岩手で稲刈り
東京にいた時、千葉でアグリツアーをされていた早苗さんが、岩手の実家で農家民宿を始めました!!
興味ある方は、是非!!!
下をク リックしてみてください。
ちなみに知り合ったツアーは白井貴子さんのイベントツアーだったのですよぉ。ヾ(@°▽°@)ノ
http://kokucheese.com/event/index/16256/
一部抜粋です。 今回は、9/23(金)~24(土)に行う アグリコミュニケーターから学ぶ「農家民宿ツアー」のご案内です。 *アグリコミュニケーターとは “農業者と生活者をつなぎ、相互理解のために橋渡しをする人”です。 これは、今回のツアーで訪れる農家民宿を立ち上げた寒河江早苗さん 自ら作った職名で、次のような役割を担います。
興味ある方は、是非!!!
下をク リックしてみてください。
ちなみに知り合ったツアーは白井貴子さんのイベントツアーだったのですよぉ。ヾ(@°▽°@)ノ
http://kokucheese.com/event/index/16256/
一部抜粋です。 今回は、9/23(金)~24(土)に行う アグリコミュニケーターから学ぶ「農家民宿ツアー」のご案内です。 *アグリコミュニケーターとは “農業者と生活者をつなぎ、相互理解のために橋渡しをする人”です。 これは、今回のツアーで訪れる農家民宿を立ち上げた寒河江早苗さん 自ら作った職名で、次のような役割を担います。
20キロ圏内はこんな状態。
野口健さんのブログ。
貴子さんも見ているのかなぁ。。。
これ知ったら、貴子さんも行ったりして。
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
貴子さんも見ているのかなぁ。。。
これ知ったら、貴子さんも行ったりして。
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52166029.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
父が逝きました。
ミクシィにて日記を書いているのだけど、ここにも同じ内容をアップします。
12月に黄疸が出て入院し、肝臓からの管を1本増す手術をして、31日には退院しました。
正月は、一緒に過ごせました。
4日に病院に行った際、すでに肝臓の機能は停止している状態で、朝、息をしていなくても、慌てないでくださいと。言われていました。
心配なら、緩和ケア病棟に移った方がいいとも説明されていました。
5日朝。ゆいが町の消防団の出初め式にでるのに、迎えにこいとダダをこねていました。
私が、いらいらして、もう、行くな。
出なくてもいい。と怒っていたら、父が、「俺が連れて行こうか」と。
もう、歩くのもふらふらなのに。。。
なんとか、保育園に行き、母は、地区の出初め式の後に食事を出す炊き出しに行っていました。
父の様子を見に行くと、
「解熱剤をくれ。寒い」
と、ガタガタ震えていました。
すぐに、病院に電話したら、来た方が良いだろうとの事で、
震えが落着くまで、湯たんぽで暖めたり、バタバタ。
急いで、母を呼びに行き、病院に行きました。
緩和ケア病棟がいっぱいで入れなかったので、とりあえず、一般病棟に入りました。
たまたま、病院の駐車場で、父の釣り友達と母が会い、病室に尋ねてくれました。
父は、すごく喜んで、話も弾みました。
また、釣りしたいなぁ。って話していました。
今まで、痛みがなかったのですが、このときから、もう、「肩が痛い。さすってくれ。」と、
我慢できない痛みが出てきました。
看護婦さんに言って、シップをしたり、マッサージをしたりしましたが、苦しそうでした。
看護婦さんが、
「麻薬じゃなくともう、無理でしょう。」とこの夜から、麻薬が処方されました。
この日のうちに、兄家族が、仙台から来ました。
まだ、意識がはっきりしたうちに、甥っ子にも会えて、良かった。
6日には、緩和ケアに移行でき、付き添う側も、見舞う側も、他の患者さんに気を使うことも無く、ゆったりとできました。
しかし、段々、意識がなくなり、もうろうとして、でも、トイレに行きたいのか、起き上がろうとして。。。
ベッドのふちで、顔をぶつけ、左目が紫にはれ上がりました。
8日。もうろうとする中、私を看護婦さんと間違えてか、「すみません、すみません」と謝るのでした。そして、「もう、いって良いのだろう?明日か?」というのです。
「うん。うん。明日ね。」
と、いってしまって、後で、後悔しました。
「まだ行かんよ。」って言えばよかったかな。
9日の夜、母がずっと寝ないで、付いていたので、心配になり、私も、大河と病室に泊まりました。
父は、若い頃、歌声喫茶「ともしび」に通っていたので、私も何度も連れて行ってもらいました。
そこで、覚えた歌を口ずさみながら、足をさすりました。
10日 大河をお風呂に入れなくちゃいけないので、夕方家に帰りました。
兄も病院にいる予定でしたが、母が、帰って良いといったので、帰ってきました。
夜に、母から、様子がおかしいと電話があり、兄だけ行きました。
汗をかいていたので、母が熱いタオルで拭いていたら、段々冷たくなってきたそうです。
看護婦さんや、先生が来て、11時にあの世に逝ってしまいました。
享年66歳でした。
痛みが出てから、5日間。あまり、苦しまずに逝けたのではないかな。
そうであって欲しいなぁ。
お父さんありがとう。
お通夜から、お葬式まで、ばたばたでした。
それは、また、次回に書きます。
12月に黄疸が出て入院し、肝臓からの管を1本増す手術をして、31日には退院しました。
正月は、一緒に過ごせました。
4日に病院に行った際、すでに肝臓の機能は停止している状態で、朝、息をしていなくても、慌てないでくださいと。言われていました。
心配なら、緩和ケア病棟に移った方がいいとも説明されていました。
5日朝。ゆいが町の消防団の出初め式にでるのに、迎えにこいとダダをこねていました。
私が、いらいらして、もう、行くな。
出なくてもいい。と怒っていたら、父が、「俺が連れて行こうか」と。
もう、歩くのもふらふらなのに。。。
なんとか、保育園に行き、母は、地区の出初め式の後に食事を出す炊き出しに行っていました。
父の様子を見に行くと、
「解熱剤をくれ。寒い」
と、ガタガタ震えていました。
すぐに、病院に電話したら、来た方が良いだろうとの事で、
震えが落着くまで、湯たんぽで暖めたり、バタバタ。
急いで、母を呼びに行き、病院に行きました。
緩和ケア病棟がいっぱいで入れなかったので、とりあえず、一般病棟に入りました。
たまたま、病院の駐車場で、父の釣り友達と母が会い、病室に尋ねてくれました。
父は、すごく喜んで、話も弾みました。
また、釣りしたいなぁ。って話していました。
今まで、痛みがなかったのですが、このときから、もう、「肩が痛い。さすってくれ。」と、
我慢できない痛みが出てきました。
看護婦さんに言って、シップをしたり、マッサージをしたりしましたが、苦しそうでした。
看護婦さんが、
「麻薬じゃなくともう、無理でしょう。」とこの夜から、麻薬が処方されました。
この日のうちに、兄家族が、仙台から来ました。
まだ、意識がはっきりしたうちに、甥っ子にも会えて、良かった。
6日には、緩和ケアに移行でき、付き添う側も、見舞う側も、他の患者さんに気を使うことも無く、ゆったりとできました。
しかし、段々、意識がなくなり、もうろうとして、でも、トイレに行きたいのか、起き上がろうとして。。。
ベッドのふちで、顔をぶつけ、左目が紫にはれ上がりました。
8日。もうろうとする中、私を看護婦さんと間違えてか、「すみません、すみません」と謝るのでした。そして、「もう、いって良いのだろう?明日か?」というのです。
「うん。うん。明日ね。」
と、いってしまって、後で、後悔しました。
「まだ行かんよ。」って言えばよかったかな。
9日の夜、母がずっと寝ないで、付いていたので、心配になり、私も、大河と病室に泊まりました。
父は、若い頃、歌声喫茶「ともしび」に通っていたので、私も何度も連れて行ってもらいました。
そこで、覚えた歌を口ずさみながら、足をさすりました。
10日 大河をお風呂に入れなくちゃいけないので、夕方家に帰りました。
兄も病院にいる予定でしたが、母が、帰って良いといったので、帰ってきました。
夜に、母から、様子がおかしいと電話があり、兄だけ行きました。
汗をかいていたので、母が熱いタオルで拭いていたら、段々冷たくなってきたそうです。
看護婦さんや、先生が来て、11時にあの世に逝ってしまいました。
享年66歳でした。
痛みが出てから、5日間。あまり、苦しまずに逝けたのではないかな。
そうであって欲しいなぁ。
お父さんありがとう。
お通夜から、お葬式まで、ばたばたでした。
それは、また、次回に書きます。
