リビングに夫の仕事の書類の山があちこちに出来ている。
もう何年も前から何度言っても片付けてくれない。
正確に言うと、幾度かトライしていたが早々に
挫折していたもよう
私が棚を制作したり、ファイル収納のやり方を調べて整理し、
少しマシになることもあったが、すぐ元通りになる。
それどころか最近の忙しさから更に輪をかけて酷くなっていて
私が家にいるとき、それらが目に入り落ち着く心地になれないのが悩み。
ちょうど、またイラ~~となりかけてきたときに
えーー?と思わせられる言葉が入ってきた。
天国から離れて 280頁
“あなたが、両面感情を抱いている誰かに対して、
どちらかといえば些細な違反行為に対し激憤するというときも、
同様の心理的からくりがはたらいている。
そのよい例は、ジョナサン(←ヘレンの夫)に対するあなた(ヘレン)の
反応である。
彼は確かに、いろいろな物を奇妙なやり方で散らかしている。
実際、彼はいくつかの無秩序な領域があることで自分の安定性を守ることが
できると思っているために、これをしている。
思いだしてもらいたいのは、あなた自身も長年これをしてきたし、そのことは
よく理解できるはずだ、という点である。
こうしたことは、おおいなる怒りではなく、おおいなる博愛をもって受け止め
られるべきだろう。
激憤は、自分がジョナサンを愛すべきようには愛していないというあなたの
自覚からきており、あなたは彼を自分の憎悪から守ろうとして、それ[憎悪]
を些細な行動へと集中させ、それにより自分の愛の欠如の範囲をせばめて
いるのである。”
最初に読んだとき、本当に
「へっ?」という声が出た。
夫とわたしの関係性に当てはまると思った。
・・・う~ん・・・
時間を置いて5回くらい読み返した。
確かに夫がこれほど散らかすのは意図的なんだろうなと感じていた。
この混沌が夫の安定を図っているのでは?とうっすら思っていたのは確か。
だが、私はある程度かたづけられた部屋を優先したい方がかなり強かった。
最も衝撃を受けたのはこの部分。
こうしたことは、おおいなる怒りではなく、おおいなる博愛をもって受け止め
られるべきだろう。
これを腑に落とすのに暫く抵抗があった。
(なんで?そんなのおかしい。
あちこちに重要そうな書類とそうでもない書類が散らかった部屋でなんて、
くつろげるはずがない。
部屋っていうのは整理されるべき場所でしょう?
おおいなる博愛ってことは、このままにしていろってこと?)
という思いがぐるぐる回った。
でもまぁ、ふと
(散らかっているからといってどうなんだろう、
夫の精神状態にこの方が良いのなら、どうってことはないのだろう。)
と思えるようになった。
それから地味にこたえたのが
“激憤は、自分がジョナサンを愛すべきようには愛していないというあなたの
自覚からきており、あなたは彼を自分の憎悪から守ろうとして、それ[憎悪]
を些細な行動へと集中させ、”
認めざるをえないなと思った。
意識の下にぼやかしておいたものがくっきり
出てきた感じ。
救いは、
“それにより自分の愛の欠如の範囲をせばめているのである。”
の箇所。
英語の表現の特徴なのか、奇跡講座を読んでいても
二重否定が多いのでたまにウ~ン、どっちの意味?ってなる。
だいぶ慣れてきたけど
かなりの衝撃で、何より有益だったので忘れないように置いておく