「えんぴつで奥の細道」 大迫 閑歩、 伊藤 洋
「えんぴつで奥の細道」 大迫 閑歩、 伊藤 洋 |
えんぴつで奥の細道 大迫 閑歩、 伊藤 洋
元禄二年(一六八九)の早春に出立、日光、平泉を巡って日本海に出、金沢を経て大垣にいたるまでの一六〇日の大行脚。芭蕉がもっとも強く心血を注いだ散文『奥の細道』を深く味わう、まったく新しいテキストブック。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大迫 閑歩
1960年鹿児島県生まれ。本名・大迫正一。筑波大学芸術専門学群卒業、同大学院修士課程修了。九州女子大学人間科学部人間文化学科講師。漢字の古い書体を中心にした研究、作品制作を続け、後進の指導にあたっている
伊藤 洋
1940年山梨県生まれ。前山梨大学副学長・工学博士。芭蕉に関する国内最大級のデータベース「芭蕉DB」を運営、講演や研究活動を積極的に進めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
何度か紹介の、「奥の細道」。
この、「えんぴつで奥の細道」は、大分前に買ったままで、手付かずでしたが・・・
この「恋しぐれ」に感化されて、改めて俳句の面白さを知った次第・・・
【送料無料選択可!】恋しぐれ (単行本・ムック) / 葉室麟/著
蕪村、最後の恋。五十近い歳の差を厭わぬ一途な想いに友人の応挙や秋成、弟子たちは、驚き呆れるばかり。宗匠と祇園の妓女の恋路の結末は...。
葉室 麟
1951年、北九州市小倉生まれ。西南学院大学卒業後地方紙記者などを経て、2005年『乾山晩愁』で歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。07年『銀漢の賦』で松本清張賞を受賞。09年『いのちなりけり』が直木賞候補、『秋月記』が山本周五郎賞・直木賞各候補、10年『花や散るらん』が直木賞候補となる
松尾芭蕉があって、蕪村そして正岡子規・・・と俳句の歴史があるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%81%BB%E3%81%9D%E9%81%93
から一部抜粋です。
奥の細道
江戸、旅立ち
元禄2年春 芭蕉は旅立ちの準備をすすめ、隅田川のほとりにあった芭蕉庵を引き払う。
草の戸も 住み替はる代(よ)ぞ 雛の家
3月27日 明け方、採荼庵(さいとあん)より舟に乗って出立し、千住で船を下りて詠む。
- 矢立の初め
行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪
興味深いのが以下の、
松島
5月9日 歌枕松島(宮城県宮城郡松島町)芭蕉は「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」とここでは句を残さなかった。
「松島や ああ松島や 松島や」
と詠んだといわれるのは後の人々が考え出した作り話である。
平泉
5月13日 藤原3代の跡を訪ねて:
- 三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり
「国破れて山河あり 城春にして草青みたり」という杜甫の詩「春望」を踏まえて詠む。
- 夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと
- 五月雨の 降り残してや 光堂
光堂と経堂は鞘堂に囲まれ開帳されていなかったと伝えられこれら二つ堂は見ていないとされる。
新庄
5月29日 最上川の河港大石田での発句を改めたもの。
五月雨を あつめて早し 最上川(もがみがわ)
越後 出雲崎
7月4日 出雲崎(いずもざき)での句。
荒海や 佐渡によこたふ 天の河
左程興味の無かった「俳句の世界」、「奥の細道」等々・・・
自分で作ってみて、ちょっと分かったせいなのか、
万感の思いが込められていたり、宇宙観というか、それらがあって・・・
凄いと感じている今日この頃です。
俳句の源流のこと、連歌、古今和歌集や万葉集そして古事記など叉別の視点で見られる気がします。
・・・ぼちぼち継続の予定