龍神を祀る海の神さま
「荏原神社」
寺社の社伝などは、長い歴史の中でゆらいでいく。その中で、事実でないものも事実になり、不思議な歴史観も紡がれて行く。だから、寺社を訪ねてまわるのは面白い。ひとつの社だけ訪ねていたのでは、分からない事が、いくつかまわると「?!」になっていく。
何度かお話ししたが、私のお気に入りのひとつに品川神社がある。「龍」がいるのはもちろんだが、スサノオが関係していることもある。実は「品川」神社には、もうひとつの社がある。それが今回ご紹介する「荏原神社」である。
○神輿が海を渡る南の天王祭
「荏原神社 本殿」
もっと早くにご紹介すべき神社だったのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。なぜなら、この神社がよく分からないからだ。分からない…は失礼か。
創建は和銅2(709)年9月9日。明治天皇が4度行幸され、武蔵国の総社である「大國魂神社」の大祭・くらやみ祭りの禊祓式を務めるほどの歴史と伝統を持つ神社である。その割と境内は狭い。江戸時代の切り絵図から見ても今とさほどの広さの違いはなさそうだ。
ご承知の通り、品川は、江戸時代以前からの宿場町である。今の高輪・品川あたりはずいぶん埋め立てが進んでいるので想像できないかも知れないが、江戸時代後期までの地形からみると、田町駅も品川駅も海の中に位置する。だいたい第一京浜あたりが海岸線だった。その先、今ある旧東海道も実は家康が新しく付け替えた道で、以前の古東海道はもっと西側、品川神社のある場所よりも大崎駅よりのルートだったらしい。つまり「荏原神社」の建つ場所はまさに海岸べりで、そのため龍神(高靇神)を勧請して創建されたのだ。ところが、社名が貴船社、天王社、貴布禰大明神、品川大明神と様々変遷してきたため、一層分かりにくくなってしまった。
何が分かりにくいかと言えば、この付近には同じような名前の神社が多くあるのだ。「品川神社」(品川大明神、牛頭天王社、と呼ばれていた時代がある)、「貴船神社」(貴布裲大明神と称していた時代がある)、「居木(いるぎ)神社」(貴船明神を合祀している)などである。
少し整理してみよう。
「品川神社」と「荏原神社」は間違いなく競い合いがあった。ふたつの神社は張り合うようにして、今に至ったのだと思う。品川神社の大祭を「北の天王祭」と呼び、荏原神社の大祭を「南の天王祭」と呼んで、ともに6月上旬にお祭りを催行する。北は富士塚を持つ境内への階段を神輿が渡り、南は海中渡御を行う。江戸時代まで、2つの神社の間には目黒川が流れていて(今の流れは南に移動してしまったが)、川の北と南で「北品川宿」「南品川宿」が形成されていた。「品川神社」は「北品川宿」の鎮守で、「荏原神社」は「南品川宿」の鎮守だったのだろうことは想像に難くない。だから「品川」を冠するべき神社は2つあるのだ。
○共にスサノオを勧請して発展
本殿上から龍がのぞく
「荏原」という名は古くは、世田谷あたりまでを含むこの付近一帯の郡名だった。「品川」よりも大きな名を冠したのは「荏原神社」のほうである。なお、2社の祭神だが牛頭天王(スサノオ)以外はまったく違う神さまである。
「品川神社」を開いた源頼朝は、龍神を祀った「荏原神社」のすぐそばに、航海神である洲崎明神を勧請した。いったいどんな意図があったのだろう。
奈良の神さまではなく、安房(千葉)の神がよかったのか。それとも、藤原家が創建した神社がお気に召さなかったのか。
その後「荏原神社」が、1247年に京都・八坂神社から牛頭天王を勧請、「品川神社」は1457年に太田道灌が牛頭天王を勧請した。ここから2社の区別が難しくなっていったのだろうと思う。
○ここからはファンタジー
境内前の「鎮守橋」
ここまでの話は、まぁ普通にある話である。
跡目争いや縄張り争いに過ぎない。でも、私はちょっとだけ気になることを見つけてしまった。それは「貴船神社」の意味である。
「貴船神社」は元々は今ある場所ではなかったらしい。おそらく、今の「居木橋」あたりにあったのではないかと思われる。
さて京都の「貴船神社」は、丑の刻参りでも有名な神社だが、実は水の神さまであり、縁結び・復縁神としても知られている。また、行かれた方はご存知かと思うが、源義経が鍛錬したと伝わる山道で、鞍馬寺とつながっている。
少し話を戻そう。
実は「荏原神社」と品川の「貴船神社」の社伝はほとんど同じなのである。
創建年も神さまも、そして…創建した人も。創建者の名前は「藤原伊勢人」と伝わっているのだが、この人は何者かと言えば、鞍馬寺の起源を創った人であり、京都の東寺を建立した人である。
以下、少し話が難しくなるので、面倒な人はすっとばしてください。
(1)Wikipediaによると、藤原伊勢人の生存年は759-827年、「荏原神社」「貴船神社」の創建年よりも50年も後に生まれている。つまり、どっちかが間違っている。
(2)京都の鞍馬寺と貴船神社の山道の真ん中には「魔王殿」という鞍馬寺奥の院があって、とにかくすごい気を放っている。
(3)「東寺」は、当初「西寺」とセットで「羅城門」を挟んで東西に創られたお寺だった。「西寺」も「羅城門」も廃れてしまって今では「東寺」が残るのみになってしまった。
さて、これらを考慮して、藤原伊勢人という名は何のために出てきたのだろう?と考えてみた。品川にまったく同じ名前の神社(貴布禰大明神)がふたつ。その真ん中に位置する神社(品川神社)に太田道灌はスサノオを勧請してきたのだ。
まるで「東寺」と「西寺」と「羅城門」である。
そして「貴船神社」は丑を指し、「鞍馬寺」は寅を祀る。丑寅とは鬼門の方角だ。
○太田道灌を調べねば
鞍馬寺奥の院・魔王殿(雨の日の写真しかなく面目ない…)
なんだか、また難解な話にしてしまったようだ。
簡単に言えば、どこかの時代で社伝がガシャポンになってしまったのではないかと考えている。その犯人は太田道灌じゃあないかとも疑っている。都から悪いものが入ってこないように、東海道の入口に結界を作った。品川神社を羅城門に見立てるため、「東寺」と「西寺」が必要だったのではないか、つまり「荏原神社」は「東寺」の役目を担っているのではないか、と。
なんていうファンタジーを考えたりするのは楽しい。
元々パワースポットとは、そんなふうに作られてきたわけだし。
蛇足だが、藤原伊勢人という名は後世で何かと便利に使われている人らしい。神さまの仕業にしたいこと、鬼の仕業にしたいことを担っているようだ。たしかに「伊勢人」なんて、神さまの名前に近い。
○龍の住む品川一帯
「釣り竿を持った恵比寿さま」
スサノオを祀るだけではなく、「荏原神社」の境内入り口には釣り竿を持った恵比寿さまが鎮座する。厄除、招福、商売繁盛である。
また、鳥居の前にある「鎮守橋」は美しく川面に映え、特に桜の季節に見せる景色は見事だ。今年は訪れるのが少し遅れてしまって桜は散り気味になってしまって残念だった。
それから見所をもうひとつ。150メートルほど東には「荏原神社」の末社「寄木神社」がある。ここには頭に皿を頂いた「かっぱ狛犬」(?)が鎮座する。皿にはロウソクを立てて灯台のように使い、船からの目印にしたのだそうだ。
同様の狛犬は品川神社にも鎮座する。まさに航海の神さまそのものである。
今の品川駅付近では実感はないが、海とともに生きてきたここの人たちの神さまたちである。東京都内でここほど海を感じる神社群は見当たらない。
やっぱり、龍に守られる安心感においてはナンバーワンと言えるだろう。
「寄木神社」のかっぱ狛犬






