早速、少しヘビー 

 

でも、新たに気づきがあったビックリマーク

 

些細なことで、なんて自分はアカン奴なんやろって

しょっちゅう感じる、思う。

 

例えば洗濯物を干す時、ハンガーが絡まったり

ピンチが落ちてしまったり、手間取ったり、

(こんなこともスムースにできへん)

きゅっとみぞおちが痛む。

 

入浴時、少しシャワーを使う時があるが

それが気持ちよく使えない。

(最低限の量だけですませなきゃいけない

私なんかがぜいたくしたらあかんやん、早く早く終わらせろ)

水に関しては、食器洗いの時もそうやわ

だから、知らず知らず肩が凝ってるんかな?

 

寒いから設定低めでエアコン付けてるけど凄くぜいたくやな、とか

上着着てても寒いくらいの室温なのに。

家族がいたらいいけど、自分一人の時は特にもったいない。

 

 

まだまだあるけど(これ以上は遙かに深刻になってきて

お目汚しなので省略)、これら全部に気付いてなかった。

 

家事の途中、リビングから廊下に出ようと引き戸に手を

かけたとき、きた。

 

“今 私 苦しい”

 

“朝から行動するたび、何かを見るたび、

自分を苦しめるように貶めるようにばかり

ジャッジしてるわ”

“朝から?昨日もおとといもやわ、えーっと、

年がら年中じゃない?”

 

“毎回・毎回、そんなことで落ち込んでることに

気付かないように気持ちに蓋をしてる”

 

体感は、

常に息を吸うのを中途半端なところで抑えていて

胸とお腹がギュッと固くなってる

 

今、私 苦しいけど 何で?

この苦しみはどこから来てる?

どうしてこんなに自分を責め立ててるん?

 

そこまで来て、ようやく

先日来 読んでいた本のフレーズを思いだした。

 

・自分の思考を、【ほんとうの自分】だと思い込んでしまう

 それは、大きな錯覚

・何かを認識するとすぐに、幻の自己であるエゴがそれに

 名前をつけてラベルを貼り、解釈し、何かと比較し、好悪や善悪を決める

 

忘れていた。

 

この、私に苦しさを感じさせる思考は“ほんとう”のものではないんだ。

何かをするたびに辛くて落ち込んでいたけれど、それはまやかしなんだ。

 

引き戸に手をかけてから、私が通れるくらい戸を開けるその僅かな瞬間に

それは訪れた(なんか大げさやけどあせる)

 

その数日前から自分の暗くなりようが酷かった、家族の前では見せないけど。

窓から見える庭の花も野菜もちゃんと育ってるし、家族もとても忙しそうだけど順調。

皆、健康だし。

なのに、なんでこんなに苦しいのかってしんどかった。

 

でも、

そうか これがほんとうの自分じゃないんだって気づいてからの

落ち込みからの気持ちの急上昇具合がなかなかのカーブだった。

本を読んで理解はしていたが、自分の中にちゃんと落とし込めてなかった。

(いつもそうだ) 

そういう今でも浅いんだろうけど。

 

途端に、気分が軽くなった。

 

 

実際に行動をとってみると違う風景が見えてくるのだな虹

動くのが怖くて(動けば動くほど自分を責める材料が見つかるから)

すくんでいたけど、少しだけ自信が付いた照れ

 

 

 

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