GPTストア

 

2024年1月10日にオープンAIのGPTストアがオープンしました。GPTsを使ってオリジナルのGPTを作り、それをGPTストアに展示するサービスです。個人や、企業が自作したオリジナルのGPTをGPTストアに公開して収益化するためのデジタルマーケットプレイスです。

 

GPTストアでは、開発者やクリエイターが、GPTをカスタマイズして公開したものを、他のユーザーが購入して使用することができます。GPTストアで公開できる種類は、テキスト生成、翻訳、コード生成、画像生成、音声生成、ゲーム、その他 などが可能です。

 

GPTストアは、まだ始まったばかりの新しいプラットフォームですが、今後、さまざまな種類のAIエージェントが公開されることが期待されます。

 

GPTストアでは、自作したGPTの販売価格を開発者が自由に設定することができ、販売した収益は、開発者とOpenAIで分けられます。オープンしてすぐにストア内には超沢山のオリジナルGPTが登録されているそうです。

 

ユーチューバーならぬGPTバーの始まりかもしれませんね。

有料版チャットGPT4の加入者のみのサービスです。

 

 

-------------( おまけ )

 

歴史上の人物の名前や物事の名称は知っているけど、どんな人物なのか、どんな出来事だったのか、実はあまり知らない。そこのところを表面だけでも知りたくなり、調べてみようと思いました。せっかくなので、「おまけ」で掲載することにいたしました。

 

 

   徳川家康の次男 結城秀康(ゆうきひでやす)

 

徳川家康の次男である結城秀康は天正2年(1574年)2月8日、生まれ。母は家康の正妻、築山殿の女中(長勝院)。幼名は於義伊、出生地は中村源左衛門正吉の屋敷だった。家康の正室が長勝院を妾と認めず、浜松城から追放した。これが秀康が冷遇された一因である。築山殿の死後、家康によって認知された。

 

秀康は幼少期を冷遇されて育ったので、家康との対面は幼少期から遅れた。その後、家康と羽柴秀吉の和睦により、人質として秀吉のもとへ送られた。秀吉は人質を厚遇し、後に秀吉の養子となり、秀吉の秀と家康の康から羽柴秀康と名乗った。官位も上昇し、秀吉の没後に北関東の結城家の養子となり、結城領を継いだ。その後も戦いに参加し功績を挙げた。家康との確執や越前への移封などの経緯があったが、後に松平を名乗った。慶長12年に病没し、越前68万石は嫡子の松平忠直が継いだ。家康の長男亡き後の次男の秀康だが、出生の経緯から世継ぎとなることは無かった。

 

≪ 逸話ばなし ≫

結城秀康の母は、家康の正室、築山殿の女中であったが、ふとしたことで家康が手をつけた。その後、築山殿は女中が身ごもっているのに気付き、問い正すと激怒し、折檻し、木に縛り付けた。夜になり泣いている女の声に気づいた家康の家来が、事情を聞き自分の屋敷に連れて行き、翌日、家康に事情を申し上げると、家康は「おぼえがない訳ではない」と答えたという。たまたま季節が夏だったために凍死せずにすんだ。生まれた子供は女中の子ゆえに冷遇され、松平家の子に与えられる竹千代の幼名も与えられなかった。

 

 

 

 

 

 

またね。