「三囲神社」 | 東京神社めぐり

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パワスポと歴史を訪ねる旅

 

三囲のライオン像
向島で一番有名なお稲荷さま

歴史ある大企業には、多かれ少なかれジンクスだったり、御用達の寺社があったりする。今回紹介する「三囲神社」(みめぐりじんじゃ)は、都内においてはその最たるものともいうべき神社である。何しろ江戸時代から、三井グループの守り神として君臨してきた神社であるのだから。その証拠ともいうべきもの、境内には東京に住む人なら一度はみたことがあるであろう、ライオンの像が移設されてきている。

○イギリスの提督のご利益が

「三囲神社 本殿」
「三囲神社 本殿」

このライオンは、2009年に閉店した池袋三越に置かれていた三越のシンボルとも言える像である。蛇足であるが、このライオンのモデルはロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像の足下にいる4頭のライオンの像がモデルなのだとか。ますます蛇足だが、ネルソンという人はナポレオンが派遣した連合軍を海戦で破ったイギリスの提督で、イギリス人にはかなり人気がある。この「トラファルガーの戦い」で戦死してしまうのだが、英雄という面では日本人にとっての坂本龍馬みたいな人にあたるのだろうか(提督とは身分が違いすぎるか…)。そのせいなのかも知れないが、このライオンを触ると勝運がつくとも言われている。うーん、ここまでさかのぼらないと、ライオンのご利益の説明ができなかったので長々の説明、ご容赦いただきたい。
三越とは、江戸時代日本橋(当時は江戸本町)に開店した「三井越後屋呉服店」の、のちの名前である。三井グループの端緒と言える。三井=三囲ということらしい。

○最上の商売繁盛のおきつねさま

「三囲のコンコンさん」
「三囲のコンコンさん」

「三囲神社」の歴史は平安時代にまでさかのぼる。弘法大師が田中稲荷として祀ったと伝わるが、南北朝時代に近江・三井寺の僧(読みは「みいでら」だが、ここにも三井の名が!)が社改築の折、土中から老翁の像を発見。その像の周りを現れた白狐が3回巡って消えたことから、現在の名前になったのだとか。元禄時代には、この白狐を呼ぶと願い事をかなえてもらえると話題になっている。そのご利益が世に知られ、「越後屋」は家の守り神と考えたのだろう。
ところで、この「三囲神社」のおきつねさまは、かなり変わっている。きつねの特徴ともいうべき、つりあがった目がないのだ。まるで、錦絵に出てくる幇間のようにたれ目でにこやかに笑っている。逆に不気味に感じるほどだが、考えてみたら商売の神さまが仏頂面はないだろう。このおきつねさまのようににこやかに商売に励め、ということか。

 

○珍しい形の鳥居も

「三柱鳥居」
「三柱鳥居」

実は、この神社には変わっているものが、もうひとつある。上記写真の鳥居である。三柱鳥居といい、石造りである。なんとも不思議な形だが、ここ三囲のものは、京都の木嶋神社(蚕ノ社)の鳥居を模したもので、どちらも「水」を守るように建てられている。私の感覚では、あまり日本的な形ではないような感じである。大陸から渡ってきたさまざまな宗教・文化のなごりではないかと思えるのだ。またまた蛇足であるが、日本文化のすばらしいところは、他国の文化や文明を破壊せず取り込み、継承していくところにあると思っている。すでに、アジアの多くの国々は文化が断裂してしまい、自国独自の歴史が存在していない。ところが、日本各地に残された断片からその名残が再生できるのだという。そう考えると、木嶋神社の三柱鳥居が守ってきた「水」が近年枯れてしまったというのも、なんとなく現在の大陸との関係が枯れてしまったことと関係があるのではないかと勘ぐりたくもなる。神社とは不思議な存在である。

○まさしく三井の守り神

「顕名霊社」
「顕名霊社」

なんだか三越の宣伝のようになってしまったが、三囲神社の紹介に三越は切っても切れないもので許してほしい。何しろ三井グループのホームページには、三囲神社の紹介ページがあるくらいだ。現在の神社の境内はさほど広い感じはしないが、実は広い。本殿の裏手には、三井家、11家の当主夫妻と120柱余りが祀られている「顕名(あきな)霊社」がある。社殿の前の狛犬は金色で、なぜか周りは更地である。これほど寺社と深いつながりを持つ大企業もめずらしいのではないか。
だが、考えてみてほしい。一介の奉公人が、のちの日本を代表する企業グループのもとを築いたのである。そのご利益は商売繁盛の域をはるかに超えている。運もあるだろうし、厄除、良縁、蓄財など様々だ。実は三囲神社は、隅田川七福神のひとつでもある。しかも、恵比寿さまと大黒さまが鎮座する。どちらも福徳開運の神さまである。毘沙門天を祀る「多聞寺」まで約2時間。東京スカイツリーの足下を「長命寺桜もち」でも食べながらゆっくり回ってみてはいかがだろうか。