(2)高皇産霊尊は霊山・彦山に降霊した。
 次に、「豊之前州彦山縁起」は、元禄甲戌7年(1694)、天台沙門孤嶽彦麓湧泉庵に撰す、と伝わる、これも可成り後世の史料ですが、高皇産霊尊は、霊山・彦山に二度に亘り降霊して水晶と化したが、その実は「聖観自在菩薩」の化身だとする伝承です。

   図表2   現代語訳:「豊之前州彦山縁起」ー元禄甲戌7年(1694)、天台沙門孤嶽ー

  1「大己貴神は田心姫命・瑞津姫命を娶り妃となし、彦山の北嶺に鎮座し、北山地主と称

    した。」とあるのは、元々、北嶺に大己貴神が鎮座していたことを示します。
 2次に、「大己貴命は北嶽を忍穂耳尊に献上し、自らは田心・瑞津の二妃を引き連れて、

    山腹に降り、」の条となって、大己貴命は北嶽(北嶺)を忍穂耳尊に献上します。
  これが英彦山神宮の本殿に忍穂耳尊が鎮座している根拠となっているのです。
 3「山腹に降りた」大己貴神は下津神社(北山殿)に祀られています。
 4「市杵島姫命は彦山の中腹に鎮座」とあるのは上津神社として祀られた、ことを指します。
 5「伊弉諾尊・伊弉冊尊も二羽の鷹となり飛来しこの山に止まった。伊弉諾尊は中嶽に移

     り、伊弉冊尊は南嶽に移り」とあるので、今、二神が「南嶽・中嶽」に祀られているのです。
  6「高皇産霊神もこの山に居住され、惣大行事権現が是也」惣大行事権現は、今、産霊神

    社となっています。


 ここでの注目点は、高皇産霊尊に関わる伝承が彦山に残り、本ブログ「宗像7:大国主命と天火明命との統合系譜における宗像三女神」及び図表6で明らかにした「高皇産霊尊・宗像三女神・天火明命・大国主命」の通婚により結ばれた関係が、そのまま、現在の英彦山神宮の祭神構成にも顕れていることが読み取れる点です。

  即ち、英彦山神宮には、高皇産霊尊(産霊神社)の女婿・天忍骨尊は英彦山神宮本殿に、その二子・瓊瓊杵尊・天火明命は摂社・玉屋神社、及び末社・大南神社に、高皇産霊尊の女・宗像三女神は摂社・中津神社に、夫君・大国主命は下津神社(北山殿)に、夫々、祀られているのです。「鎮西彦山縁起」が述べる神々の去就は、そのまま、英彦山神宮の祭神構成となっているのです。

 

      図表3  英彦山神宮(福岡県田川郡添田町英彦山)の祭神構成 (出所)本地垂迹資料便覧