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【前編】



***







「誕生日さ、本当にあれでいいの?」


背中で聞こえた声に反射的に顔を上げた。

目の前の窓硝子に映り込んだ顔と目が合う。


「あれ、もう終わったの?」


振り返ればついさっきまで肩を並べて談笑していた相手。


「翔くんが帰っちゃったから、さっさと終わらせてきた」

「なんだそれ」

「俺、ずっと引き留めてたのにね?」


冗談か本気かわからない言い方で突っかかってくる松本に思わず苦笑した。

この男の距離の詰め方はよくわからない。

二重人格なんじゃないかと思ったりもするし、好かれているのか嫌われているのかも、正直もうずっとわからなかった。


──そりゃあ昔は、尊敬と憧れをもって大いに好かれている自信があったけれど。

可愛い奴だなと思っている間にそいつはあれよあれよと尖がり始め、その棘が成長するのに比例して俺は“松本から好かれている自信”を過信だと思うようになった。情けなくも、止まることなくどんどんキラキラ輝き出した相手に苦手意識すら芽生えて、さりげなく距離を置くようになっていった。


「そりゃ先にはけますよ、松本潤の生配信なんだから」

「頑なすぎ、頑固すぎ。俺が良いって言ってんだから良いじゃん」

「あっはは、そんなに?」


だからこうやって急に絡まれるとどうしていいかわからなくなる。なんとなく避けられてるように感じることが多かった分、不意打ちで近づかれると上手く対応できなくて逃げたくなるのだ。

それでも時の流れと共に自分と松本の距離感はそういうものなんだと割り切れるようになってからは、一時期よりは随分上手く立ち振る舞えるようになったつもりだけど。

それも表面上は、という程度のものでしかなかった。


実際はいっつも緊張していた。


「まあ、でも。今日はありがと」


事務所の一角にある休憩スペース。

窓の外にはそれっぽく光り輝く夜の景色。

夜更けの時間、フロアに人の気配はほとんどない。


「お役に立てて何より。って言うかこちらこそありがとな」

「……そう?」

「ん?」


ああ、また会話のテンポがおかしくなった。

「いや、そのありがとうって何に対してのありがとうだろうって思って」

「……何の?なんのって……なにが?」

「配信で俺が言ったみたいなこと?翔くんもファンの皆に楽しんでもらいたくて、その機会に対してありがとうって意味?」

わからない。

松本が何に突っかかってるのか。

全っ然わかんない。


「んんー……まあ、勿論それもあるけど、単純に二人でああやって喋ったりできて楽しかったし、連絡貰えたのも嬉しかったし、的な?」

なんて答えるのが正解なのかが分からないから、自分でもボンヤリしたことを言っているとは思う。

どうだ?この回答に松本潤はどうでるんだ?


「ふーん……へへ」

あ、笑った。

「嬉しいって言ってくれるなら良かった」


やっぱり二重人格かよ……。


松本の笑顔は、

ずっと変わらない。


俺のことを好きだ好きだと屈託のない笑顔でずっと付け回してきていたあの頃と。

今のように心の壁を感じるようになってしまってからも不意に照れたように笑う松本を見るとものすごく愛おしくて、それと同時に同じくらい虚しくもなった。


何も変わらないのに、全然変わってしまったんだと。胸の奥のずっと底のほうが鉛を溜め込んだように重たく沈んで、調子が悪い時なんかはもはや泣きそうになった。


「ねえ、せっかくだからどっかで飲み直さない?」

突然の松本の言葉に思わず耳を疑った。

正直、現時点で俺の“上っ面の平静〜松本潤対策〜”はそろそろ限界だ。

松本と話をしていると普通が分からなくなる。
普段、俺ってどんな感じだったっけ、とか。

ここで笑うのは自然な流れなのか、とか、リアクションが大袈裟すぎたかもしれない、とか。


「あー…そうしたいのはやまやまなんだけど、ほら、俺明日ドラマあるからさ……」

「朝早いの?」
「うーん、まあまあ。ごめんな」
「……わかった」

よし!よし俺!!

ごく自然に松本回避成功だ。


「じゃあちょっとだけにしよ。近くにいい店知ってるから、行こ」

思わず「へ?」と間抜けな声が漏れた。

見れば相手は澄ました顔でちょっと微笑んだりなんかして、これは完全にあっちのペースに持ってかれるパターンだ。


「いや、でもお前、俺、」
「無理?」

なにがなんでも回避しようと思っていたのに、少し不安げに真っ直ぐ見つめてきたその目が昔とちっとも変っていなくて。笑顔の消えたその顔がなんだか寂しげに見えてしまった。

最近はまだしも、若い頃なんかは特にお高く留まってるとか取っつき難そうとか、性格キツそうだとか色々言われてきたけど。そんなの全部松本自身が意図的に作ったカモフラージュだって、俺は知ってる。


本当のこいつは、そんなんじゃなくて。


「……あー、いや、……いいよ。うん、ちょっとだけなら」

俺もまだ飲みたかったし!

せっかくだしな!

なんて。

気が付いたら調子のいい言葉を並べ散らかしていた。


「良かった。じゃ、支度してくるね」


……くそ。

嬉しそうに笑いやがって。


わかんない。

俺のことなんて、もうとっくに眼中になくなってるものだと思ってるんだよこっちは。





そうだよ。





キミは立派に育ってくれたのです。



翔くん翔くんと俺の名前を呼びながら後ろをついて来ていた可愛いキミは、そのうちに肩を並べて歩き出し。

やがてキミのおかげで今の自分がいるんだと思わされるほど大きな存在になっていった。

松本潤ありきの今の俺。兄貴ヅラなんてもう出来ません。

立派に育ったキミは、横に並んだ俺の背中を見ることもなくなり、もっと広い世界に目を向けて、


立派に巣立っていきました。

育成大成功!

オメデトウ!




……サヨウナラ、

可愛かった、キミ。






「モヒートお願いします」

「ちょっとだけとか言ってたの、どこの誰だよ」


隣で笑う松本を横目に、空いたグラスをコースターにのせた。


「さすがにちょっとペースが速いんじゃない」

声は穏やかに聞こえるけど、多分心配してる。

勿論明日の仕事が気にならないわけではなかったけれど、松本と二人という状況で目の前に酒を並べられて飲まずにいるのは難しかった。


「お前が飲みなおしとか言ったんだからな、責任とれよ」

それに、酔っていると楽だった。

いつもみたいに余計な事まで考えたり、裏の裏を読んで言葉を選んだりしなくてすむ。

たまに、自分が本当に言いたいことがそのどっちなのかを考えることもあるけれど、結局のところそんなのは今もわからないまま。

語弊のないように相手に伝わる言葉を選んで喋るのも、感じたことを考えるより先に素直に口に出すのも。
どっちも楽しいし、どっちも疲れる。

だから酔っているという建前である程度無責任に喋れるのはすごく楽だった。

「そろそろ行こうか」

結局これと言って込み入った話をするわけでもなく、近況やちょっとした仕事の相談とか、とりとめもないような会話だけで時間が過ぎていった。

ほっとしているような何か物足りないような気持ちで喋り続けながら、すぐ肩の触れる距離にいる松本の横顔を盗み見るように眺めた。

正面から、は無理だから。松本に関しては。


苦手意識を持ち始めた頃から目を合わすことも上手くできなくなった。
別に、苦手な相手に対して目を見て話すこと自体は俺にとってはそこまで難しいことなんかじゃない。

だけどこいつだけは無理だった。


それなのに、今隣にいる松本を目に焼き付けておきたいと思っている。

俺は何をしてるんだろう、何がしたいんだろうと酔った頭で考えてみても、もちろんまともな答えなど出るはずもなかった。


「……家、帰るの?」

店を出るエレベーターに乗り込んで、少しの沈黙の後に松本がぼそっと呟いた。


「ん?」

「帰らないとマズいっすか」


ついさっき俺の知らぬ間に会計を済ませていたスマートな男が、急に所在なさげに天井を見上げながらそう言って。精悍な横顔に再び幼かった頃の面影がチラついた。


そう言えば、どうしてこいつは飲みなおそうなんて言ったんだ。

馬鹿じゃないんだから今更二人で人知れず仲良しごっこをする必要なんてないことくらいわかってるだろうに。

そう思ったら、


「じゅーん」

思わず名前で呼んで、思いっきり抱きついていた。

「うわっ、なに!ちょっと……」

慌てた松本がおかしくてますます強く抱きつく。

酔っているから大丈夫。

俺は今、馬鹿みたいに酔っているんだから。


「可愛いこと言ってくれちゃって、そんなに俺と一緒にいたいのかよ!」

腕の中で暴れる身体に強引に引き剥がされて、慌てた顔で「馬鹿じゃないの」と、それでも怒るわけじゃなく困ったように笑うであろう松本を想像しながらここぞとばかりに強く抱きしめた。
こんなこと、二度と出来ないかもしれない。

こいつが俺を誘った理由。

もはや俺に考えられるのは一つだけ。

きっと俺からはもう近づいてこないことをわかってるから、だから時折無理してこんなふうに絡んでくるんだ。

これ以上気まずくならないように、大人としての歩み寄り。

そう思ったらなんとも健気な松本がいじらしく、だけど俺なんかよりもずっと大人に思えた。


想像した抵抗がなかなかこないことに気付いて、巻き付く腕の力を緩めたのとほとんど同時だった。


「そうだよ」

耳元で小さく囁かれ、逆にその腕に抱きしめられた。


……あれ、


「松本?」

「潤」
「え?」

「潤って呼んでよ。さっきみたいに」


耳にかかる吐息が熱くて、思わず身体が緊張した。

酔っているのかもしれない。

俺だけじゃなくて、松本も。

「俺、もっといたい。翔くんと」


……だから、逃げないで。


消えそうな声でそう呟かれて、こっちの酔いは一気に醒めた。


何も言えないまま、到着したエレベーターのドアが開くタイミングで背中に回されていた腕は呆気なく離れた。

感じていた温もりが消え、静かに吹き込んできた外気の冷たさにあっという間に身体が冷えていく。

先に降りた背中を呆然と見ていたら、振り返った松本が吹き出すように笑った。


「何してんの。そのまま乗ってまた上に戻るつもり?」

「あ、……はは。マジだ」


反射的に笑い返したものの、思考回路は上手く回らないまま。

エレベーターを降りて松本の横に並ぼうとして、その適切な距離がわからないことに気付く。


「近っ」
「……やっぱり?」
「腕でも組むのかと思った。別に良いけど」
「いやよくねえだろ。男同士で腕なんか組まねえよ普通」
「普通、ねえ……」

変に離れすぎるよりはと思って近づいてみたけれど、やっぱり感覚がバカになっているらしい。

すみませんでしたねえ、なんて言いながら松本から離れようとしたら、

「翔くんってさ、」

不意に腕を掴まれた。


「普通が好きだよね、昔から」
「……は?」
「俺はずっと特別になりたかったよ」

掴まれた腕から視線を上げると、真っ直ぐ見つめてくる瞳と目が合った。

そのまま何か言いたげに俺を見つめ続ける眼差しに、いつもなら逃げたくなるはずのそれに、戸惑いながらもなぜか心が躍った。

醒めたつもりでいたけれど、もしかしたらまだまだ酔っているのかもしれない。

胸の中には、漠然とした期待。

このまま平行線のように流れていく俺と松本の関係がもしかしたら何か変わるんじゃないかという、無責任で、しょうもない期待だった。


ついさっきまであんなに断ることしか考えていなかったくせに、小さくため息をついた松本に「俺の部屋、来れない?」と言われれば選択肢なんてあってないようなものだった。






部屋に向かうタクシーの中で、明日早いんだっけと聞かれて思わずまあ午後からだから大丈夫だよ、と答えた。

その途端、相手からの視線がジトっとしたものに変わる。


「やっぱりね。また逃げてたんだ」

言った瞬間自分でもしまったと思った。


「さっき、まあまあ朝早いとか言ってたよね」
「いや……つーか、その逃げてるってのマジでなんなの」
「だって逃げてんでしょ、実際。いつもビクビクしちゃってさ」
「……」

すごみかけて、すぐにやめた。確かに松本の言う通りだ。
この十数年間精一杯平静を装ってきたけれど、その裏で俺はずっと松本に緊張していた。だって苦手なんだから仕方ない。
そのぎこちなさを気付かれているのはわかってた。

だけどなんとなく空気を読んで見て見ぬフリを続けてくれるものだと思っていたのに、まさかこんなタイミングで痛いところのど真ん中をこんなにハッキリ突かれるなんて。


「……もう逃げないでよね」

静かにそう言った松本の視線は窓の外を向いていて、その表情は分からなかった。
たまたま触れた手と手の小指に気付いて小さく動かしてみれば、返事のように同じ強さで軽く押し返されて。

面白くなってまたつついた途端、


「マジでそういうとこ」

若干不機嫌そうな声がして、思わず身体が強張った。


そういうとこって、どういうとこだよ。


「分かり易過ぎんだよ、翔くんは」

俺は全然わかんないけど、お前のこと。
さっきまで楽しんでたのに。急に居心地が悪くなったように感じて、動かない身体と反対に忙しなく動き出した心臓も煩くて、口を開けば声に何かが出てしまう気がして何も言えなかった。

視界の隅に感じていた視線が消えるまで、きっとほんの数秒。


その時間が、途轍もなく長く感じた。