今日は久しぶりに4歳の娘と大喧嘩しました。
普段は聞き分けも良くて喧嘩なんてほとんどすることがないのに、今日は調子が悪かったのかささいなことでギャン泣きして、ばあばがいい、とずっと言っていました。
久しぶりに私もブチギレてしまって、じゃあままは〇〇ちゃんのいるお空に行くから、と言ってしまったりしました。
でもその時、あぁ今ここにお空の娘がいたらなぁと心底会いたくなりました。下の娘は生まれてからあの日までずっと私の心を癒してくれた存在でした。存在自体が愛おしくて、いつどんな時でも何をしても癒してくれました。
もちろん長女がいてこその次女、次女はそのために生まれてきたわけではないのですが。
次女に会いたい気持ちが娘にも溢れてきたのか、2人で泣きました。
娘にそう思わせてしまったことも母としては良くないことだなぁとももちろん思います。
4歳になった娘は実際に妹が亡くなった3歳の頃と比べてだいぶ理解が進んだのか、(自分も)死んじゃってもいい、と今日言っていました。
ママがお空に行くと言ったせいもあるし、妹に会いたい気持ちもあるだろうけど、その言葉をストレートに受け取ると、やっぱり悲しくなりました。
娘には死んで欲しくない、長く生きてほしいと切に願います。でも自分は時々やっぱりお空に行きたくなってしまう気持ちもあるのが正直なところです。
死生観って難しいと思いました。
来月には娘が亡くなって1年を迎えます。気持ちがまた不安定になりがちですが、長女の底抜けない明るさに支えられる日々です。
娘の動画や写真が残っているおかげで長女はまだ娘のことを覚えていますが、時が経つにつれて動画や写真のみの断片的な記憶になっていくのだと思います。それも悲しいですが仕方のないことだとも思います。
長女は動画や写真を見て妹を思い出すことも多いようで、今日もポツリ、〇〇ちゃんにいなくなってほしくなかったなぁ、と言っていました。
ママもだよ、としか言えませんでした。
助けてあげられなかった自分の後悔しかありません。
取り留めない日常の記録でした。いつも読んでくださる皆さんありがとうございます。