≪ITを駆使した日本に期待≫

 

近々未来で伸びる産業は宇宙開発、IT、メタバース(仮想空間)、機械化農業。逆に斜陽産業は銀行、証券会社、百貨店などが上位だそうです。

トヨタが売上世界1位、でも日本に高揚感はありません。米国と中国はすでに空飛ぶクルマの開発にシフトしていますが日本は空の法規制があり実験が進まない。

若いIT人材の海外流失は日本の税法に原因があるそうです。

失われた30年で日本は遅れました。

今後はITを駆使した予防医学の医療先進国、安全な食糧を国内や海外に提供する農業大国を目指してほしいと個人的には思います。

 

 

-----------おまけ

 

現存する旧日本海軍艦艇「南極観測船 宗谷」

 

現存する唯一の旧日本海軍艦艇で南極観測船の「宗谷」はソ連向けの耐氷型貨物船として建造され、旧日本海軍の特務艦「宗谷」として戦争を戦いました。

 

「宗谷」は戦時中の日本艦艇の中でも幸運な船として知られます。

1942(昭和17)年の1月にトラック諸島でB24の空襲を受けますが、無傷でこれくぐり抜けたほか、

 

1943(昭和18)年1月28日には、南太平洋のブカ島(現パプアニユーギニア)クイーンカロライン沖で敵潜水艦に魚雷を発射されるも不発で助かったエピソードなどもあります。

 

さらに1944(昭和19)年2月17日と18日のトラック島空襲では、座礁し総員退艦の命令が出て一時放棄されますが、空襲後なぜか離礁して浮いており、艦を確認しに戻った乗組員を涙させたそうです。

 

 終戦は日本本土で石炭輸送船として迎え、戦後は引き揚げ船としても使用されました。そしてその後、宗谷には大きな仕事が与えられることになります。

 

南極観測です。1955(昭和30)年11月、新造船を作る余裕のない日本政府は、当時は海上保安庁所属だった「宗谷」を南極観測船「宗谷」に改修し、航海に出します。

 この南極観測船に宗谷が抜擢されたのには、砕氷機能がある貴重な船だったというほかに、どんな過酷な環境でも、「宗谷」ならきっと帰ってきてくれるという、運の良さも理由になったといわれています。

 

「宗谷」は、旧海軍に軍籍があった艦艇の中で唯一“船”として残っています。

「宗谷」は現在、船の科学館に展示されています。それ以外では、工作物扱いの戦艦「三笠」が旧海軍の艦艇として現存しています。

 

乗りものニュース の記事より抜粋

 

 

 

 

 

またね