新しい学校のリーダーズ

「青春を切り裂く波動」

 

青春を切り裂く波動

此処は戦場 涙のレインボウ

Sorry 勝たねば寝坊 反芻の夜

 

 

 

今週はまずまずいい投球を見せた斉藤夏輝だったが、本人には不満しかない。

 

非公式戦の修半杯であまり投げられなかったからだ。

 

1/22のあすか野戦は顔色不良で登板回避。

 

 

1/23の奈古の浦戦では2番手だったが、池田が好投を見せたため1/3イニングしか投げず。

 

 

1/25の大和町戦は池田とのリレーで好投。

 

 

1/27の龍ヶ崎戦は、前日の練習試合で投げすぎて登板できず。

 

 

大事な試合での登板が少なく、それで成績が良くても…という感じだ。

 

 

 

斉藤夏輝はそもそも野球エリートではない。

 

地元は鈴鹿市で、小学生の時はスポーツ少年団でソフトボールをしていた。

 

中学校は地元ではなく大学教育学部の付属中学校へと進んだ。

 

そこで野球部に入り、弱小チームながらエースとして君臨、市の大会ではベスト4まで勝ち上がる原動力となった。

 

そこで夏輝は完全に野球の楽しさ、面白さに目覚めた。

 

野球の強い高校に進学したいと願ったが、ソフトボール出身で市のベスト4程度では誘いは来ない。

 

さらに両親は高校で野球に没頭することに反対した。

 

わざわざ付属中学に行ったのだから、しっかり勉強を大学へ行くようにしきりと言ってきた。

 

そんな時、鈴鹿ケーブルテレビで旭が丘高校の日高匠が紹介されたのを見た。

 

彼は旭が丘高校初代野球部員きっての秀才で、その番組では医学部を目指していると紹介され、実際に合格したのだ。

 

 

 

夏輝は日高の例を出し、旭が丘なら野球も勉強も両方ともできると言って両親に懇願した。

 

地元の鈴鹿市にも関わらず寮生活というのにも両親は難色を示したが、夏輝は必死になって説得し、無事旭が丘高校に入学して野球部に入部した。

 

しかし、入ったはいいものの、夏輝は周囲のレベルの高さに愕然とした。

 

部員のほとんどはボーイズリーグ出身で、ソフトボールから軟式を経て入ってきた夏輝は、言わば雑草みたいなものだ。

 

同じ投手では3年生の平山大旗、ひとつ上には川口宏太とまさしくプロ級の生徒がおり、ここでやっていけるのだろうかと不安にさいなまれた。

 

ただ、監督は自分を結構買ってくれて、試合にもよく出してくれた。

 

その様な経緯があるので、夏輝は絶対にレギュラーを取り、活躍して甲子園へ出場するという強い気持ちがある。

 

その気持ちが空回りして、なかなか練習でも成果を上げることが出来ていなかったが、最近は徐々に成績もついてきている。

 

最後の夏に向けて、あと半年弱、必死に頑張るつもりだ。