文久2年、黒門町の下級武士徳永永則の長子として誕生。満之助と名づけられました。
満之助は16歳の頃、新出来の「覚音寺」で得度し真宗大谷派僧侶となります。
満之助が得度した覚音寺は、出来町通り沿いの「徳源禅寺」の東向いに鎮座。
境内には、「我が信念」と書かれた清沢満之の石碑が建てられています。
明治5年、満之は情妙寺境内に建っていた「第五義校」に入学、学生満之は「神童」と呼ばれるほど優秀だったようです。
門前に寺の説明板がありますが、清沢満之のことや第五義校のことは書かれていません。
情妙寺第五義校は明治13年に移転し、昭和22年に筒井小学校と改名。
校門前には、清沢満之顕彰碑や説明板が建てられています。
以上