ブロックチェーン

デジタルは音楽や映像など、とにかく何でもコピーすれば無料でした。ところが、デジタルに資産価値や所有権を与えてくれたのがブロックチェーンの技術です。ブロックチェーンは、分散型のデジタル台帳技術と呼ばれ、データに透明性、信頼性があり、改ざんが困難で、一度記録されたデータはネットワーク全体で共有され、不変となります。 

 

サトシナカモトと名乗る人物がネット上に投稿した論文がきっかけとなり開発された技術です。

(彼が誰なのかいまだに不明だそうです)

 

透明性と信頼性を確保することができるため、契約や証明書の管理、個人情報の保護などにも活用できます。

ブロックチェーンは革新的な技術ですが、まだ課題や問題もあるようです。しかし今後はこの技術を利用した様々なデジタル資産が現実社会の中に出現しそうです。

 

-----------------( おまけ )

 

ナポレオン・ボナパルト

フランス革命の後に、彗星のように現れたのがナポレオンです。彼は1769年8月15日にフランスの支配下にあったコルシカ島で生まれました。

 

若くしてフランスの軍人としての才能を示し、戦術的な天才とカリスマ性により、一躍フランス軍の指導者としての地位を築きました。クーデターにより、ナポレオンはフランスの実質的な支配者となり、市民もまたナポレオンを指示しました。1804年に皇帝となり、フランスはナポレオンが指導する絶対主義的な帝国に変貌しました。

 

ナポレオンはオーストリア・ロシア・イギリスの連合軍に対して、アウステルリッツの戦いに勝利し、欧州大陸での覇権を確立しました。しかし、その後もナポレオンはイギリスとの戦争を繰り返すも戦禍を上げられず、後に欧州全土を巻き込んで、イギリスを孤立させるために大陸封鎖令を発令しました。

 

ナポレオンは大陸封鎖令に従わないロシアに対して侵攻し1812年にモスクワまで進軍するも、ロシア軍の抵抗と厳しい冬の寒さ、食料不足により、撤退を余儀なくされ30万人以上の兵を失いました。この敗戦はナポレオンの軍事的な衰退の始まりとなり、1813年には第六次対仏大同盟が結成され、プロイセン・オーストリア・ロシアなどの連合軍による攻勢を受け、フランス軍は敗退、1814年にナポレオンはフランス皇帝を退位、エルバ島に追放されました。

 

しかし、ナポレオンはエルバ島から脱出し、復位を果たしましが(百日天下)、再びヨーロッパの諸国による連合軍によってウォータールー(ワーテルロー)の戦いで壊滅的な敗北を喫し、今度はフランスから遠いサン・ヘレナ島に幽閉されました。その後ナポレオンは、孤独な晩年を送りましたが、そこでは多くの記録文献を残し、1821年5月5日没、52歳でした。

 

 

 

 

 

 

 

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