(保存版)海の美しいマーシャル・ミリ環礁のミリ島 「海外戦地巡拝 第2回」 | 三ヶ根の祈り のブログ

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 「海外戦地巡拝の記録と記憶」の第2回目は、

「海の美しいマーシャル・ミリ環礁のミリ島」。

 

 2011年8月、同環礁の5つの島を慰霊巡拝させて頂いた時のこと

 

 今回は、巡拝全体の概要と、5つの島の内、ミリ島での慰霊の模様を

記させて頂く。

 

 

 

  マーシャル諸島共和国は、ラタク諸島とラリク諸島から成り、

合計30近い環礁を有する、中部太平洋の島嶼(とうしょ)国家。

 

 

(マーシャル諸島共和国:外務省資料)

マーシャル諸島共和国地図

 

 

 

 よく知られているのは、首都のあるマジュロ環礁と、

戦後、アメリカによる水爆実験が行われたビキニ環礁。

 

 

 

 太平洋戦争中は、日本が統治する最東端の国で、

いくつもの島に、日本軍が守備隊を置いていた。

 

 

 

 私は、2008年と2011年の2回、

戦後「絶海の飢餓の島」として知られるようになった、 

ラタク諸島の「ミリ(ミレ)環礁」に戦地巡拝した。

 

 

 

 2008年4月の巡拝は、ミリ環礁の中心、ミリ島のみだったが、

2011年8月の巡拝では、ミリ島に加え、

エ二ゼット島、アルバル島、ナンルー島、タカイワ島の全5島を巡拝。

 

 

 

 今回ブログに上げさせて頂くのは、2回目の2011年8月巡拝時のもの。

 

 

 (ミリ環礁の島々)

                 👇

 

 

 巡拝同行者は、アメリカ人2名を含む、小生の知人4名。

 

 

 

 日本からミリ環礁までの行き方は、

日本⇒グアム(乗り継ぎ)⇒マーシャル・マジュロ⇒ミリ環礁 。

  ✈         ✈          🚢

 

 

 グアムで一泊し、翌朝のコンチネンタルエアライン(当時)のハワイ行便で、

マジュロまで所要約10時間。

 

 

 

 途中、飛行機は、3つの島に立ち寄りながらマジュロに向かう。

 

 

 

 離着陸の都度、手荷物検査や機内検査があって不便この上ないが、仕方ない。😖

 

 

(途中立ち寄りのポナペ島👇・・・太平洋戦争の戦地となった島の一つ)

 

 

(途中立ち寄りのクエゼリン島・・・1944年2月、日本軍守備隊が全滅した島)

 

 

 

 マジュロで一泊し、翌8月14日、

チャータした船で荒波の外洋を約6時間乗り切って、午後ミリ島に到着

 

 

 

 (8月14日到着時のミリ島の海岸)

 

 

 この日(8月14日)のミリ島の海は、曇り空の影響で、

鮮やかなエメラルドグリーンの海の出迎え と言う訳にはいかなかった。

 

 

 と言うのも、

晴れた日のミリ環礁の内海(環礁湖)の色は、とにかく美しい! から。

 

 

 以下、滞在中の写真を少し添付させて頂くと・・・・ 

 

                 

(ミリ島)                             

 

(タカイワ島)

 

(ミリ島)

 

(タカイワ島)

 

(ミリ島)

 

 

 美しい海に囲まれた島々だが、今から80年前、

3000名以上の日本軍兵士たちが、戦闘ではなく、

飢えと病気で亡くなられたという悲劇の島でもある。

 

 

 

 昭和18年以降、補給が絶たれて食糧事情が悪化し、

兵士たちは、駐屯していたミリ島から、環礁の他の島々に、

言葉は悪いが「口減らし」のために分駐させられた。

 

 

 

 当時ミリ環礁の日本軍は、陸海軍合わせて5700名が駐屯。

 

 

 

 終戦までの2年間に、餓死・病死された方々が3100名にのぼり、

何とか日本に復員出来た方は、半分以下の2600名だった。

 

 

 

 しかし、戦後、ミリ環礁での戦没者のご遺骨収容は約300名しかなく、

ほとんど進んでいない。😖

 

 

 下の写真の船は、終戦から2か月経った、昭和20年10月初め、

ミリ環礁からの復員(ふくいん)兵を乗せて、浦賀沖に帰還した氷川(ひかわ)丸。

                      👇

 

(昭和20年10月8日付 朝日新聞) 

 

 

 戦時中、氷川丸は病院船として使われ、

戦争直後は、復員兵の引き揚げ船として、よくその使命を果たした。

 

 

 読売新聞では、ミリ島の飢餓の凄惨さを語る、軍医長のインタビュー記事が掲載。

 

 

「凄惨絶す地獄島ミレ」の見出しが、痛ましすぎる!

                        👇

 

(昭和20年10月9日付 読売新聞)

 

 

 

 (1)巡拝には、予め伊勢神宮 五十鈴川の御水を持参。

 

 

 ミリの島や海に、五十鈴川の御水を注がせて頂きながら、

心ならずも、日本から遠く離れた絶海の孤島で亡くなられた、

数多くの日本人のご冥福をお祈り申し上げた

 

 

 ①ミリの島に五十鈴川の御水を注ぐ 

       👇                         (所要時間:18秒)

 

 

 ②ミリの環礁湖に五十鈴川の御水を注ぐ

       👇 

                                 (所要時間:7秒)                                        

 

 

 

 (2)島々での慰霊

     👇                        

 

 島の巨樹を慰霊碑に見立てて、戦没者を追悼。(エニゼット島)

 

同上(タカイワ島)

 

 島の岸辺でお祈り(アクバル島)

 

 

 

 (3)8月15日(終戦の日)、ミリ島の波打ち際でご冥福をお祈り

 

 早朝、環礁の島々が望めるミリ島の波打ち際で、お線香を上げ、

心ならずも、この環礁で亡くなられ、日本へのご遺骨帰還も叶わぬ、

3000余名の英霊のご冥福をお祈り。

                 👇          

                               (所要時間:3分58秒)

 

 

 ご冥福をお祈りさせて頂いていると、急に空の雲が厚くなり、

やがて、ポツリぽつりと雨粒が落ちて来た。

 

 

 きっと、この雨粒は、英霊方の涙の雫であったろうと、

今でもそう思っている。

                                             👇

                                 (所要時間:56秒)

 

 

 お祈りを済ませて、しばらくすると、再び晴れ間が現れ、

日の出の眩しい光が、環礁の内海を照らし出した。

                  👇

 

 

 

(3)ミリ島の戦争残滓

  

①日本海軍が設置した対空高角砲は今も使えそうな迫力

         👇                     

 

②日本軍が作った飛行場跡に、豚が3匹ノンビリ散歩。

               👇                           

 
(5)快晴に恵まれたミリ島の朝<8月16日>
 
 前日(8月15日)の朝とは打って変わり、
8月16日朝のミリ島は、清々しい好天。
 
 
 島々への巡拝前のひと時、
ミリ島のエメラルドグリーンの海を堪能した。
                   👇

                              (所要時間:4分43秒)

 

 

  タカイワ島とナンルー島への巡拝の為に乗り移った、

ミリ島沖合の本船ボートから、島の海岸方向を眺めると・・・・。

             👇

                                (所要時間:52秒)

 

 

 

 

 

 

 2011年は、終戦の日(8月15日)を挟んで、

8月14日~17日の3泊4日のミリ環礁巡拝だった。

 

 

 

 ミリ島以外の4つの島への巡拝の模様は、

今後、順次ブログにアップさせて頂く予定。

 

 

 

 マーシャルからの帰りも、行きと同じルート。

 

 

 マーシャルからグアムに帰ってくる途中のこと、

飛行機の窓から眺めた光景が忘れられない。

 

 

 「まさに、西方の極楽浄土とは、このような姿なのか!」と、

思わず口にしたくなるような光景だった。

                  👇

 

 

 (動画)                         (所要時間:2分19秒)

 

 

 

 

                   合掌