目次 1)宗像三女神は大己貴神と天火明命の妃となった

     <1> 「古事記」&「播磨風土記」・「出雲風土記」

     <2> 「先代旧事本紀(地祇本紀)

               <3> 「海部氏・勘注系図」

         2)  大国主命と天火明命との統合系譜における宗像三女神

               <1>  大国主命の妃

 

 

1)宗像三女神は大己貴神と天火明命の妃となった
 

これまでの照合により、宗像3女神は、高皇産霊命(高木神)を父とし、大国主命(大己貴神)と天火明命を夫君としたことが明らかとなりましたので、これまで古代史の史料にバラバラに記述されていた、宗像三女神の系譜を明示することができます。次の様です。

<1>   「古事記」&「播磨風土記」・「出雲風土記」

 

 「古事記」は次の様に記します。

  ・「大国主神、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命を娶して生める子は、阿遅鉏高日子根神、次に妹・高比売命、

   又の名、下光比売命。・・・また、神屋楯比売命を娶して生める子は、事代主神。

 

 「播磨風土記」・「出雲風土記」も、

  ・奥津嶋姫命(沖津宮・田心姫)は 味耜高彦根命の母である、とします。
  ・要するに、奥津宮女神(多紀理毘売命)は大国主命妃となったのです。


<2> 「先代旧事本紀(地祇本紀)

 

   「先代旧事本紀(地祇本紀)」は、鴨都味波八重事代主命の母は辺津宮・高津姫神(市杵嶋姫)、父は大己貴神だとします。古事記では、事代主命の母は神屋楯姫だとするので、高津姫神と神屋楯姫とは同神の筈です。
  ・要するに、辺津宮女神は大己貴神妃であり、この大己貴神は大国主命に他ならない。
 

<3> 「海部氏・勘注系図」

 

   「海部氏・勘注系図」によれば、天火明命は市寸島比売命(狭依毘売)を娶り、穂屋姫命を生み、

   この穂屋姫命は天火明命と天道日女との子・天香語山命の妃となり、天村雲命を生みます。
  ・要するに、中津宮女神(市寸島比売命)は天火明命妃となったのです。

 

 かくて、ここで次の言説が得られたのです。

 

   言説3:宗像三女神は、高皇産霊命(高木神)を父とし、大国主命(大己貴神)と天火明命

        (饒速日命)を夫君とした。
 

   これは記紀神話とは大いに異なることに注意しなければなりません。

 記紀神話の作者は、「天の安河の誓約」により、天照大神と素戔嗚尊とが宗像三女神(および五男神)を生んだとするのです。

 

  だが、ここでは、宗像三女神は高皇産霊命の子だと判明し、記紀神話は意図的にこの事実を隠す為に創作された、とすら見ることが出来ましょう。

 

 こうして、「宗像3女神は、高皇産霊命を父とし、大国主命と天火明命を夫君とした」ことが明らかとなります。

 

   これを系譜図にまとめると次の結論になります。これは上記の「言説」を表現しているのです。

 

      (出所) 古事記・日本書紀・先代旧事本紀・但馬故事記・海部氏系図・木月氏文書を、一部修正・統合したもの

    注 天香山刀売命と天照日尊については、別ファイル「但馬故事記」、及び、「天孫降臨の諸神」を参照のこと。
    注 ここでは詳論しないが、瓊々杵尊~天皇家はこの系譜から離れていく。瓊々杵尊は大山祇命の女・木花開耶

      姫と結ばれ、その子・彦火火出見尊は海神・豊玉彦の女・豊ばれる。しかも、極度の神話化が計られている。
         注 残念ながら、宗像3女神の母については、史料を基に明示出来る段階には至っていない。

 

2)  大国主命と天火明命との統合系譜における宗像三女神
 大国主命と天火明命とは血縁関係上繋がりが深いことが判かりましたが、その統合系譜における宗像三女神の位置を検し、若干の注記を加えれば、次の通りになります。

<1>  大国主命の妃
 大国主命の妃として知られるのは、記紀伝承では、いずれも日本海沿岸諸国の女性です。宗像の二女神(奥津宮女神・辺津宮女神)、出雲の須世理比売、因幡の八上姫、古志の奴奈川姫、そして、高皇産霊尊の女・三穂津姫が著名です。その出自・子神共に記せば次の通りとなります。

 

     注  阿太加夜神社(松江市東出雲町出雲郷)、「出雲国風土記」が記す主祭神、阿陀加夜奴志多岐喜比賣命

        は、大国主命の御子で出雲郷(あだかえ)の守護神であった、とされる。

 

 

2)天火明命の妃
 天火明命の妃に当たる女性は、記紀には伝わらないが、次の様な伝承があるのです。

<1>「天孫本紀」(先代旧事本紀)

 

   「天孫本紀」(先代旧事本紀)は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の亦の名は天火明命、亦の名は

天照国照彦天火明尊、亦の名は饒速日尊、亦の名は膽杵磯丹杵穂命」と記し、妃・天道日女が天香語山尊を生む、と伝えます。

<2>「天孫本紀」(先代旧事本紀)

   「天孫本紀」(先代旧事本紀)は、天火明命は宗像中津宮女神・市杵嶋姫命を娶り、穂屋姫命を生み、この穂屋姫命が天火明命の別な妃・天道日女の子・天香語山命と娶し、天村雲命を生んだ、と伝えます。これは古代に多く見かける異母姉妹兄弟婚(別記あり)です。

<3>「但馬故事記」

 

  「但馬故事記」は、天火明命は天熊人命の女ムスメ・熊若姫命を娶り、稲年饒穂命を生んだ、と云います。天熊人命については、かなり後になりますが、お伝えすることがあります。

<4>「天孫本紀」(先代旧事本紀)

 

 「天孫本紀」(先代旧事本紀)は、饒速日命(古事記:邇藝速日命)と天火明命とは同神だとし、登美長脛彦の妹・御炊屋姫命を娶り、味間見命を生んだ、とします。

 

   記紀もこの御炊屋姫命を三炊屋媛(日本書紀)・登美夜毘売(古事記)と記し、その子・味間見命(物部氏祖)を可美真手命(日本書紀)・宇摩志麻遅命(古事記)と表記しています。

 

以上から図表5のまとめを得る事になります。  

 

   注 1但馬故事記、2旧事本紀(天孫本紀)、3木月文書、4日本書紀、5古事記、また、海部氏の「勘注系図注記」に

          よれば、天道日女は、大己貴神と宗像辺津宮女神・多岐津姫(*)との間の女で、「屋乎止女命・高光日女命・祖 

          母命」とも呼ばれ、彦火明命が高天原にいた時、海部氏祖・彦火明命妃となり、天香語山命を生んだ。