受けているのです。
日光二荒山神社は、勝道上人が祖神祭祀を心底に抱いて創設したと推定*されるのですが、その祭祀の実態はそのまま密教との習合を示しています。
*参照:下野国2 仮説:勝道上人は祖神・味鉏高彦根命を祀った 2020年08月19日
日光三山の本地仏と云う考え方はその典型でしょう。
日光山では山・神・仏が一体として信仰され、それが輪王寺本堂(三仏堂)に三体の本尊(千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音)を安置する理由となっているのです。
本地垂迹(神仏習合思想の一)は、日本の神々は、様々な仏(如来・菩薩・天部)が化身として日本の地に顕現(垂迹)した姿(権現)だとする考えです。これは次の等値に明確に示されています。
三仏 三山 三所権現 祭神(垂迹)
・千手観音 男体山 新宮権現 大己貴命
・阿弥陀如来 女峰山 滝尾権現 田心姫命
・馬頭観音 太郎山 本宮権現 味耜高彦根命
こうした祭祀実態は勝道上人の創始期にすでに始まったものか、その後の1200年の密教との習合強化と日光修験の中で形成されたのか、の見極めは致しておりません。
だが、密教との神仏習合は明らかです。
3 「栃木・星宮神社の謎」の解
こうして「栃木・星宮神社の謎」が解けたと思われます。
1) 勝道上人の日光開山(767)を肇として星宮創建(807)がその嚆矢です。
2) その後、日光修験は約1000年の神仏習合の発展を遂げます。
その間に、星宮神社の勧請祭祀は栃木県の広範囲に広まったと考えられます。
3) 明治四年(1871)、明治政府により神仏分離令が出されると、蛮神(異国の神々)を排除すべし
とする神道復興政策が維新のエネルギーの中で強硬に推し進められ、神道と仏道との分離
が図られます。
4) 多くの「星の宮」が「磐裂神社」と改称し、虚空蔵菩薩は寺院に移され、新しい神を迎え
ることになったのです。
5) その結果、明星大師の名は削られ、祭神名は磐裂神とされたのだと推定します。
・推定と書く理由は、それを示す資料が出てこないからです。
6) 神仏分離令は、大変な混乱を広範囲に広め、全国の祭神名や神社名の変更が大幅に行われ
ます。 参考:弥生神代考6 天孫降臨考 第3部 皇祖神の2000年の変転 2018年08月14日
即ち・ 江戸期に星宮大明神と称した大部分は星宮神社に改称されます。
・ 虚空蔵菩薩(明けの明星化身)は、陰に祀られ、移転され、或いは、破棄されたことでしょう。
・ 神橋袂の、勝道上人が日光山開山を明星天子に感謝して建てた「星宮」(日光市上鉢石町)は、
明治 四年(1871)、「磐裂神社」に改称させられ、この時に祭神は磐裂神とされたと推定
します。
(続く)