さとみの生い立ちの話だったな。

さとみは顔に大きな痣がある。
それは大きくて、小さい頃は、みんなに可哀想だと様々なお祓いや祈祷に駆け回ったほどだ。レーザー治療という技術により、今では薄くなった痣だが、痣には先祖の因縁が現れていた。先祖の因縁とは、池田の山奥の土地からの緊急連絡だった。
痣の縁をたどれば、池田の三縄にたどり着く。

そうとは知らぬさとみは、大人になり、レーザー治療で痣を消して、それはそれは美しい女に育っていた。
祖父の代に大阪に出てきたさとみの家は、父の乱心により、母が働き、仕事をするようになった。母はスナックを始めた。
母のスナックは繁盛した。ミナミに阿波の血の流れる店として一時代を築いた。

ミナミの夜の街でさとみは美しく舞った。
十六歳で店に立ち、三十八歳まで夜の店にどっぷり浸かった。その間に二十歳で結婚し、二十一で息子を一人産んだ。
運命の三十八歳となった時、息子は十七歳だった。

さとみは麻に目覚めたのだ。
麻とは、大麻の事だ。
今となっては、薬にもなり、地球を救う植物として名高い大麻だが、当時の日本では悪の象徴のように祀り上げられていた。

さとみは、霊能者の家系の生まれだった。
霊能者の家系とは、古くは、呪い師として地域の中で霊的な存在との橋渡しの役目を果たしてきた一族だ。
忌部一族の末裔だった。

忌部一族とは、古語拾遺を残した事で知られる斎部 広成(いんべ の ひろなり)の一族だ。

徳島の山上には、忌部一族が今も尚住んでいる。

遠く京都へ開拓に旅立った仲間たちがいた事も忘れ、京都という名を残す地名が今も残る。


忌部一族は、種を持ち、山から下り、灌漑水路を造る技術を持ち、世界中にその技を用いて開拓していった。そして、その先々で故郷の地名を残していったのだ。

忌部一族は、日本の国の下地を創ったといえる。
天皇の譲位の際に執り行われる大嘗祭に、忌部の生み出した大麻の繊維の織物である「あらたえ」が欠かせないものであることが知られているが、今やその伝統も存続が危うい。
何故なら、日本は都市部に若者人口が集中し、田舎では高齢者ばかりとなったからだ。

さとみの故郷も例外ではなかった。
集中すれば、反動が起こる事は、世の中の道理だ。振り子は振れるのだ。
都市部への人口集中の世界から、過疎地への人口の移動が始まりだした頃、さとみの実家を見たいという人が現れた。山の中で美味しい水のあるところで暮らしたいという夫婦が現れたのだ。


続く


キラキラ麻道まつりin大阪2/17〜3/2予定



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