仏教に「四諦八正道(しだい・はっしょうどう)」という言葉があります。
「四諦(しだい)」とは仏教における四種類の真理を表している言葉です。
・苦諦(くたい)…この世の中は苦しみに満ちている。
生きるというのは、日々苦しみを背負っていく事でもある。
神様仏様が優しく手を差し伸べてくださるような事は無い。
自分を救うのは自分自身なのである。
・集諦(じったい)…物事には必ず原因がある。
苦しみの原因は「煩悩(自分自身の中にある邪な心)」なのである。
自分自身の心が満足していないから苦しむのである。
・滅諦(めったい)…自分自身の努力で煩悩を消す事で苦しみは消える。
諸行無常、この世の中は常に絶えず変化していくものである。
他者を変えるのでは無く、自分自身を変えていくのである。
・道諦(どうたい)…煩悩を滅し、悟りを得る為の「八正道(後述する)」を実践する。
貪欲にならないようにする。
・正語(しょうご)…正しい言葉を使う。
相手が平和に、幸せになるような言葉を伝える。
・正業(しょうごう)…正しい行いをする。
他人に迷惑をかけない、生命の妨げになる事はしない。
・正命(しょうみょう)…規則正しい生活をする。
・正精進(しょうしょうじん)…正しい努力をする。
・正念(しょうねん)…正しい自覚をする。
自分を見失わない、周りに振り回されないようにする。
・正定(しょうじょう)…正しい瞑想をし、身体や呼吸、心を落ち着かせる。
昔と比べて格段に便利になった、幸せの選択肢が多くなっている筈の世界ですが、個人個人の間には未だ苦しみが常に存在し続けています。
生きていれば自分の思い通りにならず悩み苦しみ続ける事も多々あります。
苦しいという事は心が満たされていない、幸せだと感じられていないという事。
例え望んだ幸せが手に入ったとしても、それで満足して終わりという事にはなかなかならない。
何故そうなってしまうのか。
それは「欲望」に心が支配されてしまっているから。
もちろん欲望の全てが悪いという訳ではないにしても、行き過ぎた欲望は幸せになるどころか逆に自分自身を不幸にしてしまう。
「幸せ」の基準は皆、例え家族であっても同じだとは限らないのである。
自分勝手な「幸せ」の一方的な押し付けは逆に相手を不幸にしてしまうのかも知れないから。
また世間一般で言われている「幸せ」が自分にとって本当の幸せであるとは必ずしも言えない。
むしろその「世間一般の幸せ」が他人と自分自身を比較して劣等感や妬み・憎しみの感情へとなってしまう事がある。