1993年から2005年まで

おかあさんといっしょ

体操のお兄さんとして

絶大な人気を誇った


佐藤弘道さん

愛称

体操のお兄さん


脊髄梗塞のため

歩けない状況


飛行機に乗る時は

姿勢を変えて

水分をとって


しかしどうだろう

トイレが狭い

混雑

水分を我慢しようと

普通は思う

トイレ環境の改善を


食事は同級生奥様の

献身で

野菜・肉バランスよく

理想的な食卓


結婚10周年

20周年

奥様に感謝を込めて

ダイヤモンドのネックレスを

贈っていらした

佐藤弘道さん

11月の30周年の節目に

回復なさって

笑顔でお渡しになれるよう

頑張るとのこと



私達は

経験したことのない苦難を

軽く見がち


私が癌に罹患し

骨盤の中のそれが

新生児の頭ほどに

大きくなり

左足の神経を圧迫

麻痺


愚痴ではなく

頑張りすぎ

過酷な状況に

身を置くことの危険性を

このブログで述べた


それを読んだ知人は

皆、頑張ってる

asaだけじゃない

私だって

両親が不仲で苦労した


えっ?


心で思ったことは

次元が違う

若くして

足が麻痺する

それも

スポーツ万能の

取り柄を失う寂しさ


両親の不仲は

独立すれば

いさかいに遭遇しない


麻痺は悪くすれば

死ぬまで

寝たきりの私には

共感性にかけた言葉であった


それともう一つ

杖をついて

娘の腕を借りて

母の葬儀の際に

叔母が


asaちゃんの足は一生そのままなの


奈落に突き落とされた

そんなことは

今の段階で考えられないし

考えたくもない

寝たきりから

ここまで来るのも

大変だった

むしろ

そちらに着目してほしかった


医者は

放射線治療20回の前に


歩けるようになりますかの私の問に


癌が小さくなれば歩けます

と言った


後で調べると

放射線治療で

排泄障がい

下痢

副作用数多く

歩行機能は

全くと言っていいほど

改善されなかった


足の麻痺に加え

排泄障害は二重苦

出口の見えない戦い

医療も手を貸すことはなく

孤独な戦い



それ故

55歳というお若さと

これまで

運動に携わって

それを糧になさった

佐藤弘道さんの

お気持ちはよくわかる



ダイヤモンドの石言葉は

純愛


それともう一つ

【不屈】


もう一度

ひろみちお兄さんの

和やかな

傍を安心させてくださる

弾ける笑顔を

拝見する日が来ますように!

心から応援させていただきたい