東京オリンピック・パラリンピックが終わったが、共に殆ど観なかった。
音が苦手でテレビを見なくなっている。
唯一、関心を持って観たのが陸上女子1500m、5000m。
田中希実さんが参加した競技。
娘が中距離をしていたのもあって、中学駅伝の頃から
田中さんは印象に残っている。
西脇工業時代も哲学者の顔をして走っていた。
予選、準決勝、決勝の後のインタビューを拝見し、
予想以上に確りとした考えを持つ人なのだなと感じた。
質問の意味を読み取り、とても長く答える。
たいてい、いつも私は
“長いな~、もっと端的に答えられないかな~”と、思いがちなんだけど
田中さんの場合、思考を言葉に載せる術が卓越していて、
パシッ、パシッとど真ん中ストレートの球が見事な程決まっていくように、
こちらに的確に届いてきた。
もっともっと考えを聞かせてほしいと思うほどだった。
地元の新聞には、幼い頃からのご家族とのエピソードの記事が何度か
掲載されていて、それを読むのも楽しかった。
ありきたりの美談だけじゃなく、家族というものにつきものの衝突・葛藤なども
あり、親近感を覚えた。
自分たちだけじゃないんだな、家族ゆえにぶつかり合うんだなと、
それで全然OKなんだなと安心感を抱いた。
素敵なご一家。
夢を見た。
夫と娘、息子がどこかのマンションの二階の共用廊下側にいる、柵に手をかけて
体重を乗せていた娘の、その柵がずれて娘だけが落下。中学生くらいの様子だ。
陸上に打ち込んでいた時期。
夫がとっさに手を伸ばすが、届いたかどうかが分からない。
結局、医師から、落ちた感じが悪く二度と自力で立ち上がれないし一生車椅子です、との宣告を受ける。
親として、何事にもひたむきに取り組んできた本人の絶望感を想像し、
自分も年老いていくのにどこまで介護ができるだろうと現実として感じた。
“私の方が先に逝くだろう、そのあとを誰に託せば?”
目が覚めた後もしばらく体が硬直し夢を見たのだと分からなかったくらいだった。
そのうえで、パラリンビックの選手達のことを考えた。
生まれつき・又は不慮の事故で障害を持ち、スポーツをしようという気持ちにどれだけの絶望感から臨んだのだろう、と。
選手でなくとも、思いがけずハンデを背負った人達のことを。
うまく言葉に出来ない。