今日はやっとユーロの仕事から解放されて、外にでた。
父親から素晴らしい革靴を送ってもらったから、それを履いて喫茶店へ。
珈琲とタバコと読書と革靴が、疲れを癒してくれた。
ずっと前に、友人たちと数人で、タバコというテーマで文章を書きあった。
たしか5人くらいが参加したんだけど、小説初挑戦の人もいて面白かった。
しかし実はぼくは当時タバコをほとんど吸ったことがなく、ハーブタバコばかり吸っていた。
エクスタシーという銘柄で、ニコチンは全く入ってなく、レタスオピウムやホップスやミントをブレンドしたハーブタバコだ。でもそれを小説の中に登場させるにはその存在自体が珍しく、存在感がありすぎる。ハーブタバコを知らない人も多いから、最低限の説明もいる。兎角面倒なので、ぼくはハーブタバコは諦めて、普通のタバコ、キャメルを選んだのだ。
キャメルを選んだ理由は、何かの映画雑誌のインタビューで、ポール・オースターが吸っているのをみたことがあるからだった。その雑誌を読んだ当時はぼくは喘息がひどく、大の嫌煙家だったにも関わらず、もしタバコを吸うようなことに将来なればキャメルを吸おうとひそかに決めていたのだ。
それでキャメルを小説に登場させるわけだけど、吸ったことがないので、喫煙に関する細かい描写もできないと思い、ニコチンというドラッグからも手を切り、もっぱら「煙」というものに着目したのだ。
できあがった小説は「のうみそ」というタイトルになった。
舞台は渋谷のバー。登場人物たちがタバコを吸い、酒を飲みながら会話をしている。
登場人物だけじゃなくて、僕自身もタバコを吸っている。つまり書きながら。
ぼくがパソコンで文字を打ちながら、タバコの煙を画面に吐くと、バーの中は煙で真っ白になる。登場人物たちが僕の方をみる。煙が充満してものが見えなくなる。境界線が曖昧になる。直線も丸くなる。ピアノ線も丸くなるから、プリペアドピアノのような演奏になる。ぼくが登場人物になる。渋谷の街が一部屋になる。
煙が境界線を曖昧にするっていう発想が気にいって、ほとんどそれだけで書いたような小説だ。
だからその構造を意識しすぎて面白みがない。
構造が先立っているから、会話がぎこちない。
そして今はエクスタシーは日本に輸入しなくなり、ぼくは本物のタバコを吸うようになった。
そして過保護な両親からメールが来る。
母「あんたタバコ吸わない方がいいよ。たかいこえ出なくなるよ。喘息にも悪いし。ニコチンはすぐ中毒になるから辞めにくくなるよ。今のうちやめとき。電子タバコにしとき。」
私「あんたがいうな」
母「おかんやからいえるんよ~中毒患者やから~」
私「おかんは中毒を楽しんどるから説得力ないわ」
母「すわんに越したことないて~。やめとき~。だんだん増えるし。まあ、薬物とかマリファナみたいに法に触れるものよりはましやから、量を増やさんどき。」
心配なんだろう。嫌煙していた時代は、よく両親の灰皿を窓から投げ捨てたり割ったりしたことがよくあった。そんな息子が喫煙にするのは考えられないかもしれない。
ハーブタバコはいくら吸っても心配されたことはなかったけど。
安心してください、おかん、ぼくはこんなに立派なニコチン依存者に育ちました