数年前…


子供達も

だいぶ大きくなり


生活が変わり


それまで

溢れかえっていた

おもちゃや絵本

学校の教科書やお道具類

お手紙の数々


都度都度

片付けたり

捨てたり…


要る物と要らない物を

選り分けるだけでも

物凄い労力を

割かれているようで


そこにフォーカスを向けることが

本当にしんどかったのだが


それも

フェードアウトを迎えてきて


いよいよ

見て見ぬフリもできなくなって


大きな

「大断捨離大会」

が始まることとなった。


それも

落ち着くまでに

数年かかった

気がする




要らない物を捨てるのは当然だが

使わずに「何年も手付かずの物」も捨てた


・いつか使うかも

・捨てるのはもったいない


それをしまうために

アレコレ頭を悩ませること自体

疲弊の元だ


そこに「有る」

ということが

私を圧迫してくる。


主婦であり

家の中の物の管理者である私に

・居場所の把握

・キレイにしまうこと

・ホコリになれば掃除すること

を必然的に強要してくる。


出番もなく

万年ベンチの

そいつらに

ふと、

「お茶!」だの

「たまには掃除しろよ!」とか

そう声には出さずとも

当たり前のような顔で

命令されてる気分だった。


「これは私だけ???」


(どちらかというと図太いタイプだと自認してるのだが?)

(え?私ってまさかの神経質?気にしす過ぎなのか?)



たぶん

単純に

私の管理能力の

キャパを超えた

というだけだと


落ち着いた今なら思えるのだが


その当時は

毎日イライラし通しだった。


学生の頃までなら

自分のことだけだから

頑張ったらなんとかなった

というか

なってきちゃったけど


それってある意味

できないって言えなかったからだし

頑張るのが当たり前

自分でなんとかするのが大前提

って教育だったし?


助けてもらうとか

どこかで見切りをつける

みたいなことを

学んでこなかったんだよね。


それと

自分のエネルギーは

「無限じゃない」


つまり

使ったら当たり前に

減るし

無くなる


これを知らなかった。


頑張ればどこまでも頑張れて

事はキチンと成し遂げられる


そう思い込んできたから


疲れて動けない自分に

ムチ打ってきたし

できない自分を責めたし

できない自分を嫌悪した。


他人の求める100%にも

自分の理想の100%にも

沿う必要なんかなかったんだ


そんなことに疲弊して

「今の自分」を

蔑ろにして

ムチ打って

一体私は

何を目指して生きてきたのか?

と思う。


「もっと笑って生きたらよかった」


今はそんな風に思う。




あっ

大断捨離大会はですね…

究極まで行き着いて

「チェスト(←引き出しのついた家具)要らん」

「障子なんか貼らんでいい(←枠だけ残ってる)」

「カーテン捨てよう(←窓に直接すりガラス風シートを貼った)」

となり…


最後には壁に据え付けの大きな下駄箱まで

DIYで取り外し

場所移動をする大業まで

行きつきました✨


要は

「根本からの見直し」

「当たり前を疑う意識」

が大切で、


まるきり

「生き方そのもの」でした。


正直ここから本当に

生き方考え方が

少しずつ身軽になっていった

感覚があります。



思えば

スッキリしたもんだ…(しみじみ…)


長文になっちゃった…



今日も

ありがとうございます。





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