5月2日は日本のロックスターが2人もこの世からいなくなった日なんだね。

hideさんと、もう1人、
日本を代表するロックスター 忌野清志郎さんがお空へいってしまったのも5月2日でした。

忌野 清志郎は、日本のロックミュージシャン。
1968年RCサクセション結成。
派手な衣装やメイク、独特な歌声で人気を博し、1976年「スローバラード」、1980年「トランジスタ・ラジオ」、1986年「雨あがりの夜空に」などのヒットを飛ばしました。

https://youtu.be/yqPzwSEu8_0



今でもちるは大好きです!

この人は本物の本物のピッカピカの魂の人って感じ。


あさちるのデビュー曲のMVメイクを忌野清志郎さんのヘアメイクをずっとしてた吉川清海さんにして貰えた時はとても嬉しかったなぁ。

https://youtu.be/MfUSp8WKtKk






2009年5月2日に亡くなってしまったのだけど

その時のお別れ会で甲本ヒロトさんが読み上げた弔辞をみつけてしまって今目を真っ赤にしながらブログ書いてるのでみんなも良かったら読んでね。


以下。


キヨシロー。えー、清志郎、
あなたとの思い出に、ろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、
なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。

レコーディングの作業中には、
トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、
レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、
聞こえないふりをするのが必死でした。

でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。
今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、
「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、
「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、
なんか浮いてるし。

清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、
でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。
ステージの上の人だったんだな。


一番最近会ったのは、去年の11月。
The Who
の来日公演で、武道館の。

そのとき、あなたは客席の人でした。
ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。たくさんの人が清志郎に憧れるように、

あなたはロックンロールに憧れていました。僕もそうです。
そんな、いち観客どうしの共感を感じ、
とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて。
それは、業界のコネをフルに活かした戦利品、とでも言いましょうか、
ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。
ちっともあなたは、観客席のひとりじゃなかった。
僕があまりにもうらやましそうにしているので、
2枚あった、そのうちのひとつを、僕にくれました。
(ポケットの中を探る)
こっちじゃねえや・・・これだ。
ピート・タウンゼントが使ってたピックです。
これはもう返さなくていいね。納めます。ありがとう。 一生忘れないよ。
短いかもしれないけど、一生忘れない。
ほんで、ありがとうを言いに来たんです。
数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。


はは・・・今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は・・・
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。

清志郎、ありがとう。それから後ろ向きになっちゃってるけど、
清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、
それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、

最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、
どうもありがとう。どうもありがとう。 で、あとひとつ残るのは、

今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。
彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。

それはあなたが言ってください。
どうもありがとう! ありがとう!


https://youtu.be/HSoKZOg3QEw



https://youtu.be/2IiGNoBRmAQ