全国からも注目されたこの試合。

 

接戦なる事は予想されたが、誰がこのドラマチックな展開を予想できたであろうか。

 

キーマンとなったのは、ずっと控えに甘んじながらもあきらめずに練習を続け、最後の夏にベンチ入りを掴んだ地味な男だった。

 

 

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先発マウンドは、チームを引っ張るキャプテンでエースの斉藤夏輝。

 

しかし気負いからか、明らかに力んでいた。

 

鶴ケ丘高校の先頭打者浅野君にいきなり先頭打者本塁打を浴びた。

 

続く2番の永瀬君ファーボールを与える。

 

浮足立っている斉藤を見透かしたかのように畳みかけてくる鶴ケ丘高校は、1塁ランナーの永瀬君がすかさず盗塁を仕掛けてきた。

 

しかし、これを見事な送球で刺したのが、この夏初めて公式戦のスタメンに名を連ねた小西凌也だった。

 

 

その後も連打を浴び、2アウト1,3塁となった時点で小西がマウンドに駆け寄る。

 

「バッターオンリーだ夏輝。ランナーが走ってきたら俺が刺したるから。」

 

「OK、分かった。」

 

先ほど実際のプレーで見せてくれた小西の言葉には説得力があった。

 

斉藤は落ち着きを取り戻し、次打者を三振に切って取り、追加点は許さなかった。

 

 

1回表終了 旭が丘 0-1 鶴ケ丘

 

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落ち着いたかに見えた斉藤だったが、鶴ケ丘高校は攻撃の手を緩めない。

 

2回は先頭の関根君が再びホームランを放つ。

 

何とか2アウトとったが、先ほど先頭打者本塁打を打たれた浅野君を警戒しすぎて四球で出してしまい、2番の永瀬君に二塁打を打たれ、この回2点を取られた。

 

序盤にして0-3の劣勢に立たされた。

 

 

2回裏終了 旭が丘 0-3 鶴ケ丘

 

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ややうつむき加減でベンチに戻ってくる斉藤に対し、監督代理の高山恭子が声を掛ける。

 

「こんなの想定内じゃない。向こうの長打力は初めから分かっていたこと。ホームランもソロなら全然OKだから。」

 

1人で責任を背負いこもうとしていた斉藤は、恭子の言葉で少し心が軽くなった。

 

「よし、ここから反撃だ!」

 

キャプテンとして円陣の真ん中で声をあげた。

 

すると、この回の先頭打者である小西がセンター前ヒットで塁に出た。

 

続く斉藤は三振に倒れたが、1番甲斐の打席の時に恭子がサインを出す。

 

ヒットエンドランだ。

 

甲斐が見事に応え、1アウト1,3塁のチャンスを作った。

 

次の打者は岩野航大。

 

このチームの中心打者としてずっと君臨している2番打者が、反撃の狼煙を上げるタイムリー二塁打を放った。

 

その後、鶴ケ丘高校の見事な牽制でタッチアウトになるものの、一方的になりかけた試合の流れを見事に引き戻した。

 

 

3回表終了 旭が丘 2-3 鶴ケ丘

 

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3回裏から5回表にかけてはお互いに三者凡退。

 

斉藤も完全に落ち着きを取り戻し、試合は膠着状態となった。

 

5回裏、鶴ケ丘高校はこの回先頭の1番浅野君が再び塁に出た。

 

2番永瀬君への初球に、再び盗塁を仕掛けてくる。

 

今度はセーフ。ノーアウト2塁となった。

 

そして、永瀬君の放った打球は1,2塁間の当たりとなり、取ったファースト岩野がサードタッチアウトを狙って送球したが、間一髪セーフ。

 

ノーアウト1,3塁の大ピンチとなった。

 

ここで恭子が副キャプテン藤本達矢を伝令に送る。

 

1点は仕方がない、内野はゲッツーを狙って中間守備、外野は1塁ランナーをサードに行かさないように若干浅めの指示だ。

 

続く3番高橋君の打球は、ライナー性でセンターの前に飛んでいく。

 

センター児玉詩音は懸命に前進し、すれすれのところで捕球するナイスプレー。

 

サードランナーもスタートを切れずに、ランナーはそのままだ。

 

元々はセカンドの児玉であるが、肩が弱く、俊足を生かすために早くから外野へコンバートされていた。

 

ここ一番で外野手として大きなプレーを見せてくれた。

 

それでもまだ1アウト1,3塁のピンチで、相手打者は4番の松永君だ。

 

この場面で捕手の小西は、冷静に相手の動きを見ていた。

 

サードランナーの浅野君がピッチャー斉藤にプレッシャーをかける如く、1球ごとにスタートを切っていたのだ。

 

小西は内角へのストレートを斉藤に要求した。

 

斉藤も目の前でランナーがスタートを切っているのが見えていたため、小西の意図を汲み取った。

 

ベルト付近へ厳しい球を投げると、小西はそのままサード側へ流れて牽制球を投げた。

 

見事にサードランナーをタッチアウト。

 

2アウト1塁となった時点で初回に続き再び永瀬君が盗塁を仕掛けてきたが、これも見事に小西が刺した。

 

1イニング2捕殺。

 

拓大紅陵の飯田哲也捕手が甲子園で記録した1イニング3補殺には及ばなかったものの、見事な肩でこの回のピンチを救った。

 

 

5回裏終了 旭が丘 2-3 鶴ケ丘

 

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斉藤の粘り強いピッチングと好守備で何とか相手の攻撃を抑えてきた旭が丘であったが、打線は鶴ケ丘高校先発のナックルボーラー佐野君の前に4回から6回まで三者凡退となる。

 

6回裏、先ほど目の前で続けざまにランナーを刺された鶴ケ丘高校4番の松永君が、鬱憤晴らしとばかりに三塁打を放つ。

 

ノーアウト3塁の絶体絶命の場面。

 

旭が丘は2回目の作戦タイムを取った。

 

今度は前進守備で1点を与えない作戦だ。

 

サードの桑原だけがベースにつき、ショート阿部、セカンド大住、ファースト岩野が前進守備を引く。

 

打順は5番池山君、6番仲田君と強打者が続くが、一歩も引かない構えだ。

 

5番池山君は鋭く降りぬき強烈な打球を放つ。

 

しかし前進守備を引いたショート阿部がうまく捌いて1アウト。

 

続く6番仲田君はうまく流し打ち、三遊間へと打球が飛ぶが、再びショート阿部が横っ飛びで好捕し、目線でサードランナーを釘付けにしてファーストへ矢のような送球を放ち2アウト。

 

ピンチを脱したかに見えたが、7番関根君にライト前に運ばれ痛恨の1点を失ってしまった。

 

次打者は投手の佐野君。

 

今度は当たり損ねの弱いゴロがまたしてもショートの阿部の所に飛んだが、勢いよくダッシュして見事に刺した。

 

1点は取られたものの、ショート阿部の再三の好守備で最少失点に防ぐことが出来た。

 

 

6回裏終了 旭が丘 2-4 鶴ケ丘

 

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3イニング連続三者凡退に抑えられていた旭が丘打線だったが、突破口を開いたのはこの試合も4番に抜擢された新井圭亮だった。

 

打ちあぐねていた佐野君のナックルを、うまくおっつけてライト前に運んだ。

 

5番桑原も続いてノーアウト1,2塁。

 

続く6番の児玉はセカンドゴロに倒れたが、俊足を飛ばして1塁セーフとなり1アウト1,3塁。

 

ここでバッターは7番の阿部。

 

先ほどの回は見事な守備を見せ、4回戦ではツーアウトランナー無しからの5得点のきっかけとなった打者だ。

 

やはり気合を入れて打席に立ったが、ここでも力んだためかボテボテのショートゴロ。

 

しかし弱い打球が幸いして、ゲッツー崩れの間に1点を奪った。

 

8番小西がレフト前ヒットで続き、次は9番ピッチャーの斉藤の打席だった。

 

ここで監督代理の恭子が動き、代打の山口を打席に送った。

 

粘り強い投球を見せていた斉藤はここまでだ。

 

「山口、頼むぞ!」

 

斉藤にそう言われた送り出された山口は残念ながらファーストゴロに倒れたが、この回は貴重な1点をもぎ取った。

 

 

7回表終了 旭が丘 3-4 鶴ケ丘

 

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斉藤に代わってマウンドに上がったのは池田だ。

 

斉藤とはダブルエースと言われ、成績はむしろ斉藤よりいい。

 

7回裏は二塁打を打たれるものの、後続を打ち取って無失点。

 

しかし鶴ケ丘高校も8回に先発の佐野君からエースの八幡君に交代し、8回表を0点に抑えられる。

 

池田もここで打たれるわけにはいかないと気合が入り、8回裏の鶴ケ丘の攻撃を無得点に抑えた。

 

先頭の松永君をセカンドゴロ、次の池山君、仲田君は2者連続三振に打ち取り、マウンド上で小さくガッツポーズをしてベンチに戻った。

 

次は9回表、ここで点を取らなければ夏が終わる。

 

 

8回裏終了 旭が丘 3-4 鶴ケ丘

 

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最後の攻撃を前に、円陣に加わった恭子はナインに話しかけた。

 

「いよいよこれがラストチャンスよ。3年生のみんなは、この2年余りの事を思い出して。楽しかったこと、苦しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、全ての想いをこの回にぶつけて。まだまだ夢の続きを見ようよ。」

 

それを聞いた捕手の小西は入部してからの事を思いめぐらした。

 

強肩で守備のいい捕手として入部したが、打力が弱く、来る日も来る日も打撃練習ばかりさせられていた。

 

練習試合で結果を残したのに、レギュラーになれなかった時もあった。

 

この春、怪我が明けた後から急に試合に使われるようになった。

 

最初は何故だか分からなかったが、どうやら高山恭子先生の助言があったらしい。

 

最初で最後の公式戦となったこの夏の大会。

 

強豪鶴ケ丘高校相手に、ここまで善戦してきた。

 

自身も3つの補殺に2安打を放ち、満足できる活躍ができた。

 

もういいかも…

 

そんな思いが頭をよぎっていた。

 

小西がそんな感慨にふけっている間に、旭が丘最後の攻撃は5番の桑原がファーストゴロ、6番児玉がライトフライで2アウトランナー無し。

 

7番阿部が打席に向かい、小西はネクストサークルに座った。

 

すると急に、このままでは終われないという気持ちが湧いてきた。

 

まだまだ、この夏を続けたい。

 

せっかく掴んだレギュラーの座を、もっともっと続けて行きたい。

 

まだ終われない、終わってはいけない。

 

2年間の思いをぶつけるには、この夏はまだ短すぎる…

 

小西はバッターボックスに立つ阿部に念を送った。

 

阿部よ打ってくれ、昨日のように、ツーアウトランナー無しから打って、俺まで回してくれ。

 

その念が効いたのか、阿部はセンター前ヒットで出塁した。

 

背後のベンチが盛り上がっている。

 

よし、来たぞ。今日の俺なら絶対に打てる。絶対に阿部を帰して同点にするのだ。

 

レギュラー陣の中でもっとも打力の弱い小西であったが、自分自身に暗示をかけるようにして打席に立った。

 

そして、奇跡が起こった。

 

 

9回表終了 旭が丘 5-4 鶴ケ丘

 

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9回裏、最後の守備につく旭が丘ナイン。

 

マウンドに上がった池田は、さすがに緊張していた。

 

幸い、7番から始まる鶴ケ丘打線は守備固めのため選手がゴロっと変わっている。

 

しかしベンチにはまだ強打者が残っており、決して楽ではなかった。

 

7番田川君をショートゴロに打ち取った後、8番ピッチャー八幡君には代打の足達君が告げられた。

 

旭が丘で打力No.1の大住虹太朗の上を行く打力の持ち主だ。

 

その足達君にライト前ヒットを打たれ、代走に辻本君が出てくる。

 

次打者、脇田君も守備固めで出てきた選手であるが、この脇田君にライト前ヒットを打たれた。

 

これで1,3塁と思われたその時、ライトの新井が猛ダッシュで打球を処理し、彼なりの矢のような送球で1塁ランナーをサードまで進めなかった。

 

今日も1安打と打撃では決して満足のいく活躍が出来ていない新井であったが、ここは守備でいい所を見せた。

 

1アウト1,2塁。

 

次打者はこの試合大活躍だった1番浅野君の打順だったが、すでにベンチに下がっており、守備固めで入っていた藤井君が打席に立った。

 

その藤井君はやや弱めのショートゴロ。

 

この試合も安定した守備を見せている阿部が懸命のプレーでさばいたが、残念ながらファーストはセーフで2アウト1,3塁となる。

 

ここで2番の永瀬君。

 

この試合、2本の二塁打を放っている。

 

繋がれると同点にされた上にクリーンアップに繋がり、逆転負けも見えてきてしまう。

 

この場面で恭子は3回目のタイムを取った。

 

藤本副キャプテンに託した伝令はこうだった。

 

「空を見上げて、自分の所でアウトに取るイメージを思い描くの。三振、盗塁補殺、フライ、ゴロ。とにかく自分がアウトを取るイメージを心にしっかりと浮かべて。もう勝利は決まっているから。」

 

それを聞いた内野陣は全員が空を見上げ、それぞれのシチュエーションを思い浮かべた。

 

ショートの阿部も三遊間に抜けそうなゴロを取ってアウトにするイメージを思い浮かべた。

 

そして運命の、その瞬間。

 

実況 「ピッチャー池田君、第2球を投げた。打った、打球は投手の頭を抜けて…いや、ショートの阿部君が追いついた。ファーストアウト!永瀬君のヘッドスライディングも及ばす、この瞬間、旭が丘高校のベスト8進出が決まりました!」

 

 

旭が丘 5-4 鶴ケ丘

 

 

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勝利の瞬間、この日の朝に退院してベンチ裏に待機していた小林監督は男泣きをしていた。

 

様々な思いが頭をよぎる中、彼はある重大な決断をしていた。