わたしはわたし。あなたはあなた。 | 荒川真理STORY

荒川真理STORY

私は、自分らしく、堂々と生きていたい!!
自分を大切に出来なかった私が葛藤しながら、等身大の自分を受け入れて、人間らしく生きてゆく様子を自分の言葉で綴る軌跡のストーリーです。




先日のこと。





私は私。あなたはあなた。







そのスタンスで話した時、

お相手の方からすると

私に「わかってもらえてない」

という感覚でいっぱいになり

不快、不安にさせてしまう、という事がおこった。




以前なら、確実に慌ててしまったこの出来事。






今はもう...どうする事も出来ない。

と思っています。ごめんなさい。

(諦めではありません)





何回もおこってるな。笑。ここにも書いてる。





私だって、もともと同じだった。

だからわかる。




私は私。あなたはあなた。




言葉ではわかっていても

人間ってきっと本質の部分では

想いを分かち合いたい、とも思っているし、

共感し合える相手には、自然に好感も覚える。





だからこそ、いつだって

私は私。あなたはあなた。

が確立していないと

「わかってほしい」という

不足からの願いを

他人に向けてしまいやすいですよねショボーン






私は嘘をついてない、

だからわかってほしい。



他人に誠実に頑張っている、

だからちゃんと伝わってないなんて許せん。



何度もわかっているはずの私も

うっかりりきむと、その想いに縛られる。



お相手の「解釈の自由」を尊重出来ずに、

いやなんで?

わかっておくれよ、と苦しんでいた。







感覚の違いを許容できない側にとっては必死。





それはまるで、割れた窓ガラスを

ガムテープで塞ごうとしてるみたいに

その場しのぎで、不恰好。






風がもろ吹いたら終わりやん。笑



絶対に隙間空いているのに

とりあえずのガムテープ!!みたいに

言い訳と説明だけがどんどん増えていく。




  やば!ニヤリ







でも感覚の違いを恐れてない方からすると

割れた窓ガラスくらい

割れたまんまでもいいと、

そう思ってるし

会話の中で大切にしてるのは

「流れとフィール」だったりする。















違いを恐れない人と話した場合。

まったく食い違ってるといっても

過言ではないほど、違う視点からの話も

逆に

めちゃくちゃおもしろいんですよね〜チュー






えーびっくりあの夕焼けって

昼間見たらそんな水色なんですねー

とかそんな感じ。




ただ、ただ、同じものをみたのに

こんなにも違うなんて

むしろ発見発見発見の連続チュー




自分のこと伝えてもらう時も

ちがう、ちがう、わかってよー

とはならない。

へーそっかー。そう見えてるんですねー。

ありがとうございます😊みたいになれる。





この感覚でいると本当に楽です。



きっとこれが

「操縦席に乗ってる」っていう感覚かなーと

思います。











数年前、私が宇宙の真理に

どハマりしていくキッカケになった一冊。






操縦席に乗り損ねてる時!

これオススメですよー!

足掻かない方が断然いいとサラッと思える。









みんな同じ世界に住んでいるようだけど、

同じものを見ていたとしても、

同じには見ていない。








精神論に限った話ではなく。

視覚に特化してみても、その感覚は様々。







下の写真を、

ピンクと白に見える、という人と

グレーと蛍光グリーンに見える人がいる。びっくり



ちなみに私はピンクと白に見える!照れ









このダンサーも!

こっちは色味じゃなく、動きだけど


 
きき腕、ならぬ、きき脳がわかるらしい🧠爆笑

右脳派は時計回りに、

左脳派は反時計回りにみえるらしい。

ちなみに私は右脳派照れ







視覚ですら、様々。





みんな、それぞれに

脳内補正かかっとるんですよ爆笑




じゃー、心のことなら

なおさら、補正かかっとるよね。



どんなに客観視が上手くて、

エネルギーに敏感でも

他人の世界観をまんま観る事は出来ない。




善も悪も...

分かり合える場合はあるけど

全て合致するのは無理。

✋100パー無理!








だからこそ、他人が抱いた感想は

相手の持ち物だと理解する。



例え、

自分の発言をネガティブに捉えられたように

感じて悲しくても、

一回横に置いとくこと。




どんなに躍起になって汚名返上しようとしても

そんなの、

どんどんエネルギーを奪いあうだけ。







逆もまたしかり。



自分だって

どんな感想を持っていい!自由なんだもの。










かつては、信じていた。

好意を示せば、相手だって好意を持つはず。

とか。

善意は伝わるはず。とか。





でもそれ、

コントロールする事は無理だと確信しました。

えー。✋100パー無理です!

何人たりとも他人の頭の中を侵すことはできない。




他人を変えられないことは

わかってるようで

どっかわかってなかったのかも。




だから「寄り添う」というスタイルが

長い間、手放せなかった。



でもわたしの世界では、もう必要ない。

どんなに親切にしようと

どんなに親身になろうと

お相手にはお相手の世界観がある。

だから、「わかり合う」ための親切や

「わかり合う」ための行動全ては

空回りする可能性が否めない。





でもこれ、全然悲しいことじゃなくて。




本当に悲しいのは

わかってほしいがあまり、

自分の言葉に自分の思いが乗らない事。

その方がよっぽど悲しくて、

よっぽど虚しいよね。ショボーンショボーンショボーンショボーン







言葉を口にする時。




きっと

音としては聞こえているのに

「思いの乗らない音」を奏でていれば

それを「嘘」っていうんだと思う。




「思いの乗ってる音」は

「本音」って言うけんねー。(うまい!)

それこそがまさに、自分の言葉でしょう。








私はいつも、

レシーブした選手が

アタックに行きやすいように

相手の望む場所にトスをする。



そんな感じで喋ることが多かった。




ズバズバいうから、

まるで本音を言っているようだけど

実際には相手の狙ったところに

絶妙なトスを上げるのが好きだった。






調子にのって、

もっと別のものに例えて言えば

まさに、カラオケの合いの手🎤



それそれそっれそれ〜チューってやつ。





盛り上がりはするけど、意味はあまりない。笑




嬉しいことを喋る時も

相手が嫉妬しそうなら、

大したことないかのように喋ったりもした。

いや、思いのほか大変だよ?みたいにも。






あとは、

これは無自覚でだったけど

印象操作のためにも言葉を使ってた。





誰かをやっつけたい時は

決定的な言葉は避けつつ

誰かの言葉を借りたり、

例え話で切り貼りして話し

本人からの謝罪を引き出そうとする。




私はいいんだけどね?

世間は許さないのでは?

みたいな感じでわからせて自ら謝罪させたい。




えーんえーんえーんわたし、なんちゅーやつ。

でもやってたんです。




今思えばそれって

バナナの皮を足元にそっとおくくらい

非効率。そしてダサイ。

嫌なもんは嫌だとスッキリ言えればいいし、

言わないまでも嫌だと自覚してさえいれば

まわりくどくやる必要は完全にないもん。





言葉って、私の口から出た途端に

温度も鮮度もどんどん失って

巡り巡る時には他の味付けになってる。

だからまた聞きなんて、あてにするだけ無駄やし

言われて傷付く必要もまるでなし。






ただ、良くも悪くも....

間違いなく

自分のところまで

ブーメランのように返ってくるのは

自分の発したエネルギーだけだニコニコ





まず自分。まず自分。ってそういうこと。





自分を誰かより優先して

先にケーキ食べてしまうっていう事じゃない。






誰かを押しのけて

前へ、上へ行くことでもない。





この世界は自分が創っていると自覚すればこそ

お相手のアラばっかり探してないで

自分の発しているエネルギーに

注意深くなる事。







それが、私の見つけた「まず自分」おねがい






だから、どんなに自分が不甲斐なくて

大嫌いになりそうでも

とにかく

いつも「良い気分でいる」その方が良いんだ。














真理