○元は将軍のお鷹狩り場
歴史的には、江戸時代に埋め立てられた土地である。4代将軍・徳川家綱の弟、松平綱重が鷹狩場だった海を埋め立て別邸を建てたことに始まる。その後、綱重の息子が6代将軍になったことから、将軍家の別邸となり江戸城の出城としての機能も備えることになった。幕末には、黒船を警戒して海軍所になり、カノン砲が5門も備えられていたのだとか。その後、「延遼館」という洋館が建設されて、鹿鳴館ができるまでの間、迎賓館として使用されていたらしい。古くは吉宗がオランダ人を接待、幕末にはイギリス、フランス、イタリアの各公使や写真家ベアトも訪れている。この時、ベアトが残した写真は、ココ(長崎大学附属図書館)で見ることができるが、今とあまり変わっていないようにも見える中島をバックに、帯刀した武士が写っているのが感慨深い。また、明治時代にはアメリカの第18代大統領だったグラントが1か月もこの延遼館に滞在、明治天皇と会見をした。もちろん大統領の任期終了後のことである。と、いうことで最初に話は戻るが、この場所はある意味東京都が管理する場所としては、最高というべきおもてなしの場所なのである。それが証拠に、ここに「延遼館」を2020年の東京五輪までに復元させると、舛添知事が今年の年頭に発表した。まぁ、ウィリアム王子は格好の宣伝に使われたのかもしれない。
○広い庭内のパワースポットはいずこ?
そんなこともあって、パワースポットなのか? と問われれば、そうだ、と言える所であるらしい。数年前の「ムー」に紹介されたとかで、ここ数年やたらと話題になっている。一番のパワースポットは、園の北西あたり馬場跡近辺にある、「観音堂跡」付近。江戸時代には観音堂があったらしいのだが、今はただの雑草生え放題の場所だ。変に階段だけが残っていて、まるで祭壇のようになっている。しかも、他はすごく手入れが行き届き、美しい松がいたるところに枝を延ばしているのだが、ここだけはなぜかシダとソテツが生い茂っている。まるでこの場所だけ気温の違うところのようだ。感じる人は暖かさを感じとるらしい。残念ながら私は何も感じなかった。どちらかと言うとちょっとコワかった。ここに中島の御茶屋と松の御茶屋付近を加えた3カ所がベストスポットだと言われている。
でも、私が一番気に入ったのは、御亭山という築山の頂上だ。今はぐるりと周りを高層ビルに囲まれ(もちろん海のむこうの勝どきまでも)ているけれども、なぜか空が明るい。一緒に行った先輩たちが「規模は違うけどNYのセントラルパークみたいだね」と言った。私は、ニューヨークには行ったことがないので、実感はなかったが、映画やドラマで見る、木々の間にビルがのぞく景色がたしかに似ている。たぶん、この場所で美しく育っている樹木のほとんどが松だという点をのぞいて。
○江戸時代とはまた違った美しさ
江戸時代のこの場所の景色は、広重が描いた「名所江戸百景 芝うらの風景」に見て取れる。今とは大違いだ。高層ビルがないだけでなく、海の上にはお台場(今フジテレビがある場所のことではない)が、ところどころに浮かんだように見えてはいるが、この当時は房総の対岸まで見通せる海上だった。また、庭園内には、富士見山という築山が南西のはじっこにあって、今登ってもビルの窓が見えるだけだが、たぶん当時は富士山もしっかり見えていたのだろう。遠景を望む絶景だったに違いない。今だって、美しいビル群を借景にした美しい庭園である。
さて、パワースポットと言うからにはどんなパワーなのか? 調べてみたらひっくり返りそうになった。おいおい…。
○パワーをもらえた人と取られた人
グラント将軍は、日本滞在の4年後「全米ライフル協会」の会長になった。その翌年経営する会社が倒産、100以上の銀行が破綻する金融危機の引き金を引き、その翌年病死した。でも50ドル紙幣に肖像画が使用されている。
実は、1888年にはオーストリアのルドルフ皇太子もここを訪ねている。ルドルフ皇太子は、訪日の翌年謎の死を遂げた。この死は、今でも日本の「本能寺の変」のように「謎」としてオーストリアでは話題になるのだという。
もっとさかのぼってみる。この地を埋め立てた綱重は、家光の三男である。長生きしていれば、5代将軍になっていたかもしれない人だ。結局早死にして、息子・家宣が6代将軍になるが、この時すでに48歳。ほんの3年ほどで没し、息子がわずか3歳で7代将軍・家継になったが早世、この治世も3年で終わってしまった。で、吉宗の時代になり、彼は「世継ぎは大事」と考え、御三卿を創設することになるのだ。この家宣・家継の時代はもっとも徳川本家がピンチだった時とも言えるだろう。
訪れた人の人生が大きく波打っている…。どちらかというと不幸になってないか?
戦後、この場所を接収したGHQは(どこにだか知らないが)庭園内にテニスコートを5面も作ったらしい。それは1948年のことで、この年、第一次中東戦争が起こり、ベルリン封鎖が始まり、大韓民国が建国した。中国共産党が国民党を追い立て翌年には中華人民共和国が建国したという時代背景がある。これらのことは今も米国を悩ませ続ける外交問題をはらんでいる。
一方、吉宗やここを頻繁に利用した家斉の時代は長期政権となり治世も安定している。また、ハリー・パークスやレオン・ロッシュという歴史の教科書にも載っているくらい有名になった外国公使たちも来賓としてここを訪れているのだ。
つまり、ここには、絶対に怒らせてはいけない何かがあるに違いない。そういえば、大手門の入口に「三百年の松」と呼ばれる山のような松の木があった。龍が体を巻き付けて天を見上げているような姿である。思わず両手を合わせてしまった。「三百年の松」は園の最東。その真西の最西部には「観音堂跡」がある。そして、その真ん中の地点には「可美真手命(うましまでのみこと)」の像が。ここに「物部氏」までもが登場するのか…(日本書紀には「可美真手命」は物部氏の祖と書かれている)。頭が痛いので考えるのを止めることにした。
東京都民としては、舛添知事がここで“何か”を怒らせるようなことをしなでいてくれたらいいなぁと思う次第である。