Netflix “私というパズル”を観た。

 

自宅出産を選んだ若い夫婦が、生まれた直後の娘を喪う。

 

そこから、夫婦の気持ちのすれ違い

主人公の女性とその母親との相容れない関係

周囲からの好奇の目

 

一見、裕福な家に生まれ、(生育環境差はあれど)パートナーにも恵まれ、

仕事もあり幸せを絵に描いたような女性が、人間の普遍的な

問題に実はさらされていた。

 

twitterをスクロールしていて、タイトルとおおまかな内容紹介の

文字が目に飛び込んできた。

観たいな、と思った。

そんな風に思うことは滅多にない。

ネトフリは何となく継続してるけど殆ど観ていないし

観ても最後まで観終えるほど夢中になれるのはなかった。

 

観終えて動けなかった。

 

やはり娘を思いだした。

お腹にいた頃 本当に子供がいるのか?と、

あまり自分の体を大事にしなかった。

 

主人公の女性が喪った娘を想いながら

日々をなんとか生きている様子が痛々しい。

 

私の娘は生まれた時こそチアノーゼで暫くの間

心室中隔欠損だったけど、自然に塞がりそれ以降

健康面でなにも問題なく育った。

(女医さんの仕事の都合で、夜に保育器の横で

心臓の説明を受けたとき、自分の目から涙がこぼれたのに驚いた)

 

自分が育てられたように育てたので、

ずいぶん酷い育児だった。

自分が娘にしたことをフラッシュバックのように思い出された。

こんな私のもとに来てくれたのに、大事にしなくてごめんなさい、

という感情でいっぱいになった。

出産直後、焦点がまだ合わないはずなのに開けた左目で

懸命に私を見ていた様子を思いだした。

 

あんなに小さかった。

 

ラストシーン、救われた気持ちになった。

(大きな木、葉、葉擦れにも目を奪われた)

 

 

夫のことも、子供たちのことも、ささやかな暮らしのことも

私なりに大切にしていきたい。