最近は仕事が落ち着いてきているおかげで、時短をとらせてもらって早く帰って早く長女のお迎えに行っています。
涼しくなった夕方によく長女次女と行った公園に遊びにいき、姉妹2人で乗っていたブランコに乗りました。
今までは2つのブランコはいつも子供たちが乗っていて空いていませんでしたが、今日は久しぶりに長女の隣のブランコに乗りました。
次女が見ていた景色が見えました。あぁ、こんな感じだったのかと。両手でしっかりとブランコを握って、ここは離したらいけないと1歳なりにわかって握っていたのか。前後に揺れてほどよく当たる風が気持ちよく、風になびかれるこの感じを味わって、全然ブランコから降りようとしない次女の様子を見ると、きっとブランコ1つとっても、いろいろなことを感じて、楽しんでいたのかと思いました。
どうして今まで次女が飽きるまでブランコに乗せてあげなかったのか。毎日でも公園に行ってブランコに乗せてあげたかった、と何もしてやれない今、後悔してしまいます。こんな事にならなければそんな事思わなかったとは思いますが。。
亡くなる2日前のあのブランコが最後になるなんて、当たり前にブランコに乗れる日常が終わってしまうなんて、そこまで考えが及ばなかった私はなんて愚かなのかと思います。
今日と同じように明日が来ることは奇跡だと、あの時の私に教えてあげたい。
あの日以降、私は一刻も早く1分でも2分でも早く娘を迎えに行って娘のそばにいたいと思っています。もちろんこんな事がなければ仕事も割としっかりやりたい、バランスよく育児も仕事もやりたいと贅沢な考えを持っていました。職場的にはどう思われているかわかりませんが、自分の中での譲れないもの大事なものがハッキリした気がします。
ブランコの思い出を思い出して思うことは、次女と過ごした1年3か月はやっぱり本当に幸せで、全てが奇跡の連続だったのだと思います。自分の人生の幸せのピークだったと、この幸せを経験できた事に感謝、もう何も望むものはない、むしろここでエンドでも良いとそんな思いもあります。
でも同じように残された娘と夫のために、今できる自分の役割は果たしていきたいと思っています。